500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

冷気 作者:美土里

戸を閉める際に、ほんの僅かだけ隙間を開けておくのが母の流儀だった。気付いた私が寝室の扉を閉めると、居間の出入り口が開いている。居間を閉めると今度は客室の襖が開いている。その執念はまるで何かの信仰のようだ。一度だけ理由を尋ねてみたことがあるが、「お客さんが来られるように」という迷信だか寝言だかよく分からないことをもぞもぞ呟いてそれきりだった。
失踪した日も玄関は本当に少しだけ、細く開いていた。その晩は雪がちらついていたから入り込む外気がことのほか身に沁みたのだ。そうでなければ分からないくらいの隙間を残して母は消えた。もう昔のこと。
祖母の顔を知らない幼い娘は、この頃なぜか同じように家中の戸を少しずつ開けて回る。暗い部屋をじっと見つめる口のきけない娘に問う。お客さんは誰なのか、そろそろ教えてくれないかい。



夜夜中 作者:雪雪

地表面のもっとも太陽に近い一点を昼日中点と言い、その真裏、太陽から最も遠い一点を夜夜中点と称ぶ。夜夜中は自転の速さで地表を走る。その軌道を黒道と称ぶが、これは陰転して陽背半球を通るときの呼称であり、陽転して陽面半球に入れば白道と称び名は替わる。黒白道と赤道は年二回交わり、これを春分・秋分と称ぶ。
視程の及ぶ限り灯火の無い広野をえらび、黒道上に立って夜の更けるを待つがよい。
あなたは、地表の一点から天頂を差してまっすぐに伸び、高空で星光に触れて薄れる直線が、夜の闇を切り裂いて迫るを見る。振り下ろされる刀身を正面から見るように。それは夜闇の中でなおしるく、眼線が沁みるほどに漆黒なる刃。
怖じることなく踏みとどまれば、夜の中の夜が、あなたの眼と眼のあいだを通る。その刹那、磨きぬかれた夜は、光以外のすべてを映してみせるだろう。それはあたかも、線状の鏡のように。



化石村 作者:ツチ

 言っておくけど、最初から化石村だったんじゃないよ。
 あの悪い魔女に、責任感ってものがなかった、そういうことさ。
「そりゃ、責任感のある悪い魔女ってのはなあ」
 アレンはそう言ってくすくす笑った。
 魔女に放置された僕の村には、結局勇者は現れなかった。僕たちは本当に長い間、ただの石になったままで、気分はほとんど化石だった。
 いいね、化石。ちょっとレア。モダン。セクシー。
 そんなわけで今日は、隣の案山子村との婚礼だ。村中が花であふれている。
 花嫁は藁を束ねた顔にお化粧をして、恥ずかしそうに笑っていた。うん、藁人形にはとても見えないよ、お姉さん。
「いいね、花嫁さん。お化粧が無駄でね」
「アレンだってあばただらけじゃないか」
 アレンは笑った。
「そりゃ、化石だもの。風化は避けられないよ」
 結局のところ、石だって永遠ではないのだ。でもハートはハートのままだから、それでちっとも構わない。
 アレンはやっぱり、楽しそうに笑った。
 春の化石村はあたたかくて、草と土のにおいがする。



グッドニュース、バッドニュース 作者:まつじ

 ピンポン誰かがチャイムを鳴らすので玄関に出ると人の姿が見えない代わりに赤い紙白い紙。
 素性は知らんがコイツァめでてえ紅白だと開けば何も書かれていないナアーンダ、と思うや白い方がニュースニュースと文字を点滅させるので驚いた。
「先月応募した懸賞が当たりました」
 と浮かんだ文はたちまち
「宅配便で運ばれて来ました」
 宅配便現れ
「届いた」
 感心する間もなく赤い紙がニュースニュースと騒ぐ。
「ズボンの裾がほつれました」
 ああ本当だ、と足をあげると「猫がほつれに飛びつきました」を読んだか読まないか「噛まれた引っ掻かれた」痛い目に遭いめでたいどころか気味が悪いのでゴミに捨てるがいつの間にか手のひらの中
「帰ってきました」
 ごめんこうむりたい。
 それから二つの紙は順序よくニュースニュースニュースニュース。「糠漬けがいい具合」「白髪が増えた」「茶柱立った」「家屋倒壊」「お宝発見」「戦争勃発」「電撃結婚」素早く報せるのだがほとんど事が済んだ後に言われても「赤い紙消滅」「嘘でした」いろいろ腹が立つ、しまいに彼らもネタ尽きたか「死亡」「復活」「落命」に「奇跡の生還」「通り魔殺人」
 死んだり生き返ったりさせられて困る。



