500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第39回:金属バット


短さは蝶だ。短さは未来だ。

その棒はある日突然ニテの目の前に落ちてきた。それは光を反射しニテの目を眩ませた。太陽が産んだ太陽の神。ニテは座りの良い方を下にして小屋裏の土に突き刺し、美しい妻と一緒に毎日拝んだ。どうか私たちを幸せにして下さい、と。
 ニテは作物を育てるのが上手かった。簡単な罠を作り小動物を捕らえるのも巧みだった。が、優しく気の弱いニテはそれらをたびたび集落の乱暴者ゼフに奪い取られていた。
 ある日狩から戻るとニテの家からゼフが下卑た笑みを浮かべながら出てきたところだった。慌てて中に入ると裸に剥かれた妻が放心して横たわっていた。
 ニテは小屋裏の太陽の神を泣きながら責めた。どうして幸せにしてくれないのかと。神は光の反射で答えた。おまえは間違っている。祈るだけでは欲しいものなど何一つ手に入らないのだ、と。
 ニテは空に向かって生えている棒の、一番細い部分を握ってみた。
 生まれて初めて感じるどす黒い感情が、身体中に漲った……。



 工場跡地にやってきた男の子。バットとボールとグローブを持って、コンクリートブロックの上に腰をおろして、友だちを待っている。でも誰も来ない。男の子の友だちはバットとボールを教科書やギターに持ち替えた。
 日が沈み始めても男の子は座っている。待ちくたびれた男の子はまどろむ。

 風の音
   風の音
   
 喚声が上がる。ユニフォーム、浮かぶ。バット、振り回す。

風の音     風の音

 夕日に照らされて輝くバットはどんなに速いボールでも彼方まで飛ばせそう。

     風の音
 風の音
 
 夕日の魔力に動かされ、男の子は手の中のバットになって、スイングする。

   風の音
   風の音

 そこに通りがかったおばさん。廃工場の前で一人無我夢中でバットを振っている男の子をみて怖くなったのか、携帯電話を取り出して警察に不審者がいると通報する。
 果たしてどうなるのか、黄金バット! 
 どこまでいけるのか、黄金バット!

 風の音
  風の音
 風の音
 
  サイレン 
   足音たくさん
風の音
 呼びかける声
   速くなる風の音   高らかな笑い声
速くなる風
 風に乗る音
  風に乗って飛び去る





 みんな呆然と帰る足音。



 もっとも簡単に人を黙らせるには、殴りつければ良い。
 そんなわけで手を伸ばし、そのまま掴んでヤツを殴ったら、カーンッと甲高い音とともに得物が裂けた。
 本来ならヤツから吹き出すはずの脳漿や血液、その他諸々がピューッと吹き出し、一面に降り注いだ。
 呆気にとられたのも束の間。吹き出す勢いはすぐに弱まった。悔しいやらわけわかんないやらで、裂け目に手を突っ込んだら肩口までスポッと収まった。
 結んで開いて、グッパッグッパッしたところでなにも触れない。それどころか裂け目は閉じてしまった。
 トンファーみたいで、殴りやすくなったこの新しい腕で今度こそ!と思ったら、ヤツの頭に俺の腕が咲いていた。
 まったく。ヤツの笑い声は腹立たしい。



 秘密の深夜特訓を始めてちょうど10日目、渾身の力をこめて振ったバットはぼくの手からすぽんと飛び出した。空に向けて一直線に飛んでゆく金属バット。大気圏に突入しキラキラと燃えあがるそれはさながら逆流れ星で、ぼくはぼけーっとその美しい光を眺めていた。うわあ、きれいだなあ。
 それから46年後、第一宇宙速度を超え地球をぐるぐると回っていたぼくのバットにぶち当たった旅客宇宙船が大爆発、乗客273人を殺害した罪によってぼくは死刑を宣告された。
 そんな馬鹿な。



