500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

1st Match / マメ

赤コーナ : snowgame

そおーんなにちっちゃなからだで
こおーんなにおっきなことを話すから
ますます君が小さく見えるよ

だけどそんな君のツルや葉っぱがこの星をからめとったときはさすがだなと思ったけどね

あきれたもんだな 
どんどん君が好きになる

青コーナ : 川崎隆章

 シカゴ穀物取引所の相場が明日のカウボーイたちの飯に影響を与えている、ということを考えたことがあるか。そうだ、豆というものはとにかく保存がいいからストックしやすい。従って、本当は値段が安定してしかるべきなのだ。
 しかしどうだ。きょうの豆をあす食っちまうという最近のカウボーイどもの食欲の旺盛さは。いや、実は増えたんだ。カウボーイが。今や全米人口の四人に三人がカウボーイだぞ。
 奴らは決まって「チリビーンズ」を食う。しかも砂でジャリジャリしたヤツだ。なぜ「チリビーンズ」かって?。それがしきたりなのさ。それを食わないと他に選択肢なんかないからな。
 アマゾンの森林を守るためだとはいえ、こんなに大量のカウボーイが必要なのか。最近ではカウボーイを載せた高速バスや飛行機まで走っている。奴らの馬はどうした馬は。
 ついでに言っとこう。最近のカウボーイはみんなインド人だ。ハイテクやケミカルやNYの電話番号案内ばかりじゃない。今やカウボーイまでインド人だ。奴らはマメによく働くからな。
 どうだ、これがグローバリゼーションってもんだ。



2nd Match / ねじれの位置

赤コーナ : 根多加良

 昔、一ヶ月に一回映画館を育てるための特別上映があった。
 方法はフィルムを絞るだけ。映画の内容は問わない。映画の良さはすべてフィルムから出ているのだ。中身は付け合せ程度に過ぎない。現に投射した後のフィルムを確かめれば、全体的に色が淡くなっているのがわかる。感動の出がらしだ。これはこれで味わい深い。
 上映が終わった後、映画館から街中に放たれた観客は人ごみのなかにまぎれようとするのだが、自分たちが変化しているためにどうしても浮き上がる。太陽の日差しで体が透けないように喫茶店に逃げ込んだり、公園のベンチで木陰に脅えながら考える。
 なぜ衝撃を受けたのか。
 答えは位置だ。
 映画は這うように神話、物語、実存の間を動き回る。そのため観客はどこにいるのか知っているが、そこにはいないことを知る。観客が探している自分の位置は薄暗い試写室にある。映画の衝撃を受けて落としていった観客の位置がなめくじへと姿を変えて壁をびっしりと埋め尽くす。
 だが太りすぎた映画館は映画を食いつくし消滅。
 今、跡地には消費者金融がある。

青コーナ : はやみかつとし

 ぼくらは人形のミミとピピで、でも一体のマリオネットの右手と左手に思いつきではめられた指人形だった。ぼくらにそんなつもりはなかったけれど、ジョルジュが操るぼくら二人のやりとりはいつもちぐはぐで、毎度観衆のざわめきを誘っていた。ミミとぼくの糸の長さがひどく違ってることには気づいてたけれど、何故そうなってたのかはよく思い出せない。ミミが来た日のことを憶えてないせいかもしれない。
 ある日、新大陸から来たという好事家にミミはどういう訳かいたく気に入られ、高値で貰われていった。思いがけず大金を手にしたジョルジュはそれから暫くはろくに人形もさわらず、暮し向きがカツカツになってやっと仕事に出たけれどやっぱり散々で、今日もこんなに美しいポプラ並木の黄昏時を魂の抜けたような足取りで家に向かっている。ジョルジュの脇に抱えられたマリオネットのぶらぶらした右腕の先で、ぼくは暮れかかった空の群青色の高みを見上げていた。そのとき、銀色の腹を西日に輝かせた双発機がゆっくりと、まっすぐぼくらの頭上を横切っていった。ああ、ミミはああやって海を渡って行ったんだ、と思ったけど、何故そうなったのかはやっぱりよくわからなかった。



3rd Match / 煙突

赤コーナ : ですこ

廃棄物を焼却する施設の煙突は赤と白の縞模様。発生する熱で隣の市民プールに温水を提供している。目出度い配色と有意義な機能とは裏腹に、毒ミミズのようないかがわしさを醸し出しているのは上空に集っている烏の所為だろう。煙が出るのは朝昼晩の三回、特に〆の夕方は見事な煙が放出されて烏の量もすこぶる多く、山に帰る烏はごく少数。煙を何度も突っ切る奴、ボバリングで目一杯浴びる奴、煙突の中に飛び込む奴も居る。ガンメタどものシン黒ナイズド墨イング。煙を浴びた彼らはきまって急に左折したり、直立不動で落下したり、ダミ声3度でハモったり、8の字を∞に描いたりする。なにやらハイになっている。見渡せば界隈に停まっている車はどれも妖しげだ(フルスモーク!)。むしろ一番怪しいのはこんな所で独り体育座りをしている僕かもしれない。立ち上がる度に砂嵐に包まれてしまう。モザイクの主は頭上に集っている大量の羽虫だった。僕の湯気だって羽虫をハイにさせるのかもしれない。それとも、死臭でも?
ショーが終われば立ったまま居眠りを始める無能の司祭。それぞれの夕煙に向かって散り行く子供たち。僕は白い吐息を思い切りスニッフした。

