500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

気がつけば三桁 作者:砂場

 どうしたものか。
 うっかりしていた。いや、本当はぽうっとしていたのだけれど。
 正午が僕の仕事の時間だ。明日の日付を記すのだ。それが今日は書き込もうとして三桁目を書く欄がないのでやっと気づいた。8月99日。ちゃんと見れば、すぐ横に掛けてある月めくりのカレンダーが8月だけべろんと長くなっている。まったくもって僕のせいだ。
 人間たちはいつも通りやっているようだった。辻褄は合うようになっている。2月だって、ひと月だけ28日までしかない。それにしたって99日はない。現在それが常識になっているわけだけれど。8月だけ99日まである理由がどうなったかなんて、僕は断じて知りたくない。
 上を見れば、太陽は一応照っている。なんだかそっぽを向いてしまっているので表情は分からない。が、空はもう、自信のなさげな、よく分からない顔だ。去年の今頃はどんなふうだったか思い出せないのだろう。そりゃそうだ。僕のせいだ。夜になったらまた戸惑った星たちがいくつも並ぶのだろうか。
 ああ、やっかいなことだ。恋は盲目。この長い8月、僕はひとつの風鈴の音色だけをぽうっと聞いていたのだ。いくらなんでも明日から9月だ。そして秋がやってくる。どうしたらいいんだろう。



 外れた町 作者:三里アキラ

 子供の頃から、地図をしょりしょりと鋏で切るのがなんだか楽しいのです。最初のそれは、縁にたくさんの広告が入った住んでいる地域の細密な地図で、何丁目、とかまできちんと表記してあって、眺めているうちにその境界線を鋏でしょりしょりと切りたくなったのです。気の向くままに町を要る/要らないと選別しながらしょりしょりしていると、かいじゅうの形をした紙が出来上がりました。このかいじゅうは私が作り上げたんだぞ、と妙な達成感を感じてから、地図をしょりしょり切るのが楽しみになりました。今はネットで地図なんていくらでも見つかるので、週末は適当な町の地図をプリントアウトしてはしょりしょりと切っています。
 ある時、出来上がったかいじゅうの紙を眺めていると、丁度良くかいじゅうの目になりそうな町を見つけました。少し躊躇ったのですが、ちょりちょりと慎重に切り外しました。目を持ったかいじゅうは、今までより立派で、今にも動き出しそうでした。動き出しました。ぺらぺらの体で「がおー」なんて吼え出して、のっしのっしぺらり、と歩いてどこかに消えてしまいました。あとに残されたのはかいじゅうが居なくなった紙くずを持つ私でした。



 エジプト土産 作者:デル

『包帯の上から満遍なくお湯を注いで3分間お待ちください。
起き上がったら出来上がりです』




ちょうどお昼時に届いた少々カビ臭い人型の木箱を見下ろしながら
お湯を沸かそうか迷った。



 ペパーミント症候群 作者:空虹桜

「早く大人になりたい」
 11音で約1秒。時間は確実に前進して、呟いただけわたしは大人になってるハズなのに、ちっともそんな気がしない。スッとわかりやすく、大人になりたいよ。先生。
『大人のクセにメンソールなんて吸ってるの?』
『お子ちゃまのクセに知った口きくなぁ』
 先生の顔、思い浮かべようとしたら先にツンと、メンソールの匂いを思い出す。お互いに7月生まれで、ホントたかだか11コしか離れてないのにアウトオブ恋愛対象って、そんなの理不尽だよ。恋とか愛とか好き/嫌いで判断してよ。
『いいんだって。襲っちゃえば』
『だって、ウチら天下の17歳だし』
 ホントに襲ってキスしたら・・・なんて、妄想全開で飲むハーブティー。お嬢様な昼下がり。土曜日。お休み。先生、明後日から4日間は10コ差で済むよ。わたしと先生の距離なんて、両手で数えれちゃう。そんなの、ひとまたぎで越えてよ。越えちゃうよ!
 早く明日になればいい。できれば明後日。明明後日。会いたい気持ちばっか、重たくてしかたないよ。この4日間で大人になるんだ。大人にしてよ。ねぇ。先生。



 嘘泥棒 作者:たなかなつみ

 黒い燕尾服の男が玄関にやって来て、あなたのハートを盗みに来ましたと言う。わたしの背中の後ろからは赤ん坊の泣き声。夫は口ばかりでなにもしてくれない人。もううんざり。それでも、あの子を放っては行けない。夫のことだってまだ愛しているの。ごめんなさい、わたしはあなたとは行けない。そう言ったわたしの額を、男は左手の指でそっと撫でた。そして、すーっと空へと帰っていく。わたしの目に見えない、遠く遠くまで。
 深夜遅く、酒くさい息をした夫が帰ってくる。お疲れさま、そう言って迎えるはずだったわたしの口をついて出たのは、自分でも思いもよらない罵詈雑言の嵐。夫が口をぽかんと開けている。わたしは機関銃のように悪口を並べたてて夫を非難しまくり、そして。
 ああ、そうか、わたし、ずっと、こんなふうに、この人を責めたかったんだ。
 そう思った途端、ふわんと身体が浮いて、いつの間にやら雲の上。黒い燕尾服の男が雲の端に腰かけ、こっちを見て笑っている。わたしに向かって差し出された左手の指先から、聞き慣れた自分の声が聞こえてくる。ダイスキヨ、アイシテル、アナタト結婚デキテ幸セ。返してほしい? なんて、意地悪な男。



