500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第38回:ボロボロ


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 老婆はあまりに年をとり過ぎていたため、しょっちゅう体のあちこちを落として回った。一昨日左の薬指と小指を繋げてやったばかりだというのに、今朝は廊下で右耳を発見した。以前は前歯の一本一本を拾い集め、瞬間接着剤で根気強く貼りつけるなどということもやっていたが、その頻度の激しさにあきらめた。右の眼球は久々に外出した折に失くして青いガラス球に変わっていたし、声帯は修復不可なので猫のものを代用していた。だから老婆はもはや人語を用いず、猫の言葉で話した。近頃の付き合いは、隣のトラや斜向かいの三毛などもっぱら猫に限られていた。
 今夜もまた春の盛りの猫の声で鳴いている。あんなに鳴いたらまた下顎が落ちてしまうだろうに。それでも私は、老婆の身体を修復し繋ぎ合わせるのを辞められないのだ。障子越し、月明かりに浮かぶ彼女の影がゆらゆら揺れている。



ボロボロがいる。
舳先で歌をうたっている。

「ラ!」

突然叫んで掻き消えた。

ボロボロよ。
今夜も夢を見るのかよ。



都合により作品が削除されました。



 科学の力には脱帽ですわ。
 もちろん科学の発達による弊害も遥かに多く指摘されてはおりますけど、今はただ、謙虚にそれを賞賛したい気分ですのよ。
 何に感動しているのかですって?
 最近の魚類の養殖技術の素晴らしさですわ。
 あたし、今日、お医者様に言われたんです。もっとカルシウムをたくさん摂らないと、骨粗鬆症になるんですって。
 だから、珍しく嫌いなお魚なんかを食べたんですけど、驚くじゃないですか。
 何しろこのお魚の骨は、少し煮付けただけなのに、あたしの口の中でとろける様に崩れていくんです。



ある編集者が作家の原稿が上がるのを今か今かと待っていた。
「どうです?先生書けそうですか?」
「いやダメだね。『ボロボロの制服を着た女子高生から下着がチラリ』とか『歌舞伎町でボロボロコスプレの風俗店』とか意地でもエッチな話にもって行こうと思っているんだけど、どうしてもオチに繋がらないんだよね」
「でしたら無理して書かなくても今回は回避なさったら如何ですか?」
「いやぁ、そういうわけにもいかんでしょ?オチさえ閃きさえすれば何とかなるんだけどね。オチさえ……。オチって言えば『おちまさと』だけど、今は『秋元康』ばりに『カリスマ放送作家』気取なんだけど、『天才たけしの元気が出るテレビ』時代は相当ダサかったんじゃないの?」
「そんなクダラナイ駄洒落まがいのネタはどうでもいいですから、どうやって今書かれている作品に『お題』を絡めていくのです?」
「まぁこの作品自体が『ボロボロ』っていうことで勘弁願いたいね」



 もともとその骸骨には皮膚や筋肉や内臓なんかがあったわけで、歩いているときにどうやらボロボロと落としてしまったらしく、道にうずくまっているところをあたしが見つけた次第でして、一緒になって探して全てのパーツを拾い集めたときにはあたしは白髪のお婆さんになっていて、どうして時間を忘れてまで知らない人のために自分の人生を浪費しなければならないのだろうと思っていたのですが、骸骨は拾い集めたパーツを本来あるべき場所に黙々と引っつけてゆき、そして見る間に骸骨は一人の若い男へと戻っていったわけでして、あたしに礼を言うと彼はそそくさとあたしを背にして歩いてゆき、ただ一人残されたあたしはそんな彼の身勝手さを危うく恨みそうになったのですが、残り少ない人生を意味のない感情で潰したくないと思ったあたしは、彼を「最愛の息子」だと思い込むことに決め、そうした途端彼にもう一度会いたい衝動に駆られてしまい、あたしはボロボロと崩れてゆくのでした。



