500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第164回:明日の猫へ


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 明日の猫へ1

きみはいつだって、何の気も無しに夜を越えている。
きみとの明日のことを考えるのは、ぼくくらいのものだ。
その状態が当たり前であると認識しているわけではない。
ただそういうものだと受け入れているというよりもきっと、抗っていないのだ。
受け入れているなんて、当たり前の認識なんて、そうではないと思うからこそ生まれる。
きみにはその"そうではない"が、きっと無いのさ。
それともなんだろう、きみの声が、ぼくには聞こえていないだけかもしれないけれど。

やりとりの仕方も違うきみに、言っても仕方のないことかな。
それでも「愛している」と伝わってほしいから、身勝手に鳴くのだけれどね。



 明日の猫へ2

 目隠しを解かれると、眼前には、狸と狐と猫の姿があった。
「クリスマスキャロルをご存知か」
 背後から、俺を拉致した奴とおなじ声がする。
 確か子どもの頃に読んだおぼえがある。大富豪の前に三人の幽霊が現れる話だったか。この三匹が、それにあたるとでもいうのか。
 ふり返ってみると、そこにはずいぶん大きな口をした猿が立っていた。
「なんだ、豚ではないのか」
「残念ながらちがう。悪いね」
 そう言って猿は大きな口で笑う。
「俺も富豪とはちがうよ」
「だが、悪党だ」
「ちがいないな」
「そんな虫けらにも、運命をえらび取る自由はあるものだ」
 両手の縄を解かれる。
「さて、えらべるのは一匹のみだ。狸を生きるも、狐を生きるも──」
「猫」
 猿の言葉を待つ気はなかった。答えはもう決まっている。俺は猫を抱きあげた。
「さすがは大物だな。では、健闘を祈るよ。クライド」
 嫌味のように言い残し、猿は消えた。腕の中で、みあおと猫──ボニーが鳴く。



 明日の猫へ3

と思われるが要継続調査。

ーその他
・朝顔は赤系増加、青系はほぼ変化無し。
・向日葵は開花極大。
・昨日の猫より通達有り、人類は終了とのこと。
以上
今日の猫より



 明日の猫へ4

ボク君へ

一泊二日の旅行に行ってきます。
明日のごはんは冷蔵庫に入っているので、チンして食べてください。

ご主人様より


ご主人様よ、ボクは猫舌だ。



 明日の猫へ5



 明日の猫へ6

 殴られた下腹部が痛い。
 痛い。最悪だ。たったの一時間ぽっちしか私を買わなかったくせに、目つきが悪いと言いがかりまで付けられた。痕になっても隠しやすい場所であることだけが、唯一の救いだろうか。いや、そんな救いがあってたまるか。
 この国で物の怪が力を失って早数百年。自由で誇り高い猫又でさえ、一歩間違えれば地獄の底へと真っ逆さま。二叉にわかれた尻尾もげんなりと垂れる。人の姿に初めて化けられたとき、果たして私は何を思っただろうか。少なくともこんな「未来」を望んだわけでは、決してない。
 りん、りん、りん。
 新しい客の来訪を告げる鈴が鳴る。痛む身体を引きずり、水挿しに口を付けて直接飲んだ。
 それとわからぬ程度に着崩した着物。人間好みに紅をひき、口角の端をあげ、なんでもないふりをする。そうだ、私は誇り高き獣。今は人の作った檻の中にあったとて、どうして明日も同じ囚われの身と断言できようか。
「いらっしゃいませ、御主人様。今日も、うんと可愛がってくださいましね」
 今日の私は、私自身が噛み殺す。明日の私へと贈る、根拠なき希望のために。



 明日の猫へ7

 猛暑日が続く中、家電店の片隅にひっそりとコタツが一つだけ販売してある。
「売り物じゃないんです」
 店員はなぜか売りたがらない。
 なぜだ、と問い詰めるとフロアの責任者らしき者が出てきた。
「実は、この場所に出店が決まったときに地主の方から条件をつけられまして」
 曰く、もともとこの場所は、ここに居着いていた猫の土地だからという。いつ帰ってきてもいいよう、コタツを用意しているとも。
「私は、その猫です」