それは小暗い床の間の隅に立て掛けてあった。切れかけた照明を受け青銀色に鈍く光る。長さ約三尺余、手にしてみるとずしりと重い。客間に置くには如何にも不釣合いに思い、主人に聞けば曰くつきの品だと言う。
「もった人間は正気を失うんですよ」
前の持ち主は視界に入るものは何でもかんでもボールだと思って殴りつけたって話、いや私もこの目で見ましたがまさか自分の孫をねぇ、その前の持ち主は実際に幾人かの頭を割って西瓜みたいだと大笑いしたとか、また二つ前の持ち主はとり憑かれたように庭の桜の幹を打ち続け、花びらの降り頻る様はぞっとするくらい綺麗だったそうで。壊したモノは数知れず、血を吸って飽くことがない。
 主人は妙に雄弁になっている。こんなに喋る男だったろうか。
 揚句「早く手放せばいいのにと思うでしょう。ところがこれね、捨てても捨てても戻って来るんですよ」とさして困った風でもなく言う。
 気味が悪くなったので早目に辞去しようと立ち上がり、今一度床の間のほうに目を遣ると、赤い色がぬらぬらと輝いている。
 「だから言ったでしょう、曰くつきの品だって」
 主人は薄い笑いを浮かべている。私はどうしてもその赤いバットから目を逸らせない。



キン。と音を立てて白球が夕暮れの空に吸い込まれていく。
買い物袋を下げたまま、ふと金網越しにグラウンドを覗く。
キン。バットの放つ小気味よい金属音が呼び起こす遠い日の。
あの頃の私は生活に疲れた主婦などではなく。
キン。白球を追うかけ声が記憶にこだまする。
あの時もこうして金網越しに彼を見つめていた。初恋の。
キン。ボールの重みが一瞬にして弾け飛び現実にぶつかる。
結婚という生活はぬるく苦く澱んで重なり。目眩が。
キン。キン。キン・・・。
繰り返される打撃音。夫の背後に迫る自分がよぎる。夕闇がじわりと潜む。
キン!ひときわ高く弧を描いてボールが飛んでいった。
ハッと我に返る。
今晩は枝豆をゆでておこう。



ちらちらと、目の前で振り子運動を続けてい金色に輝く丸い点が突然速度を上げた。
少女はもう随分前から諦めている。
ゴルフスイングの要領で振り抜かれた金属バットが、跪いた少女の側頭部から正面にかけて打ち抜いた。
体が浮いたかな、と思った矢先には轢かれたカエルの様に、腹這いに倒れこんでいた。
少女には聞えていなかったが、これ見よがしに抜き放たれたバタフライナイフが、とても蝶の名には相応しくない人工物独特の機械的な音をたてている。
首筋から進入した刃先が一直線の軌道を描き、色白の背中が露出したが、少女は痛みのあまり失神しかけていて、恥らうそぶりなど見せられなかった。左右から伸びた腕が切れ端をつかみ、ゆで卵の殻が剥かれた様に、少女の上半身が露出した。
滲み出した血液が、迷彩服を着た兵士が密林に溶け込むように、黒色の髪の毛の艶を奪い潜んでいる。
頭髪が鷲づかみにされ、少女の上半身が引き起こされる。無傷のままの上半身と、カタチの歪んだ容貌は恐ろしいほど不釣合いだった。
半開きの瞼.少女の瞳はもう現実をみていない。見ていたのは最初から最期まで、ただ一つ。
 金属バットの残像が、まぶたに焼きついて放れない。そのあとも、いまもずっと放れない。



 小学校のころのスポーツ少年団。エースで四番だった少年は地方大会の決勝戦。9回裏ツーアウト満塁、サヨナラのチャンス。金属バットを握り締める少年の手には汗。バットのグリップには親友が書いた激励の言葉。ピッチャー、第一球を投げた。打った、大きい、大きい、抜けた、抜けた、ランナー走った。三塁ベースを回って、ホームイン。逆転。逆転。逆転サヨナラ。サヨナラ。さよなら。さよならのチャンス。ピッチャーはいない、少年の心で何かが、切れた。打った。もういい、もういい!これが…俺か?バッターは知った。三回バットで殴って、葬りぬ。愕然。漠然。突然さよなら。5歳のとき親にねだって買ってもらったプラモデルも、9歳のとき図工で先生に誉められた粘土細工も、12歳のとき地方大会で優勝して手にしたトロフィーももはや何の意味も持たない。17歳になった青年が汗まみれの手に持つ金属バットは傷つき磨りきれてかつての光沢を痛々しいほどに取り戻したが、そのグリップにあるはずの親友の激励の言葉は汗で滲んでしまってもう読めない。



