500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

1st Match / ツバメの速度

赤コーナ : 水池亘

 子供スズメはツバメに憧れていた。空を高速でかっ飛ぶツバメを一目見たときから、僕もあんなスピードで飛べたらと考えない日はなかった。毎日毎日、何年間もツバメと並んで飛ぶ自分の姿を空想し続けて、とうとう我慢できなくなった彼はある日、ひときわ速く飛ぶ大人ツバメに声をかけた。
 僕を引っ張って飛んでくれませんか?
 大人ツバメはその言葉を聞いて顔をしかめた。
 歌は?
 え?
 歌を歌えばいいじゃないか。スズメなんだから。
 歌なんて興味ないです。僕は飛ぶのが好きなんです。
 ツバメはそれ以上何も言わずに、スズメの頼みを了承した。太い植物の茎を引き抜いて、自分とスズメの体をしっかり結ぶと、空へ飛び上がった。
 どうなっても知らんぞ?
 ツバメは静かに言った。期待に目を輝かせながら、
 はい!
 とスズメは答えた。真っ直ぐで明瞭な、美しい声だった。
 ツバメは無言で飛び始めた。
 ついに、ずっと夢見てた、あのスピードを、僕は、
 突然、強い力で体が引っ張られた。ツバメがスピードを上げたのだ。バランスを崩す。風圧が強すぎて体の制御がきかない。さらにスピードを増すツバメ。体が軋む。ボキリと鈍い音がする。羽が剥がれてゆく。体がばらばらになっていく感覚。助けて。でも声が出ない。何だこれは? 
 ツバメの速度は、スズメには耐えられないのだ。
 痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
 綱がぶつりと切れた。
 ツバメが振り向くと、ぼろぼろの子供スズメが落ちてゆくのが見えた。だから俺は忠告したんだ。スズメの癖にでしゃばりやがって。そう蔑みながらも、その、子供のころ歌うのが大好きだった大人ツバメは、少しだけ口笛を吹いてみた。かすれた音が出るだけだった。

青コーナ : 根多加良

 ある一羽のツバメが海を渡るときに、力尽きようとしていた。ヤケを起こしたツバメは最後の力を振り絞り、自分の持てる最高のスピードで海面につっこむ。すると体は沈むことなく水の上を飛び跳ねた。
 海面を跳ねて翼を休ませる方法を身につけたツバメは、水の上をシャチャッシャと跳ねる。速度を増して。速さを失えば海を跳ねられなくなる。目的地だった陸地を無視してツバメは飛ぶ。地球の自転よりも速く。やがてツバメは速くなることしか考えなくなる。
 翼は小さく、体は軽く、クチバシは鋭く、変質しながら加速する。音速を超えたとき鳴くのを止めた。現存在に対し魂が先駆する。地球の重力ですらこの生物の横暴を抑えきれずに、ツバメは大気圏を通過して宇宙に行く。
 烈火の星に飛び込み、体が焼けても飛ぶのを止めない。毛や肉や骨が燃え尽き、影だけになっても飛び続けるツバメは、質量をなくしたことで光速を超える。時の中を翔ける光沢のある弾丸。ツバメは過去へ未来へ、時間をシャッチャシャ跳ねて、果てなき果てを行く。
 地球に戻ってきた時、低い星を歩く私たちには光輝く雨にみえる。その姿が見えても、誰もツバメと呼びはしないし音も聞こえない。



2nd Match / 群青警報

赤コーナ : 春名トモコ

 四時三十分。夕暮れにはまだ早い町にサイレンが鳴り響く。警報の発令。それを聞いた人々はすべてを投げ出して家に帰る。不自由で美しい夜がくる。その準備をするために。
 いつもより二時間早く帰宅し、簡単な夕食をすませた頃だった。蛍光灯が細かくふるえ、消えた。その後ゆっくりと青むらさきの光が灯る。深くやわらかな青。なんとか部屋にいる人の顔が見分けられる程度の明るさだ。ベランダに出ると、町中の明かりが次々と青むらさきに変わっていくのが見えた。日が沈み、無数の青い光が重なって、町全体が大きな宝石に閉じ込められたようになる。こんな青い夜が訪れるようになったのは三年ほど前からだ。
 噂では、ある男がタンザニアのつゆくさ色に染まった夕暮れの空を瓶に詰めて持ち帰ったが、ふたを開けた途端、夕空が真上にあった照明に吸い込まれてしまい、その蛍光灯は異国の夕暮れを放つようになった。それが町全体に広がってこんな現象が起こるようになったらしい。だからなのか年に二、三回、日没後の雲ひとつない空が青むらさきから藍色へ落ちていく日に、照明の色が変わる。空の色に共鳴しているのかもしれない。
 充分な光がないと町は機能を停止してしまう。深い青に沈み、車も電車も走らず、コンビニまで閉まる不自由な夜が訪れる。けれどたまになら、宝石に閉じ込められた夜も悪くない。

