500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

黒い羊 作者:sleepdog

 薄曇りの昼さがり、レストランを出ると、黒い羊が直立で歩いているのを見た。折り目正しく黒いジャケットを着て、黒いカバンをさげ、とことことやって来る。近くで見ると確かに生の羊だったので、私は思わず後をつけた。
 羊は人で賑わうオープンカフェに立ち寄ると、コーヒーを注文し、カバンから真っ黒い紙を取りだして読みはじめた。新聞紙のような大きさだ。遠目では何が書いてあるかさっぱり分からない。そのうちスッと前足を上げて、誰かに合図した。ラフな格好をした直立歩行の黒ひょうが現れ、仲睦まじく談笑した後、ひょうに会計を払わせていた。
 続いて羊は自転車店に入り、黒い自転車を買い、それに乗って軽快に走り出した。私はそこで追うのを諦めたのだが、翌朝、郵便受けには真っ黒い新聞が届いていた。手にして見てもやはりただの黒い紙だ。これが新聞だと思ったのは新聞の折り方であるからに過ぎない。早起きなレストランの店主によると、黒い羊が黒い自転車でこれを配達していたらしい。
 それから一週間後、テレビの画面が何をしても真っ黒になった。町の事情通であるレストランの店主によると、黒い羊が黒いハシゴで電波塔に登っていったということだ。



たまねぎ 作者:たなかなつみ

 今日うちのクラスに転校生が来たの。どこかの国のお姫さまだっていうから、とっても楽しみにしていたのに、髪の毛はぼさぼさだし、肌は薄汚れていてぱりぱりだし、足は泥だらけで、おまけに臭かったの。あたしたちの期待を裏切った罰に、取り巻きたちに命令して、叩いたりひっかいたりさせてやったんだけど、泣き出したのはその子じゃなくてあたしたちのほう。変なの。転校生の肌はひっかき傷で皮がめくれていたから、懲らしめてやれと思って剥いてやったら、その下からつるつるの白い肌が出てきて、あたしたちはびっくり仰天。ねえ、やっぱりこの子、お姫さまなんじゃないの、とかみんなが言い始めるから、むかむかして、さらにその肌をひっかいてやったら、またつるりと剥けてしまったの。あたしは涙を流しながら、どんどん剥いて剥いて、気がついたら教室には、その子の白い肌がいっぱいぺらぺらと残っているだけだったの。あたしはそのぺらぺらをまとめてゴミ袋に詰め込んで、家庭科室で切り刻んでスープにしたの。みんなで食べた転校生はとっても甘くておいしかったけど、あたしたちのお腹のなかにおさまっちゃったこの子は、今日はどうやっておうちに帰るのかしら。



ジャングルの夜 作者:峯岸

 虹の色の数を聞かれて、そんなのは数えられないと答えたらみんなに笑われたんだ。授業に関係ない、ちょっとした話の繋ぎにと先生が聞いてきただけだったんだが、俺も子供だったから向きになった。黄色にだって色んな黄色があって、それは決して一色じゃない。名前のない色も、それは色なんだ。馬鹿ばかしい話だよ。五色でも六色でも適当に答えときゃ良かったんだ。だけど俺はまだ、子供の頃の俺は正しかったと信じているよ。
 まるで焚き火に話し掛けるみたく彼は呟く。焚き火も彼に相槌を打っている。枝に含まれている水分で、火の中が小さく爆ぜるのである。森は呼吸をしていて、その湿度が光を吸収して蓄えるから、夜は余りに暗く昼間の熱を忘れる。交代で朝まで火をくべ、明日に備える。我々は炎の光に包まれ、光は木々に包まれ、木々はジャングルに包まれ、ジャングルは夜に包まれ、夜は虹に包まれているという。
 どんなに見上げても、木々とその切れ間の違いも見分けられない漆黒の宵闇。しかしよく見れば、夜空もざらりとした濃い闇に紛れて無限に彩られていると彼は言う。名前のない色も、それは色なんだ。見ようと思えばいつでも見られる。誰にでも見られる。
 虹は森で生まれる。