ニッケル合金の塊を黙々と削る。回転させながら、最初は粗く、やがて磨くように細かく。表面がつややかな光沢を帯び始める。手を休め、しばしその形に見入る。ヘッドからグリップまで絶え間なく微妙に変化しつづける、なめらかな曲線。そっと手に取り、ずしりとした重みを、ひんやりとした手触りを確かめる。振れないバット。戦うことから永遠に解放された、フォルムの標本。力の形見。



あの時ぼくは高く遠くに上がった打球が捕れなくて、ボールは高い繁みの中に姿を消した。向こうで聞こえる歓声を背にして、ぼくは慌てて後を追う。
誰かがぼくの名前を大きな声で呼んでいる。後ろの方であがる歓声。球の見つからない繁みから覗く土。地面に無造作に捨ててある金属バット。変にひしゃげたその先端と、俯せに倒れている人。生い茂る緑の葉に鮮やかに散った赤い色。遠くでぼくを呼ぶ声が聞こえる。
鈍い音が鳴って、今、僕は同じ場所に立っている。僕が殴った彼はもう二度と目を覚まさないだろう。僕は突然恐ろしくなって、その場に凶器を捨てて走り出した。
逃げながら、明日の草野球の試合のことを考えた。四回の裏、ピッチャーの放った球は完全に真芯で捉えられ、打球の消えた繁み、俯せの死体、赤く濡れた草、遠くで聞こえる歓声、先のひしゃげた凶器。
それはさっき僕が捨てた金属バットで、きっとそれをあの時のぼくが拾うのだろう。
気が付くとぼくは空高く上がった打球を追いかけていた。



 まあね確かに黄金も金属のうち、でもグラム単価がケタ違いだもんでやっぱり貴金属って呼んで別枠扱いが相応しいんです。いわゆる卑金属にだって、コウモリ人間、いっぱいいるわけですよ。正義のヒーローにはなれないとしたって、ね。
 例えばアルミ。なんつっても軽さが身の上。怪人ナゾーに腹でも蹴られようものなら、あっけなく背を丸めて嘔吐し始めるんですわ。ぜんぶ戻したあとだって、口に残った嫌な味が気になるらしく唾をペッペと幾度も吐いて。でね、ようやく顔を上げたと思ったら、そっから猛ダッシュで逃げ出すんですから。慌てて追っかけるナゾー軍団なのでした。
 それから、鉛。こいつは重くて暗くって、不健全この上ないんです。野球なんぞ大ッ嫌いな癖して、同姓同名の輩にヘンな共感やら好意やら覚えてしまうのにも似た感覚で、とうとう素振りスパルタ特訓用の鉛バットを購入してしまいました。食らわしたるど鈍色の天誅、って妄想があるのでしょうか。いずれやるでしょ。彼はやる。でね、その顛末を自分で紙芝居にまとめて、子供たちにムリヤリ見せて泣かしたろ、とも目論んでるんですよきっと。これはこれである種のヒーローなんでしょうか。よく知らんけど。



 月のさやけき夜、少年は血塗れの金属バットに出逢った。その名のとおり、でこぼこの金属バットを引き摺って、アスファルトをカラカラいわせながら夜の町を徘徊する殺人鬼だ。出逢えば必ず頭を割られて殺される。身を守る方法はただひとつ、手にした荷物を差し出して、空いた両手で頭を割られないよう庇えばいい。そうして闇に消えるまで、息を潜めて待てばいい。
 月のさやけき夜、それでも少年は手の中のものを差し出すことが出来なかった。しっかと両手を胸に引き寄せたまま、微動だにしなかった。
 金属バットは血塗れたバットをカラカラいわせながら少年に歩み寄り、そして、通り過ぎた。
「今夜だけは見逃してやるよ。どんな金属のバットでも、君の決心だけは固くて到底壊せそうにもないからね」
 擦れ違いざま、歌うように喉を鳴らし赤い唇を歪めた。そうしてたちまちカラカラと掻き消えた。
 さやけき月の下、少年の手の中で仔犬が不安げにクウンと鳴いた。