笑いジワができているその老人は、別段おかしいことなどなくてもいつでもにこにこしている。ちょっとでもおかしいことがあると、カッハッハと大声で笑う。もう何歳になるか分からないがある日、爺さんが笑うと笑いジワの所に亀裂が走った。肌がボロリと剥がれ落ちる。ぎょっとする僕はしかし爺さんが笑っているのでまあいいか、と思った。爺さんは笑いをやめない。振動で唇と鼻がもげた。目も垂れた。体にも相当ガタが来ていたんだろう、カッハッハ、という笑い声とともに爺さんは指の先から砕けていく。爺さんはそれが楽しくてしょうがないのだろう、なおも笑いをやめない。声帯もカラカラと崩壊し、いまや爺さんは笑い声を発することすらできなくなった。爺さんはもはや爺さんでもなんでもなくなったが、なぜか僕はそこに笑顔としかいいようのないものを見た。



 茶けた紙が風に舞いながらこちらに近付いてくる。
空中で掴み取り、思わずニヤリとした。手を伸ばした瞬間、福沢諭吉が見えたのだ。
拳を開くと、それは真ん中から破れかけ、角はなくなり、手垢に塗れ、毛羽立ちもひどかった。
壱万円札としての威厳は完全に失われている。
 家に帰り、庭に小さな穴を掘った。満開の椿の根元に。
そこへ前日に生を終えたハムスターを壱万円札だった紙で包んで埋めた。
 埋め跡を隠すかのように落ち、色褪せていく椿と涙



 おやおや、ボロボロじゃないか。
 まるで「仕事が忙しくて疲れた」みたいだねぇ。
 え?
 そこでのっぺらぼうの男に会って逃げてきた?
 もしかしてその顔は——。
 ……。
 …………。
 まあ、後からでもいいか。
 それよりいらっしゃい。
 よろずやへようこそ。
 あんた、呪術師だね。
 いや、「あんたが右手ににぎったネズミ」ですぐ分かったよ。
 え、何もいらない?
 いやいや。入ったからには、何か買ってもらうよ。じっくり見ておくれ。
 灰・蛇・剣・蜘・毒・婆……骸・杯・盾・矢・藁・棺・壷。
 おうおう、「まばたきもせずに左から右に見てた」ね。
 熱心なこったが、「目が乾く」ぞ。
 ——————————————————→壷。
 おっと。あんた今、「壷を見た」ね。一番右の壷。
 うかつに触るんじゃないよ。
 レッドスネークが出てきてあいさつするよ。
 レッドスネークがあいさつしたらあんた、死ぬよ。
 灰。
 うわわ。あんた今、一番左の「灰を見た」ろう。
 気を付けな。
 結構毛だらけになるよ。
 灰だらけになったらあんた、死ぬよ。
 ところで——。
 ……。
 …………。
 ところであんた。
 「そいつは誰だい」?
 いや、「あんたの背後にいる」女だよッッッ!



 思い出の抽斗から古ぼけた一冊のノートを見つけた。色褪せ、ページを捲るだけで壊れてしまいそうなその交換日記は、文字と愛情と後悔でびっしりと埋め尽くされている。
 読み進めていると、都会の空気と同じくらい透明な滴が日記帳に落ちてきた。ナミダツブはぼくの目からのジャンプを止めず、日記の文字は滲んでゆく。対照的に、ぼくの記憶は鮮明になってゆく。
 彼女との楽しかった日々。ああ、どうしてあの時いっしょにお風呂に入ろうなんて言ってしまったんだろう。部屋の隅の錆びた鉄塊を見ながらぼくは悔やむ。



 あたしの躰は穴だらけ。毎日々々増えるから、毎日々々繕わなけりゃ追っつけないの。
 困ったもんだと思うけど、穴繕いつつ鼻唄歌う。だってそこかしこにあるその穴は、男のコたちが開けたもの。あたしの心を知りたくていくつも開けた覗き穴。
 あたしだってそうそう簡単に心を赦しやしないから、いつも穴はあたしの心に届かない。
 そうして毎日増える穴。胸にひとつ、おなかにふたつ、瞼にみっつ。よっつ、いつつ。
 困ったもんだと思いつつ、ちょっぴり誇らしい穴だらけ。