 3丁目の女 作者:瀬川潮♭

 自分は内向的だと思ってたんだけど、まさかここまでとは。
 春の連休に遠出して隣町の大型書店に行こうとしたら、何だか道路に見えない壁があるみたい。どうやってもそこから先に進めない。遠回りしても同じ。ほかの人は普通で、私だけみたい。
 結局、三丁目から出られず。
 何よこれとか思ったけど、出無精だからまあいいか。
 お盆の連休。
 隣町に美味しいって噂のケーキ店ができたのよねと出掛けたんだけど、しまった三丁目から出られないんだっけ。ああ甘い物〜と指をくわえていたら切なそうな男性と出会った。二丁目から出られないらしい。ケーキは彼に買ってもらっちゃった。
 それから付き合うことに。デートは行政区画の境界線を挟んで。公園で読書する私を彼が道路を挟んだ向こうで見守ってくれたり、路上でカラオケする彼を私が公園から眺めたり。向かい合うファミレスと喫茶店の窓際で一緒に食事したり。
——愛と勇気と正義とがバリアを破るぜ、ゴー合体だ♪
 塀に立ち夕日の中で歌う彼。ちょっと良かった。

 そして結婚。新婚旅行はなし。
 すぐにマイホームを建てて、3年。現在、喧嘩中。
「この線からこっちには絶対入ってくるなよ!」
 いつも通りだって。



 死ではなかった 作者:K・進歩

 今日も部屋の空気は淀んで湿っぽい。本郷のアパアトの一室から一歩も出ずに本を読む。書きかけた小説は行き詰まり、何を飲んでも続きが出ない。
 昨日からずっと小雨が降ってる天気のせいもあって、なかなかからっとした小説が書ける気もしない。何度も寝がえりを打ち、首をひねった末に、死のうと毎回思う。死のうと口にすれば気持ちは晴れる。死のうと呟いた瞬間だけは何でもできる気分になる。
 隣室との間の壁を叩くと、あっちからも叩き返される。トントントンと三回の合図「し、の、う」そうだ、死のう。僕らは生きてる。程なくして隣人は部屋にやってくる。僕に向かって「原稿は?」と聞く。君こそ。僕はできたよ。こっちもできてる。ビールを飲もうか。君の部屋から持ってきたまえ。困ったな、部屋にはないんだ買いに行こうか。
彼はそう言って小銭を並べる。僕も隣に小銭入れを逆さにする。足りるね。足りる。行こうか。行こう。
 二人で暗い路地に出る。彼の紺の着流しは闇になる。桜だけが嫌に白い。僕は下着を着てないと気づく。妙に寒い。彼に耳打ちすると噴出した。道の向こうに山崎酒店の赤い提灯。そこにあるのは死ではない。死ねない僕らの、まだ不確かな、何かだ。



 しっぽ 作者:はやみかつとし

 何かと人を煙に巻いてばかりでまるで潔いところがなく、江戸ッ子の風上にも置けやしないと親族一同から言われ続けた父が亡くなった。ところが、いまわの際の一言がこれまたどうしようもなく中途半端な代物で、
 「し、しっぽ…。」
 まさか何かの尻尾を欲したわけはなく、通夜の晩に一族で大騒動と相成った。
 「ああ、お父さんやっぱり最後にお蕎麦が食べたかったんだわ」と涙する母に「何ボケてんのよ、江戸ッ子の癖に蕎麦が喰えないって皆で馬鹿にしてたじゃない。どうせどこぞの艶っぽい後家さんとしっぽりしたかったんでしょうよ、助平親父めが」と姉が茶々を入れる。そこへ叔父やら叔母やらが「七宝焼のカフス釦、どこ行ったって気にしてたわよねえ」「え、そんな話初めて聞いた」「ジッポのライター取って欲しいの、言い間違ったんじゃねえか」と混ぜっ返すので、しめやかさなど何処へやら、ああでもないこうでもないの馬鹿馬鹿しい井戸端会議と成り果てた。一頻り憶測が出尽くすまで騒いでしまうと、はて、ひょっとしてこれこそが父の望んでいたおくり方ではなかったか、と、一同黙り込んでしまうのだった。最期まで掴みどころのない男で…と、誰もが半ば苦笑いのまま父を偲んだ。



 水溶性 作者:まつじ

 変わったペンだな、とは思ったが、これがいま流行っているのだという。
 私が説明書どおり、つらりつらりと文面したためたツルツルした紙を、小さなビンに用意したぬるま湯につけると、紙のうえの文字がするするほどけて消えてしまった。
 これで、おしまい。
 彼に郵便で送ってみた。
「たとえばテレパシーが出来たらこんな感じなんじゃないかな。」お返しの手紙になった水をくいっと飲むと、彼がまるでテレパシーみたいに伝えてくれた。
 通じ合ってる気がしてとてもうれしい。
 流行っていたのが急に販売中止になったのは、まったくもってろくでもない人たちのせいで、とくに、これを使えば人を死なすことができるかもしれないなんて考えたやつなんか、それこそこの世から消えちゃってもいいんじゃないかと思う。
 実際できるらしいから、こわいのだけれど。
 どこか遠い国の人たちに使われるようなウワサも流れた。
 というような、ちょっとあぶないペンを私たちはまだこっそり持っている。
 彼から届いた手紙を水にひたしては、するりするりゆっくり飲んで、テレパシーを感じる。
 もしも遠くの彼に何かあったときは、このインクを飲んだら私がほどけて、水を伝って行けるかな、とか空想したりする。