「安保はんたぁぁぁァァァァァァーいっ!」
 ブルンッ、スパーン!
「ストライーク、バッターアウッ!」
 土木用の黄色いヘルメットにサングラス、口元を手ぬぐいでおおった男はバッターボックスを外すと、とぼとぼとベンチへ帰ってきた。力無く引きずるバットの、カラカラという甲高い音だけが彼の歩みを追う。背後から斜陽が、若き日の輝きを失ってしまった男を照らしていた。
「やはり、お前はこれじゃないとダメだったんだよ」
 ベンチの仲間はそう言って、男に釘付きバットを差しだす。
 男は何も言わず、かぶりを振るにとどめた。
「どうして、なぜこいつを使ってやらなかったんだッ!」
 釘付きバットを握った選手が、目に涙を浮かべてしつこく男に詰め寄った。
 男は引きずっていた鈍色のバットをそばの壁に立てかけると、ベンチに崩れ落ちるように座って遠くの山と空を見た。
「……時勢だよ」
 ひとしきり夕日を愛でた後、それだけ言った。
 遠くで、審判が試合終了を告げていた。
「俺達は、負けたんだ」
 そう言って天を仰いだ男の頬を、一瞬だけ滴が伝い、すぐに隠れた。声がこもっているのは、口元を隠す手ぬぐいのせいばかりではない。
 男の隣りでは、とげも温かみもない丸い空洞バットが、傾いた日の光を反射しているだけだった。



三十過ぎて体力の低下を痛感。登録抹消。自由契約。引退……ああ厭だ絶対ごめんだ、俺はまだまだプロでやりたいんだ。
 夏の甲子園をTV観戦。快音と共に次々とスタンドに飛び込むボール。いいよなあ高校球児は。あれが使えりゃ俺だってまだまだ……。
 ポンと膝を叩く。みんなは木製バット。俺一人内緒で金属バット。速い球足で、ゴロはヒットにフライはホームランに!
 俺は金属バットを木製バットに見せかけるべく研究を始めた。金属バットの表面に特殊な樹脂を張りスプレーをかける。よし、見た目、手触り、完璧だ!
 ——キン!
 うわあ音がダメだろ音が。金属音を木製バットのそれに換えるためハイテク技術を駆使した。金がかかる。時間もかかる。でも選手生命を永らえるためだ、惜しくはない。

アナ「空振り! 打者四打席連続三振!」
解説者「かんっぺきな、練習不足ですね」



金属製のバットを買った。別にこれといって何をするでもない。ボールを打ちたいわけではない。殴りたいわけではない。まして、人を殺そうなどとは思っていない。しかしこの冷ややかな金属の冷たさがバットを軽くなで出ると私の掌に浸透して、全身に行渡るのには少なからず快感を覚える。
おじいさん、道の向こうから歩いてくる。地味な服、禿頭、どこにでも居るようなおじいさん、私はそれをバットの柄を握って、じっと立って見まもっている。私の視線に気付いたのかおじいさんは私と目を合わせる。視線と視線がかち合う。私はバット、もう一回、撫でる。冷ややかさ。おじいさん、しだいに不信そうな目になる。私、バットを軽く持ち上げてみる。軽く振ってみる。おじいさん、逃げる。まるでウサギ。私、追いかける。逃げる。追いかける。追いつく。おじいさんの禿頭にバットを振り下ろす、ゴツンと言う鈍い音。おじいさん、倒れる。おじいさんの頭から血が。私はそれをじっと見つめる。
けっして、殺すつもりなんてなかったのだが。



ったく、なんでいつもいつも殺人事件のニュースばっかなんだよ!



魔法使いの国に再び魔女狩りの季節が訪れた。
魔女たちは皆、箒を捨て、金属バットに乗り換える。



「どうも皆さんコンバンミ。司会の勅使河原晋太郎です。今夜も始まりました女子中高生が金属バットふりふり、オッパイぷるぷる、オシリぷりぷり、ミニスカからパンツちらちらなスペシャルプログラム。全国から選りすぐりの美少女達がここ神宮球場に大集結しました。今宵も貴方の股間は特大ホームラン間違いなし。解説はお馴染『真夜中の三冠王』砂原プロにお越し頂いております。砂原プロ宜しくお願い致します」
「どうぞ宜しく」
「さぁ今夜のトップバッターは上原未来ちゃん。中学2年生の14歳。愛知県出身。上から80・56・85。セーラー服の似合う、ちょっとハニカミやさんな女の子。好きな食べ物はさくらんぼ。憧れの芸能…。おっとプロフィール紹介中にのっけから豪快にフルスイングだぁ!もうすぐでパンツが見えそうでした。期待できますねぇ砂原プロ?」
「そうですねぇ。今日の未来タンは気合が入っていていいですよ。それに彼女の足首にも注目したいですね」
「ここで番組からお知らせが御座います。まもなく500文字に迫って参りましたが一部の地域を除き、このまま番組を延長させて頂きます。ご了承ください。さぁ上原未来ちゃん。彼女独特の振り子打法で…」