 着の身着のまま着たきり雀の野晒し着物。擦りきれ朽ち果て裾切れて。袖振り合うも他生の縁。唇尖らし実るほど頭の下がる稲穂かな、将を射るなば馬を射よ。縁は異なもの味なもの、言うは易く行うは難し。当たって砕けよと雨垂れ石を穿てば、今鳴いた鳥がもう笑い、手の舞い足の踏むところを知らず、笑う門には福来たると願ったり叶ったり。惚れて通えば千里も一里、会わずに帰ればまた千里、千里の道も一歩から。一日千秋、歳月は人を待たず、光陰は矢の如し。生者必滅会者定離、無常の風は時を選ばず、天地は万物の逆旅なり。一樹の陰一河の流れも他生の縁。風に嘯き、月を弄ぶ、見上げてみれば——、
 夜空に輝きたるは朽ちて欠けた、かつての名月。



暗闇の中で光る破片がまばらに突き刺さっている。
破片から離れすぎると暗くて何も見えないし、近づきすぎると怪我してしまう。
私は微妙な距離を保ちながらその破片で傷つかない様に静かに歩き出した。
破片に自分の姿が映し出されている。
こんな暗闇の中で自分の姿を見ながら歩くなんて不思議だなぁ〜っと苦笑している私を見る私。
歩くたびに様々な表情の私が映し出される。
どんなに気を付けていても破片であちこち傷ついて血が滴り落ちる。
ここから出なければボロボロになってしまう。
苦痛に歪む顔を眺めながら必死に出口を探した。
そうだ、破片を集め光の出口を作り出そう。
破片を必死でかき集めた私は破片に覆われて倒れる私を見た。



 ボロボロは俺のこと。俺はホロホロとポロポロの二人の兄貴だ。
 ああ……俺の怪我のことはいい。かわいい弟達の名前だけは覚えてくれ。

 ホロホロとはハワイ語でそぞろ歩きのことだが、弟はハワイが好きなわけじゃない。生のパイナップルを寝ぐせの魔物とか言いながら、包丁でバックリと裁く。そして酒を飲むとホロホロ酔いになる。ほろ酔いの二倍だ。きっと幸せな気分だろうなぁ。
 ポロポロはよく泣くか、よく落し物をするか迷うだろうが、答えは両方だ。弟はよく落し物をしてよく泣いている。大事なものを持ち歩かなければ良いんだが、大事でないものはないらしい。幸せ者だ。酒を飲めば枝豆をポロポロこぼし、またポロポロと泣く。

 頼む、かわいい弟達なんだ。俺達はこの世に三人しかいないんだ。俺はこの身を呈して弟達を守らねばならない。半身にして馬車に被せるとか、英国の乗馬競技にするとか、どうか止めてくれ。何でも略したがるのはあんたら島国民族の悪い癖だ。

 ああ……俺は構わない。ボロボロを半分に切ってもどうせボロだ。何も変わりはしない。
 ——えっ、ボロは馬の糞だって? だから何で全部馬がらみなんだ。
 しかも兄貴の俺が一番最低じゃないか。



 走る。走る。俺は走る。走って走って躓いて転がって肩を打って膝を擦り剥いてもすぐに立ち上がって走りつづける。走っても走っても奴は俺の背後にピッタリと引っ付いてニヤニヤ笑ってるに違いないのだ。だから振り向くな前を見ろ。それでもとにかく走り続けろ。走り続けなければ俺は終わる。世界が終わる。後ろから響くギター。畜生あの野郎遊んでやがるのだ。
 圧倒的な闇の中俺は走る。限界に達した疲労を無視して走る。神経を心をすり減らして走る。皮膚が剥がれ腕がもげ肉が飛び骨が砕けても俺は走り続ける。走って走って走って走って
 不意にギターの音が消える。俺は思わず振り返——罠だ! しかしもう遅い。真っ暗闇の中不自然に浮き上がって奴はそこにいる。見るもの全てを凍り付かせる世にも恐ろしき顔が俺に向かってニッコリと微笑み——
 何時の間にか俺は立ち止まっている。
 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ



テレビの下にボロボロのキティちゃんの縫いぐるみがちょこんと座っていた。
なぜ母はずっと飾っているのだろうか。



 僕の手のひらからボロッとひとつ、蜜柑が落ちた。蜜柑は転がる。後ろを歩いていた婦人が僕につられて林檎を落とした。林檎も転がる。その後ろの男性が、婦人につられて西瓜を落とした。西瓜はとても力強く転がる。受け止めようと屈み込んだその後ろの少女は、男性につられてボロッとふたつ、手を落とした。
 僕らが立て続けに落とした蜜柑と林檎と西瓜は、少女を越え、物凄い速さで転がっていった。少女の手がそのあとを追う。



