500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

仮面 作者:砂場

 一匹、二匹と羊は柵を越え、人は寝返る。
 隙間から、正月の若い女のような襟巻きをして着飾った雨が降る。
 夏は冬の振りをしている。冬は夏の振り。0時は0時の、1時は11時の、3時は9時の振りをしている。
 コットン。翌朝、郵便受けの振りをした牛乳ポストに、四角四面の書類を装ったラブレターが届く。配達人を装った山羊の振りをした羊。なら山羊はサンタクロース。世界でたった一頭の装った山羊がトナカイたちを指揮する。むろん彼らは本当はトナカイではないけれど。リン、リン。
 さざ波のように、風を装った色を隠して駆ける歌になびく葉っぱ、葉っぱ。さようならを装ったこんにちはと揺れて枯れてゆく土色に積もり深い池の振りをする。水中から舞い上がる蝶々。
 アムールヒョウを装ったペルシャヒョウ。

 どうも苦しい重さを感じる体が思うように動かないと思い目を開けると、何も見えない。私の頭の振りをした枕が顔の上にあるから。枕を退かすともちろん私の上には掛け布団の振りをした敷布団が乗っている。さあもう一眠り。「メェェ」
 白髭がやってくる。
 見ては駄目、秘密だから。
 薄目なら可、多分そのくらいなら。
 子どもの振りをした私に、
「欲しいものはなあに」
 振りをしたそれが枕元に、
 私の振りをしたあなたの枕元にやってくる、振りをする、振りをして。



赤裸々 作者:葉原あきよ

 深夜に目が覚めて水を飲んでいるとお父さんが起きてきました。
「お前に妹を作ってやろう。お前も手伝うんだ」
 今までに見たこともない怖い顔でお父さんは台所に入ってきます。びっくりして動けないあたしをお父さんは床に座らせて、その前に大きな白い布を敷きました。
 それからお父さんは、小麦粉と牛乳を順番に大きなボウルに入れ、手で練っていきます。あたしは座ってただ見ていました。大きな手が粉と牛乳でベタベタになりました。力強く混ぜていくうちに、生地がまとまってどんどんなめらかになっていきます。お父さんの額から汗が流れ、生地に一滴混ざりました。お父さんが力を込めるたびに生地は白く輝いていきます。
「お前は顔を作りなさい」
 お父さんはあたしにリンゴくらいの大きさの生地をくれました。お父さんは残りの生地から体を作るようです。白い布の上に載せた塊をお父さんのごつごつした指がなぞり、妹の形ができていきます。
 いつも笑顔のお父さんが今夜は一度も笑いません。とても真剣な目で妹を作っています。
 あたしを作ったときのお父さんはどんな顔をしていたんだろう。
 そう考えながら作ったからでしょうか、妹の顔は父親似です。



捩レ飴細工 作者:脳内亭

 さァさお立会。宜しいか、細工の細から糸を切り、工をカナにして頭に乗せて火にくべたらばさて“魚”となる。ではこの水飴が何に化けるかをとくと御覧。宜しいか、飴は切られて水となり、火にくべたらばさて湯となる。手を挿してみりゃ加減は上々、毛穴もひらくがひらくは毛穴ばかりでないよそこのお姐さん、貴女にも挿してひらかせたいねオヤ失礼。さてさて注目、ではこの湯をおっかなひらいてみればさァどうだ、湯はさァ“ゆ”とあいなりまして紙の上ひゅッとおよぎます。どうぞおひとつ。



愛玩動物 作者:ハカウチマリ

 蚊の睫毛に棲んでいる焦螟というちっぽけな鳥は、自分の涙の中に白鯨を飼っている。焦螟はどんなに悲しくてもつらくても決して涙を落とさない。



何の音だ 作者:井上斑猫

 雨音に混じってびたびたぼとぼとと屋根に何かが当たるような物音が聞こえてきた。二階の窓から顔を出してみると、雨蛙が屋根一面をうめる程貼り付いていた。
「お騒がせして申し訳ありません。次の演奏会場に向かうところだったのですが、雲読みが代替わりしたばかりでして、誤って薄い雲に乗ってしまいました」
 ころころとした声で一匹が、三つ指ついて挨拶をした。
「すぐに立ち去りますゆえ」
 声を揃えて歌われた「雲呼びの歌」は確かに見事だった。

 夕風を入れようと窓を開けている途中、ばしゃんがしゃんと屋根に何かが派手にぶつかったような物音が聞こえた。今度はなんだと二階に駆け上がると、風見鶏が十個ほど屋根の上に立っていた。
「申し訳無い。風見鶏決起集会に向かう途中だったのだが、風邪をひいている者がいて風乗りが途切れてしまった。失礼、すぐ去る」
 金属の喉から発せられた「風の歌」は屋根全体を共鳴させた。近所迷惑だと隣りのおばさんから怒鳴られた。