青コーナ : タキガワ

 100日のあいだ、日照りは続いた。
 渇ききった喉をいためながら、私達は広場へ立つ。落ちた影が夜より深い。空はとても高くまで澄んでいる。体をいくら縮こめていても、誰かがどこかに触れる。人いきれで私は息もつけない。
 かなしい話をしよう。
 拡声器ががなる金属音混じりのスピーチで、妙齢の女性の集団が重なりあうようにして泣きはじめた。それを遠目で見ていた人々も、それぞれ工夫して涙を絞っている。
 恋人は私と手を繋いだまま、不器用な仕草で香水壜をとりだした。用心深く鼻を近付け、涙ぐむ。肌を焦げつかせる日差しが、流れはじめた水を乾かした。恋人の頬にかすかに白い跡を残した。
 はやく泣きなさい。
 知らない人までもが私を急かすが、ただ胸がつまるばかりで涙はでない。恋人はもう私をそっちのけで号泣している。壜の中身が干上がったと言っては喚き、涙の結晶が目にしみると言っては呻いている。
 うっすらと空に雲がかかった。やっと瞳が潤んだのかもしれない。



3rd Match / 食べるな

赤コーナ : SNOWGAME

夜のアタマ。
蜜柑の月がビルの谷間に挟まった。
すると、さっきまで蛍光灯にぶら下がっていたザンギョウビトたちが軒並み飛び掛り、サリサリと月を食べ始めた。

俄かに地上がざわめきだす気配。

ひとりのザンギョウビトがふと我に返り眼下を見下ろす。
が、誰もいない。
ただ、空き地いっぱいの月見草が風に揺れるばかり。

青コーナ : 春都

 庭先で、自分の尻尾に噛みつきながらいつまでも回っている犬がいて、それを女がやめさせようと柄杓で水をかけるのだが、犬は一向に動きをとめず、ぐるぐると狂ったように回りつづけている。
 私は布団に寝そべり、煙草を唇にはさんだまま、犬と女を見ている。女は私の情婦である。今日はまだ女の肌に触れておらず、布団も乱れていない。

 私はしびれを切らして「おい、もうやめないか」と声をかけた。
 女は「そうよ、いい加減やめなさい」と言い、水をかける。
 犬は唸り声をあげなげら、ますます回転を速める。
 私はお預けをくらった気分で、煙草をふかす。

 ふと、女の尻に噛みついてみようか、と思いつつ、私は犬のずぶ濡れになっていく様を、布団に寝そべり眺めている。



4th Match / ごめんね。

赤コーナ : 伝助

 いつの間にか背高山高に囲まれていて、アタシは隣に居たはずの父の姿を見失った。ピョコタン、ピョコターン。背伸びしてジメーンを蹴って、飛び跳ねる。何がピョコタンかって? ここは地面が固過ぎる。せっかく、余分なフトモモの筋肉を削って埋め込んだスピーカーなのに、飛び跳ねる度に音が割れてしまう。迷子の父にアタシを見つけて貰おうと、ボリュームを上げた。甲高いDJの声が入る。
 『ょー ほっぺ太 よーよー ほっぺ太。いとしのオデ子嬢とは、良いカンジーィ? んなワケあるかよ、悪いカンジーィ? せい!』
 母は死にましたよ。
 嘘です。毎日、元気に働いています。
 久しぶりに遊園地で会う父は、少し、痩せてた。
 人垣の中からもう既に懐かしい腕がアタシに伸びて、「ごめんね。」
 って、誰かが言ってた。
 『しゃばら ぴーぷー ここで満を持しての登場だ。これでもイントロクイズ・death・サブマリナーズのヒットパレードメンバーだ。僅かな言葉から多くの意味を汲み取ることなんて、よゆーで、グッジョブ 』
 スイッチを切った。
 シガーチョコで一服。
 あのさ、父親。林檎が浅瀬で溺れて、「アップルアップル」言ってんだよ。これはこれで、出来上がった冗談だけど、たった一言で済まそうなんて、そりゃ、あんまりだ。