ノイズレス 作者:葉原あきよ

 久しぶりのデートだけれど、さっきからずっと会話が成立していない。
「これから僕んち来ない?」
「え? うん、天気いいよね」
「今度はいつ会えるの?」
「え? さっきの映画? おもしろかったよね」
 そういえば、最近新しい耳に変えたという話を聞いていた。
「その耳壊れてるんじゃないの?」
 ためしにそう聞いてみたら、
「そんなことないよ。フィルタ機能付きの最新型だよ」
 彼女は即座に的確な返事をくれた。
「へー、そうなんだ。これから僕んち来ない?」
「え? 帰る時間? それじゃ、バイバイ」



かつて一度は人間だったもの 作者:雪雪

それはかつて七度アマガエルであり、十度トビウオであり、百二十二度蜜蜂であり、二千六十七度蒲公英であり、六万四千百九十九度ゾウリムシであった。黄色ブドウ球菌であったこともあるが、その一生涯の画定は困難であり回数を云うことはできない。

するべきことは、むろん多様な諸相を含んではいるものの、おおむねひとつの言葉に集約される。繁殖すること。
しかし、それは、人間であったときには繁殖しなかった。
人間になる機会は二度となかった。
名前などないものになることが多くなり、そしてやがて、名前さえも繁殖をやめた。

思い出すものもいないのだが、宇宙が始まってから終わるまでに一度だけ、それは心をこめて恋文を書いた。勇気が足りなくて、渡せなかった。永遠に。
それの恋心が、手紙として生まれる機会は、二度となかった。渡さない機会も二度となかった。
もっとも激しい祈りをみずから叶えまいとする、そんな自由は二度となかった。



きみはいってしまうけれども 作者:雪雪

いつからか紅い糸が見えるようになった。
繋がっている二人がともに友人だったりすると、陰日向に立ち回って近づけてみた。例外なくうまくいった。だから、自分の糸がきみに繋がっているのを発見したときには迷わず告白したのだ。にべもなく振られた。すぐに噂になって、壁村はきみのことを「やめとき、外見だけやで」と言うのだが、ぼくの心を囚えているのははきみの、内側で燃える芯のようなものなんだ。いつか伝わるさ。ぼくは紅い糸を信じる。

ある日気がつくと糸は張りを失い地べたを這っていた。きみが死んでしまったのかと思った。すぐに確かめる勇気がなくて、翌日登校するときみは来ていなくて、ぼくは倒れそうになったが、品川先生によると病欠ということだった。

やつれたきみが登校してきたときにはほっとしたけど、体育を休んで膝を抱えている蒼白な横顔を見てもぼくの胸は高鳴らない。きみはいない。糸はもう彼女に繋がっていない。どこか遠くて暗いところに伸びていた。伸び続けていた。蛍の飛跡のように。
彼女は、内緒で子供を堕ろしたという噂を聞いた。

深夜ぼくは長旅の準備をし、糸を手繰り出発する。置手紙が難しかった。



銀天街の神様 作者:まつじ

 タカタタカタと銃を連射する音が、さして響きもせず鳴り途切れ、途切れてはまた鳴る。
 タッタカタカタ、タカタッタ。
 むかしむかし町内の児童マーチングバンドが、ちまい隊列を組んで通ったことを思い出す。それから手押し車に手をかけひこひこ歩くばあさん。雨宿りの女学生。走りまわる男子たち。さびれた本屋。いかにもな不良少年。おじさんこの大根安くならないかしら。
 タタタタタタタカタ。
 映画館に行くにはここ、銭湯ならそこの通りを入る。まずいと評判のラーメン屋の店じまいは覚えているが、この音のはじまりはいつだったか。
 タカタタタカッタタカタッタ。
 あっちの端のお稲荷さんが銃撃されたのはかなしい事件だった。
 タタッタタタッタ、タタッタッタ。
 なんでこんなになっちゃったのか。
 タカッタ、タタカッタ。
 考えてもしょうのないことだけど。
 タカタ。
 タカタ君とあの子の相合い傘はまだ残っている。
 タ。
 何かがすっ飛ぶような音がして、彼らの上の天井が僕といっしょにぐわんぐわんと崩れなんもかもを潰す。
 ちんどんやの、ぷえんと鳴らす音の思い出が頭に響く。
 タタン。
 破けた天井からはじめて空を見た。
 さばさばした気分で僕の息の根は銀天街といっしょに止まる。



