謎ワイン 作者:砂場
「喋るワインがあると聞きました」
その女はストレートに尋ねた。
ええ、元々は普通のロゼだったのですが──と答えるとでも思ったのだろうか。
「喋るワイン、ですか?」
主人は客の目をじっと見つめ返す。
結局、客は帰った。
「近頃は減りましたわねえ」
「ああ」
鳥はなぜ鳴くの? 髭が生えるのはなぜ? 水は透明なのに海はなぜ碧なの?
どこで海など見たのか。愛らしい声でなぜを連発するワインに、夫婦は適当に答えることも、知らないで通すこともあった。何かしら答えてやらなければ同じ質問を繰り返す。夫人は時に友人を呼んで質問に答えさせた。
ある日、息子が帰ってきて製造メーカーに送ってしまう。メーカーは地元大学の農学部へ送った。五年後に教育学部の人間がやってくる。
「分かりませんでした。たくさん、聞かれはしたのですが」
家に戻ってきたワインは三分の二ほどに減っていた。そのせいなのかどうなのか、声が低く口数が少なくなった。
「なぜ、誰も私を飲まないのだろう」
と聞くのに、
「そりゃお前がものを言うからだ」
夫が答えると、その後一か月だけは饒舌だった。以後はめっきり無口。
ある夜、夫人がワイン庫を開けた。別のワインを取る。
「なぜ他の奴らは喋らない」
との呟きに、夫人は答える。
「なぜかしらねえ」
もう寝るよ。 作者:六肢猫
「おかしをくれなきゃ、××××しちゃうぞ!」
「しちゃうぞー」
「・・・いないのかな?」
「いや、いるよ。でんきのメーターうごいてるもん」
「おまえ、あたまいいなー」
勘弁してくれよ、昨日は夜勤だったんだから。
「ちょーないかいとのつきあいとか、いがいとだいじなんだぞー」
「なにそれ?」
「まほうのじゅもん!」
何でもいいから早くどっか行ってくんないかな。ってか、ドア叩くのやめろよ。俺はもう寝るの。寝てるの。いや、寝ようとしてるの。ってか、もう寝るよ。ああ、何がなんだか。
「ほんとうに××××しちゃってもいいのかな?」
「おかしくれないんだもん、とーぜんだよ」
「じゃあ、ほんとうに××××するからな!こーかいすんなよ!!」
うるせえ。でも、やっとどっか行ったな。これで寝れる。××××なさい・・・って、あれ?何か変だ。おはよう、こんにちは、××××・・・?・・・もう寝るよ。うん、OKだな。××××なさい・・・・・・!・・・・・・寝れないじゃないか、あいつらめ!!
「俺の××××を返せ!」
「あっ、きたぞ!」
「にげろー!!」
俺はもう寝るよ。寝たいんだよ。寝なきゃマズイんだ。それなのに何で飴投げながら走ってるんだろう?
笑い坊主 作者:我妻俊樹
悲しんでいると複数の大橋を渡り継いで笑い坊主が到着した。
彼女は(笑い坊主はつねに女である)注射痕にはえかけた竹藪をねじりながら「肉体は乗り捨てられるボートに過ぎない。私たちはまだ半分も距離を縮めていない獲物と狩人である」そう南風まじりにつぶやいた。
私は悲しむのを止めて彼女の声に聞き入った。
扉のあく音、そして閉じる音がつづく。半開きの扉が全開する音や、閉じた扉に錠の下りる音も。内部は古い集合住宅で、胸のボタン穴から出入りする人々に彼女の声は夕暮れどきの雷鳴だった。けれど言葉の意味は電話のように私に伝わった。
「抜けた歯があれば売ってください。娘の指輪にするので」
彼女が放すと竹薮が葉を振り乱し、いっせいに鳥が羽ばたいていった。差し出された手のひらはベランダほどの広さで、私はポケットにしまっていた乳歯をそっと置くために暗い生命線を踏む。微笑みがアド・バルーンより高い人がほかにいるだろうか?
翌日口座に見たこともない金額が振り込まれていた。取出口であばれる猿の部品のようなそれをようやく全部押し込めた財布は、勝手に懐を飛び出すと路傍の植込みに転がり込んだ。
名前はまだない 作者:わんでるんぐ
丸い河原石は、打つと澄んだ音がした。
わぁは良い石を見つけたな、と誉めると、わぁも気張って名を付けてくれ、と俯せのくぐもった声で励まされる。わぁは背中の痣が疼くのか、と問えば、わぁは痣読みだけを心配すればよい、と糸の声で答える。
生のあるうち、わぁたちには彼我の別がない。
地から湧くのか木から落ちるか、名も無く父母もなく、草木や風のように散り散りに生き、出会えば互いをわぁと呼び合う。死患いの痣が浮いたわぁに出くわすのは希なことで、その痣を読むのは、わぁたちのいっちの大事だ。痣を読み解き名を定め、遺され物の石へ刻むと名石ができる。それを野や山へ知られぬように据え、つれづれに愛でて廻るのがわぁたちの慰めだ。何より痣を読み違えないのが肝要で、わぁたちは野を見、山を聞きして理を得、名を残すための石を探すのに日を過ごす。
わぁは水も通らぬ細い息を聞き、痣を睨む。これはヒデリだ。日干しになった河原の土そっくりだ。こんな名では、折角の名石が、雨乞いの里人に山狩りで暴かれて、田に転がされることもあるやもしれぬが、送る名に善し悪しはない。
わぁの息が細くなる。わぁがヒデリになるのを、わぁはじっと待つ。
シンクロ 作者:伝助
白い砂浜に右足の足跡だけが大量に残されるまで、まだ時間がありました。
