「泣いているのかい?」
問いかけに、ピクリとその背が震えた。
明かりを落とした室内の中央で、丸いダブルベッドに横たわる華奢な人影の背が、だ。
「後悔、しているの?」
戸口に立ち尽くし、影闇に溶け込んだまま問う少年の声が憂いに沈んだ。
「それとも———。期待しているの? アイツが、あなたをここから出してくれるって」
カーテンごしの月明かりが照らし出すベッドの上で、震える裸体をくるんだ真っ白なシーツがわずかにはだけ、小さな白い肩口があらわとなった。
「アイツは、来ないよ」
囁きを、侮蔑が彩る。
「すげないあなたの拒絶に肩を落として…」
闇の中から背中に刺さる視線が増す冷たさに少女は震えて。
「泣きそうな顔で今朝、屋敷を出て行ったから」
なぶる言葉と引き換えに、少女の嗚咽が部屋に響き始めた。
小さく、か細い、押し殺しても隠しきれぬ哀しみ。深い自責と悔恨が呼ぶ苦鳴だ。
「勝手だね…」
肩をすくめ、少年が静かに呟く。
「閉じ込められたここから出ることを望んでいるクセに」
踵を返した肩越しの言葉。
「知らない外へ出る勇気がないなんて…」
閉じゆく扉の向こうから、嘲る言葉の端を立ちこめる闇の静寂が一息に噛み千切った。
どこまでも続く草原の上、満天の星空の下で語り合う男女。
「ビッグバン理論によると、宇宙っていうのは膨張を続け、未来のある時点で収縮しはじめ、最後にはひとつの点に収束するそうだよ」
「信じられないわ、そんな話。だって宇宙って、こんなに広いんでしょ。ずっと続いていくのよ。ほら、こんなに手をのばしたって、触れやしない」
そう言って彼女がおもむろに伸ばした手の先に星が触れた。星だけではない。空が触れた、銀河が触れた、暗闇が触れた、宇宙が触れた。なだらかな天球をなぞったその手を見つめる彼女の目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。彼は涙を指で受け止めるとその指でそっと天の川をなぞった。そして閉じていく宇宙の中で彼女を強く抱締め、静かに幕切れを待った。
半径一メートルのプラネタリウム。迫り来る終幕。半径五十センチのプラネタリウム。
いいかい?イイヒトだ。演れるね?笑顔で受け取って「ありがとう」。申し訳なさそうに「すみません」。そうそう。うまいうまい。ブラボー。
ボクはボクの中からボクを操る。ボクは笑いたくもないし、なぜ謝るのかもわからない(キカイ仕掛けにウゴくだけ)でもみんなはボクにそうしてほしいと思っている(ボクにはナンデモわかるノデ)だからボクはボクを操って期待どおりに動かしてやる(ホントのボクは生きてナイ)ただボクは、ボクのカラダをこの世の末席から眺めては、時折ひからびた拍手を打ち鳴らして、カラッポのカラダにきしきしと鳴り響くのを聴いている。
第1部
はじまりは母の密室そして父の贈り物
その時、私の肉体はつくられたと聞く。
1928.2.29 オギャー
初めて知るふくらみ、見るふくらみ
私は私であると思っていた頃。
第2部
見聞広まる頃
新たな、ふくらみを知り
恥じらいも芽生える
同僚に見られては困るから
遠くの町にいきやった。
ウゥ〜ン 偽りの私を演じる。
本当の私はどこに在るんだろう
きっと在ると信じてた頃。
第3部
横になった日、遠のいてく私
私を脱ぎ捨てて、私はどこに
でも
私は私でしかなかった。
フゥ〜
2004.2.29 終焉
「そこに男の影が立っていたのよ」私は外のベランダを指し「なのに、消えてしまうなんて、どういうことかしら?」と調査に訪れた麗しの探偵様とその助手の少女ちゃんに言いました。
首の据わらない少女ちゃんは「なるほど、概ね密室ベランダ態ですね。身を隠す所は無く、室内にはマダム、その反対の手摺の向こうは断崖絶壁。しかし、謎は解けました。マダム、どうしてカーテン越しの一瞬の影だけで男性だと判りました?」
私が戸惑っていると、さらに、少女ちゃんは、
「それは恐らく彼が丸裸だったから。その、影の一部が『突起』しているのを見て、マダムは無意識の、」
「・・・あぁ、ぶらぶらしていましたわ」
でも、探偵様は「ノン、マダム。これは一羽の白鳥が、ある肌寒い夜に孕んだ月光事件です。寒さで萎縮したソレは、目の肥えた観客を前に、舞台で優雅にダンスなど踊れやしませんよ」と言い、少女ちゃんは手帳に『→わりと、しょっぱい』とメモ。
私はひとり恥かしく、もし背に翼が有るならば小さく折り畳んでいた事でしょう。
「マダム。あなたのような方が何故、こんな、つまらない嘘をおっしゃるのです?」
