赤いサファイア1
「それってルビーのことですよね?」
女は無邪気に尋ねた。
バーテンダーは微笑みながら答えた。
「コランダムという石がありまして、その中で特定の赤色のものだけがルビーと呼ばれ、その他のものは青でも黄色でも緑でもサファイアなんだそうです。ピンクもサファイアですし、ぎりぎりルビーと認められない赤いものをレッドサファイアということもあるそうですよ」
「へえ〜、実際に存在するんですねぇ」
女は目を丸くした。
「カクテルでもご用意できますよ」
「え!?赤いサファイア?」
「マティーニのアレンジですが、ジンをボンベイサファイア、ベルモットをチンザノロッソにします。マティーニ同様ステアしまして、オリーブは省きます。お口に合うといいのですが」
ショートグラスを満たした赤い酒を、女の前に置いた。
「わぁ、きれい!本物よりもルビーらしい色!」
「赤いサファイアと同じように、ブラックスワンという言葉は『あり得ないもの』という意味だったそうです。でも後に、黒い白鳥は南半球に棲息しているのが発見されました。人が想像できるもので、本当にありえないものはないのかもしれませんね」
女は赤いサファイアを口に運んで、無言で微笑んだ。
赤いサファイア2
「指定日時t(例えば2015年05月10日23時59分59杪)以前に初めて観察された[以下これをx(t)と表す]グリーンのもの」と「t以降に初めて観察された[以下これを¬x(t)と表す]ブルーのもの」を『グルー』と呼ぶことにする。
また同様に「x(t)ブルーのもの」と「¬x(t)レッドのもの」を『ブルッド』と、「x(t)グルーのエメラルド」と「¬x(t)ブルッドのサファイア」を『グルッドのエメライア』と呼ぶ。
そうすると私の手の中にはグルッドのエメライアがある。
これは博物館で"原石"と称して販売されていた雑多な結晶混じりの石ころで、子供の頃に祖父に買って貰い、持ち主の忘れっぽさを掻い潜って今でも手元に残っている。
当時、祖父曰く「これはグルッドのエメライアだ」と。
宝石の分類としては、青いエメラルドはアクアマリンであり、赤いサファイアはルビーである。
つまり、不完全な枚挙的帰納法の意味においても、鉱物的な価値においても、この石ころは紛い物である。
そんな紛い物を日光に透かすと、床に薄墨めいた影が零れて、その中心に浮かぶ仄か赤みがかった光彩が、いつも私の明日を証明不能にする。
赤いサファイア3
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このなかに一つだけ紛れ込んでいる赤いサファイアがどれだか、わかるかい?
どれもルビーに見えるだろう? そう、組成で言えばヤツは他と何も違わない。でもそいつはあくまで赤いサファイア、ルビーに擬装した招かれざる異分子。人知れぬうちに周りのコマを反転させ、すべてを禁断の色で染め上げる。
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こんなふうに。な?