青コーナ : 犬の生活 A to Z

「口先だけの心ない詫び言は聞きたくねー」とオトコ、だから私は口先だけじゃないよ心からだよ全身全霊で精一杯謝ってんだよって伝えようと頑張った。口先だけには見えないよう口を大きく大きく大きく開けて。そうね口裂け女もメじゃないくらい。頭が裏返って声帯が露出して、おおよそ肩あたりまで唇と化したはず。でもって謝ろうと剥き出しの声帯を震わせた。
 そしたらオトコ、私のさま見て、なにトチ狂ったか欲情しやがった。「その状態で舐めてくれよォ」。最っ低の動物野郎。かちーんときた私は広げに広げた口を使って、ジッパー下ろしかけてた彼自身、ってアホな比喩じゃなくて文字通り彼の全身、頭から丸飲みしてやった。ほれ見たか、このド助平。あんた昔から自分の下半身を制御できずにいたよね、それも別れる理由のひとつ。あんたが真性のロクデナシなもんだから、ホントもう無理、さよならする、って決めたんだ。そうだよ、今でも大好きなのに。
 って、あら。別れる覚悟したはずなのに。私どうしてオトコ飲み込んでひとつになってしまったんだろ。なにやってんの。狼狽えて、オトコに向けてか自分に向けてか、私はまたもや謝った。声帯を調子っ外れに震わせて。ほへうれ。



5th Match / 日本製

赤コーナ : 空虹桜

「ずいぶんマニアックのにしたんだ」
 新しい皮膚にあわせて買ったマッチでボクはタバコに火をつけた。マッチ箱には“ひらがな”とかいう、今じゃ誰も読めないセクシィな文字。
「普通吸うなら、マイルドなんとかだよね」
 なるほど。そんな銘柄もあったっけ。
「3日もすれば飽きるくせに」
 たぶんね。でも、キミのアンティークな右腕と同じ色なんだよ、この皮膚。気づいてなんかくれないだろうけど。

青コーナ : 月水

鉛筆というのは大抵ひとつの箱に1ダース、つまり12本入っているもので、ジョージが日本で買い求めた鉛筆も当然12本入りのはずだった。しかしもし仮にこの鉛筆が13本入りだったなら、なかなか不吉な話じゃないか。思ったジョージはおもむろに箱を開け鉛筆を数えはじめる。「1,2,3,4,5,6,7,8」ここで合いの手が入る。「What time is it?」「It’s 10.11,12…13!」くらくらっときたジョージはしかし落語を知っていたので何とか踏みとどまる。踏みとどまるがここでジョージは考える。考えて疑問に思うのはだれが時間を聞いたのか。横で死んでるマイケルか。おやすみマイキー、君の腕時計は日本で作られたから正確だよ。だから時間を気にせずお休みよ。僕は君のために13本目の鉛筆でお経を写そう。震える手で。



6th Match / ポケットのなかのスキップ

赤コーナ : 松本楽志

 つまらないくだらないやめたいにげたいなにもしたくないどうしようもないとりかえしがつかないぼくたちはいつもポケットに手をつっこんで、溜息をつきながらお祭り広場を出鱈目に歩きまわる。祭壇に祀られた複雑な造形をした神がふいに動いた。ぼたぼたとオレンジ色の液体をあたりいちめん撒き散らし、神はなんとかしてぼくたちに加護を与えようとする。だけど、ぼくたちはみんな憂鬱そうな迷惑そうな顔でオレンジを避けて、祭壇を見上げる。
 案の定、神は呆れきって祭壇を駆け下り、何処かへ立ち去ってしまった。
 そのあまりにも単純な形をした背中を見送りながら、ぼくたちは顔を見合わせて、ほくそ笑む。
 神なんていらない。
 ぼくたちはみんな寂しそうな表情をしているけれど、ポケットのなかはものすごく広いのだから。