ああ、探偵様。違うのです。
私は、死後に極楽浄土で極楽温泉に浸かり、いつまでも湯上りタマゴ肌でいられる善人様とは違います。
あなたに逢えるのなら、気まぐれに嘘もつきましょう。
馬蹄型をした巨大なスタジアム状の建造物の外壁だ。それは3m四方の格子に隈なく区切られ、それぞれの枡目からは明暗とりどりの光が漏れ出ている。誰かの帰宅を待つ団欒の準備の灯り、締切に追われる仕事机の灯り、痴話喧嘩を照らす無機質な蛍光灯の灯り。街路樹の茂る大通りを挟んだ向い側の舗道には高級ブランドの旗艦店舗が建ち並び、約束の店に向かう人の波がひっきりなしに行き交う。そのうち何人かが、対岸の膨大な格子のモザイクを見上げ、足を止める。明滅し移ろう光の一つ一つに目を細め、わるくないな、と一呼吸する。そしてまた歩き出す。そんなことには気づかずに、枡目の中では夕食の支度が進み、締切への焦りが募り、罵声が激しさを増す。部屋の窓はハーフミラーになっていて、宵闇の街にどんな人影がざわめいていようが、住人には見えもしないのだ。そしてただ同じ日々は繰り返す、苛立ちは増幅する、出口のない罵り合いは続く。
やがて、灯りはゆっくりと一つずつ消えていく。舗道の人波が途絶え、時折通る靴音が高く響く頃、格子窓のモザイクは短い幕間のようにひととき息を潜め、黒い巨きな森になる。
双子の姉妹が閉ざされた部屋に産まれ、時間が動き出し、お互いを欲し、優し
く想い、手を繋ぎ、時々くちづけをする。
妹は姉を慕い、敬い、我が侭を言う。
姉は妹を愛し、許し、我が侭を聞く。
狭い空間、柔らかい壁に二人きり。
妹は最後の我が侭を言う。「食べてしまいたい」
姉は最後の我が侭を聞く。「残さず食べてね」
そして涙を流す妹は独り。涙は貯まり、妹は沈み、やがて溶けてなくなる。双
子が消えた涙の海もやがて空気に変わり、すべては終わり、密室は内側から開か
れる。
最後に君が良い香りという。それが一輪の薔薇の物語。
俺は閉め切った部屋の中に一人いる。人生を送る上で大きな失敗をしてしまい、どうしようもない状況におかれて、もうこのままいっそこの部屋の中で消えてしまえればいいなどと考えて立ち尽くしている。何もせず、何もできずにこのまま終わっていきそうな俺の人生に俺は自嘲の笑みを投げる。「ヘッ」。口からこぼれたその音は部屋の中で反響し「フフフ」となった。「フフフ」は壁に当たっては乱反射と音量の増大を繰り返し「ハハハ」と鳴り響き、なおも増幅をやめることなく部屋の中の空気を揺さぶり「アッハッハ」と鳴動し、ついには部屋が震動するような迫力と興奮と感動でもって「ワッハッハ」と轟いた。俺以外誰もいない部屋の中、割れるような大歓声と哄笑につつまれて、今までの俺の人生は悲劇から喜劇へと変わった。「ブラボー!」という声と口笛、拍手が惜しみなく俺に向けられ、その中で俺は人生をやり直すことを決意した。
密室、というのはこの場合、かなりの厳密さでもって密室でなくてはならない。そのため満員の観客を内部にとどめたまま、隙間という隙間を建築用シール材やら粘土やらゴムやら蝋やらを使って周到に埋めていく。内側からの隙間埋めも必要だから、当然一部の観客にもこっそり手伝ってもらうことになる。スパイあるいは自爆テロリストみたいなもんか。うまく人材を選んでそそのかせば、きっと黙々と作業を進めてくれるはず。どの世界にもそういうひねた輩が必ず一握りはいるものだ。
かくして完全な密室ができあがる。蓋したタッパーウェアのような密閉ぶり。これを例えば、摘みあげて水中に放り込んだとしたって、空気が籠もった直方体だからポカンと浮かびあがるって寸法だ。ただし着水の衝撃でひっくり返ってしまうかも知れないし、水面が波打つのに合わせて中の観客たちは激しく酔っぱらってしまうかも知れない。よくは分からない、なにしろ完全な密室だから。外からなにも伺い知ることはできないのだ。わずかな声も漏れてはこない。やがて酸欠状態が訪れ、観客たちは死に導かれるだろうが、その時ですら外から傍観する限りでは、たぶん変わらず静かなままだ。中の様子は想像するしかない。ぴっちり閉じた、単なる箱。
楽屋ともとっくのとうに切り離されているわけだから、劇なんかいつまで待ったって始まるわけもない。それでも中の観客たちが退屈することはないだろう。これはこれでまた別種のエンターテイメントには違いない。
ニスの黒い艶が美しい。掌に載る小さな立方体。
これは劇場だ。開けば音楽が流れ踊り子がくるくる回る。