赤いサファイア4
転職サイトから思いもがけぬ業種へのスカウトメールが来て、いい経験になると思い、何の気なしに面接を受けるメールを返信したらば、あれよあれよと言う間に新幹線に乗って、新宿にあるガラス張りの高層ビル街の一画にある本社での面接という運びになってしまった。
自分よりも年若い男に自分自身を値踏みされるのが、四十男のプライドを苛む。縁なし眼鏡を掛けたインテリ然とした面接官に「何故、俺に興味を持ったのか?」と、問いかけると
「勿論、貴方の業界での仕事振りや取引先での印象が第一ですが、自己紹介欄の『自分は赤いサファイアでありたい。ホワイトカラーのブルーブラッドのエリートもブルーカラーの自分も同じ労働者として、仕事への誇りと熱意を持っている。』との文言に聊か共感を覚えましてね。ルビーもサファイアも色こそ違え同じ鉱物、
事務方も現場も同じ仲間だと言いきる目線が私も気に入ったので、この度の面接と相なりました。新年度には仲間として働ける事を社長として楽しみにしています」
帰途の座席に身体を沈め、キオスクで奮発した赤と青のエビスの缶を飲みつつ、さきいかを噛みしめながら、自分自身の人生の転機と未来にささやかな祝杯をあげた。
赤いサファイア5
海岸に鯨が流れ着いたというので皆が見に行った。誰も行かなくなった頃、私たちは行った。月夜の浜辺に小山ができていた。砂をかけてロープを張り巡らせてあった。いつもこの海を見ている。今年の春から、彼は黒も白と主張する弁護士で、私は赤も青く塗る画家になった。波が打ち寄せている。彼が子供に戻ったかのように砂浜を走り始め、私も追いかけて、転がって、でも子供には戻れない。砂山の影で濡れた体を並べて空を見上げた。からす座、麦星、スピカ。「星がわかるなんて、ちぃはすごいね」「ゆきはスーツで働いていてすごいよ」「そんなことない。俺は自分の中のずるいところが嫌い」「私もそう」砂が痛くなってきて、起き上がって探索を始めた。砂浜には何でも落ちている。珍しい貝殻、つるつるの石、異国の文字が印刷されたプラスチック、海草、海洋生物の破片。私は瑪瑙を探す。彼は赤い石を拾った。「ちぃ、これ、とんでもなく光るよ。ひょっとして、サファイアなんじゃないか」「違うよ」「じゃあ、何か宝石だ」
それは波に濡れて、月明かりに照らされているから光っている。彼はその石を大事そうに両手に包み、私に向かって差し出した。「ちぃ、結婚しよう」
赤いサファイア6
彼女の瞳の色が気に入らなくて、青い宝石を押し込んだ。しかし、彼女の流した涙に染まって、宝石は青から赤に変わってしまった。
俺の表情から落胆を読み取り、彼女は少し困ったように笑った。それがまた癪に障って、俺は舌打ちをする。ますます笑みを深める彼女の瞼に乱暴に口付けて、目尻から溢れた涙を舐めると、苺の味がした。
赤いサファイア7
「だめだだめだ! 赤だけはだめだ!」
機械人形の女王が自らの基板に赤い宝石を使いたいとおっしゃったとき、専属技師は大声で拒否しました。近衛兵たちが不敬罪で技師を取り押さえ、けれど女王は技師の解放を命ぜられました。
「女王のその合理的な施策や冷静な外交や、それを判断する思考回路。すべて貴女の基板に取り付けられた上等なサファイアによるものです」
そんなことは知っている、と女王は返します。
「基板のサファイアは私が加工しました。国が良くなるよう祈りながら。サファイアの硬度と強度が必要で、加工には大変な時間をかけました。全身全霊を込めた私の作品です」
技師の左手薬指にはルビーの指輪がありました。技師は指輪を撫でながら言います。彼は妻を流行り病で亡くしていました。
懐かしい気がする、欠けている部分を補えるような。女王がそうおこぼしになると、技師はうつむいて黙り込んでしまいました。
結局、技師は女王の願いを叶えました。女王は恋をし、その相手は技師でした。為政者としての務めを疎かにした女王によって国は亡びました。
かつて女王が人間だった頃、その夫は技師でした。誰もが記憶の彼方に葬り去ったことです。
赤いサファイア8
貝殻で彩られた母からの形見の宝石箱を、そっと開ける。すると、ピンクや緑、鮮やかなブルーのドレスを着た小さな女の子たちが、お菓子を食べたり笑い転げたり踊ったり側転したりと楽しそうに過ごしている。そんな中に、一人ポツンと真紅のドレスを纏った君が木陰で読書をしていた。「君はいつも笑わないね」と、そっと声をかけると「みんなは無理して笑っているのよ。本当に心から笑っている人なんて、そうそう居ないものよ」と本を閉じながら僕を睨みつける。「君が笑ったらすごく可愛いはずだよ」というと、みるみるうちに頬をドレスのような色に染めあげて恥ずかしそうに笑顔を見せてくれた。きらきらとした瞳が少しだけ潤んだかと思うと「おねがい」と言ってくる。僕はコクンと頷くと君を小さな世界から優しく引っ張りだした。真紅のドレスのお姫様は僕の首に長くてほっそりとした腕を回し「ずっと一緒にいてほしいの」と、しがみついてきた。
赤いサファイア9
「第4皇女には生まれつき左眼がなかった。それで皇帝は彼女の為に義眼を作らせたんだ。最高の職人にね。しかも右眼と全く同じ色の青い石を嵌めこんだからそうとは気づかない人間もいたらしいよ。」
…いつも通り唐突だな。で、それはモーニングティーに相応しい話なのか?
