500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第175回:その瞬間


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 その瞬間1

 物凄い剣幕で電話がかかってきた。
 届いたカップに傷があったそうだ。
 新しい商品を手配して、その商品に傷がないことを確認して、近場の菓子屋で店員にすすめられた菓子折りを買った。とにかく粘り強く謝ろうとチャイムを押す。
 わざわざ来てくださってごめんなさいね、ついカッとしちゃって。あら、お気遣いすみません! でもこれ好きなんです、嬉しいわー。あ、半分持って帰ってちょうだい。あ、そうそう、これも好きなの持っていって。このご時世でしょ、お花が売れないんですって。5個で100円っていうからついつい買っちゃったんだけど、よく考えたらこんなに育てられないわよねー。
 はぁ、とかはい、とか。適当な相槌を打つ合間に、新しい商品を渡し、傷のあるという商品を受け取った。真白いカップのふちには、確かに小さなひびがひとつ。
 
 傷のあるカップを入れた紙袋を腕に下げ、両手にポット苗を抱えるようにしてその家を辞した。
 ポット苗の、どうにも心もとないやわらかさと、薔薇のような大輪の花、いくつかの蕾。
 駅に向かう橋の途中、花びらをひとつ摘んだ。摘んだ花びらから指を離せば、いとも簡単に風にさらわれた。

 ひとつ
 ふたつ
 みっつ
 よっつ

 水に落ちて、消えた。



 その瞬間2

「俺は、星の王子様かよ?」
ああ、毎日、自分で名前を付けた星の整備をしている俺ってどうなの?と思いながら、地球での仕事、造園業が役にたつ日がくるとは。

星を見に行かないかと友達に誘われ、長野の標高の高い場所へ到着した。空を見上げると、そこには東京では見られない星々が広がっていた。
すぐに、友達の望遠鏡を組み立て始めた。
「そういえば、聖也は高校時代、新星を発見し騒がれたよな」
そうだなと言い俺は黙り、その時の事を思い出していた。
新星を発見する何日か前、流星群を見ようと山へ入り望遠鏡を覗いた。しばらく経ち、真ん中に小さな宇宙船が浮かび、頭の中に機械的な声が聞えた。
“そなたは、新星を発見する”
宇宙船も驚いたが、本当に星を発見し、もっと驚いた。あの宇宙船のお告げは、夢ではなかった。
そんな事を思いながら、望遠鏡の組み立てが終わった。
「土星に合わせてくれよ」
「聖也、まだ苦手なのかよ。合ったよ」
「お、サンキュー」
俺は、望遠鏡を覗いた。そして、自分で名前を付けた星に飛ばされた。



 その瞬間3

 3年です、一緒に暮らして。ええ、誘ったんです、「ウチに来ない?」って。彼、色々大変だったみたいだから。生活のことも勉強のことも何もかも支えたんです、3年間。籍を入れなかったのは彼が「けじめをつけたい」って言ったからです。「試験に受かってちゃんと就職してそれから」って。そんな誠実なところも好きなんです。

 3駅しか離れていない所にいたなんてね。見つかんないとでも思った?舐めてんの?突然帰って来なくなって、新しい部屋で新しい生活、新しい……くないかぁ古い女なんだよねぇ?そっちのが。どぉして自分達が被害者って顔すんの?わるものに追い詰められた悲劇のヒーローとヒロイン気取り?あああっくっさい臭う臭う、ナニソレ?腐ってない?

 どーでもいいと思った。ホント全部どーでも。触りたくないし。でもあの女の指、あの貧相な指にこれ見よがしに光ってたリング、あれってアレじゃない?カタログにチェックつけてたヤツじゃないの?!

 よくわからない……どうして……ねェ……ドコ?……ココ……。



 その瞬間4

 瞬きに生息するマタタクマの生態はほとんど知られていない。発見者である動物学者は人工的に連続して瞬きを発生させる装置を使用してマタタクマを観察をしたが、追随する者は出なかった。その後、動物学者は装置を使わずに瞬き続けることができるようになり、唯一の観察記録を残したけれど、今のところはフィクションとして扱われている。
 それはそうと、その後の動物学者は誰彼構わず恋に落ちるようになった。サブリミナル効果だとまことしやかに伝えられている。



 その瞬間5

 侮るな。
 呆れるぐらい、お前の命は生きざるを得ない。お前の魂は生きたがっている。蚯蚓だって、螻蛄だって、水馬だって、ウイルスだって、菌だって、みんなみんな生きているが友達ではない。
 だから、どれほど蝕まれようとも、生きることを止めることはできない。病むことは闇ではない。傷みが、脳が死を渇望しても体は細胞は呼吸し続ける。頼まれなくても生きてしまう。乞うことなく脈動する。
「何故?」
 くだらない。命は常に生きるのだ。だから生命。どれだけお前が死を求めても、切望しようとも、呆れるほどに命は生を叫ぶ。叫ばずにはいられない。そのようにプログラムされた塩基配列は絶望的に命をつなぐ。
 気付け。
 自覚しろ。
 お前は、お前の生は命の奴隷だ。生きられるだけ生きるしかない。死ぬまで生きろ。金が無くても、愛が無くても、夢が無くても生きろ。苦しんで苦しんで、苦しんでそれでも生きろ。溢れる命が燃え尽きるまで。後悔しろ。後には引けない。生きることにのみ価値がある。
 生を呪い、這いつくばって生き抜け。