 スコーン作るぞクッキングスタート十分だけオーブントースタースイッチオンスタートゆっくり回りだすターンテーブルルルルうたいながら楽しげにくるくる踊る女の子ラジカセ引き寄せてスイッチオンキュルルガチャリ歌声スタートルルルル聞こえて女の子もルルルル合わせてチリチリチリチリチン音を出すオーブントースター中を見る女の子まだ焼けてないもう十分だけオーブントースタースイッチオンスタートゆっくり回りだすターンテーブルルルル歌う女の子ガチャリ止まるラジカセガチャリスタートまた歌声ルルルル聞こえて女の子もルルルル歌ってチリチリチリチリプスプスプスチン音を出すオーブントースター中を見る女の子ガチャリ開けて引き寄せて焼けている音を立てるスコーンを女の子取り出す
 アツイ!
 ガッチャンクァアアンスコーンコロコロ焼けすぎガチャリ止まるクッキングラジカセスコーンボロボロ女の子でもクッキングリスタート。



 ちがうよ玉ねぎだよなんて言わなくていいよと笑ってくれるから、余計に泣けない。



古くなった電灯は光を注ぎ続けることができず、眠そうにまばたきを繰り返してやっと滲み出る荒い色の光を降らす。じっぱ、じっぱじっぱ。搾り出る光は電灯の元に横たわる死にかけの猫を照らす。じっぱっぱ、じっぱ。深夜、ついに猫が息を引き取る。と、電灯はひっそりと光を消す。スポットライトは命亡き者を照らさない。猫は動かない。電灯は眠る。猫は動かない。電灯は眠る、ふりをする。何かを堪えるように、目を瞑る。

ふいに、耐え切れなくなったかのように、じっぱ。電灯は輝きを取り戻す。丸い電球いっぱいに潤んだ電子がゆら、とたゆとう。次の瞬間、堰を切ったように電灯は大粒の光を零す。電灯から零れ落ちる光は途絶えながらも次々と降り注ぎ、猫の周りに光溜りを作る。じじじ。っぱ。っぱっぱ。じじじ。大粒の光はいまやとどまるところを知らずただ猫だけを照らし続ける。



 鉄を融かし錆びさせる灰が舞う街を、ボロを纏ったロボットが彷徨っている。ロボットは大声で自分の呪われた境遇を周りの奴等に愚痴っているが、誰を耳を貸そうとしない。かつて彼の仲間に仕事を奪われた人間の職人連中はあからさまに不快感を示し、殴りたそうにしているが、誰もそうしようとはしない。防御機構の発動を恐れているのだろう。
 俺だって/昔は/皆俺様を/新型/俺は/廃棄処分……
 消費されつくした物語が、ステロタイプの欠片が、灰に混じっていく。
 愚痴をひとつこぼすごとに、彼の身体が融けていく。やがて、軋んだ音。ぐにゃりと歪んだ鉄の身体が地面に沈む。私は右手に持った煙草を、彼の光を失った眼に押し付けて、脚が錆びかけた恋人の家に向かう。もちろん錆止めを持って。
 その道程で私は三度転びその度に部品を落とす。四度目で頭も。それでも私は立ち上がり、ここからだと三キロ先にある目的地を目指す。いまこうしている間にも錆があいつの脚を駄目にして、それで、あいつはもうどこにもいけなくなってしまうかもしれない。私の脚はまだ動く。不意に泣きたくなるが、もうそれは不可能だ。



 ふとベランダに目をやると、ボロボロが僕をじっと見つめていた。確かに、鬱病でひきこもりぎみな僕はボロボロにとって最高の友人だろう。僕はちょっと考えてからボロボロを部屋に入れてやった。
 ボロボロとすごす日々は案外面白かった。話相手も出来たし(僕が一人で喋っているだけだけれど)、帰って来たときに出迎えてくれるものがいるというのは、なかなかいいものだった。
 少しずつ、僕は快復していった。それと同時にボロボロはだんだんと元気を無くし、やせ細っていった。
 医者から全快を言い渡され、喜んで帰って来るとボロボロは死んでいた。餓死だった。
 泣いて泣いてふとベランダに目をやると、今度はポロポロが僕をじっと見つめていたけれど、僕はさっさと追い払ってしまった。