青コーナ : 秋山真琴

 ボクはポケットの中にタイムホールを持っている。
 何でもポケットの中に入れて、上からポンとひと叩きしてやれば、それは瞬く間に一日という時間を越えて、次の日に落ちるんだ。
 食べきれなかった給食も、うっかり割ってしまった食器も、悪い点を取ってしまったテストの答案用紙も、ポケットの中に入れて、上からポンとひと叩きしてやれば、瞬く間に時間を越える。
 何度も様々なものをポケットの中に入れて、上からポンとひと叩きしているうちに、力をこめて叩けば、それが次の日よりももっと先に落ちることが判った。
 ボクを渾身の力をこめて、ポケットの中の食器の欠片を叩いた。
 ボクは渾身の力をこめて、ポケットの中の答案用紙を叩いた。


 あるときボクはガールフレンドと話しながら横断歩道を歩いていた。運が悪かったのだと思う。運転手は居睡りをしていて、減速せずに突っ込んできたトラックを、ボクは避けることもできなかった。凄まじい衝撃が全身を貫いた。
 気がついたときボクは、雪原の上に立っていた。空は灰色の雲に覆われ、凍てつく風は冷たいなんてもんじゃなかった。
 生物が絶滅した地上で、ボクはひとりスキップする。



7th Match / 踊り子たち

赤コーナ : 嶋戸悠祐

 そうです。、全ては私が悪いのです。
 艶やかな着物を身に纏い毎晩のように地主様のお屋敷へ出かけていく姉が、本当は何をしているのかを私は知っておりました。
 私は地主様専属の踊り子なの。専属の踊り子は村中の女の人の中から本当に踊りが上手な人しか選ばれないんだから。
 そう言って嬉しそうに、優雅な舞いを見せてくれた姉の姿が、全て私に対する気づかいであり、その無邪気さの裏側に姉が抱えていた計りしれないほどの苦悩を思うと、私は自分の臓腑を引っ張り出して幾千もの破片に切り刻みたくなるほどに、狂おしいほどの苦恨の念に晒されるのでした。
 そして、とうとう何も気づかない鈍感な私に業を煮やしたのか、神のお導きが唐突に訪れたのです。
 痴呆がはじまりかけていた母がいつものように緩慢な動作で姉を見送った後、不意に私に、茫洋とした硝子玉のような瞳を向けたまま言い放ちました。
 お前の体さえ悪くなければ、あの子にあんな思いをさせずにすんだのに。
 そして、その一言で私は全てを悟ったのです。
 私は今、村中を見下ろせる小高い丘の上におります。背後に地主様の大きなお屋敷がおぼろ月夜に照らされています。
 臆病者の私はお屋敷の中の姉を助ける勇気などございません。ただ姉の幸せを祈り、車椅子のストッパーを外して、眼下に広がる村の仄かな灯りに向かって飛び込むことが私の精一杯なのです。

青コーナ : 青島さかな

 君の右手の上で小さな踊り子が一人。くるくる回って、二人になって、手を繋いで、広がった。二人の踊り子たちは手を離して、また回り出す。くるるるるるる……そして二人は四人になった。
 四人は八人。八人が十六人。
 そこで君の手から一人が零れ落ちるから、慌ててぼくは両手で受け止めた。
 ぼくの手の平で踊り子はすっくと立ち上がり、また回り始める。けれど何度回っても二人にはなれなかった。
 その姿を君の手から十五人がじっと見つめる。手を繋ぎあってじっと見つめる。
 ぼくの踊り子は一度手を振って、くるるるるるる。
 それでも踊り子は増えることが出来ずに、くたんと倒れる。それと同時に君の手の十五人の踊り子たちは、ぽんっ。消えてしまった。後にはぼくの手の平で、踊り疲れてすやすやと眠ってしまったひとりだけ。
 気付けば、君もいなくなっている。



8th Match / ニガヨモギの夜

赤コーナ : タカスギシンタロ

 月が顔を出し、薮は銀色に輝いた。やせっぽちは草を刈る手を止めた。声が聞こえた気がしたのだ。身をかがめ耳を澄ましたが、かすかな葉擦れがするだけだった。草の芳香に酔ったのだろうか。再び草を刈ろうと目を落とし、息を飲んだ。白い顔がこちらを見ていた。
「わたしをわたしに乗せるのだ」
 半身の像がささやいていた。やせっぽちは憑かれたように像を抱き上げると、崩れた台座の、ひづめの下半身に乗せた。
「礼を言う。汝の名は必ずや国中に広まるであろう」
 月が雲に隠れると、像はもう二度と話さなかった。
 けたたましい番犬の声を聞いて、赤鼻は跳び上がった。壁の割れ目から中を覗いたが、真っ黒な闇が広がるばかりで、やせっぽちの姿は見えなかった。
「やつは勇敢だった」
 赤鼻は草の束を背負った。
「この草の酒は、やせっぽちのアブサンと名づけよう」
 赤鼻は逃げ出した。