青コーナ : 松本楽志

 船長は勇気を振り絞って喇叭を取り出した。深呼吸をして高らかに吹きならす。すると、おうおうおう、待ちわびていた小さな船員たちがいっせいに口を開いて、放水をはじめる。恋文が虹を作りながらまっすぐに飛んで行く。ぐんぐんぐんぐん。恋文は寸分の狂いもなく、幾何学模様を作っている煙突に命中。余所余所しかった煉瓦がみるみるうちに頬を染めはじめる。いえいえ、そんな。困ります。煙突は遠回しに断りを入れようと、雲をもくもく吐き出した。雲はいまだ続いている恋文の水流を逆さに辿って、やがて船員たちの回りに立ちこめる。船員たちの足踏みは大いに乱れ、吐き出す恋文はてんでばらばら噴水状態。船長は大慌てで煙の中へ。「ええい、たいきゃくじゃあ、おもかじ、いっぱーい」すっかり煙が晴れれば、船団はもうどこにも居ない。あとには恋の名残の水たまり、乾きはじめた煙突一つ。



4th Match / サイコロとステッキ

赤コーナ : パラサキ

サイコロ ころころ 転がって

止まる サイの目 星6つ

ステッキ カツカツ 音立てて

つかむ つかには 隠し銃

ペテンシ ゆうゆう 騙し賭け

ばれた あいては 撃ち殺す

サイコロ 自前の 詐欺道具

ステッキ 自作の 殺り道具 

ペテンシ お供は この二つ

今日も カジノへ 一儲け

青コーナ : 瀬川潮

 宇宙船地球号の一室に、テーブルと乗組員四人が宙に浮いていた。
 テーブルの上には、麻雀牌が二段重ねで正方形に並んでいる。たった今、じゃらじゃらとかき混ぜ並べ終えたところだ。木刀のように腰にステッキを差している男四人が、あぐらを組んだ姿勢そのままにそれぞれ片手でテーブルを掴んで浮遊している。立ち昇る怪気炎は、意地でも無重力麻雀を楽しむのだという意気込みか、あるいはただの欲望か。
「それじゃ、行くぞ」
 それだけ言って一人がテーブルに向けてサイを投げた。
 ガチッ!
 2のゾロ目。
「じゃ、ここからな」
 サイを振った男が嬉々として手前の牌に手を伸ばした。
「ちょっと待てやぁ。今、回転してなかっただろうが。ちゃんとサイコロ回転させて投げろや! 宇宙じゃ転がねぇんだからよ」
 対面の男はそう言って、抜いたステッキの先で背後の壁を突くなりくるりと身を回転させ、サイを振った男に三角蹴りを食らわせた。衝撃でテーブルが転がり、マグネットでくっついていた牌とサイコロが派手に飛び散りふわあと遊泳する。サイは投げられた。各人、転ばぬ先に杖を抜く。
 窓の外では、星たちが瞬きもせず人々の争いを見つめていた。



5th Match / ごめんね、さよなら

赤コーナ : 嶋戸悠祐

 僕はぴったりと彼女に寄り添い、耳元で囁く。
「今度の日曜日ドライブに行こうよ。お弁当持ってさ。桜も見ごろだよ」
 僕は優しく彼女の髪を撫でてやる。彼女はまんじりともせず、僕に体を預けたままだ。
 彼女の肌は透き通るように美しい。僕は彼女を強く抱きしめて、首筋に軽くキスをする。
両腕を彼女の腰から胸、首筋へとすべらせ、体全体で彼女を感じる。肌を重ね合わせ彼女の奥底まで浸食したいと願う。一つになりたいと心から願う。
 もう一度、彼女を強く抱きしめる。そして彼女の全てを慈しみながら、彼女の背後に回る。僕の目の前には彼女のうなじがあり、僕の手首は彼女の頚動脈を感じている。ゆっくりと交差された両腕に力を込める。力の限り締めあげる。もはや僕と彼女の間には蟻一匹入る隙間もない。
やがて僕と彼女が溶けあい、ようやく一つになるのを確認できると、僕は彼女だったその抜け殻から体を離す。足元に転がるそれを見下ろすと、いたる所に小さな黒い穴が空いている。僕はしゃがみこんで抜け殻に顔を近づける。整った鼻梁の上、目玉が沈み込み、そこにもぽっかりと黒い穴が二つできていた。そこから吸い込まれそうになるほど真っ黒な深淵が広がっている。僕の中にいる彼女が共鳴を始める。僕は手遅れになるのを恐れて、それに向かい、手早く別れの挨拶をしてドアへ向かった。