劇場は世界だ。あげるから必ず開けてみて。世界には言葉も入れてあるから。
とは言え、そこは密室でもなければ劇場でもない。
うら暖かな陽光に照らし出された、広々とした草地。肌に心地よい春の風が吹き抜けていく。これっぽっちも薄暗くはない。しかし。
出し物はすでに始まっていた。おおぜいが座っていて一人だけが立っている。皆よく似た奇妙な姿勢で座っており、同心円を描く形で中心の人物に熱い眼差しを向けている。
やがて中心に立つ人物が天上を仰ぎ見、なにごとか言い放つ。それは外部の人間からしてみれば、確かに音として、空気の揺れとしては鼓膜に届きはするものの、なにを言っているのか、その音がどういうことを意味するのかはまったく分からないようなものなのだ。
にも拘わらず、周りに座る者たちは正確に復唱してみせる。一言一句誤ることなく、わずかなズレもない美しいシンクロぶりを誇りながら、皆が皆、陶酔が滲み出た同じ表情でリピートし続ける。
異様な空気が漂っている。輪の中にいない者には耐え難き雰囲気。車通りが激しい都市に光化学スモッグのドームがそそり立つさまにも似て、ほとんど透明な壁がそこに間違いなく閉じた場を作り出していることが分かるだろう。
中心人物が申し渡し、周りの者たちが復唱してみせる。さらに続く。繰り返される。
その特殊な空間は鳥獣らをも警戒させる。草の中を這い進む蟻たちですら、行列をカーヴさせ避けてゆく。
薄闇のなか、見上げるような椅子が延々と連なっている。
椅子の上の密室たちは、息をひそめて舞台を見つめている。かれらの感情は扉の向こうに秘められていて、表情からはなにもうかがい知ることができない。梟を想わせる、壁の中の配管がつく時折りのためいきと、思考が室内を、そっと歩き回る足音が聴こえるぐらいで。
かすかな、くぐもった銃声。それは空耳だったろうか、戦慄が客席を吹き渡り、そちこちで窓硝子がかたかたと鳴る。舞台上、スポットライトのなかに建つひとりの密室は、なにかが倒れる音、続いて引き摺られる音を漏らしたのち、沈黙している。まだぬるんだままの血のにおいが漂う。
ロビーの一角にあるクロークの、奥の壁に捩じ込まれた折釘の列には、観客たちが預けていった様々な意匠の鍵が、無数に掛かっている。恒星をはぐれた遊星の冷え方で、じっとしている。
突如、壁越しのホールから喝采が湧き起こる。鍵たちは震え触れ合い、いま目覚めた虫のようにかぼそく啼き交わす。
「……つまり、このホールは完全な密室だったわけです」
糸の切れた操り人形の様に横たわるモノの傍らに膝をつき、男はおきまりの台詞を口にした。低く暗いざわめきが起る中、男は立ち上がり舞台上の劇団員を見渡す。
「不自然な点もないわけではないですが、この件は“自殺”という線で捜査を進めていくことに……」
「違う!そうじゃない!」
男の言葉を遮り鋭い声があがった。人々の緊張した視線が薄暗い客席から大股で歩み寄ってくる人物に注がれる。
「何度言ったら分かるんだっ」
演出家が台本を片手に大きな声と身振り手振りで抽象的な演技指導をはじめ、死体役もよっこらしょと身を起こして大きなのびをする。
古今東西の密室トリックを舞台化している一風変わった演劇集団『劇団“密室劇場”』の次回公演は目前に迫っていた。
「あたしの演技が最低だって? もう一度云ってごらんなさいよ!」
白雪姫は長いスカートを躍らせながら、一人の小人にむかって怒鳴りました。
「い、いやあ、だってそうじゃないか」
「私はリンゴを本当に喉に詰まらせたのよ!」
「でもそれじゃあノンフィクションじゃないか。演技はフィクションだ。本当にやったら偽者だよ」
小人の台詞に、白雪姫は頬を引きつらせます。そしてバスケットに手を伸ばすと、真っ赤なリンゴをつかみとり、口ごたえした小人に向かって投げ飛ばしました。
家の外側で、窓からのぞき込むように配置されていた魔女の人形は、
「やれやれだわ」
と、つぶやき、首を真後ろにむけました。
私はその瞬間、心臓が破裂しそうなほど吃驚した。
机の上に乗っている、造りかけのミニチュアセットの人形と目が合った気がしたからだ。
慌てて瞼を擦り、再び眼を開けると、確かに老婆は私に背を向けていた。
ほんの数秒前は、家の中を陰険に覗き見ている老婆が私を見ていたような気がしたのだ。
セットは塗装を終えたばかりで、細かい埃が付着すると見苦しくなるから、ガラスのケースを被せて外界と隔離させてある。風だとかで動いたとは思えない。
少し寒気がした。
でも、きっと私の錯覚だ。