 熱いときに、熱いなどとほざくと、さらに熱さが増すばかりなのだが、やはり熱いときは熱いもので、熱い、熱い、と、どこの誰にともなく文句をたたきつけるように言いつづけてしまうのである。
 で、結局、熱い。
 何も変わらない。
 心頭滅却すれば、火もまた涼し、って、信じてないけどそういうこともあるわけで、それでペンギンのギュウ太のことを考えてみた。
 あたり一面氷の世界で、ギュウ太とバーボンを飲むのは楽しい。
 きのう落っこちてきた隕石のお陰で、大きなボーリングの玉のようなものが簡単に手に入ったので、俺達はそれを転がしあった。
 転がった玉がぶち当たると、ぐだんぐたんと氷山が砕け散る。
 砕け散った穴ぼこから氷漬けのマンモスがひょっこり顔をのぞけた。
 気をよくした俺達はさらに辺りかまわずぶん投げる。
 エッフェル塔の形をしたきれいな氷山が見事に崩れ落ち、その跡から色っぽいデンマークの人魚姫が立ち現れると、俺達にウインクを寄越した。
「うおおおお。いいぞー」と俺は叫んだのだが、そのときふいに、背後に不穏な気配を感じて振り向いた。
 そこには、ランニングシャツ姿の親父が金属バットを振りかぶっていた。



キィン キィン キィン ………
こうして 選ばれし男たちが 地上の片隅で流星を打ち返しているのだ
恋人を想い 妻を慕い 己の名誉を噛みしめながら
掌は荒れ 靴は破れ 地に臥す者が後を絶たなくとも
男たちを運んで来た大鷹が この地を既に飛び去ろうとも

灼熱と冷血の深き溝から盲砂が起こり 男たちの視界を塞がんとする
目蓋を閉じ ひたすらに心の張りで 己が打つべき星影を懸命に捜し当てる

キィン キィン キィン キィン
人々が悲劇の終息を願う数だけ 白斑が天を翔け下りてくるのだ
流星を撃ち返す度 焦げた鉄の強い匂いが鼻を焼く
やがて男たちは限界まで困憊し ついには手にした金属バットを捨てて
手を広げ 目映く降り注ぐ流星群を全身に浴びた

閃光に照らされた——金属バットは十字の形であった
持ち主を失ったバットは砂に立ち 高熱の墓標と化した

キィン キィン キィン ………
新たに選ばれし男たちが 墓標の傍らで流星を打ち返している
男たちを運んだ大鷹が羽根を下ろし 油をずるりと舐め尽くそうとも



 野球の試合で負けたのは世話係マザーの買ってきた木製バットが折れた所為だと、その日僕は駄々をこねた。
「まあ、坊ちゃま。あれはお父様御用達のデパートで買ったお勧めの品ですのに」
「あんなもの駄目さ。金属バットのほうがよく飛ぶし耐久性もあるんだから」
「でもお父様は金属バットはしなやかさがないからお嫌いだと」
「知るもんか。お前は僕の世話係なのに父さんの意見を聞くのか。僕の云うことが聞けないのなら、この家からとっとと出てけよ」
 つい頭に血がのぼった僕は、手当たり次第に物を投げつけ罵声を浴びせた。マザーはうな垂れて荷物をまとめ、その日のうちに本当に出ていってしまった。

 数日後、マザーから小包が届く。
「ああ、マザー」
 包みを開いて思わず呻いた。
 中には、野球ボールを添えて、引きちぎられたコードが絡みついたままのマザーの右腕が一本。