 その瞬間6

太陽が遠ざかった。世界は闇と氷雪に閉ざされた。一部の生命体が、精神と肉体を急激に変化させた。新たな世界の環境に耐えうるようにと。変化の過程での絶命もあった。細い細い光をつなげるように、命たちはまたたきつづけた。



 その瞬間7

2020/03/09
人形は思う。
この手をいつも握っていたあの子はどこへ行ったのだろう。
静かな床の上に横たわり、動かすことのできない瞳で目一杯の光景をつぶさに調べても変わったところはどこにもなく、床に差した陽光と細かなチリの光りながら舞う様子が見えるだけ。いつもの午前とちがう、家族の声や物音がまったくしない屋敷。鳥の声が開いたままの扉の外からするけれど、人形はそちらを見ることができない。
時間はあの子なしだと瞬く間に過ぎていく。日が高く上り影が濃く過ぎてゆき、青い青い輝く光が窓や扉から差してくる。こんな夕方が時々あると、あの子はカウチを引きずり出して庭で一緒に空を見たり、輝きを返す花々をひとめぐり見せてくれた。
その薄暮もあっという間に引き返していく。いってしまう。
あの子の熱い手のぬくもりを忘れていく。冷たさばかりが染み通っていく指先。そのぶんだけ忘れてしまう。手慣れた勢いで人形を持ち上げて笑いながら、笑いながら手を引いて目まぐるしいあの子の冒険。 (きっと、私は失った)考えの線が引かれついた先で、人形はもうなにも考えることも、見ることも失い、夜の冷たさに浸されたまま屋敷の一部だった。



 その瞬間8

 視覚を拡張した結果、すべての瞬間を静止画像として保存することが可能になった。その対象は自身の視野に映ったものすべてであり、私たち自身の記憶に残っていないものまでをも含む。保存先はクラウドだとかマザーだとかカミサマだとか呼び方はいろいろあるけれども、つまり、上のほう。実態のないもやもやが広がる、要するに、空。
 問題は、雨なのだ。
 世界中の人たちが画像のすべてを預けまくった結果、重くなりすぎた空はそれを不定期に流し始めた。その結果、雨の日には、他人に見せることが想定されていなかった画像が次から次へと空から流れ落ちてくるのを、避けようもなく見せられ続けることになった。
 本日も刺激的な映像が落下してくるのが見える。それは、カノジョが誰かをナイフでメッタ刺しにしている光景。襲われている側の視点から見たその画像は、手の甲にあるほくろの位置が先日来帰宅しないオットとまったく同じことまで明瞭だ。だから、それで?
 私は持ち慣れた傘をぽんと開き、降ってくるたくさんの瞬間を避けながら、ただ前を向いて通りを突っ切っていく。



 その瞬間9

「几



 その瞬間10

なんせ 魅力は満点 潮吹きアクメ スプラッシュマウンテン
めちゃ エログロ ナンセンス 濡らしたるビッチアス 電話しなクラシアン

 部活帰りに家系なラーメン食べてたら、ガッツリ下ネタ聞こえて思わず噎せて、鼻奥に葱。
 普段、飯屋ぐらいでしか聞かないラジオ。昼間っからそんな音楽かかるなんて知らんかった。Tik TokもYouTubeも俺にオススメしてはくれない。
 一発で頭に残る。なにそれ? 早口だけどなに言ってるかわかんし、声に出したらアウトだけど語呂いいし、ウマいこと言ってるし!

とっくのとうに外れたブレーキ 逆らえない本能
CrystalmethもPurple Hazeも場末の安女郎も
無くても平気 シラフでもクレイジー
タンテとマイクロフォンよこせ合法的なトビ方を心得よ

 たしかに合法。けどアンモラル。そっか。こんなのアリなんだ。初めて知った。煮卵旨い。
 おデコの汗は汁を啜ったからじゃない。いてもたってもいられない。ドキドキしてる。ラーメンのびる。箸を持つ手が震える。俺にも・・・できる?



 その瞬間11

 悪魔が泣くところを見たことある?
 悪魔はね、哀しくも淋しくもならないんだって。失望も絶望もしない。でも痛みや苦しみは感じるの。だから悪魔を泣かせるのは、意外と簡単なんだ。
 悪魔に効く毒って、なんだと思う?
 きみに会ったとき、ピンときた。鎌は持ってないんだなあと思ったけど、持ってるわけないよね、死神じゃないんだから。
 契約どおり、姉さんの魂は返してもらったよ。でも、これ偽物だよね。本当に取り戻せるなんて思ってなかったけど。
 あら、どうしたの。さっきまであんなに嬉しそうにわたしの魂を味わってたのに。うん、そうだよ。気に入ってくれたかな、魂の毒漬け。けっこう苦労したんだから。
 悪魔が泣くのを見たらどうなるのかって?
 どうにもならないよ。どうしようもなく恋してしまうだけ。姉さんがそうだったように。
 ──ねえ、泣いて? 今度は本当に。ね?



 その瞬間12

錯覚かなとも思えた。
あの辺の宇宙のなかに、ちょっときれいな星が見えた気がしたのだ。
消えちゃった。
光る星といっしょに。