だって、私は臆病だから、万が一人形が動き出しても大丈夫なようにお人形の眼は全部、刳り貫いてあるから。
視線なんか会いようもないもの。
早朝出社すると、宅配便の制服を着た男が冷凍庫を開けていた。泊り込みになった時の夜食用の冷凍ピラフやピザの下に小さな箱を押し込んでいる。あのー、と声を掛けると帽子をやけに目深にかぶった男は、産直便の讃岐うどんですよ。入れといてくれって頼まれまして。と、ボソッと言った。うどん?誰が注文を?課長さんです。美味いから部下に食べさせたいって。いい上司で幸せですね、じゃあ。と背を向ける男に待って!と呼びかけたが、サインは貰ってます、とエレベーターにさっさと乗って行ってしまった。間違ってるよ、配送先。うちは5人でやっているデザイン事務所。課長なんていないのだ。包装紙にくるまれた箱を手に取ると、伝票も何も貼られていない。変なの、気持ち悪い。途方にくれていると今度はスーツ姿の男達がどかどかと入って来た。警察です。お宅の会社、冷凍庫あります?聞けば、殺人犯が死体をバラバラにしてオフィスビルに忍び込んでは冷凍庫に隠して回っていたらしい。適当に場所を選んでいた為、犯人も何処に隠したか全部覚えていないそうだ。冷たく暗い密室に眠る塊と、それにまつわる惨劇を思い、私はブルンと身震いした。
ガチャリ。と後ろで鍵の閉まる音がして、振り返ると、五万人。
密室劇場は、密室を舞台とした劇を演じるための劇場ではなく、心に密室を抱えた人だけが観客となることを許される劇場である。そうした人たちが喜ぶ劇というのは自ずと限られてくるもので、それ故、脚本家はテーマに悩むことなく筆を進められる。毎回毎回、開放される物語を書いてやりさすればいいのだから、簡単なことだ。
稀にしくじることもあるが、そのようなときでも、演出家には奥の手がある。粗末なパイプ椅子に腰かけている彼または彼女の、右斜め後ろから心臓をめがけて、捩じ曲げたヘアピンをググイイッと突き入れた後、クルクルルカチャッと廻してやれば良い。それですっかり満足する。つまり、劇の良し悪しはそれほど関係がない。
劇後、酷く蒼褪めた顔で劇場を後にする人もいるが、これは心に密室がないのにさもあるように見せかけて劇場に入り、逆に密室をこしらえられてしまった自業自得の客か、そういう客を見て奥の手が使われたことを悟り、脚本の不出来を嘆いている脚本家である。密室の数はあまり変わらない。
「誰だって?」
ベットの上で怪訝な声を出す俺の顔を見もせずに。
妻は、言う。
「トップモデルの彼よ。私、彼の子供を産むから」
ほら。
妻は子宮を取り出してみせる。
「着床してるやつ」
だって、あなたのDNAじゃ目も当てられないじゃない。
くるりと俺に背を向けてさっさと寝息を立て始めた。
深夜。
俺は寝ている妻の子宮から受精卵をそっと取り出し、
妻の細胞の核を孕んだ卵子と取り替えちまった。
細胞数32。
出直してきやがれ。
その劇団の発声練習はいつも閉め切った地下の一室で行なわれていました。
「…が〜」「…に〜」「…で〜」「…を〜」と
別々の4人の声が順番で不鮮明ではありましたが、私のいる警備室まで
辛うじて聞こえてくるのでした。
終わるといつもニコニコと4人揃って私に挨拶をしていく若者たちです。
ところが、ある日
「…が〜」「…に〜」「…を〜」
しか聞こえてきませんでした。
変だなと思っていると、部屋から一人が抱きかかえられてくるではないですか!
すでに息はなかったようです。
密室で
殺人か?
私は色めきました。が、検死の結果は心臓発作でした。
その後また、何もない退屈な一週間が過ぎましたがその次の夜。今度は
「…が〜」「…に〜」
しか聞こえてきません。
そしてまた、心臓発作です。う〜む。
密室を
出入りした者はいなかったはずです。
やや期待の持てる3日間となりまして案の定、
「…が〜」
しか聞こえてきません。
今度こそ!と私が思ったのも無理はありません。例の心臓発作でした。
私は思い切って中に入ってみましたが、2人以外、
密室に
誰もいません。ますます謎は深まるばかり。
そしていよいよ翌々日の夜。
ついに何も聞こえなくなりました。
密室が
犯人だったのです。
公園を貴方と二人でブラブラ散歩したわね。
心地良い穏やかな時間。
ふと見上げると新緑が眩しくて、お日様がきらきらしてたわ。
その時ね、幸せだなぁ〜って心がぽかぽかしてきたの。
私は貴方が好きなんだって感じたの。本当に幸せ。
この幸せが永遠に続いて欲しいと思ったの。
辛いことがあるとき、何度も何度もこの日のことを思い出したわ。