 謀反?
 ふーん、大変だねー。
 え、ワタシも戦うの?
 えーーーーーーーっ!
 ワタシってば、お姫様なのよ。
 なんで戦わなくちゃならないの。
 なぁんで、なんで、なんでぇ〜。
 う? う……。うー。
 仕方ないなぁ、もぅ。今回だけだよ。
 「はい得物」って、いやに用意がいいわね。
 あー、さては初めからそのつもりだったでしょう?
 イヤらしいなぁ。(ぷい)。
 って、あれ。冬なのにグリップ、生温かくない?
 いやん、気持ち悪い。
 え、これあるを期して温めておいたって?
 さっすが、さる。いつもいつも気が利くわねー。
 ……。
 …………。
 って言うわけないでしょっ! 何触らせてんのよッッッッっ!
 早くそのガチガチにたぎったみにっくい大きなもの、しまいなさいッ! 殴るわよっ!

 そう言って信長姫は、煩悩寺の壁に飾ってあった金属バットのグリップを握りましたとさ。
 むかしむかし、彼女が大日本王国の女王様になる前の物語。



役目を終えたタケシくんの金属バットは玄関先に立て掛けられたまま。
ある夏ある朝、朝顔のツルが巻き付いた。
朝顔はバットにしっかり絡まり土の中へ引きずり込む引きずり込む引きずり込む。
バットは土にめり込むめり込むめり込むめり込む。
それを覗き見する近所の高校球児。自分のバットを握り締め、硬くなる硬くなる硬くなる。



水銀は金属だが常温で液体状である。



 「メシ、食ってくか?」
 言われて僕は、慌てて腰を浮かせた。
「いえ。もうそんな時間」
「ね、いまさら遅いから」
 横から僕の服を引いて座らせる鬼子ちゃんは、にこにこしている。昨日は怖い顔で、夕御飯の時間まで長居しちゃだめだよ、と僕に何度も念を押していたのに。つい時間を過ごしてしまったのは、彼女のお父さんと、初対面で思いがけず会話が弾んだ証拠で、それが僕には嬉しかった。
「食ってくだろ?」
 台所から現れたお父さんの手には、金属バット。かわいい一人娘に鬼子と名づけ、男手一つで育ててきたお父さんは、短気でもあった。バットの先が数度、お父さんの掌で弾む。
「おい、聞いてんだ」
「いただきます」
 頭を下げると、
「よし。腕を振るっちゃる」
 お父さんは台所に引っ込んだ。
 バットを振るう影、肉がちぎれる音。
「お父さん、何してるの?」
 鬼子ちゃんは
「肉のたたき」
 と答える。「昔の映画で、テニスラケットをスパゲティのざる代わりに使うの、知らない? スポーツ道具と台所は相性いいんだって」
「あんなにばしばし叩いて、何の肉?」
 聞いた声がお父さんにまで届いてしまい、怒鳴られた。
「男がこまけえこと気にするな!」



百本の金属バットがラインダンスする。
ときどき隊列が乱れてはキンと鳴る。



 地球の中心で回ってんだ。コンパスみたいに。先端をグラウンドにメリ込ませて、グリップ側おでこで押さえつけて、ひたすら。前屈みの体勢で金属バットを軸にして回らされてる。先輩たちは罰ゲームだの鍛錬だのそれらしいこと言ってるし、コーチだって離れたとこから薄ら笑いで眺めてる。もうすぐ誰かから号令が飛ぶんだろ
「よっしゃもういいぞ。ほれ走れ!」、そしたら一目散に駆け出すんだよ。で、当然よろけてすっ転ぶってわけ。バットは放り出されて、同時に北極と南極がジャンプする。ってことは熱帯乾燥帯温帯冷帯寒帯って気候の分布がスキップすっから、でっかい天変地異が起こるんだ。激越な温度変化と水の大移動。津波やら洪水やら旱魃やら起こって、みんな死ぬ。ぜったい死ぬ。けど、もし死ななかったら?。あー、死ななかったら、そん時こそ、転がったバット拾い上げて、どさくさ紛れにブン殴っちまおう。一撃食らわすたび、バット表層で渦巻く溶ろけた鉄やらニッケルがそこら中に飛び散って、天変地異だってさらに起こるんだろうけど、知ったことか、そんなの。あー、今さらどうだっていいよもう。
 耐え切れなくなって蹲って嘔吐する。「汚ぇ」とか言って、周囲が爆笑に沸く。



