500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第154回:かわき、ざわめき、まがまがし


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 かわき、ざわめき、まがまがし1

少し水分が足りないのだろうか。それとも、肥料。

これは大きな木になるはずのものなのだ。黒ずんだねじれた幹から放射状に枝を広げ、気根を降ろし、はびこってゆく。ただ一本の木でありながら樹群を形成する。そういう種のはずなのだ。

――水は。多少必要かもしれんが、これは乾燥地域の種だからな。

乾いた土地では水は深いところを流れている。根を伸ばしそこに届
くまでには時間がかかるものだ。
焦るな、と言われ、わかった、と応える。
足腰は衰えたとはいえ、じいちゃんは伝説の園丁だ。今のように驚き桃の木山椒の木があちこちで見られるようになったのも、じいちゃんの働きがあってこそだ。
今はただ砂だけが広がる大地を眺め、想像してみる。かわき、ざわめき、まがまがしきの森が他者の侵入を拒むように生い茂り、一匹の獣のように身を震わせている姿を。



 かわき、ざわめき、まがまがし2

「お休みなさい、ボス。良い朝を」
 語尾が意地悪く笑っていた。また何か、睡眠薬の注射に混ぜたようだ。一言返したいが、今生きているのは耳だけだ。
「ああ、いつものがまだでしたね」
……Flow my tears,
 ノンビブラートの古歌が流れ出す。残念だが、今日は最後まで聞けそうにない。
「血も涙もないくせに。って、もう聞こえないよな」
 脳波を見て眠りに落ちたと思ったらしい。アウトリストに部下の名前を移動する。早晩商品として流すことになるだろう。
『生かしておいてやる』
 私を縛る言葉が、皆に効果があるわけではない。
 どの時代も、人間ほど魅力的で有益なものはない。ただそれを物として扱うには、異常性か縛りがなければ耐えられない。小心者の私は、縛り以外に夢も封じられている。下手に後悔などしないようにだ。馬鹿らしい。自身を守る為なら、脳はなんでもしてみせる。

 私はドブン、と塩辛い水に沈む。涙池だ。肌を刺す水は悲憤に満ちている。私は纏い付く彼我の怨嗟を掻き分け底を目指す。やがて小っぽけな栓が見えるだろう。それさえ抜けば、明日また私は名前を奪われた誰かを右から左へ動かせる。
 そして一日、死なずに済むのだ。



 かわき、ざわめき、まがまがし3

シナモン臭い吐息を吐きかけて、しびれるような声で女がうたう。時々唇の間から舌が出ては引っ込む。カスレ声に時々ふっと蕾のように艶が宿る。そのたびに女のフィラメントが光を放つ。



 かわき、ざわめき、まがまがし4

渇きに騒めきは、禍々しい夢の先、蝶番に軋む哀の往復。湿りに泣いた悲しみに反転させる。頼みに織り成した饒舌が憂いを帯び、時の行方に乾涸びるのを待てない。煌めく前後に淡いに消えた愛が微笑みながら、記憶の襞を揺らす。

そのままに
あわいにゆれて
うるおいの
かわきざわめき
あいとかなしみ

羊水の時空に、永遠の今が存在する。その綴りに、魂は叫ぶ。世界が多層に消える前に、重しを天秤に架ける。愛の慈しみを計るように。愛は逃れる。私と世界が分離しないように。全ての謀は禍々しい。



 かわき、ざわめき、まがまがし5

 ある夏のこと。日照り続きで塩里村の井戸が全部枯れてしまったという。
「おらんちも枯れた」
「うちもじゃ」
「どうすんだ? 川まで半里もあんぞ」
「しかたねえべ。川があるだけましじゃ」
 すると作兵衛が神妙な面持ちで切り出す。
「おら噂に聞いたんだけんどよ」
「おお、なんだ?」
 皆がざわざわと集まってきた。
「太郎んちの井戸は枯れてねえって話だ」
 太郎というのは村外れに住んでいる若者のことだ。
 その時。
「駄目じゃ、あの井戸は!」
 力強い声が広場に響く。振り向くと一人の老婆が立っていた。
「なんでじゃ? 婆婆様」
「あの井戸は呪われとる。近寄ってはならぬ」
「化け物でも出るんか?」
「そうじゃ。昨晩、こっそり太郎んちの井戸を覗いたんじゃが……」
 皆はゴクリと唾を飲んだ。
「ぶつぶつと中から不吉な音がしての、わしは気を失った」
 すると太郎がひっこりと広場に顔を出した。
「どうしたんッスか? 皆、青い顔して」
「た、太郎。お前んちの井戸には化け物が住んどるって本当か?」
「バカなこと言わんで下さい。あれは冷泉ッス」
「冷泉?」
「だから枯れないんッスよ。炭酸しゅわしゅわで美味いッス。でも気をつけて下さいね。井戸に首突っ込むとマジ死にますから」