心が満たされる甘い思い出。
貴方は舞台を降りてしまった。
私だけこの思い出の呪縛から逃れられない。
愛を語るには粋じゃない。人に見てもらうほどの場所でもない。問題は、どうやってここに私達が入ったか、だわ。見られることの快感と出ることの出来ないジレンマ。
生温かい空気がまつわりつくなあと思ったらどうやら僕らは完全に閉じ込められてしまったらしい。空調すら止まって館内には人いきれが充満しつつある。もっとも壇上の語り手にちっとも動じる様子がないところを見るとこれも予定された演出ということか。ここで激しい抗議でもしようものなら脚本家の思うつぼだろうと思って平静を装ってみる。だが結局他の観客たちがすぐ騒ぎ出して舞台に詰め寄ってしまうんだな。「まあまあ抑えて」壇上の細身のスーツが紋切り型の台詞で応じる。「こうなったらみんな運命共同体ですから」「勝手に巻き込んでおいて何だその言い草は」「最初からこうなるように仕組んでおきながらよくもいけしゃあしゃあと」思えば食ってかかる客の言葉もまるで台本そのものだ。そんな型通りのやりとりを聞いていると少し眠くなってきた。...不意にガクンと大きく落ちて目が醒めた。口論は舞台上に場所を移してはいるけれど話は同じ所を回ってばかりいる。パニックと偶然を期待されていただろう僕らは結局のところ退屈な共犯者にしかなれないんだな。そんなことよりこの密閉された箱がゆっくりと傾き始めている気がするのだけれど、誰も気が付いていないなら黙っていることにしよう。
「カミサマがいるんだって」
古い劇場ならこんな隠し部屋が必ずあると、旅一座で花形女形の少年は言った。
カモフラージュが巧みなのか、それとも袖の暗さのためか。言われなければ扉になんて気づかないだろう。
「中、どんななのかなぁ?」
四畳半に満たないこの納戸には、なぜか龍神を奉った神棚があるだけだと聞いていた。
初日前夜。十二歳までの少女か、あるいは十二歳までの女形が、その劇場に奉られた神へ芝居を奉納し、眠る。そうすれば大入り満員、無病息災で公演を終えられるのだ。
それがしきたり。
「知らない。真っ暗でなんも見えないから」
扉の向こうを知っているから少年は、早く次を案内したくて、わたしの手を引いた。
「ああ・・・そうだね」
生贄の条件に適さないわたしは、せめて少年の無事を龍神に祈った。
かれがやってくる。私はかれが部屋に入り込むのを確認して、鍵を閉める。かれがこちらを見たような気がするが、そんなはずはない。かれはカメラの場所を知らない。てもちぶさたになったかれは、深呼吸をしてぼんやりと歩き始める。私はそれを見ながら記録を始める。……3……2……1……4……
かれがこちらを見たような気がする。私は手を止めて、カメラのなかを凝視する。焦点の定まらないかれの瞳が、何かを探している。けれどもそれは、まだ私ではない。私は記録を再開する。かれはまたぼんやりと歩き始める。……10……7……9……15……
かれがこちらを見る。見た。今度は間違いない。私は立ち上がって駆け出す。鍵を開ける。もどかしい。扉を開ける。いない。後ろで鍵の閉まる音がする。私はあわてて振り返る。見えるのは、私がとりつけたカメラのレンズ。いや、それとも、かれが。
私は深呼吸をして歩き始める。いつもと同じようにつぶやきがもれるが気にしない。
……632……254……397……921……
かれが記録を続ける。続けているはずだ。
入ることも出ることもできない劇場の中でぼくは、代々続く観客の子として生まれた。
「お前は立派な観客になって、いずれ最前列を継ぐのだ」父は言うけど、ぼくは楽屋を目差すつもりだ。革命の台本を内緒で書いている。
目的地デネブ㈿に着くまでの長い時間を、退屈と頽廃から救うための体制なのに、階級に安住した大根役者どもの圧制には我慢ならない。劇場はすでに減速を開始していることを、ぼくは知っている。到着までに、やり遂げてみせる。
私は天才医師だ。10歳の時に有名国立大医学部を首席で卒業。
数々の難病を解明し、ありとあらゆる賞を受賞した。
そして医薬品、医療器具を開発し巨大な医療ビジネスを展開している。
全世界の人間が私を敬い助けを請う。私は愚かな人間を見て手を差し伸べる人間だ。
私は天才だ。医療の世界だけでは勿体ない。
弁護士、公認会計士、一級建築士、ありとあらゆる資格を取り全分野に名を轟かせよう。
華やかな人生、名誉も富も全てが思いのまま。なんて幸福な人生なんだ。
おいっ、そこ!いつまで寝てるんだ!授業中だぞ!