土曜日の朝、君は息巻いて出かけた。
銀色のバット片手に。
あんなやつ空に追い返してやるって言いおいて。
ばかね。どんな凄腕だって彗星なんて打てっこないわよ。
そんなことより、ここにいてくれればいいのに。
あたしが最後の息を吐くそのときまで。
確かにあの星が落ちてくるまでだろうってドクターは言った。
だからってそれを打ち返すだなんて。
今頃きっと果てしない追いかけっこにうんざりしてるわ。
首の後ろが攣ってるころよ。
ばかね。
それでも、長い尾をひく星を見上げて泣いてくれるかな。
銀色のバット片手に。



 ほんとうは金属バットがほしかったわけではなかった。
 ぼくは金の星に生まれたのではない。火の星に生まれたのだから、ほんとうは火属バットを持つべきだったのだ。
 だけどぼくの父さんと母さんは、火は危ないからと勝手な理由をつけて火属バットを買ってくれなかった。かわりに買ったのは金属バットだった。
 ぼくはくやしくてくやしくて、涙をぼろぼろとこぼした。
 家に帰っても涙はとまらなかった。金属バットを持って部屋に戻ってもおなじだった。
 窓をあけると、すうっと涙が夜空に吸いこまれていった。ゆっくりとふわふわのぼっていった。
 ぼくはそれを黙って見ていた。この涙をバットで振ればもっとはやくのぼっていくかもしれないけれど、ぼくの属性ではないバットを振りまわすのはどうかと思った。
 涙はそのうち金色に輝く星になるかも、なんて考えてもみた。
 だけどぼくの涙はあいにくなことに詩的ではない。



 夏期休暇も幾日か過ぎ、僕は、今日も飽きずに「朝からうな丼」だ。
 朝食をかき込み、身支度を整え、髪形は最尖端の「流線型」に極めて、猛然と家をとび出す。うわー、暑い、なんじゃー、暑い。
 でも、存外に平気さ。
 滑らかな「流線型」のお陰で、太陽から降り注ぐ何かしらのヤバイ光線をくぐり抜けられる。たとえ今、金属バットが空から降ってきたとしても、それはマッチ棒だ。
 図書館の学習室で、シャーペンの芯を一本使い切る程度、課題をこなしてから家に帰る。
 自宅の居間では、パジャマ姿の弟が黙々とTVゲームをしていた。僕はグラスに麦茶を注ぎ、ソファに腰を下ろす。近くに真新しい金属バットが転がっているのを見て、思い出した。
 「そういえば、タク君が、また、お前に審判頼みたいってさ。兄ちゃんさぁ」麦茶を飲み「ヤキューの事は詳しく知らないけど、審判やるのにもバットって必要なのか?」でも、弟は知らん振り。「おい!」
 僕は日向に置かれっぱなしの金属バットを乱暴に掴み、弟に向かった。
 「シャガラシカー、気付けば中年トドのマッサージ器と化したバットの、熱き、魂の咆哮を、今こそ喰らえっ!」
 僕は金属バットの先端を、弟の青白い首筋にそっと押し当てた。



 この全てを溶かす真暗闇の世界にただ存在するのは僕と赤く光った金属バットのみ。ひやりと冷たいそれをかかげると僕は今日もまた現れた僕に向かってまっすぐに振り下ろす。鈍い音と共に頭蓋を砕かれ倒れる僕を、僕は暗闇に溶けるほど細かい粉になるまで執拗に念入りに叩き潰す。そうして僕が消滅しても、しばらくするとちゃんとまた僕がこの世界に存在を始める。静かにため息をついて僕は、しかし確固とした意思を持って、現れた僕を粉にする。返り血を吸ったバットは、それでも傷一つ付かずにますます鈍赤く光り己の完全を主張する。
 そう、このバットこそは僕の存在。僕を殺し、僕を僕たらしめる、完全なる道具。
 そう信じて僕はいつまでも現れ続ける僕に向かってバットを振り下ろす。助けてくださいと叫んでいるのも知らずに。