 かわき、ざわめき、まがまがし6

ずっとイライラしている。この音のせいだ。うるさい。イライラする。喉もヒリヒリする。ジリジリ焦がされてる気がする。そうだ、こう言う時はコーヒーだ。コーヒー飲もう。先ずは落ち着こう…。
「!」
無い…口が無い。なんで?飲めないよ。コーヒー。
い…いつからだろう?イライラが増す。この音のせいか?そうだな、違いない。この音の…。
「!」
無い…耳が無い。なんで?どうして聞こえているんだ?この音。あ…こ…骨伝導か?そ…そうだ。そうに違いな…。
「!」
無い…骨が無い。ああああ傾く。ぐんにゃりと崩れて行く。何故だ?この音か…?いや…違う?違わない?ちが…
何かが足元から這い上がって来る。わかってる、脚は無い。無い…それはわかっている。でもわかる這い上がって来るのが。闇と交錯しながら脈打つ様に蠢く色彩…が。眼…眼は…。
の…ま…れ…る…。



 かわき、ざわめき、まがまがし7

 ……いま何時だ?
 夜通し至る所で暴動が起こり、空が赤く焼け焦げるのにもいい加減慣れたが、それにしても今夜は騒がしい。抗議の声というより、断末魔の叫びに聞こえる。
 最低賃金が引き上げどころか逆に切り下げられるなど、誰が想像しただろう。それが、飢えや死の恐怖すら突き抜け、一つの感情を呼び起こした。尽きせない渇望。支配者の、いや誰であろうと強い者の生き血を奪い啜ろうという、それが生き残るためなのかさえわからぬまま暴走する感情。夜空に四方から響き渡るのはその声、水際まで追い込まれた者たちが破れかぶれの反撃の狼煙を上げる声だ。それが今夜、決壊寸前のところまで満ち満ちている。
 わたしは布団を頭に被ったまま、それを遠くに聞く。何故って、それに揺さぶられるわけには行かないのだ。とりあえずこの夜をやり過ごさなくては、このたたかいを少しでも長く続けることは叶わないのだから。

 をちこちに
   かわき ざわめき
  みちみちて
    まがまがし夜を
     ひとりかも寝む



 かわき、ざわめき、まがまがし8

人畜無害の顔をして、誰に憑こうか五百文字の、心臓が蠢く。



 かわき、ざわめき、まがまがし9

 異能の発現によって世界は崩壊した。
「――とうとう追いつめたぞ、河木ッ!」
 枯れ果てた街、真餓魔芽市。廃墟となった教会で対峙する二人の少年。
「なぜアイツらに肩入れする? お前も散々裏切られただろう、澤目生」
 人類に絶望し、世界の破滅を目論む河木。
 希望を繋ぐために戦い続けてきた澤目生。
 最強の異能を持つ二人が選んだ道は奇しくも正反対だった。
「だからといって人を殺して解決する訳じゃない! その『血の旱魃<ブラッディ・スナッチ>』でどれだけの人を殺した!?」
「それはお互い様だ。貴様の『風の賛歌』<エア・グルーヴ>で私も多くの同胞を失った」
 刹那、荒んだ河木の瞳に人間味のある憂いの色が浮かんだ。
「河木。お前の所業は許されることじゃない。けど……」
 澤目生はそれを見逃さなかった。
「俺はお前も救いたいと思っている」
「ふん……この期に及んでまだ戯言をほざくか」
 河木は、全身から怨念が具現化したような禍々しいオーラを放った。
「来い、澤目生。貴様もこの私の糧となるがいい」
「――行くぞ河木ッ! 人類のため、そしてお前のために俺は負けない!」
 互いに譲らぬ正義。永き戦いに今、終止符が打たれようとしていた。