「革命が起きた時、彼女はまだ13歳だった。」
ああっいやな予感…。
「でも王侯貴族は悉く惨殺されて彼女も例外ではなかった。」
…。
「革命軍はまともな武器を持っていない民衆ばかりだったからなかなか止めが刺せなくて…」
もういい…。
「顔は潰されて転がり出た義眼は血溜りに浸かったんだ。」
や~め~ろ~~。
「で、使ってた石って実はこのサファイアなんだけどそのせいで…。」
シルクが敷かれた小箱の中の赤い輝き。なんだってそう曰く付きのモノが好きなのかな?君…いや君んとこの一家は。この間母上が見せてくれたのは貴婦人と海に沈んだとかいう青いルビーだったし。
「まあ、実際にはそんな事で染まったりはしないんだからその辺りは怪しいよ。でも、見えているんだろう?」
…それは君の手元を物欲しげに見つめている横顔の女の子のことか?本当にそういうのばっかりだな。勘弁してくれ、もう…。
赤いサファイア10
赤いキツネは緑のタヌキに恋している。想いを伝える良い手はないかと白フクロウに尋ねたところ、ある妙案を授かった。黄いろい月の昇る夜、赤いキツネは緑のタヌキに会いに行き、どちらがより美しいものに化けられるか勝負を挑んだ。望むところと緑のタヌキは緑のハッパを頭にのせ、ドロンと満開の桜に化けた。舞い散る花びらに見惚れつつ赤いキツネはその薄桃いろを一枚つかんで頭にのせた。ドロンと化けてみせたのは、まんまる黄いろいお月さま。皓皓と二つならんで照らすその光は、桜の心を狂わせた。やまれぬ衝動に駆られ懸命に枝をくねらせるも鼓は打てず、ついに花はすべて散ってしまう。負けを認め、望みは何だと問えば、もじもじと告白する月の片われが、黄から赤へと染まっていく。それを見て緑のタヌキは涙を浮かべた。そしてドロンと白いウサギに化け、喜んであなたの元で餅をつこうと答えたその時、矢のように現れた白フクロウがあっという間にウサギを捕らえ飛び去った。呆気にとられ、やがて謀られた事を悟った赤い月は、契りにと備えていた特別の石を頭にのせた。空高く真っ赤に燃える火の鳥が、フクロウの消えた漆黒を鬼の形相でギラリと睨む。
赤いサファイア11
月の光にかざした王冠の影に大きな赤……赤いサファイアの誇らしげな輝き。
「準備ができました」
私が合図をすると王と王妃とが駆け寄ってきて王冠を大事そうに受け取る。そして二人は王冠から手を離さぬよう注意しながらベッドに横たわる姫のもとへと行き、弱々しく微笑む姫の頭にそっと乗せた。直後、姫の体を赤い光がほわんと包んで消える。
「成功です。私の魔法は受け入れられました」
翌日の深夜過ぎ、私は王に呼ばれた。王は泣きながら笑っていた。
「魔法使い! お前のおかげで姫は呪いより守られた! 十六歳の誕生日当日に死ぬという呪いから!」
「恐れながら王よ、まだでございます」
「まだ、じゃと?」
「はい。今はルビー自身にサファイアだと信じ込ませ誕生月を七月から九月へと変え、呪いが発動する日をごまかして乗り越えただけなのです。言わば姫はまだ十五歳……」
十六年かけて洗脳したルビーを残り二ヶ月で正気に戻すのは簡単ではないが、早速ルビールビールビーと叫び始めた王達の姿を見て彼らならできると確信した私は、ホッとしてなぜかビールが飲みたくなった。