緑の傘 作者:不狼児

 もう何日も雨など降っていないのに、玄関に濡れた傘が置いてある。傘の色をあいまいに映した小さな水たまりもできている。「誰か傘を使ったの?」なんて、家族には訊けない。訊いたら、誰かが姿を消している気がする。



富士山 作者:わんでるんぐ

 一見なだらかな山容に、何万人の素人が騙されただろうか。
 日本最高峰の正体が見えたのは、八合目辺りだった。酷使した足は石になり、携帯酸素を使っても呼吸が苦しい。それにこの寒さだ。さっさと五合目の愛車に引き返したかったが、小学生がヘッドランプを揺らし身軽に登って行くのを見ると、無性に悔しくなった。残り僅かじゃないか。
 御来光を目指す人の列が、重い足取りで礫を踏み鳴らし目の前を通り過ぎる。交錯する光の中に埃が舞って、山は今でも噴煙を上げているようだ。
「お疲れですね」
「はぁ、甘く考えていました」
 背後からの呼びかけに振り向いたものの、電池のへたりかけたライトでは声の主は捉えられなかった。
「これをどうぞ」
 闇からぐいと突き出されたのは、煤けた小さな壷だった。何をくべたのか、柔らかい香りの煙が薄く立ち上っている。一嗅ぎすると、体がふっと軽くなった。
「香とは、また古風な」
「いえ、これは不死の薬のなれの果てでして」
 笑いを含んだ声が答える。
「流石は天の妙薬、千年焼いてもこの有様で。業落しに、こうして人助けに使っているのです」
 言うが早いか、気配は風と消えた。下りもお願いします。そう頼む間もなかった。



眼球 作者:タカスギシンタロ

 わたしは日がな一日縁側に座り、ぼんやり庭を眺めている。わたしの目の中には小さなエビが棲んでいる。エビは藻を食べて生きている。エビの排泄物はバクテリアが分解する。その栄養分と光で、藻は育つ。
 だからわたしは日がな一日縁側に座り、目の中に光を取り入れる。そして夜な夜な、青白い発光バクテリアに照らされた小エビの影を、女主人の白い肌に映すのだ。



プラスティックロマンス 作者:sleepdog

 万緑が生い茂る山間をくぐり抜け、ぼくたちの旅はすいすいと駆けめぐる。少しひなびた車窓から草木をなでた風がさわさわ流れこむ。祖母はひざの上に太陽のかけらみたいに鮮やかなミカンを置いて、ぼくたちにほっこりとした笑顔を向ける。けれど、ぼくたちはミカンに手を伸ばさない。なぜならぼくらはまだ駅を出たばかりだからだ。
 峠の茶屋では娘が忙しそうにはたらき、そのふもとの門前町でそば屋が客を呼んでいる。木造の立派な駅舎の前を通り過ぎ、どんちゃん騒ぎの屋形船を谷川の底に見おろして、山肌に異人が建てた白ぬりの教会を見つけ、まだまだ走る。汽車は煙をずっと吐かない。そして、二周目に入る。ぼくたちは脱ぎ散らかした靴もそのままに、車窓にしがみつき、やっぱりミカンに手を伸ばさない。なぜならぼくらは永遠の旅行者だからだ。



☆ 作者:春名トモコ

 真夜中。
 交差点のマンホールの穴から、小さな羽虫のような光がふわふわ出てきて、空へのぼっていた。
 狙いをさだめパチンと手を叩く。

 てのひらに残った光の跡が、何年経っても消えない。