 かわき、ざわめき、まがまがし10

咆哮 硝煙 閃光 旋風 高楼 弾痕
砂塵 褥瘡 銃床 落魄 流砂 蘇鉄
内紛 微風 焚火 水滴 薄暮 獣脂
寝袋 沼沢 沈香 仏性 蚯蚓 瓶底
酸欠 尿臭 残心 無風 新月 輪唱



 かわき、ざわめき、まがまがし11

 サイコロを振る。出た目は「かわき」。コマをかわき進めると、止まったマスが砂漠となった。
 さらに振ると「ざわめき」が出た。コマはざわめき、不安な表情で立ちすくむ。
 相手がサイコロを振る。出た目は「まがまがし」。止まったマスから、まがまがしい形のツノが生える。さらに振れば、またもや「まがまがし」。コマからもツノが生え、ツノというツノがこちらへ迫ってくる。
 急いでサイコロを振る。出た目は「わき」。マスから水がわき、砂漠はうるおう。勇気がわいたコマはりりしい表情を見せる。
 ここが勝負所と、サイコロを裏返す。
 出た目は「きらめき」。コマは流星の一群となって、追ってくるツノというツノを打ち砕く。
 相手の番。出た目は三たび「まがまがし」。鬼と化したコマが金棒を振り乱す。
 対するこちらは「かぶき」さらに「はなばなし」。大見得を切って舞い散る桜吹雪が鬼の目をくらませる。
 同時にサイコロを振る。相手は「なまあたらし」。こちらは「みめうるわし」。
 おんなじマスに同時に止まる。
 マスは脈打ち、美しい「舞妓ロ」の乙女が生まれる。
 舞妓ロが、にっこり笑って自らを振る。その目をのぞきこんでみれば。

「おあとがよろし」



 かわき、ざわめき、まがまがし12

少年は膝にできた、まだ若いかさぶたをユックリと剥がしていく。産毛が逆立つような痛みの奥にあるわずかな心地よさを感じ、少年の顔は不気味に歪んだ。かさぶたを剥がし終えると、少年は滲み出る鮮血を眺めながら余韻に浸った。
その後、机の引き出しから目の粗いサンドベーパーを取り出し、それで自分のすねを擦った。サンドペーパーが血で赤黒く染まるまで執拗に擦った。その傷口にかさぶたができるまでの時間、少年は既にできているかさぶたを剥がして過ごす。
少年の体は、顔と背中を除き、傷と傷痕とかさぶたに覆われている。



 かわき、ざわめき、まがまがし13

「今夜も『the 和 make it』! お相手はトニーと」
「アンナです。ねぇトニー。今日はどうmake itするの?」
「真窯菓子の『茶碗蒸し』で、和のPUDDINGをmake itだ」
「WAO!」
「まずは下拵えだ。材料・分量はこの通り。まず、鶏肉を小さめに切ったら、さっと熱湯をかけ、塩ひとつまみを揉み込んでくれ」
「OK。トニー。Sweetsなのにお肉を入れるのね」
「これぞ、fantastic和!他にも、椎茸と百合根、三つ葉を切って、海老を塩茹でする」
「『百合根』ってcuteね」
「THE和って感じだね。OK。次に、アンナは卵を溶いてくれ」
「どれぐらい溶けばいいの?」
「日本人の肌色ぐらいかな。ハハハ。僕は窯の火を熾して水を過沸きさせるよ。そして、冷ました出汁に醤油と塩を溶かして混ぜるんだ」
「トニー、もう疲れた。これぐらいでどう?」
「GOOD! じゃあ、僕は調味した出汁とあわせて一度漉す。アンナは茶碗に下拵えした具を盛ってくれ」
「宝物を埋めるみたい!」
「漉した卵液をそっと注いで蒸すんだけど、残念。実食は明日にお預けだ。SEE YOU!」



 かわき、ざわめき、まがまがし14

 手押しポンプをいくら押しても、耳障りな金属の軋みが聞こえるだけだ。
「もう、その井戸は枯れているよ」と、兄が言う。もう三十回くらい言っている。
「わかってるよ」と、これも三十回くらい答えている。
 兄の口調は一回目も三十回目ものんびりしたものだったけれど、私は自分の声がだんだんと刺々しくなっていることに気が付いている。
 日が沈んでも、私は手押しポンプを押し続けていた。もちろん水は一滴も出ない。
 けれどポンプを押したときの軋んだ音は、少し、ほんの少しずつ変わってきている。確かに。痛みに耐えるような、大勢の人たちの声。
「もう、その井戸は枯れているよ」兄の声が、ほんの少し震え始める。
「わかっているよ」私は声が弾むのを抑えられない。