青コーナ : きき

ポンとける。 タンと返る。
ポンとける。 タンと返る。

空気の甘いバレーボールは、こうやってけって遊ぶしかないのさ。
長いブロック塀は、いつだって受けとめる役。そして返す役。
弟なんかより、よっぽど役に立つ。
弟? そんなもの、僕にいたか?
ああ、昔はいたかもね。

バンとける。 ダンと返る。
バンとける。 今度はボールは返ってこなかった。

地面に落ちる音もしなくて、鳥も木の葉も、黙り込んでしまった。
僕も、黙ったままぼーっと立っていた。

「ごめんね、さよなら。」
しばらくしてから、僕は心の中でそう言った。
なんだか、いろんなものにさよならしているような気分になって、
とても悲しかった。



6th Match / きゅっきゅっ

赤コーナ : マンジュ

 待ってよう。
 幼い妹は姉の背中を必死になって追いかける。呼ばれた姉は妹にひどく腹を立てていたから、けっして歩みを止めないし、振り返ろうともしなかった。厚く積もった雪を踏む、コルク栓の廻るみたいな音だけが二人のあわいに高く漂う。
 おばあちゃんを駅まで迎えに行かなければならないのに、妹ときたら長靴を履きたくないと駄々をこねた。どうしていつもおねえちゃんのおさがりばっかり、こんなボロ、はきたくないよ。唇を噛むと顎に梅干しみたいな皺が寄った。
 結局いちばん上等のよそ行き靴を履いて出たから、きっともう水が染みきって台無しだろう。姉の赤い長靴は、やっと覗いた陽光を受けてぴかぴかとまぶしかった。
 待ってよう。
 今にも泣きだしそうにしゃくりあげる妹の顎には、また梅干しみたいな皺が寄っていることだろう。
 水浸しのよそ行き靴とぴかぴかの赤い長靴の下で、雪だけが、ぴったりと平等にコルクの栓を廻し続ける。
 何度呼ばれても、けっして歩みは止めない。
 だけれどほんの少しだけ、速度を緩めた。

青コーナ : サトウ水色

学年末のクラス全員でやる 恒例の大掃除は、毎年決まって、はかどらない。

男子の悪ふざけが始まり、それを注意する女子が居るのも、まるで決 まり事の様だ。

「あんた達、真面目にやんなさいよ。終わらなくちゃ帰れないんだか ら」

そう言われ、渋々、ゴミ箱の中身を捨てに行く男子達。彼等はこのま まサボるだろう。

私は傍観者の様にただその様を見ていた。

雑巾がけをしながら、教室から遠ざかる声を聞いた。

だって、その中に決まってあいつも居るんだもの。

「生意気だよなー」と注意した女子を横目でチラと見て、こちらに聞 こえる様に言う彼。

そんな彼女を好きな彼。

来年も同じクラスになれる様に、願いを込めて、私は床を磨いた。



7th Match / きみの知らない場所

赤コーナ : 水池亘

 今日も僕(私)たちは一緒に眠る。今日はあそこへ行けるのか。ふくれあがる期待で高鳴るこのどきどきが、彼女(彼)の耳に届いてほしいような、ほしくないような。

 そこがどんな場所か、説明するのはすごく難しい。たとえば、
  うなじからほのかに香るシャンプーのにおいとか、
   (男らしく見せようとして逆に失敗している服装とか、)
  はにかんだときにできるえくぼのかわいらしさとか、
   (おちこんでいる時の影のある肩とか、)
  うれしい時に見せる笑顔の無邪気さとか、
   (映画に感動して流す涙のきらめきとか、)
 そういう場所。

 幸せな気分で目覚めると、同時に彼女(彼)も目を開ける。不意に目が合って、僕(私)たちはくすくすと笑いだす。
 鈍感な彼女(彼)は、自分の中にあんなすばらしい場所が広がっているなんて全然気づいてない。僕(私)にとってきみはそういう“場所”なんだよって、彼女(彼)に伝えたいけれど、彼女(彼)が知ってしまったらもうあそこには行けなくなるんじゃないかって、それがとても怖いから、僕(私)たちはまだ恋人一歩手前です。