 というわけでコタツを購入。ウソをついたがコタツの中は24℃で快適だ。満足。
 後日、あの家電店が撤退したと聞いた。
 店員が次々亡くなったのだ。死因は、不明。

 そんなわけで私は家電製品を買い足している。
 いつ帰ってきてもいいように。



 明日の猫へ8

 活動休止と聞いてたのですが、実際は解散だったのですか?だって休止宣言を出されてから、もう5年目です。ずっとファンであり続けて、待っていた信頼が揺らいできました。伝説と呼ばれることが、ファンとして誇らしかったのですが、ずっと伝説、伝説と世間から繰り返されてるうちに飽きてきました。バンドメンバーはもっと辟易されてるではないかと勘繰ってしまいます。
 時間は過去から未来へ一方向で進むのではない、と最近本で読み一種の慰みを得ました。でも私の脳は逆方向への時の流れを、仮説の一つとしてしか認識できません。実感として。当たり前のことかもしれませんが。活動の再開を待っているという表層の意識の裏で、ずっと永遠の美しい時間であってくれ、という願望も強くあることを自覚します。どちらもファンとしてのエゴですが。特別な体質で、未来から過去へと時間が流れるという知覚を持ってる人も世の中にはいるかもしれない。彼(彼女)は逆方向から、ファンとして生前への回帰の興奮と落胆があるのかもしれない。時は止まらない、だから尊いとは、言えるのかもしれない。「明日も全国的に快晴です」と、テレビから女の声がします。



 明日の猫へ9

朧げに、淡い陽射しが揺れる。見つめるべき魂の行方に、膨よかな記憶を擡げて、放つ吐息が愛おしい。待つのは、想いの行方に気配を置き、贔屓の重さが悩ましい。時が揺れる。次元とは、恣意の意識だ。焦点が、多次元の愛に移ろう。

ただならぬ
かるさおもいの
あたたかさ
あいはからない
ゆめとどめなく

生きる歓びに、時が待たない。軸になるべき恋しさに、涙が沿う。近き夢の遠き愛。近き愛の遠き夢。未来の融合に、過去が震える。過去の別れに、未来が微笑む。正しき哀しみが、時を悲しむ。穏やかな陽射しが、また揺れた。



 明日の猫へ10

父が遺した家で伯父が遺した猫と暮らしてきた。

伯父の死去を連絡してきた弁護士から1通の指示書を受け取った。同時に相続人はあなた1人なので従おうと従うまいと遺産はあなたのものですとも言われた。
指示は猫の餌やりに関するものだった。
9つある洋間のうち8部屋が対象である。毎晩ランダムにひと部屋を選び餌と水を置く。猫が餌を食べようと食べまいと翌朝には片付ける。餌の種類は問わない。
それだけだった。
伯父が亡くなってからの数日は弁護士が代行したそうだ。そうした依頼なので。それ以上の説明はなかった。

伯父の意図は分からないもののなんだか面白くて餌やりを続けていた。4次元に属すると思われる猫と交流する感情が芽生えつつあったここにきてカザフスタンへ転勤が決まった。
家は貸すか売るか不動産屋に相談中だが猫は連れて行きたい。通常のペットと違い検疫など必要ないがそれでもいきなり外国の見知らぬ部屋に餌を食べにくるものだろうか。
今更ながらに伯父はどんな気持ちで指示書を作ったのか考えている。猫は家につくと言う。新しい住人に指示書を託す方がよいのか決めかねている。



 明日の猫へ11

 蓋のある箱には、他に、一定量のラジウムとガイガーカウンター、青酸ガスの発生装置。
 思考実験すら、動物虐待となった現代において、蓋のある箱の外に餌を置くことは意味を持つ。つまり、α崩壊は起こらず、彼、もしくは彼女が、お腹を空かせて、自力で蓋を開けるのだ。
 箱の中で確率的に重ね合わされた、彼、もしくは彼女が、確定した未来で餌を食べるだろう。箱の外で確率的に重ね合わされた、ボク、もしくはワタシが、確定した未来を愛でる。今、そう信じる。
 「波動関数の収縮」が、人間の「意識」のみによるのか? 観測という「行為」によるのか? 巨視的な観測がいつも明確な値であるという原理は、経験的に得られた仮定でしかない。確率的な重ね合わせの重ね合わせが、仮定通りに明確な値を導くとは限らない。試行回数を重ねねば明確にならない。
 だから、蓋は開かない。