赤いサファイア12
酔いそうな草の香りと、ミツバチの低い唸りの中で。
「赤いサファイア欲しい?」
「それを持ったとしてどうするんだ」
「世界が支配できる」
「そうは思えないね」
「できるよ」
「できるだろうな。そうだろ?」
「でも、どこにあると思う?」
「百科事典で調べろよ」
「載ってないんだ」
「そりゃ残念だ」
「赤いサファイアがあったら、クジラもペットにできるのに」
「そんなこと、あると思ってるのか」
「僕は赤いサファイアが空から落ちてくるのを待ってる」
「まだ大分かかるんだろ」
「いや、そんなには」
「もうすぐか」
「うん。それで僕らは世界を支配するんだよ」
「そこ詳しく話してみろよ……信じられないぜ」
「僕を信じてよ」
「セールスマンみたいだな」
「世界のセールスマンさ」
「世界のセールスマン? 儲かるのかい」
「ハイリスク、ハイリターンてとこ」
「ほお、そうかい」
「オススメは赤いサファイアなんだ」
「赤いサファイアがおすすめ?」
「赤いサファイアがあったらなあ」
「何で赤いサファイアなんか欲しいんだ」
「クジラをペットにしたいからさ」
「面白い説明だね……面白い。お前のことがもっと知りたいよ」
「じゃあ、一緒に赤いサファイアを探しに行こうよ」
「賛成だ」
赤いサファイア13
とんち坊が、やってきた。
「やったらぁあ」とはしゃぎ無礼な様子は、小僧まるだしである。まあ、当方としては捨てるも褒めるもいかようにも楽しめる遊びなので、好きにせえ好きにせえ。さあ、捻り出せ、とんち。
して、儂の所望したものを此れへ。と問うに「お、まかせてまかせて」など得たりと駆け出す姿を見るや危うしと阻む屈強の面々これをぽいぽい千切り投げもはや目前、声を上げる暇もなしに片の眼をむしられ曰く「殿様のサファイアの瞳が、あら不思議」どんなもんだ、と云わんばかり。
何かの恨みか報いならばよかったけれど、あちらもただの遊びと見えて、にこにこにこにこ。誉められたいのか知らんが、えぐられすぎてチト辛いうえ、なんもかんもが赤く見えるのでイマイチとんちだと文句を垂れたら「じゃあ、褒美はもらえんねえ」と存外に素直で「出直してきます。」御免こうむる。
赤いサファイア14
何を取り出そうとしていたのか、もう思い出せない。記憶は学習机の引き出しを開けたところから始まっている。
整理も何もなく雑然と放り込んだ鉛筆、消しゴム、プリント等々、すべて消えてなくなって、代わりに見たことのないものが散らばっていた。
まず目に飛び込んできたのは、透明な塊の数々。おずおずと指先で触れるといずれも固い。だが、それぞれわずかな違いがあるような気もする。そしてそれらとともに、引き出しのなかには《色》があった。【赤】、【青】、【緑】、その他いろいろな色のそのもの。もちろん、それらは眼に見える物体ではない。けど、ぼくは見ることができた。触れることができた。すくいあげることができた。
ぼくは透明な塊のなかから、ひとつを右手で拾い上げる。なぜか胸が苦しくなった。
続けて《色》のなかから、【赤】を左手ですくう。頭の中でどくどく音がした。紋白蝶の羽を毟るよりずっと興奮した。