青コーナ : 銭屋惣兵衛

 テレビの画面を眺めながら、機械的にポテトチップスを口に運んでいた息子の手が急に止まった。私は心臓を鷲掴みにされたように感じた。
 気配を殺して妻の顔を盗み見ると、目をみひらき息子を凝視する顔がそこにあった。
「ねぇ、僕、ここに行ったことがあるように思うんだけど」
 息子はテレビの画面を指差し、私と妻を交互に見やった。その目は真剣だった。
「気のせいよ。卓ちゃんはあそこに行ったことはないわ」
 あわてて作り笑いで言ったものの妻の顔はあきらかに強張っていた。
 あそこ……。妻もやはり忘れようのない場所なのだ。
「きれいな場所なのにママは嫌いなんだね」
 息子は目を伏せると、手にしたままだったポテトチップスをカリッと噛んだ。そしてそのままの姿勢で、
「ねぇ、パパとママ、本当に別れちゃうの」
 と呟いた。
 妻はテレビのリモコンに伸ばしかけた手を止めた。
 私は息苦しさを覚えながらテレビの画面に目をやった。
 プロポーズをしたときと少しも変わらない風景がそこで揺れていた。



8th Match / A to Z

赤コーナ : 秋山真琴

 アフリカにはバナナをコントロールすることができるドクターがいるらしい。それを聞きつけたエジソンの子孫はフランスからガーゴイルに乗ってホーキンズ邸を訪れた。アイリッシュ製の玄関には、コーンが等間隔に並んでおり、ライトが灯され、とても目立った。土産のモンブランをニックというオットセイにプレゼントし、クイーンのロックをシンプソンズを見ていたトナカイにアンダースロー。なんてバイオレンスな客人だとワープマシンに放り込まれ、エックス線が全身を駆け巡り、気がついたらそこは見渡す限りの雪原。イエティが襲ってくるここは、どこのズーだ?

青コーナ : 秋月懐季

 1匹のガマガエルが本を読んでいた。真っ赤な夕日を頼りに眺めていたのは「たのしいえいご」という絵本だ。昔、田畑に溢れていたようなガマガエルがお受験の子供の如く、アルファベットをまねるように「ゲッゲッ」と短く、時に「ゲーッ」と長く鳴いているのだった。ビルの隙間からの細い光が高い所から鋭く射して僕の目を痛める。狭い路地にカエルと真向かいになってしゃがむと、僕の姿は汚らしい服を着た浮浪者が青のポリバケツからディナーにありつけた姿に見えたに違いない。
 カエルの方はというと喉を絞り上げるように「ゲーゲッ」と鳴いていた。きついピンクで描かれたIの真下に粘っこい油が張りついている。きっと今はIの音をまねようとしているのだろう。だとすれば、後17文字。
「アァ、イッだ。母音が出なけりゃ、話にならないだろ」
「グェ」
 僕がカエルに話しかけると、「ハァ」というようなまぬけな返答が返ってきたようだ。日本的な曖昧さが日本のカエルらしい。するとカエルははじめてのそのそと動き、深緑か紫か何かで縁取られたJの真下にきた。「ゲコゲコ」と普通のカエルらしく何か言うと、僕を1人にして、濃紺のゴミ箱に突っ込んでいった。



9th Match / なないろ

赤コーナ : たなかなつみ

 油絵具でざんざん。ナナがキャンバスに鈍色を塗り込める。針金でこつこつ。ナナが石を穿つ音がする。おれはふつうのサラリーマンなので、ナナのやっていることはよくわからない。「げーじゅつか」とか「あーてぃすと」とか、ナナの肩書きはそんなのだとおれは思いこんでいるのだが、ナナはおれがそう言うと、いつも淋しそうに笑って首を振る。
 これを、ね、飛ばせてやりたいから、それだけ。ナナの左胸の少し上のあたり。黒く彫られた蝶がそこにいる。ときどきナナは涙を流しながら、自分のからだに鈍色を穿つのだ。血をにじませながら自分の身体に絵を描くことで、ナナは自分の息をついでいる。
 おれは台所で野菜を刻む。ことことこと。煮込まれるシチューは、薄く濁ったミルク色をしている。ナナはそれを口には運ぶが、味はしないと言う。
 夜、眠りにつこうとするおれを、ナナは息をこらして見つめる。唇は鑿に、爪は針に、そうしておれの上に絵を描きたいか? けれどもナナは唇を噛みしめて、そこから流れ出る血をぬぐい、おれの唇にこすりつけるだけだ。徐々にくすんだ色になる紅い色に、おれではだめなのかとつい口に出しそうになる。