太陽が天頂からゆっくりと転げ落ちて夕暮れから夜に変わる黄昏の空を切り取るように町を走る電線の間を幾つかの黒い影が飛んでいる。
この町も随分変わった。
自分が子どもの頃はこれくらいの時間になっても友達と外を走り回っていたものだが、今では陽が傾く前に町中に警報が鳴り、それを聞いた子ども達は慌てて家へ帰る。それは、町の外れの小さな研究所で事故が起きた頃からだとも言われたが、結局は何も分からない。
カーテンの隙間から外を覗くと、巨大なダンゴムシが何本もある足を犇めかせながら歩いていた。
町は夜になると姿を変え、暮れ方になると現れる奇怪な動物や虫が、夜の町を支配する。
この間も、どこかの子どもがゴムネズミの集団に飛びかかられて死んだ。
窓の外、紫の空を割る電線の間を飛びまわる黒い影の一つが突然向きを変え、次の瞬間には目の前の窓を体ごと破り、ガラスの崩れる大きな音が響いた。
体を伏せた僕は、床の上で身を捩りキチキチキリキリと体を鳴らす奇怪な蝙蝠を見た。
5年前、弟を殺した。どこの莫迦が考えたのか、金属バット、とこの辺りでは呼ばれている。
僕は身を屈め、机の上の電気の首の部分に手をかけ思いきり叩きつけた。



 昔から、陸の上はニガテだった。
 彼女の本音。唯一の得意な運動は、3歳から続けてる水泳。走るのも遅いし、球技なんてなおさらだめだった。だから、高校の球技大会はあまり歓迎すべきことじゃなくて、今この瞬間、目の前に繰り広げられているソフトボールの試合も、勝敗なんか関係なかった。太陽はひっきりなしに肌を刺し、汗がぷつぷつと浮ぶ。クラスで作ったお揃いのTシャツは白くて生地が薄い。汗で湿ってブラジャーが透けてないか、いやに気になる。ツーストライク。
 やっぱり、陸の上はニガテ。
 重くて、砂でざらついた金属バットはどう持ったらいいのかもよくわからなかった。バランスがとれず、無性に腹立たしい。とにかく早く全てを終らせたくて、彼女はがむしゃらにバットを振った。カコン。
 一塁に走るのも恥ずかしいくらい、ころころとボールが転がる。ワンアウト。
 なんで球技大会はあるのに水泳大会はないんだろ、と彼女はいつも思う。水の中でだったら、あんな金属の棒きれなんて使わないで、自分の身ひとつで勝負できるのに。
 結局彼女のクラスが勝ち、次の準決勝に進むことになった。陸の上での勝負が、金属バットが、依然として彼女の人生に立ちはだかる。



「キン属って言ったら、バットじゃなくて、ボールじゃない?」と囁いて女は、男の太股を撫でながら笑った。
「なに言ってんだよ。ガキンガキンだろうが。握ってみな、バットも立派に金属製だぜ」と応じる男。
 ——死ね、俺。下らねぇこと書きやがって。ほんの一部の男性の下卑た笑いが貰えたなら儲けもの、女性は全員斜め読みして顔を顰めて、以降は無視するに決まってんだろ。相手の歪んだ顔を眺めて感じ入るような、セクハラ上司じみた屈折した悦びしかもはや残っちゃいないのか? なあ、俺よ?
 そもそも金属バットって聞いて、野球のことなんかまるで思い浮かべずに人の頭部をカッ飛ばすイメージばっかり妄想する俺だぞ、確実に病んでるだろうがよ。
 ……考えるうち、馴染みの不貞腐れに陥って、だから俺はお気に入りのバット、あいにく金属製じゃなくて木製のやつ、今まで部屋ん中で振り回してそこらじゅうの家具を壊して親にも幾度か叩き付けたことのあるバットを、例によって掴みあげて振りかざした。だけどその瞬間、バットの毒が回ったんだろうか、水銀にやられたみたいに全身が痺れて、俺はそのまんま固まって、震え出しちまった。
 ああ、なんでこんなんなっちまったんだ。



「金属バットマン? 知らねぇな、黄金バットの親戚か?」
「いや、舶来系バットマンの、マグネタイト皮膜形成済スチール製等身大フィギュアだ。これだけでもマニア垂涎だが、さらにコイツはすごいことに、なんと空をカッ飛ぶんだぜ!」
「え、その話ってもしかして……」
「そうさ、落ちねぇんだよ!」