ブザーの音と共に、場内を照らしていた明かりが落ち、代わりに壇上に一際鋭い光が投げられた。スポットライトの中心で、赤ん坊が泣いている。その脇には産まれたばかりの我が子を愛しげに眺める母親らしき女性と、子供の誕生を祝福している父親らしき男性、そして白衣をまとった医師や看護婦が並んでいる。
赤ん坊は瞬く間に成長し、すぐに可愛らしい小学生になって入学式を迎えた。子供はすくすくと育ち中学生になったところで、悪い友達とつるむようになり、ゲームセンターに入り浸るようになった。そこで客席に座っていた人間が何人か席を立って外に出ていった。
不良になった中学生はしかし高校入学と同時によい教師と出会い更正した。その後、真面目に勉強を続けたが、大学には惜しくも入ることができず、浪人することにした。ここでもまた席を立って外に出ていくものがいた。
浪人生が大学生となり、大学生が会社員となり、会社の中で昇格を続けている間も、節々で客席を去っていくものがいた。やがて平穏な余生を暮らしている老人が、炬燵で居眠りをしていたとき、最後のひとりが席を立った。
直後、老人の寿命は尽き、幕が下り、誰もいなくなった場内を照らす明かりが戻った。終ぞ壇上から下りることなく死んだ魂は、赤ん坊へと生まれ変わり、再びその狭い壇の上で儚い人生を演じることになる。何度も。
Y市にある“東亜劇”は館長の趣味による偏った上映ラインナップのせいで、
“開かずの劇場”の悪名を欲しいままにする、ある意味希有な存在の映画館である。
現在架かっている作品は「試合場の道・三部作」であり、三本続けて観るとそれだけで12時間をゆうに越えてしまう。
何でも、春先には「英国諜報部員シリーズ・全20作」を一挙にノンストップで上映する予定だとか。
エレベータに乗った。降下し始める。カーゴの中には僕しかいない。ふと見ると扉の左側にディスプレイがあって、エレベータ内の監視カメラが映した映像を流している。そこには僕が一人で映っている。右手を上げてみた。映像のなかの僕も右手を上げた。左手を動かしてみた。映像のなかの僕も左手を動かした。ステップを踏んでみた。映像のなかの僕もステップを踏んだ。両手両脚の動きはいつしか舞踏のようになっていった。しかし問題が起きた。どうしても顔が動いてしまいディスプレイを見ることが出来ないのだ。客のいない舞台は虚で愚。仕方がないので僕は首から顔を引っこ抜きディスプレイを見上げるように床に置いた。しかし見えづらい。ディスプレイは小さく、しかも僕の視力はあまり良くないのだ。しばらくそれで踊ったが乗らない。しばらくしてあることに気付いた。ディスプレイを見る必要などない。直接僕を見させれば良いのだ。僕は僕の首を身体を見るように置いた。ラジコンを動かすような違和感があって最初は苦労したが、そのうち異様に面白くなってきた。僕は踊り続けた。エレベータは止まらない。
母である幻燈女王は光まぐわいの儀式を舞っていて、私は他の端女の姉妹達と股を濡らしながら北壁に蹲っている。土壁に塗り込まれた藁が飛び出していて、ちくちくと首筋を刺激する。50歩程離れた南壁では、母の姉妹の遊婆達が薄ぼんやりと陰に包まれた顔を上下に振って、官能の同調波を世界全体に送っている。
蟲の様に、きしきしと、私たちは方形世界に蹲っている。
母の光まぐわいは、後光が絶穴に隠れることに拠って終わりを告げる。世界全体に生臭い倦怠感が漂って、だから私はこの火照った体を弄びながら明日の貫通の儀を予感する。
私は東壁に立っている。そこは幻燈女王の座だ。端女は北壁に、遊婆は南壁に、配置は世界律に拠って定められ、只貫通の儀に拠って端女は東壁に立つ。西壁には、私の乳首程の大きさのピン・ホールが開いている。
日が穴に差し込む。後光が世界を貫通する。映し出されて、東壁に、神が。
さかしまになった、男。世界唯一の、男。
私の青臭く硬い体の上に、
のっぺりとへばりつく。
右手を高く掲げ、
左手を取る。
ダンス。
男根。
汗。
光の中の陰と私と。
からげた足に纏わりついて、
左足、右足、左手、右手、ターン、ステップ。
やがて宙に浮いて、世界の中心で私と神はまぐわい続ける。
北壁には端女が、南壁には遊婆が、幻燈女王は西壁の絶穴の横で、私の光まぐわいを股を濡らしながら眺めている。その視線も、最早ない。世界には舞いの動作と、光と陰と、刺す様な快楽だけが残っている。
まずお客様には密室の中へ入っていただきます。ここでいう密室とはただ出入りのできない部屋という意味ではございません。真の意味での密室、完璧な密室でございます。蟻どころかウイルスですら侵入は不可能です。
お客様がこの密室に入られましたら、空気を少しずつ抜いてゆきます。はじめは少し息苦しく感じるかもしれませんが、じきに眠りにも似た心地良さがお客様を包み込みます。そしてお客様は『演劇』を見はじめます。
演劇と言うと語弊があるかもしれません。何せこの『演劇』はお客様しか見ることができないのですから。
感覚的には夢をイメージしていただければよろしいでしょう。しかし夢とは似て非なるものです。夢が作り出すものは偽の世界。しかし『演劇』がお客様に見せるのは現実の世界です。あなたが今まで体験してきたこの世界を数十分の間に凝縮して映像にするのです。