青コーナ : 赤井都

 隣の家に救急車が止まった。芽ちゃんが担架で乗せられていく。
「何があったんですか」
 前の肩をつかんだら、老婆が振り向いた。
「芽ちゃんはね、心臓が熱くなる病気で命が危ない。病院に行ったって無駄さ。明日の朝までに、ニガヨモギが一枚ありさえすればいい。胸に貼れば何でも直る。でも、ニガヨモギが生えている所は、どこにもないんだよ」
「僕がどこにもない所へ取りに行きます」
「ニガヨモギの原は、角鹿たちに護られている。それでも行くのかい」
「行きます」
 僕は自分の玄関の前にいて、周りにはもう誰もいなかった。扉を開けたとたん、心が先に飛び出した。扉を何枚も何枚も過ぎた。夜空とニガヨモギが広がる原へころんと出た。平たい葉がしんと沈む。一枚ちぎると、夜気をついて鮮烈な香りが広がる。地響だ。鹿たちが追ってくる。扉を幾枚も超え、部屋に戻る瞬間、背後から胸を貫かれた。扉ごしに角鹿が透徹した声で言う。
「このままではおまえが死んでしまう。ニガヨモギを胸に貼れ」
「この葉は、芽ちゃんのものだ」
 僕は芽ちゃんをすきだ。
「愚かな。芽ちゃんはおまえをすきで胸を燃している。おまえが先に死ぬのか」
 見えない血が床を染め、僕は動けない。



9th Match / 鍵のくに

赤コーナ : たなかなつみ

 管財人がやって来て、茶封筒を差し出す。わたしはそれを受けとり、ペーパーナイフをさしこむ。切り出されたのは予想どおり、小さな鈍色の鍵。わたしはそれを水といっしょに飲み込む。胸の中を冷たい鍵が下り落ちるのを感じる。そしてかちりと孔にはまりこむ。それを合図に、腹のなかで、種子が割れる。
 勢いよく腹を突き破って芽吹きだす。あおい葉が開く。蔓が伸びる。わたしはうめきながらのけぞる。その胸から新たに芽が出る。咲く。散る。むくろの上にむくろが重なる。わたしはその下で身をよじる。裂けた腹から涙がにじみ出し、筋になって流れたゆたう。むくろが腐臭を放ち始める。その隙間から、やつらが生まれ出る。やつらのざらざらした舌がその水辺を舐めあげる。がふがふと音をたてて土手を崩す。やつらはその細い爪をわたしの孔に突き立てかきまわす。そして奴らは掘り出すのだ。わたしが飲み込んだ鍵を。
 管財人はそれを新しい茶封筒に封じ込める。次にそれを受けとるのはやつらの末の娘。赤い涙をもつ女。わたしは眠りを求めてまるくなる。管財人は新たにわたしに孔を穿ち、わたしに新たな名を与える。シュシと。

青コーナ : キセン

 鍵のくにでは人の心を開くのにも鍵が要る。恋人になろうとする男女はお互いの心の鍵を交換して、それぞれの心を覗き見しあう。それで、お互いの心のすべてを見て、付き合うかどうかを正式に決めるのだ。
 ぼくは彼女に平手打ちされてしまった。右の頬がまだずきずきしている。それというのもぼくが彼女に嘘を吐いたせいだ。実は、ぼくが彼女に渡した鍵は偽物だったのだ。心の鍵穴には、入りもしない。数回がちゃがちゃやってから、彼女はぼくを無言で睨みつけ、それからぼくの右頬を一回叩いたのだ。
 何故ぼくが彼女の偽の鍵を渡したかといえば――昨日見た彼女の心に愕然としてしまったからだ。酷く醜い。毒々しい色の塊が彼女のなかでうねっていた。考えてみれば、他人の心を見たのは初めてなのだ。ぼくの心もあんなふうになっているのだろうか。そうではないのかもしれない。でも可能性はある。目の前の可愛い彼女に、あんなものを見せたくはない。ぼくが彼女と別れたのは、彼女のことが好きだったからなのだ。このくにを明日出ようと、ぼくは思っていた。



