500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 正選王・逆選王 > 2007年度逆選王作品一覧


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 仮面 作者:@ki

 先輩セーンパイ、聞いて下さいよ。俺昨日、イイ物ゲットしたんですよ! 昨日まで? おとといまでが嘘みたいに世界がガラッと変わって見えるっつか、アレ一枚で自分に超自信が付いたっつーか。何か人格まで変わっちゃうのか、アレ使うといつもより大胆になれるみたいで。ってアブナい意味じゃないっすからね? でも実際周りの反応も今までと全然違くてビックリですよ。メルセデス、は親のっすけど今度一緒にどうですか?
 大学の後輩が媚びるような声を響かせて駆けて来ては、人の迷惑も顧みずにくどくどとまくしたてやがった。そうか外車で舞踏会にでも行く気か。安下宿暮らしの俺への当て付けか。正直、以前から煙たがってはいるのだが、拗ねられたら後が困るから好意的な体で接してやる。ただ、そうと知った上で俺に絡んで来ているのだとしたらとんだ食わせ者だ。というより世紀の嫌味ヤローだ。「悪い、そういうの俺興味ないし」
 すると、コイツは残念がるどころか愛嬌たっぷり戯けたように肩を竦めた。
「つっても一人じやまだ公道走れないんですけどね」

「……漢字違ッ!」
「え?」
「いや、こっちの話」



 赤裸々 作者:キリサキ

真っ黒なスーツを着た男が一人、キャリーカートを引いて目の前を通り過ぎた。
出張帰りだろうか、どこからだろう、と、ついついその去り行く手荷物を目で追ってしまう。
よくある黒のキャリーカート。しかし気づけばそれは、異様なまでに大きい。
まるで人が1人、まるまる入ってしまいそうな……そう思った途端、そのキャリーカートの中で、裸の女が両膝を抱えている光景が目に浮かんだ。生きているのか死んでいるのかわからない。まるで眠っているかのように。

その刹那、急に男が振り返り、こちらを見て、にやりと笑った。

「今、想像しただろう?そういうお年頃だ。」

男は、何を、とは言わない。しかし、私はその一言で、自分が一瞬で裸にされたような感覚に陥った。
ぞくりとした波が背筋をなぞる。
次の瞬間、男は再び踵を返し、雑踏へと消えていく。

私には確信のようなものが残された。あの中にはきっと、裸の女が入っている。
腕で抱きしめるように両膝を抱え、音もなく眠っているのだ。



 捩レ飴細工 作者:koro

「ここにピンク色の大きなハート型の飴がある。では、実験だ。キョウコ君、キミは表側から舐め始めてくれ。ボクは裏側から舐め始めるとする。すると……」
「絶対にイヤです! 所長!」
「なぜだ?」
「これ、メビウスの輪の形になっているじゃないですかっ!」
「それが何だというんだね? (ちっ。キスができるように細工を施した飴だということがどうしてバレたんだ!)」



 愛玩動物 作者:白縫いさや

 残った時間を指折り数えると男はオルガンを構えた。指で鍵盤を踏むとき、男はピアノを想像する。それは鏡のように艶やかな黒色だ。場所は美しい浜辺でピアノは浅瀬の中に立ち踝は水影にゆらめく。空は果てしなく陽光は鋭く。網膜を透ける光は赤く。
 男がピアノを弾いていると、山のほうからポメラニアンたちがかけてくる。彼らは濡れるのも躊躇わず飛び込み、一様に男の後ろで横一列に並ぶ。弦の本数に等しい数で。きちんとお座りの姿勢でいるが尾の動きだけは不統一で、ばちゃばちゃと飛沫が飛ぶ。陽を受け煌く様はさながら火の粉。
 ピアノの弦は犬の毛で出来ている。複数の毛を縒り合わせて作っているのだ。男が弦を叩くたびどこかの毛が擦り切れ、やがて張力に耐えられなくなり途切れると、蓋の合間から黒く縮れた毛先が一本また一本と飛び出す。和音。わおん。途絶えたきりもう二度と鳴かない。
 全ての弦が切れてしまうと男はオルガンを立ち、傍らの愛犬の体を抱いた。間もなく壁を突き破った炎があつい舌で男を舐める。湿っていないのは何故か。
 虚ろに指を這わせ、愛犬の口をこじ開け舌を引き出し理由を知る。しかしもはや瑣末な話でしかないのだが。



 何の音だ 作者:くり

 ザッ、ザッ、ザッとシャベルが小気味良い音をたて、リズミカルに土を掘っていく。呼吸音は段々と激しくなっていったが、土を掘る音が止まると徐々に落ち着きを取り戻していった。
それを穴に投げ入れると、肉を打つ鈍い音と共に木の枝を折ったような音が聞こえた。肋骨でも折れたのだろう。
 雨が林の木々の葉を叩く音が大きくなっている。どうやら雨足が強くなってきたようだ。
 急いで土をかけはじめる。ドサ、ビチャッと再びリズミカルな音が始まった。「フゥー」とため息をつく音が以外に響く。
やがてシャベルを引きずるガリガリという音と、グチャ、グチャと泥道を歩く音が遠ざかって行く。
 
……遠くから耳障りな音が聞こえて来る。パトカーのサイレンみたいな音。あれは一体何の音だ?