青コーナ : 夢見

「ねぇ、ねぇ聞いてる?」
僕はその声にはっと我にかえる。
君は拗ねたような、ちょっと怒ったような顔で僕を覗き込む。
「可愛いね、可愛いから見とれてた」
君は一瞬戸惑って、機嫌を直してまた話し出した。
「それでね、由美ったらね・・・」
僕はまた意識が遠のいていく。
なないろに輝く光を辿り、雲に乗り、風を操り、彼女に会いに行く。
心地よい温もりに僕の気持ちは満ち溢れる。
「僕達はずっと一緒だ」
僕は彼女の手を握り、そう呟いた。
手に感じる生温かさにはっと我にかえる。
「私達、ずっと一緒よね」
君が僕の手を握り、そう呟いた。
光が弾け、一瞬、彼女の面影が浮かび上がる。
僕は微笑んで手を握りかえした。



10th Match / 辞書をたべる

赤コーナ : タカスギシンタロ

 ふたりはナイフとフォークを握っている。でも使わない。ナイフとフォークを立てたまま、むしゃむしゃたべる。前菜はシックな英字新聞。サラダはカラフルなファッション誌。メインディッシュは切ればインクがしたたるような分厚い辞書。
「ゾーホカイテーバンダネ」
「ダイサンパンダワ」
 ふたりはナイフとフォークを握っている。でも使わない。
 満腹になったふたりはウインドウショッピングを楽しむ。ショーウインドウには、きらきら光るガラスペンが飾られていた。女が男にガラスペンをプレゼントしたいと思ったそのとき、男がひと震えして、ポロポロと落とし物をした。ふたりは地面に転がる黒い粒々を振り返った。
「カンジダネ」
「カタカナダワ」
 ふたりは粒々文字の意味をじっと考えた。さっきの辞書に載っていたような気がしてならなかった。
「ホトンドニンゲンダネ」
「ホトンドニンゲンダワ」
 ふたりはキスをしてウインドウに向き直った。女は、男が文字を書くところを思い描いてうっとりする。しかし想像の中で、男は文字を書くそばから紙をたべてしまうのであった。

青コーナ : nicht

 デスクの上には、見慣れた筆遣いで書かれた封筒が置かれていた。それを裏返さずとも男には差出人が誰かは既にわかっている。くるり。やはり彼女のものだった。

 頭を上げると絶妙なタイミングで椅子の引かれ軋む音が響き、部署中の緊張を助長した。ヒールの音が他の社員の心臓の鼓動をも見透かすように、その速度を掻き乱している。

 愛人関係という噂が社内中に広まりその結果、女性の志願退職。

 部署内の誰もが以前から2人の関係を知っており、その破局の一部始終を見届けられる幸運と興奮とで、朝から仕事どころではなかった。

 そしてヒールの音が止み部署内の張り詰めた空気の中、幾重もの視線を受けた男と女がそれでも荘厳に対峙していた。



「で、お客さん。それからどうなったんですかい、その2人は?」

「それから? ……何もことは起きなかったさ。その子は無事に退職して、いつもと同じ仕事が始まったよ。……じゃ、親父さん。そろそろ帰るわ。お勘定ね」

 店主の残念そうな顔に笑って応え、今川は財布から千円札を数枚抜き出した。そしてその紙幣に目が止まる。それから課長の変貌した醜態を思い出し、ふと呟いた。

「俺もあんな山羊のいる会社、早々に辞めちまおうかな……」



11th Match / 風船ジャック

赤コーナ : sleepdog

 噂には聞いていたが、彼女が赴任したクラスは死に絶えた森のように静かだった。子供たちは誰一人しゃべらない。頭の大きさほどの風船をめいめいが胸に抱え、それをこすり合わせて会話するのだ。きゅ、きゅん、きゃわっ、きゃお……。夜半のイルカの嘆きを見ているような光景だった。
 彼女もまた自分用の風船をふくらまし、子供たちに挨拶して回った。風船の触れあいは言葉よりも直接的で生々しい。ゴム膜に閉じ込められた吐息の温度が、互いの風船を伝って響き、音になる、声になる――きゅあ。ぎゅえ。ずっぬ。ゴムの摩擦が冷たい火打ちの嗚咽にように身を焦がす。数人が寄り集まると気も揺らぐほど。
 いくら日が経っても馴れなかった。風船を持つからこの状態が続くのではないか。一度取り上げてみたらどうか……迂闊にも子供と風船で接していた最中にそう感じてしまった。子供たちの気配が一変する。石の森に棲む凶眼が一斉に取り囲み、真っ先に彼女から風船を奪った。音の基底が弾け飛ぶ。手にすがるものが何もない――痺れが走り内腑が逆行する。頭の大きさまでゴムがふくらんだ。
 きゅうぃ。
 イスが引かれ、また一つ子供の席が埋まる。手には風船、空っぽの教壇。