10th Match / 百樂颱風

赤コーナ : よもぎ

 海の彼方に目を細め老師はつぶやいた。
「嵐が來る」
「嵐?大きいの?」
「うむ・・百樂じゃ。すぐに支度を。弍鼓、皆に伝えよ」
 弍鼓は村へと駆け出した。
 老師は丘で鼓を奏す。村人が弦を管を鼓を鍵器を持って丘へ集まる。演が始まる。樂の音は次第に和を為し和は輪となり渦となっていった。弍鼓はその渦が立ち上る様に眼を凝らしていた。
「來たぞ!」
 誰かが海を指さす。彼方から大きなうねりがやって來る。羽音のようであった。海鳴りのようであった。やがて弍鼓の耳にもそれがひとつの樂であることがわかった。弍鼓は高鳴る心臓の音で拍をとりながら迫り來る樂の音を聴こうとした。だがひとつひとつの音色を聴こうとしてもとても掴み切れない。
 幾筋もの美しい旋律が絡み合う豊穣な樂であった。
 幾つもの拍子がうねる果てしない波動であった。
 熱気を孕んだ荘厳な樂の嵐が村を包む。その瞬間、弍鼓は眼前が白く暗転し生まれて初めて小さく身震いをした。村人の奏する小さな樂の渦もまた音の奔流に飲み込まれその壮大な綴れ織りに調和していく。誰もが歓喜と興奮に酔い痴れて樂の嵐に身をまかせた。
 やがて訪れる静寂。人々は満たされて家路に着く。
 少年は海の彼方を見つめ、凛、と鼓を叩いた。

青コーナ :

わくわくしながら気象情報を聞き、待ちわびた。今度のは風が違う。年に一回あるかなしかのあれが来る。
戸締まりと目張りを済ませ家族が篭もってからも、僕はずぶ濡れのまま仁王立ちで待つ。小さな町の通りには他にもぽつぽつ人が立ち、空を睨んでいた。
電線も木の枝も看板も、ぼうぼうぎいぎいと楽を奏でる。身の内を掻き立てる音律。
頬に生暖かい塊を感じた。と、躰が浮き上がった。来た。生け垣を越えて飛ばされる。
おお。そっちからこっちから吹き上げられ、くるくる回る人、人。木立に突っ込み地面に叩き付けられ振り回され。腕を折り血を流し泥まみれでも、沸き上がる笑いが止まらない。
誰かが僕を追い越して、川の方まで飛んだ。隣の爺ちゃんだ。土手にぶつかってぽんと跳ね上がる。うひょっ、と声が聞こえた。
じいちゃん、と僕は叫んだ。だがそれも風雨にかき消される。
その時何か頭に当たり、僕は気を失った。

眩しくて目を覚ますと、空は晴れて風は穏やかだった。塵や木っ端の散らばる中に僕は倒れていた。
痛む体を起こすと、隣の婆ちゃんが片付けをしていた。しょうのない爺さんだ、と溜息をつく。勝手に飛んでっちまって。
爺ちゃん笑ってたよ、と僕が言うと、婆ちゃんは、そうかい、と答えちょっとだけ笑った。



11th Match / All of me

赤コーナ : 夢見

僕には何かが欠けている気がするんだ。
僕は○じゃなきゃいけないのに。
僕が欠けているから君は愛してくれないのかな。
僕は僕に欠けている”何か”を探す旅に出た。
世界中を、いや宇宙中を探しまくったんだ。
旅をする度にあちこちぶつかって、いっぱい角が出来てしまった。
僕はますます角を埋める”何か”を探さなきゃいけなくなった。
いつまでこの旅を続ければ僕は○になるんだろう。
辛いよ。苦しいよ。誰か助けて。
僕は本当に○にならなきゃいけないのかな?
僕はうずくまって、いっぱいいっぱい泣いたんだ。
僕の角は涙で溶けて、僕は○になっていた。
僕は気づいてなかったんだ。
僕が本当は○だったことに。

