500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第181回:三階建て


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 三階建て1

三階建ての私の城
今は亡きお父様が建てられた
今は亡き国の今は亡き森の今は亡き湖の畔に立つ
三階建ての私の城
もう愛していると言えなくなった人の
愛していると言わなくなった人の
三階建ての私の城

その奥つ城に人形のように座って私は夜毎の訪れを待つ
あの方はそっと掌に口づける
――お父上はお気の毒でした。
指先がかすかに震える
――兄君たちも。
――お望みなら命を差し上げることも厭わないのですが、あいにくこの身は私ひとりのものではないので。
わかっている
自分だけで身を処せるのなら私だってこんなふうにしてはいない

戦乱の中毀れた箇所も
今は痕もなく美しく
残骸だけの私の城



 三階建て2

 私は『アスリートのお宅拝見』という番組のキャスター。都内のある場所に来ている。
「さて、今日のゲストのスポーツは何でしょう?」
 実は私も知らされていない。建物を見て予想する様子も番組の一部なんだそうだ。
「この家は……」
 多くのアスリートの自宅の中にはトレーニング室があり、そこで種目も予想できる。が、今回は外からも種目が丸わかりだった。
「壁に沢山のホールドが付いています!」
 そう、三階建てのコンクリートの外壁には壁を登るためのホールドが無数に付けられていたのだ。
 そこでアスリート本人が登場。案の定スポーツクライミングのオリンピック代表、野口中選手だった。
「野口中選手はこの壁を毎日登られているのでしょうか?」
「もちろんです。そのための三階建てですから」
 私は建物を見上げる。
 屋上までかなりあるしオーバーハングもある。これを毎日登ったらかなりの練習になるだろう。
「それでは中も拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
「もちろんいいですよ。ではこれを付けて下さい」
 野口中選手は私にハーネスを差し出した。
「といいますと?」
 彼女はニコリと笑うと私に言ったのだ。
「玄関は屋上にありますので」



 三階建て3

 坂を登り切った、樹々がまだらに生い茂る丘のあたりを、この町の年老いた人たちはサンガイと呼ぶ。正式な地名ではない。字のようなものだが、はっきりした区画があるわけでもない。祖父によると、その昔この町でいちばん最初に三階建ての建物が建ったのがこのあたりだという。木造建築のその建物は、二階建ての建物すら珍しかった当時、抜きん出て高く、坂の上に聳え立つと言うに相応しいものだったという。残念ながら、もうその建物はない。どこに建っていたのかも判然としない。祖父母がふたりで、このへんだ、いや、こちらのあたりだったと熱く語り合っているところに通りすがりの人たちが参加して、あっちだった、いやいや、そちらだったと、たちまち大論争が勃発する。当時とは地形が変わってしまい、人びとの記憶もあやふやになった今、地名だけが残っているというのも曰くありげな話だ。当然のごとく裕福な人たちが住んでいたらしいが、ある日気づくと建物ごと忽然とその姿を消したという。はてさてどこへ行ってしまったか。見上げると抜けるような青空の下、思わせぶりにさわさわと木の葉が揺れ、こちらへ来いと誘われている、そんな気にさせられるのもまたよし。



 三階建て4

 何度も上っている階段が何段あるかをわたしは知らない。数えない。
 二度、玄関をつなぐ外廊下を歩く。階段は廊下の端々に設置されていて、10mちょっとの廊下がもどかしさを掻き立てる。
 10m。
 彼の身長で全長で形容。
 身体的特徴で他人を形容するのは小学生以下なのに、大きさ故に誰も気にしない。
 わたしの体格では、屋上へ上がるための梯子に手が届かないから、飛びつかなければならない。10cm程度の距離でも。
 愛ではない。きっと、わたしは彼と愛し合えない。合わせてもらえない。心情的にも身体的にも。けど、犬猫とだってコミュニケーションを交わせたと信じられたら、愛は生まれる。人間同士も。違っても。
 わたしは彼を孤独にはしない。
 屋上に敷き詰められた太陽光発電パネルの隙間を、ケーブル踏まないように柵まで歩く。彼はわたしの目の前へ歩み寄る。わたしの身長の分だけ、僅かにわたしの視線が高い。
 10cm。
 今は飛びつけない。
「おはよう」



 三階建て5

「ちょっと狭いんスけどね。一応ベランダもあって」
「はあ」
 紹介してくれる家に向かう途中いろいろと説明してくれる。この不動産屋さん、顔に似合わずおしゃべりで親切だ。
「あの、私、手持ちがなくって」
「あー、こっち来たばっかですもんね。大丈夫っスよ。そういう制度もあるんで。仕事のマッチングもまかせてください」
 どうやら不動産屋さんではなく役所の人だったらしい。
 新しく造成されたらしい区画に到着する。積み木を並べたみたいに、色とりどりの二階建ての家が並んでいる。なんだか可愛らしい。
「近ごろ多いんですよ。テンセイシャ、って言うんですか? そういう人。人が増えて手狭になってきたんで、もう一階建て増ししたいんですけど。人は三階に家を持たない、って言うもんで……」
 そう言いながらウエーブのかかった髪を掻くと黄色い角が覗く。困ったように笑う口元には牙が見えている。
 彼の言ったことを呟いてみて納得する。サンガイニイエナシ、ね。
「それを仰った方はずいぶん古風なんですね。今の人はそんなこと言いませんよ」
「えっ、そうなんスか」
ぱっと顔を輝かせて、
「助かるぅ。土地も予算もぎりぎりなもんで」
と言うと、スマジキモノハミヤヅカヘ、と節をつけて口ずさむ。なかなかマニアックな人とつきあってきたらしい。