 間に合わない 作者:井上斑猫

<メールボックス>
送信者:人生設計協力し隊
件名:人生設計…育児のために…診断結果
 このたびは人生設計診断のご利用ありがとうございました。「いつ子供を産んだらいいの?」診断の結果をお届けいたします。
 入力していただいた学歴・現在の年収・年令・居住地域・健康チェックその他のデータを元に、将来住宅ローンを抱える可能性・物価の上昇・親の介護その他の変動要素までシミュレーションしたうえで、最適と思われる時期を算出しております。

 ○○様がお子さんを持つのに最適な時期は 2004年〜2008年 です。

「いつ子供を産んだらいいの?」診断の他にも、人生設計に役立つ診断がいっぱい! 賢く人生を楽しむために☆ 人生設計協力し隊 http://〜

<ブックマーク>
 人生設計協力し隊 最強のデータベースで各種診断充実
 コレだけでみるみる痩せた! 最新ダイエット情報満載!
 ○○才からのスキンケア
 女性完全無料! きっと出会える理想のパートナー
 ***安心確実***真面目な出会いを求めるあなたに***



 這い回る蝶々 作者:ハカウチマリ

 平方メートル、坪、エーカー、平方キュビット等単位は問わない。任意の1平方ユニットの面積を有する正方形に載せたときに過不足なくそれが消失するものは、マイナス1平方ユニットの面積を持つ正方形である。その一辺の長さは虚数単位をiとするとiユニットとなる。 
 虚数は英名を直訳すると想像上の数となる通り、iユニットは実在しない長さのようだが、その虚数の長さを有する生物がいる。それが虚数昆虫である。
 昆虫は動物として地球上で最も多様化し遂には虚の世界にまで到達した。虚数昆虫は虚のニッチを得てさらに多様化している。蝶の仲間では特にその翅の形態における多様化が顕著である。自然対数の底であるe枚の翅を獲得し、π本の翅脈を有する種が確認されている。その翅脈長は勿論iの掛かった虚数値である。eのπi乗がマイナス1であるように、この虚数蝶のe本翅のπi翅脈は負に帰しており、その霊妙な調和の美には圧倒される。
 このように(おそらく生殖のために)形態的には高度に多様化した虚数蝶類だが、残念ながら虚の空を飛びうる機能を有した翅を未だ獲得していない。彼らは誇示するかのように翅を広げて虚の地面を蠢行しているのである。



 チョコ痕 作者:あぶ

快楽の享受に、泪は不要。そう嘯いたボンテージの女が傾ぐ赤褐色の蝋燭から、瘀血がひとつ、仰臥する男の胸に垂れた。甘い匂いと、焦がす熱さが、精神と脳を乖離させる。胸に落ちた染みはじわりと拡がり、浮かび上がるのは、未熟児のような奇形。瀟洒な革衣装には不釣合いなほど矮躯な女は、更に身をかがめ、ざらついた舌で乾ききらない刻印をなぞった、ハートの模様を描くために。「人が、結ばれたときの印。いまのあなたの気持ち」。——その寿ぎとは裏腹に、女がにぎる溶けかけの蝋燭のほうが男の寂寞した心境に近い。
可愛らしくデフォルメされた心臓を、人工の爪で彼女は押す。真空が破かれたような澎湃たる射精。
女は未だ聳やぐペニスに肉迫して叫ぶ。忌詞の代用がみつからず、苛立った様子で。
「この精液は「泪」じゃない!」
男は漫ろに問いかえす。
「だけど君の泪は愛液だろう?」
女の瞳は性器だ。慟哭する瞬きに、男はひと時の回春をみる。帳は下ろされ、蟄居だけを望む男は、女のなかでどんな分泌液に変わるだろうか。
自らの温度に気づけない聖火は、凍える者のように身を震わしている。問いかけに貫かれたまま、ボンテージの女が、男の尿道に告白色の蝋をこぼした。



 日の出食堂 作者:伝助

 慰めなんて要らないさ。って、たしか昨日、僕は格好よく言ったよね、太陽?
 やさしく包み込むような、暖かな陽射しを避けるように背に、僕は、おかっぱ髪の毛先を指でくるくる巻いたり伸ばしたりしながら、ときどき振り返っては太陽を上目で睨んだ。
 ほとんどは自分の影を見ながら歩いた。
 人もロボットも影は平等です。
 僕たち、ロボットの産みの親であるFノ博士の言葉をリピート再生しながら。
 取り引き場所にはメトロポリス五丁目に新しく造られた、嗚呼、懐かしき『日の出食堂』が指定された。古ぼけた店内には数人のスチーム・マンと、白衣を着たFeノ助手が眼鏡のレンズを拭きながら、何故か座っていた。
「うわぁ、研究所には帰らないからな。お前たち人間に、僕たちロボットの、サンプルショーケースの中で埃を被りながら本物を見つづける気持ちが解るか!」
「君は人間だ」
「違ウ! ボクハ、ろぼっとダ」
「楓ちゃん。君は人間だ」
「それみろ! その名は博士の死んだ娘の名だ。僕は彼女の代替物として新しく作られたんだろ? 知ってるぞ、彼女の死ぬ場面もこの眼で見たからな。いいか、よく聞けよ。僕は研究所には戻らない。この、この下腹部のタンクに博士から直接注ぎ込まれた精子を地下精子バンクに大金で売り渡して、一人で生きていくんだ!」
 なんて格好いいセリフ。「一人で生きていくんだ!」
 僕がうっとりとして下腹部を触ると、それはわずかな膨らみを示した。