 かわき、ざわめき、まがまがし15

 1+1が2にならなくなった。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は2ではない。1+1は今後、僕の中でずっと田。



 かわき、ざわめき、まがまがし16



 かわき、ざわめき、まがまがし17

 これが餓鬼憑きか、と思ったときにはもう遅い。地面に這いつくばっていた。腰の鉈も地に跳ねた。
 餓鬼飯は残していない。まさか自分が。しかもここらでそんな噂は……。
 いや。
 そも餓鬼憑きとは。ただ動けなくなるだけか。
 刹那、生温い風。周りの木々があざ笑うようにざわめいた。
 ざわめいたがそれは米粒の音に聞こえる。新嘗祭に奉じるような、極上の新米が滝のように流れる音。
 こーん、とどこかで音がした。狐か鹿威しか。ただ、今は竹筒飯しか連想できない。鉈で割り開く期待感。もちもちした甘み。
 ぴゅうぅぴゅぴゅう、と鳥。日暮れを嘆くか。底から聞く森の違いに驚くが、薬缶を火から下ろせ。噴きこぼれるぞ。
 ここここっ、と……ああ、沢庵はしっかり切らないとつながるぞ。
 ぐぶじゅぐぶじゅ、と何かの笑うような鍋の煮立つような音。鬼も十八番茶も出花。どんな鍋でも食べごろはいい。
「今年の生け贄は私だ。食って村との約束を果たすがいい」
 気付けば娘がのぞき込んでいる。手には鉈。
 地に這ったままぐぶじゅぐぶじゅ、としか返せない。



 かわき、ざわめき、まがまがし18

「よし、わかった!」
 加藤警部が手をポンと打つ。
「やっぱり犯人は長間だ! 『まがまがし』というのは『ながまがし』の書き間違いで長間が死に導いたと言いたかったんだ。その証拠にオペラ歌手の長間は歌えば喉が渇くし、観客はざわめくしだな」
 すると銀田一はニヤリと笑みを浮かべる。
「違いますよ警部。狸の着ぐるみが隠されていたのをお忘れでしょう」
「ああ、狸か。あれはこの事件には関係なかろう?」
「いえ、実は関係あるんです。なぜならば狸を隠したのはあの暗号を遺した良子さん本人なんですから」
「そこまで言うんだ。もう謎は解いているんだろうな」
「ではクイズです。根室の川北温泉が出身で、田沢湖の奥、女滝の傍らで菓子工房を営んでいるのは」
「なんだと……角川か! あの美味かった勾玉飴の店主か!」
「ご名答。良子さんは、地元に伝わる辰子伝説のわらべ歌を使って角川に知られぬよう、我々に伝えようとしたんです。喉乾き、姿写しし水面ざわめき、竜の姿禍々し。この辺の人ならば皆あの歌を思い出しますからね」
「だから最後の力を振り絞って田沢湖に……」
 加藤警部の見つめる先、田沢湖の畔には辰子像がいつまでも寂しそうに佇んでいた。



 かわき、ざわめき、まがまがし19

 禍禍しき影の塔の秘密倶楽部《二本足》。行ってみたかね。会員の推薦がなければ入れないが、儂の名前で君を登録してある。遠慮なく美しい顔を出してくれたまえ。今の流行は、人肉料理。世間の趨勢だ。夜にうって出ようとしている、料理人の卵としては、一度は、その味を体験しておくべきだと思うがね。一度、そのかわいい美少年の舌で、味わってみるといい。
 儂は、特に極東の島の黄色人種。あのステーキが好きだね。それも、十七、八歳までの雌。筋肉に、ほどよく脂肪が交じる。熱帯季節風気候で、雨の多い地域だ。肉が、ぱさつかない。しっとりとして柔らかい。それでいて、ふやけていない。険しい島の斜面に放牧されている。尻から腿への筋肉が鍛えられている。血の滴る騒めく尻肉に、犬歯でかぶりつく。肉汁が滴る。たまらんね。あの島にしかない桜花を浮かべた肉汁も、絶品だ。華奢な雄の仔の骨を、三日三晩、煮込んだ。上品な出汁だよ。儚い味だ。
 儂等の渇きを癒す、処女の生き血をまぜた赤葡萄酒で、乾杯しようじゃないか。先の大戦で、人間の数も、減ってきている。最後の機会だ。