青コーナ : amane

腸カメラを覗きながら医師が言う、何の問題もないきれいなピンク色ですよ。私は、そうですか、腹黒いから中も黒いのかと思いました、と、言うと、医師は内視鏡室に響く声で大笑いをする。面白いですねえと。試しに胃カメラの後も同じことを言ってみたらやはり違う医師だが笑われた。採血の際に、思い出した。献血に行ったときに濃くていい血ね、血管もいいわねと言われたことを。喜んでいいのかわかりませんと言うと、万が一入院したら看護師さんにもてるわよと。入院して実感する。その通り、点滴も採血もものすごく好かれる。腹黒いはずの私の中は綺麗なピンクでとりあえずほっとする。もう少し行けるかな。どうにでも生きられるなと。痛むところも含んで私はまだもう少し生きていける。



12th Match / 50の方法

赤コーナ : 天野銘

50人集まれば、50の方法がある、と小学校で、教えてくれた。
だけど、50人集まっても、ひとつも方法がでてこないと、社会人になった僕は、会議中に思う。

青コーナ : 花粉男

 死んだ大ダコが砂浜に打ち上げられた。子供達が群れて見に行った。馬鹿でかいタコだったが、やはり足は八本しかなかった。八本足で走るんも難儀やな、と木島君が言った。足が絡まりそうじゃ、と水島君が受けた。ムカデなら百本やぞ、と土島君が叫んだ。子供達は足が多くある場合の走り方の議論をはじめた。意見はとてもまとまらなかった。50とおりの方法くらいは思いつけた。死んだら何本足でも同じや、と空島君がぽつりと言った。砂浜に横たわるぐにょぐにょの死体を子供達はあらためて見やった。誰もが、いくつ方法があっても、結論はひとつのような気がしていた。



13th Match /

赤コーナ : はやみかつとし

いつの間にかまどろんでいたらしい。
薄目を開ける。鈍くくすんだ雲が垂れ込める空の、縁だけが奇妙に澄んで明るい。鉛筆みたいな煙突が、不揃いなバーコードを描いて天を衝く。俺は、煤にまみれた鉛色のバスの不快な振動に身を埋めている。どこへ連れて行こうというのか、知ってはいるが、ここからじゃ見えもしないし、今はそんなこと関係ない。バーコードが空色のバックライトの中で刻々と形を変えていく。固い鞄から、古びた革の匂いがする。

目をつむると、頭蓋をつんざく音が溢れ、我に返った。

女が口紅で塗り潰した二つ折りのメニューをウェイターが事も無げに片付けて行った。立ち込める煙に一瞬むせ返り、少し落ち着いて焦げた残り香をゆっくりと吸い込んだ。全て自分で選んだことのくせに、鳩尾から肉を一塊抜かれたような落ち着かなさを持て余している。しまいにはそれを空腹のせいにして馬鹿みたいにフレンチフライとオニオンリングを詰め込む。ショウが始まる。いや始まらない。いつまでもいつまでも、俺は楽園と廃墟のどっちにも転びそうな窮屈な椅子の上でブザーを待つ。

最高のノリで、最低のノリで、俺は吹く。

俺を苛み、俺を解き放つ、ただ一つの音。

青コーナ : 峯岸

 ふとした切っ掛けで壁抜け男と友達になる。壁抜け男は壁抜けが出来るという点を除いても魅力的な人物で楽しい。待ち合わせ場所への向かいすがら以前に壁抜け男から聞いた話を反芻する。何でもビルの倒壊に巻き込まれた事があるらしい。
 壁抜け男は壁抜け男だから無傷だったので瓦礫の中を通って外へ出る事が出来る。好奇心から回り道をしていると、女性だ。上階の床の下敷きになっており一目で息絶えているのが解る。顔は見えない。女性のすぐそばに分厚い本が落ちている。初めは聖書に見えた、と壁抜け男は話してくれた。だって皮張りで黒かったしね。何でか女性がその本を持って行こうとして逃げ遅れた風に壁抜け男は思う。拾ってみると英語の辞書だ。そして挟まれていたのは綺麗な押し花。この光景を忘れる事が出来ない。女性も小さな花も正しく愛される事はきっともうない。
 いきなり壁から手が伸びて来て驚く。壁抜け男だ。向こう側から別れを告げてくる。その手と握手しようとする。しかし、その手は自分の手をもすり抜けてしまう。