左手を開いて、【赤】をゆっくりと塊に垂らす。【赤】が塊に触れた瞬間、眼に見えない閃光がぼくを包んだ。矛盾を解決するために、すべてが矛盾になったのだと、あとでわかった。
それから、ぼくはずっと偶数だ。
赤いサファイア15
舎利弗は王舎城の竹林園にて師と対峙していた。教団から抜けたいと、辞意を伝えるために。
知恵第一、欲少なき者と称賛されている自分に嫌気がさしたのだ。そも智は欲を打ち払える力であろうか?自分の理想は解脱にあるのだろうか?知識欲は尽きることがないが、それは妄執と表裏一体である。時々身内から届けられる酒や肉を隠れて食うこともある。
師は舎利弗に言った。
「心の乱れ、怒り、高慢、悪意、執着、いずれもあるもので、それに惑わされぬよう智を重んずるのだ。尼連禅河の青い石ころの中に稀に赤い石ころが混じっている。しかし赤い石も、元々の組成は周りの青い石と同じなのだ」
解脱とは思念の転換に過ぎぬということか。或は赤い石が私ということか。異端であることを気にしている事すらが迷いならば、と舎利弗は考えを改めた。私はまだこの師から学ぶところがある。舎利弗は、眩しい光を見るように目を細めた。
星空を縁どるように霊鷲山が黒々と聳え、師の影と重なって見えた。
赤いサファイア16
それは、綺麗な青色をしていた。
「マスター、これ、どうしたんですか?」
「ああ、ちょっとね。もう夏でしょう。だから、ちょっとね。」
グラスの中で青く光るそれに、
さっき私が注文した、ルジェカシス・ソーダが注がれていく。
今日は酔えないのだ。
マドラーでかき混ぜる音がする。心地良い清涼感。
それはくるくる回りながら、赤の中で青く抵抗していた。
赤いサファイア17
王妃の病死後まもなく、杣人が目睹した幽谷に暮らす隻眼の美女の噂が王の耳に届く。
果たして逐電した寵姫であった。
凛とした姿に往時のたおやかさは無いが、右目に嵌入した紅玉が昔日の寵愛の印、「ルビーの姫」の所以となった光彩を変わらず放っている。
王は新しい王妃を寝室に誘い、ところがこう言う。
「君は誰?」
青く調光された部屋、水底のシーツから赤い目玉が王をじっと見上げる。
「僕があげたのは左目と同じ色のサファイアだった。君はそれを細工させて右目に入れたけれど、入れてみると何故か深い赤になって、気味悪いかしらと気にしながら、ルビーみたいねと気に入っていた。だけどこれはルビーだね。」
頬に触れた手を首筋へと這わせながら王は続ける。
「これがルビーだということは、あの人は生きている。そうだろ?いや、でも、もしかして君ではサファイアの色が変わらなくて、それでルビーを?まさかそんな」
赤い目玉は光り続ける。
赤いサファイア18
「エメリー」なんてチョイカワな名前の鋼玉と、意味わかんない「ルチルの針状結晶」が混ざったらスター扱いの紅玉は、構造も読みもおんなじなのに、片や研磨剤で片や宝石。同じコランダムの一種にすぎないのに。一皮むけば肉と骨的なね。
目の前にいる詰襟やセーラ服の集団にだって、芯に鉄とかカルシウムを抱え込んで、違う色に輝くヤツがいるかもしれない。たぶん、いないけど。いてたまるか。こんな田舎の中学に。いてもわたしぐらいだ!