銀天街の神様 作者:まつじ

 タカタタカタと銃を連射する音が、さして響きもせず鳴り途切れ、途切れてはまた鳴る。
 タッタカタカタ、タカタッタ。
 むかしむかし町内の児童マーチングバンドが、ちまい隊列を組んで通ったことを思い出す。それから手押し車に手をかけひこひこ歩くばあさん。雨宿りの女学生。走りまわる男子たち。さびれた本屋。いかにもな不良少年。おじさんこの大根安くならないかしら。
 タタタタタタタカタ。
 映画館に行くにはここ、銭湯ならそこの通りを入る。まずいと評判のラーメン屋の店じまいは覚えているが、この音のはじまりはいつだったか。
 タカタタタカッタタカタッタ。
 あっちの端のお稲荷さんが銃撃されたのはかなしい事件だった。
 タタッタタタッタ、タタッタッタ。
 なんでこんなになっちゃったのか。
 タカッタ、タタカッタ。
 考えてもしょうのないことだけど。
 タカタ。
 タカタ君とあの子の相合い傘はまだ残っている。
 タ。
 何かがすっ飛ぶような音がして、彼らの上の天井が僕といっしょにぐわんぐわんと崩れなんもかもを潰す。
 ちんどんやの、ぷえんと鳴らす音の思い出が頭に響く。
 タタン。
 破けた天井からはじめて空を見た。
 さばさばした気分で僕の息の根は銀天街といっしょに止まる。



誰よりも速く 作者:オギ

 独居老人へ、という手紙と共に我が家にやってきたのは、一体の介護用アンドロイドだった。先日逝った友人の形見らしい。
 青年型のそれは、表情にこそ乏しいが、見た目も声も人にしか見えない、最高級機種だ。奴は確かに天才と謳われていたが、私にとってはただの悪友、なにかの冗談かもしれないと思いつつ、青年との同居は始まった。
 ひとまず家事の腕は抜群だ。無口だが、その静けさは好むところだ。手書きの仕様書に、車の運転可能と書かれていたので、試しにさせてみたのがいけなかった。
 市場に行く予定が、あれよという間に道を逸れ、スピードが上がる。唖然としているうちに街を抜け、一気に視界が開けた。
「介護用なんてウソだろう」
 ようやくの私の叫びに、
「緊急時に速やかな搬送を可能とします」
 言いながら、青年は初めて、にやりと笑った。
「という名目です」
 車体は安定していて危なげない。加速によるGに押されるままに、私は座席へ沈み込んだ。不意に笑いと涙がこみ上げる。奴の考えそうなことだ。
 海、と言うとすかさずハンドルを切る。景色は素晴らしい速さで飛び去っていく。青年が懐かしい音楽をかける。
 どこまでも、走ればいい。



その他多数 作者:脳内亭

 足が降りてくるのだという。そのためのくつ下を編んだのだという。履かせるのはただ一人、それがわたしの意中の相手なのという。何の話かさっぱりわからず、ええとこれはフラれたと解釈すればいいのかなとぽかんとしていると、「ほら、きた」と彼女が上空を指さした。つられて見あげると、そこには空を埋めつくさんばかりにたくさんの巨大な足、足、足。おもわず腰をぬかした。呆気にとられるぼくをよそに、彼女はきょろきょろと何かを探す仕種で、そのうちに「あなた」と手をのばして足の一本をつかんだ。そしてそのすねにキスをし、くつ下をていねいに履かせてからぎゅうと抱きついた。すると彼女はあっというまに上空たかく引っぱられ、次の瞬間、フラれた他の足たちがいっせいに地団太を踏んだ。そこから先はおぼえちゃいないが、おそらく世界は、彼女以外はことごとく踏みつぶされてしまったいら。