青コーナ : 不狼児

 僕の手首にロープを結わいつけてジャックは言った。
「あばよ」
 たちまち体は地面を離れ、空中高くうきあがる。
 ジャックは一流の殺し屋だ。
 証拠なんか残さない。死体は成層圏へ消えてしまう。
 だが、じっさいはどうも海の中に落ちるらしい。偏西風にながされた風船ジャックの風船は今、ゆっくりと落ちはじめる。
 僕は雲間から、はるか下方に海を見つけた。
 夜明けだ。海が光ってかすかに踊る。気が急くので僕は風船にぶら下がったまま逆上がり。きりもみしながら落ちてゆく。
 パパ、ママ、さようなら。
 アディオス、弟よ。君はまだお腹の中だけど。
 だいじょうぶ。悪夢の中で雇った殺し屋が年老いた兄を始末したなんて誰も思いつきやしない。
 凍えた体が息絶えるまえに、僕は海にとびこめるだろうか?



12th Match / なりそこないの鳥

赤コーナ : 空虹桜

 あの日、ヤツは墜ちていった。目の前で。この海に。
 最近柔らかくなってきた全身の鱗が、向かい風を捉える。
 もしヤツより遠くまで飛べたなら、オレはヤツを助けられたかもしれない。
 だから今、オレは飛ぶんだ。遠く。長く。強く。
 両足で踏み切る。すっかり色の変わった空へ踏み切る。
 風にだけ集中して、あの頃のヤツより広く薄くなった腕をオレは振る。
 徐々に海が近づいてくるけど、とにかく風にだけ集中して振る。飛び続けるために振る。振る。振る。
 クソッ! ヤツが墜ちて帰らない今、飛べるのはオレしかいないってのに。
 だいぶ細く軽くなった足に、波が触れた。
 オレは飛ぶんだ。絶対オレが飛ぶんだ!

青コーナ : 天音

彼の背中には金色の羽根が見える。僕はしがないマネージャー。スターになる子には何故か羽根が見えるのだ。かけだしのタレントはペンギンといわれる。まだ飛び立っていないから。僕の担当はペンギン。でも、僕には見える。小さいけれど彼の羽根が。きっと彼は世界を掴むよ。僕がついている。歌を忘れたカナリアではなく、まだ雛であるだけ。いつか羽ばたく大きな金色の羽根が見えるようだ。僕は叶えられなかったけど、君はすべてを掴むために生まれてきた。



13th Match / 春に降る雪なら桜の枝に

赤コーナ : よもぎ

なみだ?
ぽつんと触れた冷たさが消えないうちに、ぼくはそっと目をあけました。ひら、と白い花びらが部屋の中を舞っていました。手を伸ばすとそれははかなく溶けました。ぼくはベッドを抜け出して花の行方を追いました。花びらはほのかに光って流れてくるようでした。暗い廊下の果てにひとすじの灯りが漏れていました。ぼくはドアをあけました。白い部屋の真ん中にグランドピアノがありました。
(おじいちゃん?)
ぼくのおじいちゃんが白衣を着て音もなくピアノを弾いていました。おじいちゃんはぼくに気がつくと少し驚いてすぐに照れたように笑いました。
(おや、聴こえてしまいましたか)
(ううん。でも花びらが・・・)
(そうですか)
おじいちゃんは優しくて真剣な目で鍵盤を叩いていました。まるで患者さんを診る時のようでした。そして澄んだ音のかわりに淡い花びらがおじいちゃんのピアノから舞いあがり、部屋いっぱいに広がっていくのでした。
(おじいちゃん、ぼく明日1年生になるんだ)
(知っていますよ。おめでとう)
おじいちゃんは微笑んでいっそうなめらかにピアノを弾きました。ピアノからあふれでる無限の花ふぶきは風に乗って宙を舞い、あたりを白く染めていきました。

青コーナ : 赤井都

 天使の卒業式。
 羽に、一対の風切を加えてもらう。
 そして地上で胎内に宿る。
 羽は子宮で溶け、風切が黒目と白目の境に残る。
 かい。りょう。赤ん坊は大人になり、風切に導かれて旅し、出会い、愛し合う。

 るしふぇる。みかえる。羽が溶けずに産まれた天使は、想像を交えて語り継がれる。

 せるる。羽と共に風切も溶けてしまうと、永遠に黒と白が混じり合う中に取り残され、どこにも産まれない。早春をただひたすらに横たわっている、病んだりょうが夢で見る。真剣にかいに話しても、そっと頬を撫でられるだけ。
「生まれる前の、そうして死ぬ前の所で、見たよ。世界がない所で、生まれも死にもしないものが、溶けかけた羽のふとんにくるまって、うとうとしているの」
「わかった、わかった」
「その子、せるる、って言うんだよ」
「そう」
「夜に降る雪みたいな子。わたしは、死んで、その子すらいない所に行くんだ」
「何を言うの。いっしょに桜を見ようって、約束したよね。そんなこと。だめ、言ってはだめ」
 夜に雪が降る。病人の寝床は冷たくなる。かいは春の明け方の明るさに目覚めて、傍らで眠り続ける体が、明け方と同じ温度になっているのを知る。窓の外では桜の蕾に、雲の訪れに似た雪が、満開に積もっている。