 夕立が激しく屋根を叩く中、どばーんと物凄い音がした。衝撃でコーヒーがこぼれた。
 それからずっとごろごろどろどろと太鼓のような音が屋根の上からしているのだが、見に行く勇気を持てずにいる。



間に合わない 作者:瀬川潮♭

ひょいとつまんでごまだれに浸して、ぱくり。浸しすぎると牡蠣の水炊きを食べてるのかごまだれを食べているのか分からなくなるのでほどほどで。ひょい、ぱく。ひょい、ぱく。ひょい、ぱく。
隣りに座る息子は、最初こそ「牡蠣だ牡蠣だ。ぷにょぷにょの牡蠣だ」と喜んでいたくせに、今では眉をひそめ危険物でも扱うように箸の先でつまみ上げてはごまだれで遊び、顔をしかめてべちゃべちゃ食べている。息子の対面の娘は、米国留学帰りらしく「オゥ、フェダップネ」といわんばかりのたたずまいで箸はまったく進まず。妻はドロップアウト。コタツにうつぶせになっている。
だもので、自然と鍋の中で凄いスピードで無限増殖している牡蠣のむき身は私の対面の妻の方にあふれているわけで、妻、ぷにょぷにょの牡蠣まみれ。それはともかく反動推進で進み続ける一家団欒のコタツはすでに自宅を出て公道を爆走しているわけだが私は一家の大黒柱として家族を守らねばならぬ。背を向けているので前は見えないが赤信号を無視しきききどかんと周りで事故が起きていようが断じて負けるわけにはいかんのだ! このぷにょぷにょには! ひょいぱくひょいぱくひょいぱく……。



這い回る蝶々 作者:オギ

 舞い降りた蝶に、彼女は首をすくめ、朗らかな笑い声をあげた。
「昔から蝶に好かれるんです」
 甘い香りでもするのだろうか。白い首筋にとどまる蝶は美しかったが、まるでそこに口づけているようにも見え、ばからしいことに、私はかすかな嫉妬を覚えた。
 視線にそれが表れたのだろう。彼女は目を伏せ、手でそっと蝶を追い払った。
 
 義母が不調で、と告げれば、近所の人々は、彼女の不在を怪しみもしない。
 今日は隣のご主人が、退屈しのぎにと碁盤をもって現れ、二人して縁側に陣取った。
 いい天気だった。砂を入れ替えたばかりの庭は白く輝き、どこからか花の香りが漂ってくる。
 半刻ほど打っただろうか、不意に視界の隅を、ひらりと何かが横切った。
「おや」
 隣のご主人は手を止め、庭に目をやる。一匹、また一匹。
「すごいな、何事だろう」
 次々と砂地に舞い降りた蝶たちは、ゆらゆらと這い回り、やがて庭の片隅へと移動しはじめた。
 まるで彼女を引きずった痕跡を辿るかのように。
 
 手の平に降りてきた蝶をそっと握りこむ。はしゃいでいる隣のご主人も、じき何かに気付くだろう。
 妻は砂の下、今も甘い香りを放っているのだ。



チョコ痕 作者:五十嵐彪太

 日が落ちた町に細長くチョコ痕が続く。ビルの壁、街路樹の幹、ガードレール。人の目には茶色い汚れの筋にしか見えないそこを辿るのは、なめくじである。
 なめくじはチョコレートの香りに導かれ、一分の狂いなくチョコ痕を辿る。ほんのわずかこびりついたチョコ痕をきれいに舐め取り、引き換えに彼の粘液を残す。チョコレートを舐め取った後の粘液は、チョコレートと彼の体臭が混ざり合い、妙なる香りを発する。
それを嗅ぎつけた野良犬たちが、切なく吠える。
 歩道橋の手すり、横断歩道、チョコ痕は続く。なめくじが歩む。野良犬の遠吠えもしばらく続きそうだ。



日の出食堂 作者:空虹桜

「いただきます」
 油が跳ねたかと思うと、包丁が小ぎみよくリズムを刻む。
「あのさ、おばちゃん」
「なに? 勝手に喋ってて。聞こえてるから」
 おばちゃん一人で切り盛りするには繁盛しすぎなほどで、炊飯器から水蒸気が吹き出し、什器が擦れ、蛇口がキュッと締まり、客が一人、お代を置いて出て行く。
「俺さ、今日でここ来れるの最後なんだわ」
「ツケ払っててよ」
「チンジャオロース旨かったなぁ」
「しんみり言わないの」
「産まれたくねぇなぁ」
「なんのために死んだのさ」
「そうだけど・・・またしばらくおばちゃんの飯食えなくなるんだぜ」
「どうせまたいつか帰ってくるんだから」
「そしたら俺は俺じゃないし」
「アンタがアンタだってことぐらいわかるわよ」
「そっか・・・よろしくね。ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。ちゃんと産まれなよ」
 おばちゃんの料理が恋しいから、人は泣いて産まれるのだ。