 三階建て6

       空想す
     三階建ての物語
  のびていく予感、のびていく予感

  空をのけ明日に消え去る何となく
  息をするこの味をなんと喩えよう
  読め詠えやがては終わるシデの旅

  哲学で命を絶とうとする「君」と
  重なって、重なって軋む、軋む骨
  肌にふれ目にふれ耳にふれる、今

  そこをのけそこのけそこのけ背比
  土をのけ芽を出す子葉の声を聴く
  土よ土、生くも還るも、やがて土



 三階建て7

 三階建て世界、というとまた何かの亜流ですかと問われ兼ねないし確かに一面そのとおりでもあるのだが、円筒だったりドーナツだったり象の上にまた象が乗っていたりする世界と比べてこの世界がきわめて特徴的なのは、実は三階がない、という点にある。いや、階下にいるときには確かに存在するのだが、昇っていってみると三階はない。ない、というのは文字どおりないのであって、二階の上にある何もない空虚、二階の屋根すらもない場所にあなたは立っている。頭上には雲ひとつない、手の届きそうな青空がただ広がるばかりである。というか実際手は簡単に届いて、戯れに指で穴をあけた跡がいくつもついている。そこから漏れ出ずる光が夜には星になるということを、階下に戻ったあなたは忘れてしまっている。二階の住居を通り過ぎて一階の事務所に降りると、数字と数式で記述されたいつもの世界があなたを出迎える。夜はまだ遠い。



 三階建て8

 「念の為ご住所とお名前の確認をお願いします。よろしければ印鑑かサインをこちらに」
 いつものやり取りで荷物を渡し伝票を受け取って彼は階段を降りた。行きと同じように数えながら。間違いでは無い、伝票に記載されている部屋番号もドアの上に表示されていた部屋番号もみんな。配送車に乗り込んでから彼はいつものように振り返って見上げた、たった今訪れた404号室あたりを。



 三階建て9

 新種の貝が発見されたという報はまたたく間にヤドカリ界を駆け巡った。
 有史以来、平屋建てにしか住んだことのないヤドカリにとって複数階の住居は永遠の憧れであった。それが二階を一気に飛びこえ三階建ての発見である。誰もが狂喜し、我先にと新種の貝を探し回った。しかし、ただでさえ発見されたばかりの稀少な代物、空き家となればなおのこと。凄惨な殺貝事件が起こるのは必然であった。
 事態を重く見たヤドカリ政府──否。彼らとて例外ではないどころか、権力を振りかざしてより狡猾に我がものとすべく暗躍した。発見されたのも束の間、哀れな貝は絶滅まで時間の問題であった。

「いいか、絶対に動くな。奴ら狂ってやがる。見つかったら最期だ」
「……あなただって、わたしのカラを狙ってるんでしょ」
「ああ。おまえが幸せに生きて、天寿を全うしたらな。それまでは誰にも奪わせねえ」
「……あなたもヤドカリなのに、どうして?」
「話はあとだ。奴らが来る、いいか、何があっても隠れてろ!」
「あっ……!」

(外殻じゃねえ……おれは……おまえの中身に……!)

 ──長い殻をゆらし、老いた巻貝は後に語る。その時の彼はまさしく韋駄天の如き速さであったと。



 三階建て10

 人に言われるまで、気にしたことがなかった。
 私の生家は、玄関に入るとすぐにまた扉があって、居間に続いている。となれば当然、出かけるなり帰ってくるなり居間を通らなければならない構造で、なんにせよ家人とはよくよく顔を合わす。ほかに四畳半の和室と台所、戸を隔てた狭い廊下の側には風呂場と便所、螺旋になりきれない階段がある。
 さて二階はというと、各々の寝室と物置、それから便所がある。一室だけにベランダがあり、天気のよい日は洗濯物が干されることとなる。
 十何年と暮らすうち床や天井の色が薄らと汚れていったり、一番下の子が猫を拾ってきて、そいつが爪を研ぐようで、どちらの階もそちこちの壁角が毛羽立ったりもしている。
 私に説明できるのはそれくらいだが、あらためて観察すると、三階建てのようにも、たしかに見える。
 玄関に入れば、扉の向こうで、テレビの音声が流れている。
 居間に入れば、おかえりなさいと誰も屈託がない。
 二階を探れば、と考えたが何も見つからない。
 階下から、お茶を淹れるよと声を掛けられ、呑むと答える。