 はざまと呼ばれる地で男はひとり空を見上げて暮らしていた。えらく古びた巨大な石門が聳える他は何もない荒野。そこで今日も門の天辺、定位置で男は虫取り網を構えている。
 毎日太陽が向こうの世界に帰っていく時刻、門の間を蝶の大群が潜り抜けていく。日の光を受け色とりどりに輝き、舞う、それは人がみた夢。食せば、甘く溶ける、妙なる夢の味が口腔に広がるのだ。これまで何千、何万の蝶を胃に収めたか分からないが、男の飢えと渇きは一向に満たされることがなかった。人の夢を飲み下したその刹那は確かに癒された気がするのだが。
 今日も今日とて蝶の群れが門を通る。最近は夢を見る人間が少なくなってきたのか、以前と比べたら蝶の数も減ってきているようだ。中に妙なやつを見つけた。他の蝶のように輝かないしまっすぐに飛ばない。美しい蝶のほうが美味だと信じてそういうものばかり捕まえてきたが、この際選り好みはしていられない。男は弱々しく光る灰色の蝶を網で引き寄せた。指で摘めばその途端に翅が崩れおちてゆく。慌てて口に入れると、苦い。とてつもなく苦く、胸が締め付けられるような——
 その日、荒れ果て渇いたはざまの地に大粒の雨が降った。



都合により作品が削除されました。



そのスニーカーは、一年前、付き合うことになった記念に二人で買ったものだった。
白いキャンパス地に赤いラインの入った、品のいいデザイン。二人おそろいのスニーカー。
あの頃の私たちは何もかも上手くいっていた。すべてがキラキラ輝いていた。
素晴らしい日々。
真っ白なスニーカーのように、二人の関係に何のケガレもなかった。

けれども今、嗚咽をもらす私の部屋の玄関には、薄汚れ、ところどころ擦り切れたスニーカーが二組並んでいる。あんなにきれいなラインを描いていた赤い色も、今ではもう黒ずんでしまった。
限りある未来。
明日、私はそのスニーカーに別れを告げることだろう。



 瞬く間に反転する起伏が構成する雪上に、二人分の足跡だけが続いていた。
 いまでは空間を掌握した雪花の翳りに、逼迫した大気が押し込まれている。
「舞い落ちる雪、その総ての軌跡を思い浮べられたなら」喋る事が苦痛だった。
 懊悩が織成す困惑を白色に起こした様な視界の中で、飼い犬の如く従順についていきいき、
 どうするの?
 と、精一杯に声を出す。
「わからない。これはね、決して叶わない、実現することがない。そんな条件下でしか、成立しえない夢だから」切れ切れに、言葉が流れる。
 静謐を裏返したかのような吹雪の牢獄で、一人分だけ、足音の連鎖が停止した。一拍おいて、もう一人。
 折重なった二人を残して、堆積する結晶の群れ。その小さな一塊々々が、二人の軌跡を、少しずつ、決して一度では済まさず、微かな時の中で緩慢に消し去っていく……ただひたすらに、ぼろぼろと、崩れ落ちるように……すべてを消し去っていく。
「離れ離れに降る雪だが、大地に積もった姿は一つだね」
 ぼろぼろの?さかさま?かな?
「そうだね」
 雪に埋れた二人は、互いに寄添うようにして静止している。
「明日おきたら、きっと綺麗な銀世界だろうね」
 明日って、あとどれくらいで来るの?
「もうすぐだよ」
ほんとーにもうすぐ? 
「本当だよ。さあ、何の心配もいらないから、そろそろお眠り」
 うん。
 屈託のない笑顔でうなずきあうと、二人は瞼を閉じた。



どれくらいの時間がたったのだろう。長い沈黙のあとに、ため息がもれた。
諦めのようでもあり、何かが決まった安堵のようでもある。
息を詰めて次の動きを待っていた重い空気が、一気に解きほぐされてゆく。
胸の中にしのばせた言葉のナイフは、ついに抜かれることはなかった。
本当はどうでもいいことだったのかもかもしれない。
こんな曖昧な結末に納得してしまう自分が、おかしく思える。
何も決まっていないのに、そこからすとんと抜けたような、不思議な感覚だ。
とりあえず歩こう。
雨は止んでいる。外に出るにも、ちょうどよい時間だ。
隣りに、少し小さくなった親の姿を感じて歩くうち、
熱いものが胸の奥からこみ上げ、
ボロボロと涙がこぼれた。