14th Match / 黒く塗れ

赤コーナ :

明かりの漏れる木戸から路地を出ると、そこは両側黒塗りの板塀が続く道だった。変なとこ入り込んじゃったな、と見回すと、少し先に人影がある。
すいません大通りは、と声を掛けたら、振り返ったその人は痩せたお年寄りで、
すまんが手を貸してくれんかな、と言う。ここ塗らなならんのだが、手が届かんで。
笑顔だが口元が苦しげだ。見れば腕が真っ直ぐ伸びず、手も震えている。
袖口を捲りどこですかと訊くと、その上、と刷毛を渡された。なるほどご老体の手の高さまでが濡れた新しい黒で、上は褪せてまだらになっている。
塀は腕を一杯に伸ばして天辺に届く高さだ。色を延ばすよう刷毛を動かした。軽く塗り付けたら刷毛目が擦れた。これはまずい。真下に移り重ね塗りした。
おおいいな、艶が増す。ご老体が嬉しそうに塗料の桶を差し出した。僕も嬉しくなって、これまでの所も塗り重ねた。なるほど黒が深まる。板目を映し微かな凹凸が浮かぶ。塗りたての黒が広がると光沢が連なって美しい。
あんた上手いねえ、儂のよりいいくらいだ。ご老体が笑い出し、僕も釣られて笑った。もっと。もっと重ねて。もっと広く。
邪魔になった上着を脱ぎ、なお塗る。板塀だけに見えたが、所々に同じ板の木戸もある。
木戸?
振り返ると、今塗った黒塀が続いていた。
どこから入って来たっけ。
まあいいや。塗る塀はまだまだあるんだから。

青コーナ : あきよ

 僕はリンゴを投げ捨てた。
 奴はそのリンゴを拾い、一口かじる。
 負けじと僕は、青空を風船にくくりつけて飛ばす。
 ニヤリと笑った奴は、大きくジャンプしてその風船を掴み取る。
 このままではまずいと思い、僕は大量の葉っぱを撒き散らす作戦にでた。
 けれど、奴のところに届くまでの間に、葉っぱから茎が伸び、タンポポの花が咲いてしまう。
 奴はそのうちの一輪を拾って胸に挿し、勝ち誇った顔で僕を見る。
「今日のところは引き分けだ」
 真っ黒になった僕はそう言った。
「そのようだな。次は、白で勝負だ」
 同じく真っ黒になった奴は、そう言って風船を放した。
 だんだんオレンジ色になっていく奴の背中を見ながら、次こそは、と僕は闘志を燃やすのだった。



15th Match / 雲をつくる

赤コーナ :

窓からこんにちは。窓際に寄せてわたあめみたいな雲を停める。
「へえ これがきんとうんってやつか」窓からのりだして、雲をぽふぽふ叩く友人。
僕はちょっと得意気に「昨日やっと完成して、乗れるとこまでこぎつけたんだ」なんて自慢する。

「いいないいな、ちょっと乗せておくれよ」友人の姿が窓をまたいで外に消える。

「あ、待って待って、その雲人見知り激しいんだ……おーい、大丈夫かー!」
階下に響く、尻もちの音。

青コーナ : 青島さかな

 雲作りの少女が触れる白色は何でも雲になってしまう。だから雲作りはできるだけ肌を出さないで、夏だというのに長袖なのはもちろんのこと、フードも被って赤い手袋までしている。
 雲作りが森林公園に置かれたベンチを横切ると、そこにはアイスクリームを食べているナイフ投げの少年がひとり。暑さゆえかついつい雲作りは彼の右手に引き寄せられてしまう。それを見た少年は笑って言う。「一口たべる?」
 差し出されたアイスクリームに雲作りがくちづけると、アイスクリームはコーンから離れ、ぷかりと浮かび始めてしまう。ゆっくりとゆっくりと空に昇って、やがて立派な雲になった。
 しばらく少年はさっきまでアイスだった雲に見惚れていたけれど、困った顔をしている雲作りに気がついて笑いかける。それから少年は立ち上がってアイスクリームの代わりにキスをした。バニラアイスの味を知らない雲作りの少女は、ヒトの唇は赤くて良かったと思っている。



16th Match / タイムマシン

赤コーナ : あやま

 私の大好きな人は、タイムマシンの研究をしていた。
 
 ある日、彼は小さなメモを残してどこかに消えた。メモには『 ちょっと出かけてくる』と少し崩れた小さな字で走り書きがされていた。まるでコンビへ行く様に彼は過去か未来に行ってしまったのだ。小さなメモだけを私に残して。私は握りつぶしたメモをポケットに入れて、それが置いてあったテーブルを思い切り蹴った。軽いテーブルは簡単に引っ繰り返った。心よりも足が痛かった事が、少し泣けた。