「見せろよ」 と王子様に促がされて、人魚姫はスカートをたくし上げていきます。海岸近くの粗末な物置小屋の中は薄暗く、そこら中に雑多な道具類が転がっていて、とても豪華な宮殿とはいきませんが、それがかえって、人魚姫の露わになっていく生足の艶かしさを際立たせるのです。
王子様は少女が自らたくし上げたスカートの裾を自らの口で咥えるというウロボロス的エロスに興奮して、人魚姫の太腿の付け根に残ったクロウロコに鼻を突っ込みます。
人魚姫は声を押し殺します。
人魚姫は自分の身体感覚に対して奇妙な違和感を持っていました。
それが、王子様が人魚姫の股を割って入って来た瞬間に、爆発しました。
こんなのは、変だ。王子様に逢いたいから『脚』を望んだのだけど、こんな風に不細工に二股にわかれていることについてはむず痒いというか、とにかく絶対に間違っているような気がする。
時は過ぎ去って、翌々日。大臣は、蹴り殺された王子様の死体の傍に転がっていた血まみれのノコギリを手にとり、どうしてこれが凶器ではないのかと、首を捻りました。
たぶん好感触 作者:アンデッド
信徒は頭を垂れて「触っていいですか?」と主に尋ねた。
主たる神は「す、好きにすればいいじゃない」と彼に説かれた。
だが彼が許しを得ても、主の持つ二つの御山に触れることはなかった。主の深い慈しみを知ったからだ。
これにより真の豊穣は訪れる。時が満ち、彼の者の手に再び神秘なる感触が甦るだろう。
——デレ記 三章・十五節より
期限切れの言葉 作者:わんでるんぐ
古い言葉室(むろ)には、小さな言葉の固まりが一つ、転がっているだけだった。父と母、壊れてしまった夫婦の憎悪の残骸を思い描いて、及び腰だった自分が馬鹿らしい。
「なんだ」
言った端から、言葉が凍って転がる。主を亡くしてからずっと締め切ったままだった室は、メーターが振り切れるほど冷え切っていた。慌てて古ぼけた防寒具のチャックを口元まで引き上げたら、老いた男の匂いがした。
父が、黙って出て行った母の言葉を、時々ロックにして呑んでいたのは知っている。グラスに耳を寄せ、火酒が母の言葉を囁くのを聞いていた。他の言葉は、たぶん風呂にでも放り込んで溶かしてしまったんだろう。父なりに、大人の領域を死守したわけだ。
私は、残っていた言葉を割って、渦巻く霧と共に外へ出た。
ちくちく手を刺す言葉をグラスに放り込んで火酒を注ぐと、尖った言葉が、ぱちんと弾けた。
「……ないで」
幼い哀願だ。
扉に触れただけで打たれる禁忌の場所に、一度だけ足を踏み入れ残した言葉が、今苦味と共に戻ってくる。
「子どもらしく大声で喚いていたら、私の言葉も届きましたか、お二人さん」
泣き言は、行き着く先を捜しあぐねて、消えてしまった。
納得できない 作者:sleepdog
これで何枚目だろうか。とうとう見合い写真がロボットになった。
熱いお茶をすすりながら、しばらく眺めていると、「テレビが見られるらしいわよ」と母は付け加えた。
頭蓋骨を捜せ 作者:JUNC
ぺりぺりぺりぺり。街のあちこちで音がする。
座り込んで、むく。お互いに、むく。よってたかって、むく。
町中、ヒラヒラと包帯が宙を舞う。
通称ミイラ街。
この街の決まりはただひとつ、体中に巻く包帯だけ。
何百年もこの街は代々こうして生きてきたのに、
月が2つになり朝が来なくなった今、
死人も生きてるこの街に世界中がキバをむく。
『呪いを解くには頭蓋骨を捜せ、捜しだせ』
ぺりぺりぺりぺり。はりついた包帯をむく。
生きてる者は涙を流し、互いに見つめ合い、抱き合う。
ころんころん、転がり落ちた、骨・骨・骨。
その上を魂がゆっくりとのぼっていく。
これで呪いは解けるのだろうか。
『まだまだ足りない。頭蓋骨を捜せ』
朝が来るまで、一人残らず。
ぺりぺりぺりぺり。街のあちこちで音がする。
ぺりぺりぺりぺり。はりついた包帯をむく。
スクリーン・ヒーロー 作者:koro
正月限定販売の七色バスクリンは透明な湯を虹色に変えた。パッケージには『貴方の願い事が叶うかも』と記されている。
私は、脱皮するように服を脱ぎ捨て体を湯に沈めた。
そして、防水テレビを観賞。ハリウッドスターに夢中になりながらも、何の気なしにつぶやいた。
「スクリーンヒーローに会いたいな」
すると七色の湯がボコボコと泡立ち始めた。それは、ジャグジーどころか噴火直前のマグマのようであった。
と、突然そこから、ざぱぁーっと月光仮面のおじさんのような格好をした男が現れた。
衣装は虹色でおでこと胸の辺りに片仮名で『バ』の字が書かれている。
男は「いないいないばぁー」のポーズをとりながら
「やぁ。夢を叶えに来たよ」と満面の笑みを浮かべていた。
私は、ぎゃぁっと鳥が首を絞められたかのような声をあげた。
バの字は「君が願ったことなのに」と肩をおとした。
「誰よ、あんた?」
冷静になって小さな胸を両手で隠しながら訊ねると
「バスクリンヒ……」
男が言い終える前に、その続きがわかったので片手をあげてそれを素早く静止させた。
「違います!」
バの字は寂しそうにまた、ボコボコ泡の中へと消えて行った。
小さな箱の中でジョニーデップが「オーマイゴーットゥ」と叫んでいた。