 三階建て11

「えっ?ここ二階席なの?」
「一番下がアリーナ席になってるからね」
「欧米か!」
「平成のツッコミ。最初にライヴしたビートルズ的にはグランドフロアだろうね」
「イギリスか!」
「無駄に適切。まぁ『ライヴハウス武道館』だから」
「栄吉か!」
「『矢沢か!』じゃないんだ・・・あっ、四音か」



 三階建て12

 老いた住宅は薄れゆく記憶を行ったり来たりしている。あの子が三階建てに住みたいと言い出したのはたしか中学に上がった時だった。住宅が建っているのは傾斜地を造成した「ニュータウン」だ。ニュータウンの子供はニュータウンの小学校に通っていたが、中学校は学区が広がりニュータウン以外の子供も一緒になった。遊びに行った新しい友達の家が三階建てだったのだ。 三人家族に三階建ては必要ないよと言う父親に、おじいちゃんとおばあちゃんも一緒に住めばいいとあの子はごねた。この家のローンがあるよと父親は笑ってため息をついた。

 あの子は大人になりここを出て戻ってこなかった。ローンを払い終えた親たちもいつしかいなくなった。同様に遺棄された家が周りにいくつもある。
 老いた住宅は見たことのない三階建てを思う。しっかりした地盤が必要な頑強な建物。そこには三世代が住むという。
 夢の中で造成地の果てにある住宅崖を登っている。登りきれば三階建てになれるのだ。



 三階建て13

二階建てだと、ずっと思ってた。まさかうちに三階があったなんて。母は(してやったり)
というニヤリ顔をする。むかつく。
「いや内緒にしとく大した理由はなかったのよ」
「じゃあなんで今さら」
「幼いあんたらに教えたら、おもちゃぶちまけとか、ふすま破りとか、とにかくぐちゃぐちゃにしちゃうじゃん。だから分別のつく歳になるまで、と考えたまでさ」

 まあ、それは分からんでもないけど、そんなに秘密にしときたかった三階って…
「見たい?」
「あたりまえよ」
「見てみる?」
「是非見たいよ」
母は、カラーボックスと壁の隙間に手を入れて、たぶん、レバーのようなのを引いた。少しおいて、こてこてと天井の一角が折れ曲がって階段が出現した。はあ、もし家出したお兄ちゃんが、このことを知ってたら喜んだろうなあ、といなくなった兄のことを思い出しながら階段を上ってみると、小ぎれいな和室があり、テーブルで兄が漫画を読んでいた。
「お兄ちゃん、家出したんじゃなかったの?」
「いや、ここに居てた」

 久々にその夜は、家族そろってすき焼きをした。



 三階建て14

今が、われわれの存在に気付いたとき、それは遠くから遣わされてきた。見渡す限りの大きさで舞い降りてきた。時のない方角から。

それは時を超えているがゆえ瞬間を象ることができた。刹那は豊穣となり、束の間は物語となった。
それは時を超えているがゆえ、限りなく静かだった。
たとえば他の象たち、光は眼を潰し音は鼓膜を破り臭いは鼻を突き味は舌を灼くことがある。けれどもそれは、けっして身体を損傷しなかった。
静かなるがゆえそれは、対象の物理を変えることなく付き、離れることができた。のちのたとえで言えばそれは名前のように物に付き名前のように離れた。
それは意識が初めて明識的に出会う、完成した差異の体系であり、構造化された緊密な記号の群れだった。

形而上の二階を俯きながら彷徨いていた意識たちはいまや、自らの頭上に形而上という三階が存在することを知った。
そしてやがて三階が、既知の世界より遙かに広大な未踏の領域であることを悟る。
長い長い旅が始まったのだ。その場を一歩も動かなくとも出発することができる果てしない旅が。

初めに言葉ありきと神は言ったが、それには省略がある。言葉のはじまりにはそれが、すなわち色彩があったのである。



 三階建て15

「まずは挨拶がわりに乾杯かね」
「なるほどそれは安牌だね」
「注いであげようアンタに酒」
「肴がほしいな、秋刀魚に鮭」
「たんまり金貯めこんでんだろ、カンパチ焼け」
「そっちこそ悪どく稼いでんだろ犯罪者め、洗いざらいスリなりシャブなり何なり吐け」
「何だい待て、三社にかけてシロだと誓うよ証明してやる密着取材で漫画に描け」
「漫才やれって言われる方がマシなくらいの難題ダメ」
「断崖まで追いつめた、ならやってもらおう次から選べ、一・いとこい、二・やすきよ、三・ダイラケ」
「参った降参、敵いません。完敗だね」
「いや悪かった酔いすぎた、和解といこう、口直しにはんなりラテ」
「では改めて。新居おめでとう、乾杯! さて、ところでこの家やっぱりアレかい、トタンかい屋根」
「まだやるんかいハゲ」
「新居にちなんで勝負も三回までとしゃれこもうや、第二ラウンド始まれ、鳴らさんかい鐘」
「祟るぞマジで三代まで」