 彼がいなくなっても時間は何事も無く流れて行った。時々、彼の家に行き、引っ繰り返ったままのテーブルを見るたびに寂しさが増した。
 
 ある日、テーブルの横に見覚えの無い小さなおもちゃを見つけた。それは、いつか彼が見せてくれたタイムマシンの形にそっくりだった。しばらくいじっていると蓋が開いて、中から小さなメモ用紙が出てきた。そこには『未来にいる。もう戻る事は出来ないだろう。未来で会おう』と彼独特の崩れた字で書いてあった。

 私は知っている。連れて行ってくれないのは私と彼の歳の差を縮める為。私は今、彼の傍にいる事が出来ればそれだけで良いのに。彼は今の私よりも、未来の私を選らんだ。未来で彼に会ったら、テーブルと同じ目にあわせてやろうと心に決めた。

青コーナ : 神谷徹

 実家の押入れを整理していたら、数枚のジャズレコードと共に古いレコードプレイヤーが出てきた。こんなアナログな機械で音楽を聴いていたのは、もうずいぶん昔のことになる。僕は懐かしさに駆られて電源スイッチを入れてみた。カチッ。オレンジ色のランプが律儀に点灯したところを見ると、どうやらまだ動くらしい。
 僕はチェット・ベイカーの「Time After Time」を選んで、ターンテーブルにセットした。円盤の繊細な溝に合わせて針を落とす。再生。するとレコードはギュィっと鈍い音を立て、不器用ながらもシュルシュルと廻りはじめた。シュルシュルシュルルルル……
 だが回転したのはレコードだけではなかった。部屋の壁も、床も、天井も、僕を取り囲むすべての世界が回転している。いやあるいは僕自身が回転しているのかもしれない。視界がめまぐるしく移り変わる。空間がうねりながら迫ってくる。一体、何が起きたというのだろう? 僕の混乱をあざ笑うかのように、回転は次第に加速度を増してゆく。
 ――次の瞬間、強烈な引力が僕を襲った。



17th Match / 花の音

赤コーナ : 峯岸

 蓮の花から爆音がするなんて迷信だよ。蓮の音はね、空間を満たすだけさ。色でいうと薄い青だね。人によってはむず痒かったり息苦しくなったりしてしまう。でもお前ならその音で宙に浮く事が出来るだろうよ。遠くに行っても怪我はしない。ただゆっくり落ちるだけさ。
 テッポウユリには気を付けなね。尖った音に撃たれるとしばらく口がきけなくなる。元に戻るまでが大変だけど悪い事だけじゃない。音楽が好きなら試してご覧。戻るまでは時間がゆっくり大きく感じられるんだ。休符も音符。そんなもんだよ。
 キンポウゲは小さなきらきらした音で色々な事に気付かせてくれる。お前は誰も愛さないし誰からも愛されない。今より賢くもなれない。そういうのに気付く。痛みを通す茎がお前さ。気付く度にゆっくり歳を喰うよ。鈍感なのはそのままだけどね。
 高くに咲いているバナナの花を見上げれば丸い静寂が降って来るよ。言葉はすべて静寂の一つひとつに溶けてしまうから、そこで初めてお前は自分の言葉で喋る事が出来る。言葉を吸った静寂は袋に封して取っておきな。空気は抜くと良い。他人には聞けないしお前ももう聞かないかも知れないけど捨てちゃいけないよ。それは種になる。ゆっくり、ゆっくり芽が出るのを待つんだ。

青コーナ : 黒衣

 終電で帰って軽い食事を終えたら熱があった。水枕も床も自分で用意しなければならない。明日のノルマ、電話口の厭味。そんなことも考える。だけれどすぐに面倒になった。
 ざんざさ、ざざざ、と何かが雨戸を叩くのを床の中で聞く。夢と熱とを味わいながら、雨なのだと思う。豆球の薄赤さの下で、自分の息とざんざさの音と、頭を受ける水枕の感じだけが残存する。
 いや、あれは違う。遊歩道の桜か。うちの窓先まで伸びている枝が当たるんだな。あれでは明日はもう全て葉桜……うん。花が残っていたら、自分も今の仕事場にもう少し残ろうか。そんなことをぼんやり考えながら、じっとその響きを聞いていた気がする。
 一新されたような光が雨戸の隙間から漏れ入る。起き上がっても平衡感覚はいつもどおりだった。
 雨戸を開けると花びらが1枚、部屋に滑ってくる。ふっと鼻で笑ってしまうと、少しばかり浮ついた気持ちで受話器に向かった。