走馬燈とおっしゃる方もいらっしゃいますね。しかし、ご安心ください。私どもはエキスパートです。お客様が死ぬことは絶対にありません。
え、私ですか? もちろん見ましたよ。退屈極まりないクズのような『演劇』でした。つまらない人生を送ってきましたのでね。
お客様が『演劇』を楽しんでくださることを切に願っております。それでは、ごゆるりとご鑑賞ください。
月見齧歯嬢は
磁器化粧みっつ揃え
吉祥告げじ身と
実況告げし身の
女子密通劇
密教師事月に
激痛時密書にて
解き明かされる密室劇場
彼女は朝が苦手だ。毎朝、けたたましく鳴る目覚ましにしぶしぶ起きて
「どうして毎日会社に行かなければいけないんだろう」と呟きながら出勤の準備をする。
午後、おやつを買いに売店に行き休憩。定時になると満面の笑みでそそくさと帰宅する。
晩、ドラマをだらだらと見て、「一日が終ってしまうー!」と叫んでいる。
彼女の毎日はいつも同じパターンだ。何も変わり映えしない平凡な日々。
でも、僕はそんな彼女を見ている。いつもどんなときだって。
ある日、彼女は屋上のフェンスをよじ登った。
しばらくたたずんで一度溜息をついて、そして見えなくなった。
悩みなんてなさそうに見える明るい彼女だったから皆大騒ぎだった。
でも、僕は彼女の全てを見ていたんだ。いつもどんなときだって。
何も変わらない日々に生きていく意義を感じなかったんだね。
三面鏡を開くと開演のブザーが鳴った。
細い目に薄い眉ぼんやりした表情の観客がまばらな拍手で迎える。(今日は)
肌を引き締める液体を叩き込む。(あなたに会う)
皮膚をしなやかにする油を薄くのばす。(そして彼女にも)
全体を白く塗り込める。(あなたは)
目を黒く大きく隈取る。(どちらを選ぶ)
赤く青く顔に呪術を施す。(わたしは)
確かめるように満面に最高の武器を構える。そして喝采。
鮮やかに目鼻立ちを際立たせた観客は決然と三面鏡を閉じた。
ドアの外にも舞台が待っている。
あの夜、ギデオン座に到着した我々信徒十二名は、鼠一匹、場内には居ないことを綿密に確認した後、唯一の出入口である扉を閉ざし固く施錠したのです。そして幕は上がりました。我々の内の誰某が俳優であった、ということではありません。全員が演者であった。言わばギリシア悲劇におけるコロスのような役割を負っていたのです。これ以上のことは語れません。我々にとって、それは「作品」である以前に「秘儀」であり、その内容について沈黙を守るのは戒めの一つだからです。
ですから週刊誌に掲載された、上演中に撮影されたものだと言われている写真についての御質問にも御答えできません。終演後、皆様、報道関係者の方々に劇場内を公開した際、舞台上には十字架のみが置かれていたのに、何故、写真には磔にされた裸体の「十三人目の人物」が写っているのか、と問われても同じくです。それよりも我々教団が解明しなければならないのは、参加した男女各六名の信徒の中の誰が戒めの破り写真を撮影した裏切り者であるのか、そして、如何にして写真機を隠し持っていたのか、という謎です。そもそも裸体賛美と自由恋愛を教義とする我々は…。
チッチッチッチッチッはあはあチッチッチはあはあはあはあはチッチッチチチチはあチチはあチはあチチチはあチチチチチくるなシュパッやめろジャッやめるんだグサふぐぁグサグサぁぁグサグサグサグサ
グイッビリビリビリビリサクサクザクザクザクザクトントンジュワァシャアシャアジュージューグッグッグッググツグツグツグツグツグツヴヴヴ
関内で電車を下りた君は、恋人に手を引かれドームがあるのとは別の方向に向かって歩いた。辿りついた場所は、博物館のようで君はふたり分のチケットを買って入場した。
建物の中は薄暗く、恋人は楽しそうに解放されている部屋に入っては、内装をじっくりと眺め、嬉しそうに微笑んだ。何もない部屋を巡って何が楽しいのだろうと君は思うが、恋人にそれを訊ねることはしない。やがて床に白線の描かれた部屋に入った。白線は人の形に沿ったように描かれている、まるでそこで死んだ人がいるように。恋人はそれを見て、意味ありげに頷いている。さすがに不審に思って君は訊ねてみた。恋人は答える。
「この部屋で人が死んだとき、あの扉は閉まっていて、鍵が掛かっていたの」
だからどうしたと君は思ったが、とりあえず頷いて、それ以上は訊くのを止めた。理由を訊いてはいけない、そう漠然と感じたからだ。きっとルールがあるのだろう。知らない人に教えてはいけない……そんなようなルールが。
四角四面の真っ白な部屋で、俺は知らない女と二人きり、突然のことにどうしていいかわからなかった俺に、女は優しく話しかけてくるので、ぽつりぽつりと話を続けるうちに、実はこの女をよく知っている自分に気付き、違和感の最中にいる俺を後目に、言葉だけがつらつらと淀みなく、知ってはいるが確かに今会ったばかりの女に、どうしたことかときめいているのが自分でもどうしても解せなかったものの、事は俺の意志とは無関係に進んでいるのか、俺の意志でない俺の意志は女を求め、女もまたそれに応え、二人は艶やかに交わり、それを見ているのはお前、そうお前だよ。俺は本当は知っているんだぜ。お前が、俺に蕎麦を食わせたり、俺に愛しい人を殺させたり、もっと色々のことをさせたのを。満足か、それとも不満かね。俺は、お前から出られない、出口のない、お前が作ったこのちんけな劇のしがない役者。満足かよ、この野郎。どうせ聞こえないんだろうがよ。