 お隣さんちは壁がウエハースだから食べられてボロボロ。
 お向かいさんとこは窓が鼈甲飴だから舐められてボロボロ。
 斜向かいのおうちは屋根がビスケットだから齧られてボロボロ。
 毎日おうちを味見して廻るわたしは食べすぎて歯がボロボロ。



 ホロホロ鳥の羽根がボロボロに破けて、撃ち抜かれた胸元がどす黒く染まる。そんなイメージが脳裏に像を結ぶたび、僕は泣きたくなるのだった。
 例えばの話、狂死を行事に変えるような力業なら、我々には時に必要なこともあるだろう。だけど罪もないホロホロ鳥を一羽残らずボロボロにするなんてのは駄目だよ、僕は人類のこと許せないって気持ちになってしまう。
 モーリシャス島で1681年に目撃された一羽を最後に、我々はこの星からホロホロ鳥を殺し尽くした。その事実に思いを巡らすと僕は耐え切れなくなって、決まって涙を滲ませてしまうのだ。

 ——といった認識が全くの誤りで、僕は勘違いしていたのだと、ホロホロ鳥はまだ元気に生存していて別に滅んじゃいないのだと、識った時には耳まで真っ赤くなったと思う。誤認に基づくこの嘆きを、今まで胸にひそめて自分だけのものにしといて良かったよおっ、て安堵しもした。

 でも暇潰しに、僕は改めて瞑目してみるのだ。絶滅しちゃいないと解っているホロホロ鳥のために。それでも泣いたりできないだろうか。僕は試しに、面白半分にやってみる。ほら悲しんでみろよ、嗚咽しようぜ、そう念じてはみるものの、やっぱり鼻で笑ってしまう。もし絶滅が事実だったなら、涙はとめどなく溢れて、次から次へとしたたり落ちることに成功したかも知れないけれど。



尽きて、灰になりました。



 大洋行くは大きな帆船。マストみな折れ、ボーロボロ。
 クルーは男と女の二人。服はずたずた、ボーロボロ。
 嵐で遭難、ここはどこ。漂流二週目、ボーロボロ。
 故郷はいずこの向きなのか。出した海図は、ボーロボロ。
「妻が帰りを待っている」。手にした手紙もボーロボロ。
 封書の裏には故郷の住所。男の自宅は、某路傍路。
 突然、デッキに強い風。手紙飛ばされ、オーロオロ。
「あれは私の心のささえ」。男は海へと飛びこんだ!
 女止めるも間に合わず、届かぬ思いに涙こぼす。
 視線の先には、ジョーズが二匹。
 女は声をしのばせて、静かに静かに泣いている。
 眼下に点々、サメとサメ……。



 どこの好事家がプログラミングしたものか。悪ふざけ。あるいは倒錯。なんにせよタチの悪い嫌がらせとしか思えなかった。意識を取り戻した私と一緒に吊されていたのは二体のロボット、それも実用性のみ考えてデザインされた無骨な重工業用マシンで、だけど逆さに吊られたそいつらは何故か交尾の真似事を繰り返すよう打ち込まれているらしく、ひとつっきりのピストンを二体して漕ぐ格好に溶接されて囂しく揺動し続けるのだった。
 下腹部のまあるいタンク、そのぐるりを囲んで金網に包まれた石炭が真っ赤く熾って、管の先からは断続的に水蒸気が噴き出した。呆然と眺める私の眼前、上のロボから粘液っぽい滴が垂れる。摩擦の過熱を防ぐためだろう下側のロボに捻子止めされたヒートシンクを濡らすと、シュバッと沸いて滾って散った。不慣れな動作にかなりの過負荷がかかっているようで、見ている端からパーツが幾つか緩んでは落ちていく。鎖で吊られた蒸気機関のカップルは、交媾に溺れつつ刻々と崩壊していくらしかった。
 そういえば、超合金の合体ロボットでうちの子が遊んでいたかしら。逆さのロボが二体連なりガッシュガッシュと腰振るさまを、私も吊されながら、見つめてただ途方に暮れる。