なんて妄想するぐらいしか楽しみがない授業中。学校が厭なのか、こんな田舎が厭なのか、正直よくわからない。グラウンドで体育やってないし、読みかけの文庫もスマフォも家に忘れたしで、写真綺麗なんだよ。理科の資料集。単純に科学スゲェなぁとかも思う。
こんな時間もあと一年ちょいで卒業。高校は隣町行くし。隣町も田舎だけど。隣の芝生は青い? とりあえず、早く逃げたい。
赤いサファイア19
その日は女子流の祭りで広場は賑わっていたが、俺は男子なので勝手が分からず、その場にしゃがみ込んでやり過ごしていた。今となっては遠い記憶だ。赤いサファイアが空から降っていた。それらは地面に落ちると粒度が粗くなるらしい。だから静電気が発生しやすいのだ。近くの洞窟に避難した。少し肌寒かった。古代に造られたと思われる神像を仰ぎ見た。至る所に最古のアーモンドが鏤められていたが、明日には消える。食べる回数は攻撃回数に等しい。つまり赤と真鍮の両極に依拠する命中精度の関連性なのである。遠くから聞こえてくる祭りの喧噪を押さえ込もうと、異次元に潜むペンギンたちが俺の目覚め感の悪さを指摘した。具体的には、密度の高い正確なリズムを刻むアンプを通して、睡眠時間を短くする課題が与えられたということである。音楽的環境の変化を完全化するためでもあり、彼等にとっての人事異動でもあったであろう。瞬時に溢れ出た懐かしい光の洪水に全身が包まれた。沢山勉強になった。
祭りが済み、知人たちに別れを告げ、家に帰りほっと一息ついた。赤いサファイアを一つ、温かいココアにプラスした。記憶が遠のいた。
赤いサファイア20
「お前、『赤いサファイア』って知ってるか?」
俺は突然、編集長に呼び止められた。
「初耳ですが」
「今噂のカフェなんだ。男の娘しか入れないらしい」
そんなものがあるんだ。
「潜入取材するなら職場一美形のお前が適任と思って……」
ボーナスアップの声に乗った俺は、カフェの入口で自分の考えの甘さを知る。
「オカマはダメだ」
マッチョなマスターに追い返されてしまったのだ。
ただ女装すれば良いわけではなかった。男の娘とは、女性よりも女性らしい外見を要するらしい。ルビーよりも赤いサファイアのように。
「腹が出てる」
「化粧が濃い」
「剃り残しダメ」
追い返される度に自分を磨いた。ダイエットと脱毛の結果、ツルツル&スマートな体でようやく入店を許可された。
「メシだ、メシ!」
「いい女ナンパしてぇ」
予想外に賑やかな店内に戸惑う。飛び交うのは普通の男の会話。
「君って新入り?」
「男の娘って疲れるよね、ずっと無口だから。ほら、君もしゃべって息抜きしなよ」
「あ、ああ……」
何か神聖な場所と思っていた俺がバカだった。今までの苦労は何だったんだ?
「クソ上司が人使い荒くってさ……」
記事は適当にでっち上げておこうと、俺は日頃の憂さ晴らしを始めた。
赤いサファイア21
椅子に座った彼女の手をとり薬指にそっと指輪をはめる。
9月生まれの彼女に青く輝く石がよく似合う。
静かに目を閉じている彼女に求婚する。私と結婚してください。
返事はない。
「なぜ応えないんだ」鞭打つ。彼女の裸身に血の筋が走る。私と結婚してください。
返事はない。
「なぜ応えないんだ」鞭打つ。鞭打つ。白い胸に腕に腿に。私と結婚してください。
返事はない。
「なぜ応えないんだ」鞭打つ。鞭打つ。鞭打つ。鞭打つ。鞭打つ。鞭打つ。鞭うつ。
無数の傷跡で織られた赤いドレスを身にまとう頃、彼女が頭をコクリと垂れた。
承諾。承諾!私は、縛めを解いて彼女を強く抱きしめる。
だらりと下がった薬指から血染めの指輪がぬるりと落ちる。
赤いサファイア22
ダニと同じなのです。皮膚を裂いて頭をねじ込みセメントで固めて外れないようにしてから、麻酔しながら血を吸うのです。
ダニなのです。
ついでに毒性もあるようです。
赤いサファイアを身に着けている人を見てみなさい。
みんな、ダニばかりでしょう?
みなさん、私と立ち上がってください。
ダニは潰してもいいんです。潰さなくちゃならないんです。
人類は今、花粉による植物支配か宝石による鉱物支配かの闘争に巻き込まれています。イエス花粉、ノー鉱石。
食えない奴らに共に抗いましょう!