二人は事を終え、また静かに愛を語り合う。お前の目の前で茶番を演じる。せめて、女、俺はあんたに本気で惚れよう。
二人の足元には死体が転がっていた。
「警部、これは殺人事件ですね」
「うむ、小林君。しかもこれはただの殺人事件ではない。ココは密閉された箱だ。窓も無い。ドアも無い。通気穴も無い。ココへは誰も入ることも出ることも出来ないのだ」
「では自殺でしょうか?」
「否、該者は両手両足を縛られ胸にナイフが突き刺されているのだ。そんなこと一人で出来るものか」
「ではこれは不可能犯罪! 密室殺人なのですね!?」
「うむ、小林君。しかしこの事件の大いなる謎はもっと別の次元にあるのだ」
「警部、そ、それはいったい?」
「いいかい、小林君。ココは、窓も無い。ドアも無い。通気穴も無い。誰も入るこの出来ない密閉空間なのだ。この入り口も出口もない今この現場に、どうやって私たちは居ることができているのかって事さ」
「・・・・」
「謎は深まるばかりだ」
やはり二人の足元には死体が転がっていた
密室劇・場と二文節に区切られる。密室劇をやるための場所ということ。展示するための場所が展示場で、ボウリングするための場所がボウリング場、ってのと同様。
じゃ密室劇とはなんぞや?、といえば、大勢の役者がステージに上がれるだけ上がって身動きできないくらいにぎゅうぎゅう詰めになった状態で行う、そんな劇。例えばラッシュ・アワーの電車内での物語、例えば満員のエレベーター内での物語、時として、沈没しかけで八割がた浸水した豪華客船の話などの変種もあるが、いずれにしろ、ほぼ確実に痴漢役が出てくる。どの劇でも、クライマックスはたいして代わりばえしない。観客は常にほとんど全員が男性。18禁。
ママから「帰ってくるまで開けちゃダメよ」と
言われた「世界の劇場シリーズ 北欧編㈵」組み立てキットに
そっと指を触れるとととととれなくなったままままママの帰りを待つわけにも
いかず必死にもがくくくくくくくくるしくててててててててててててを
振りふりふりふりふりふりきんでででるものでもないいい医師を
呼んでほしいいいいいのせんとな欲求ををををしみなく奪ううううううっ血した
ゆびびびびびいしきのきのきの機能上の注意をよくくくくくくみたて
キットっとっとっとれた! ただいま=。
かがまなければならない入り口。薄暗い室内に目が慣れると客席のパイプ椅子が目に入る。あなたは席に着く。舞台には瞬きしない巨大な眼と巨大な耳。口は見あたらない。
開演ベル。静かに闇が増す。あなたはもう自分が目を開けているのか閉じているのかわからない。
平手打ちの光。あなたの上に照明が落ちる。だれかの声が響きわたる。
「さあ、言いたいことをすべて言ってください。すべてを表現してください。われわれは完璧な観客を演じます」
見えないスカートの裾を持ち上げてゆっくりと歩き、とろりとした表情で微笑んでいる。
お姫様なのだ。姉は。
彼女は、わたしの右耳の上あたりを熱っぽい目で見つめている。見えない誰かがそこにいる。たぶん王子様なのだろう。聞こえないセリフに、頬を赤らめてうつむく。
家族四人の食卓。姉をどのように扱ってよいのか分からず、役割を放棄した父と母は自分のまわりに壁を築いて覗き穴から様子をうかがっている。
姉の中にはたくさんの登場人物がいるらしいが、わたしたちはそこに入れてもらえない。彼女が演じている物語の内容がさっぱり分からない。
くるりと表情が変わり、彼女は顔を両手で覆って声も出さず泣き始めた。
「どうしたの」
届かないわたしの声。お姫様になりきって泣き続ける姉。観客を決め込んだ父と母。
「それでもわたくしは、あの方を信じています」
震える声で姉は言う。
体をこちらに残したまま、閉じられた世界で演じ続けている。
そんな彼女を、家に閉じ込めて隠しているわたしたち。
——じゃあ、ね。先生。
魔法使いの娘はパタンと音を立てて閉めた。
ここまで来るのは、つらかった。荒れ地のまんなか、古い城に住む大魔法使い。弟子になるのも大変だったけど、弟子になってからはもっと大変。毎日毎日、叱られて怒鳴られて。それでもやっと。「力ある者を閉じ込める魔法」を盗み見した。さっそく使ってみたというわけ。魔法使いは娘を見くびっていた。魔法使いに比べればずいぶん年も若かったし、女などに何ができるものかと言っていた。眉間に刻まれた気難しいしわ。疑り深い目。高い鼻。こけた頬。でもその頬にはえくぼができることを娘は知っていた。
もうすぐあたしの誕生日。これは自分への贈り物。わぁ、ありがとう、と大げさに喜んでみせて、それからちょっとだけ開けてみて、それから宝物にして。ときどき取り出してのぞくことにしよう。あの人は大魔法使いなんだから閉じ込めたくらいで死んだり弱ったりはしないはず。誕生日。ああ、それまでとても待てない。
そっと開けてみる。魔法使いの背中が見えた。振り向く気配に娘はあわてて、でもそっと閉めた。
——しかたがない奴だな。
苦笑いする魔法使いを想像して、娘はくすくす笑った。
当劇場は、酸欠者続出により本日を持って閉館いたします。館主