ボロボロ、ボロボロと音を立て、彼女の体は崩れ落ちる、昨日の今ごろ、彼女が念願の大理石の石像になりたいという望みを胸に抱き、そのままベッドに横たわり、それを天にましまする神様、天使に命じ、望み通りに彼女の体を大理石の石像に変えてやった、私は昼頃になって、彼女の家に来たのだが、彼女が石像になっているのを発見、さぁ大変と、早速持ち上げて、客間に設置したものの、なんだか、悩ましいほどにその石像を、金槌で打ち崩したいという妄想にかられたのである、そしてそれを実行に移し、ボロボロボロボロ、叩きに叩いて潰して、自分が血だらけになり、床には彼女の臓物が華々しく飛び散っているとは、気付かぬ私であった。



 ぺたぺたと足跡を残して君が去っていく。ただの紙にすぎない僕が薄っぺらいなんて笑うことは出来ない。死を覚悟で水を持ってきた。僕のかけらがどんどん流れて、君の足音は二倍三倍どんどん膨らんで。片方だけ残った腕でノミをふるって、出来たのは君の足跡人形。そこでばったり僕は倒れる。幽かに残った僕を踏みつけて、君は再び去っていく。



その日アタシは寝坊して
ごはん食べずに学校行くべく
駅に行ったら人身事故
電車遅延で大混雑
それなら何か食べようと
財布を覗けば15円
売店横目に電車に乗れば
足を踏むのは女子高生
尻を揉むのはサラリーマン
満員電車を抜け出して
学校めがけて突っ走ったが
何とその日は休校日だった。



「もうダメだ」
そう言い残して片思いの女の子にふられてしまった友人のスズキ君は僕の目の前で木っ端微塵に散り散りになった。
しかたがないので僕はスズキ君の破片を拾って集めて新生スズキ君を組み立てた。
完成したスズキ君(改)を見て、あらびっくり。
スズキ君(改)は、デブであばた顔でどもりで、話す時いつも口の端に唾液の泡を溜めるスズキ君(旧)とは全く別人のサトエリ似の美少女に仕上がった。
モテモテにになって色んな人からちやほやされるようになったスズキ君(改)は僕の手をしっかりと両手で握って、
「時には壊れてみるのもいいものだな」
と涙目で感謝の意を述べた。
僕は人間の可能性は無限大だなとしみじみ感じた。



月夜の窓辺で、少年がはつ恋の予感に恋しながら静かにチターを爪弾く
摩天楼を見下ろす窓辺で、女が突然の破局に瞳を潤ませ俯く
薄暗い地下道で、かつて「社長」と呼ばれた男が今や薄汚れた身なりを顧みて頬を緩ませる
そして僕は束の間の、ささやかな幸せを享受しながら、小さな劇場でスクリーンを見つめる・・・
手にしたポップコーンの溢れるのも気にすることなく



夜を分けて進む者たち
憤りにオモテをあげ 地鳴りのようなうめき声を発し
一歩一歩 よろめきながら地を這う

逃避の崖に ぎりぎりのところで背を向け
一歩 また一歩 

黎明が山の端を縁どる頃
永遠の試行錯誤を呪い
悪夢を振り払うように 
力無く 両手を宙に泳がす

夜を呑み込み 昼を噛み砕き
朝に嘔吐し 夕べに伏す

繰り返す苦悩の連鎖に疲弊した精神が
さらに疲労した肉体を覆う


夜を分けて進む者たち
骨を軋ませ 肉を震わし
一歩 一歩 地に生を刻め
動力は憤怒でいい
風に抗い 砂塵を呼吸し
懐疑と悔恨にもがきながら
時に爪痕を残せ

ため息はもはや出ない
魂の塊が喉の奥深くにつかえ
言葉に蓋をする

善と悪で塗り分けられた世界は
混沌の様相を呈し
今はもう 前後の区別すらつかない

夜を分けて進む者たち
迷いと確信の淵を 泥にまみれて渡れ



或る星系辺境小惑星。
ここはロボット捨て場である。
見渡すかぎりのロボロボロボロボロボロ…