 明日の猫へ12

「あっ!」
 小学生の娘が旅行先で叫んだ。
「子供部屋のカーテン、開けたままだ……」
 それは南向きの窓だった。
「なにか困ることでもあるのか?」
 すると娘は泣き出す。
「ごめんなさいパパ。金魚鉢を置いたままなの」
 金魚鉢って窓際に!?
「それって去年買ったやつか?」
「うん」
 それはマズい。あれは典型的な球形だった。
「頼む、明日の天気を調べてくれ。自宅周辺の」
 俺は血相を変え妻を向く。
「ちょっと待ってて」
 もし晴れだったらヤバい。金魚鉢レンズで自宅が火事になる。
「今日は雨だけど、明日の降水確率は五十パーセントだって」
 それって、まるでシュレディンガーの猫じゃないか。
「緑ちゃん、暑くて死んじゃうよ」
「だよな、マズいよな」
 泣きじゃくる娘をなだめながら考える。
 ――旅行を中止するか否か?
 すると妻が娘に言った。
「緑ちゃんなら平気よ。甲羅干ししてたりね」
 へっ? それって……
「緑ちゃんって亀?」
「ママが夏祭りですくったの忘れたの?」
 そうだっけ? でも亀ならレンズにならないなと俺は胸をなでおろす。
 しかし娘はお冠。
「パパもママも大っ嫌い。私、絶対帰る!」
 明日の猫はやはり予測不能だった。



 明日の猫へ13

 昨日は「旅行鞄が欲しい」、今日は「ピアノが欲しい」、明日は「猫が欲しい」、そしてたぶん明後日は「キャットタワーが欲しい」。
 彼女にそう言われるたびに僕は頭を切り開き、頭蓋骨の隙間に彼女がリクエストしたものを詰めていく。
 ドレスやピアスはまだよかったけど、ピアノやキャットタワーになるとさすがにヘビーだ。
 いつしか僕の頭は電球のように膨らみ、歩くたびにあっちへこっちへふらふらと傾いてしまう。
 それでも、欲しがっていた物を手に入れるたびに、彼女が僕の脳味噌の一番奥深くから投げかけてくれる微笑みとウィンクが、僕をたまらなく魅了する。
 僕の頭の外側にいた時よりも、今の彼女の方が生き生きとしていて素敵だ。
 「生き生き」っていう言い方は変かもしれないけど。



 明日の猫へ14

缶詰は開けておくから、好きなだけ食べていい。
小さなドアいつものように、気まぐれに出かけなよ。
キミはいつも僕のじゃまをして、僕はいつもキミを膝に乗せて。
それだけで、この世界だけでよかったのに。ごめん。
今夜この窓から僕は行く。ドアの外に僕の場所はないから。
丸くなるキミ。小さな寝息。僕のこと忘れていいよ。
キミのしっぽが好きだった。



 明日の猫へ15

 明日とは、過去だ。
 果てしなき時の果てから回想される記憶の断片だ。
 観測される総てのデータをアーカイブすることで、汎ゆる時間は過去の総体となる。

 黒猫が言った。
「not私有財産! 細胞マルキスト!」
 白猫が言った。
「もっとしようか死姦! 解剖マゾヒスト!」

 赤猫が言った。
「音楽っていうのは、時に刻む数式なんだよ」
 青猫が言った。
「じゃあ、数式は時に刻まれる音楽なの?」

 銀猫が言った。
「三千世界の主を殺し、鴉と添寝がしてみたい」

 緑猫が言った。
「毛をむしった裸の姿でも愛してくれるよ。ねえ、きっと……」

 黄猫が言った。
「一人で笑うよりは、二人で泣いたほうがいいでしょう」

 アオザイを着た鼠が集まってくる。九匹の鼠が手を上げる。
 灰猫が言った。
「三匹!」
 七匹の鼠が手を上げる。
 灰猫が言った。
「二十六匹!」


 因果は循環する。
 猫が原因となって引き起こした結果は、結果が引き起こした原因という猫になる。

 猫模様の模様の模様。
 猫関係の関係の関係。
 猫観察の観察の観察。
 猫原理の原理の原理。

 因果は循環する。
 模様は循環し、関係は循環し、観察は循環し、原理は循環する。
 明日が、過去になる。