500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 おなかがすいたでしょう、といいながら、姉さんが縁側から庭に降りる。2年まえに植えた桃の木がようやく実をつけたのよ、たっぷりおあがりなさい。積もったばかりの真綿の雪を石より白い足で散らしながら、いちばん枝振りの優しい樹木に寄る。
「おかまいなく」
 私の答える声は、外気に向かって朗と響く。すべての波状が雪へと姿を変える世界で、これだけがあとにつづく力を残している。ふと、気づいた。彼岸の食事を口にしたら戻れなくなるんじゃなかったかしら。桃をもいだ姉の手から淡紅色の果汁がしたたり、真白の大地に小さな穴がひらいた。



 結局、四年と半分もの間、夜と変わらない闇が続いている。
 昼夜の規則的な繰り返しが壊れているのだから、これは長い長い皆既食なのだ——そのことは皆納得している。しかし科学者はおろか占星術師も、預言者さえも食の明けを言い当てることができなかった。諦めに澱んだ空気で満たされた昏い世界で、子供たちはやがて黒い空に黒い太陽が昇りそして沈むのを日々繰り返し見るようになる。最初はひとりの少年だった。大人は誰もが幻視だと思ったが、瞬く間に子供という子供が異口同音にそれが見えると言い出した。大人たちは時を司る仕事から手を引き、それを子供たちの自由に委ねた。夜が明ける頃、子供たちは青色レーザを点して手に手に掲げると、昼に向けてその数を増やし、日暮れに向けてまた一つずつ消していった。日の廻る速さでゆっくりと、コバルト色の光の脈動は毎日、漆黒の大陸を横切っていった。やがて、その光が一際明るさを集める青い昼の南中時に、太陽を遮り続ける影のかたちが一瞬仄かに浮かび上がるのを、大人たちも見るようになる。ようやく目が慣れたのだ。



 軽やかな助走からジャンプ。ホットケーキのトランポリンで勢いよく飛び上がると、わたあめの羽をひろげて大空にはばたき、スポンジケーキの雲にポンと着地。チョコレート人形とビスケット人形の戦いに飛び入り参加して武器はマシュマロ爆弾。爆発して飛び散るストロベリージャムラズベリージャム。甘酸っぱくて仲直り。みんなであははと笑いあって、ああ楽しいな。
 そんな彼女の姿はほほえましくて、僕はいつまでも見ていたくなるけれど、やっぱり戻ってきてほしいから、甘いものは好きじゃないんだけれど、しかたがない、僕は彼女のファンタジーをひとつかみしてぱくり。ふたつかみしてぱくり。
 でも彼女はいつのまにか、ウエハースのいかだでココアの川にのって、あっというまに向こうのほうへ。もうおなかいっぱいなんだけどな。



 ガサッ、ガサッという不審な物音で目が覚めた僕は、台所で信じがたい光景を目にした。僕より先に寝たはずの妻が、我が家の冷蔵庫を一心不乱に漁っていたのだ。妻の様子が尋常でないことはすぐにわかった。キャベツ、トマト、ハム、ジャガイモ……あらゆる食材を取り出しては、手づかみのまま貪るように食べている。
 「おい何してんだよ!」
 声を荒げてみても、妻の反応は無い。ただひたすら憑りつかれたように食べ物を口に入れている。僕は混乱した。妻が狂ってしまった。原因も意味もわからない。普段はひどく小食な妻が、突然、飢えたカマキリのように変貌してしまったのだ。
 「いい加減よせって!」
 僕は強引に妻の手を掴んだ。すると逆に驚異的な力ではじき飛ばされ、僕は食卓テーブルに頭をぶつけて意識を失った。
 どれくらいの時間が経ったのだろう。気がつくと僕は真っ暗な部屋の中にいた。体は太いロープのようなものできつく固定されていて、一歩も動くことが出来ない。どうやら服は全て脱がされているらしい。そしてなぜか全身がベッタリと濡れている。これは何だ? 匂いからするとバターだろうか。……ガサッ。
 ——すぐそばで妻の気配がした。



月が太陽を喰らって真昼のなかに暗闇が生れる



 あなたは食い倒れてしまう。恥じることはない。この街は食い倒れで有名であり、大勢が食い倒れている。しかし注意は必要だ。食い倒れもまた食われてしまう可能性がある。あなたは以前、人通りの少ない路地で食い倒れたことがある。気づいたときには荷物が消えていた。ひったくりに奪われたのに違いなかった。この街はひったくりが多いことでも知られている。正確にいえばそれらはひったくりでないけれど、被害者が食い倒れていた事実を隠そうとするためにひったくりとして報告される。ひったくりは食い倒れるわけにいかないから食い倒れを食うような危険は犯さない。あの経験を踏まえて今あなたは家路を急ぐ。ようやく車に乗り込み駐車場を出る。が、やはり気分が悪く、道路の端へ車を止めるや否や食い倒れてしまう。目を覚ますのは両腕両脚を食われたあとだ。どうやら車までたどり着いた安心感からかドアをロックし忘れたらしい。もはや抵抗する術がない。こんなふうだからこの街には路上駐車が絶えないのかと考えながら、あなたは主を食い尽くされて失った車がレッカー車に牽引されていく場面を想像する。



食べることにはさして関心がない。朝食しか出してもらえなくても気にしない。しかし人類ほど無関心なわけでもないが。
いと高き神の「形而上と形而下を画然と区切る」というアイディアを聞いたときにはさすがだと思った。世界をまた新しく創造するだけの意義はあると。
思考が物質と相互作用する通常の世界では、考えることに危険が伴う。危ない考えは自分や世界を壊してしまうから。人類の世界では必然、魔法は使えなくなるが、それを補って余りある自由がある。このあたらしい「なにを考えてもいい世界」から、どんなめざましい意味が顕れてくるのか、ちいさな神仏の類はそろってわくわくしたものだった。
そんなこんなで人類が形而上に進出して五万年。いまだに人類は情報を食ってばかりいる。ぶくぶくに太って見る影もない。意味を動かすのにも見えない力が要り、どこかで資源が消費されるということが分かっていない。神様の脛を齧るドラ息子状態。
とはいえ、五万歳なんてまだ青い。食に対する感覚のちがいも、たんに世代間の格差にすぎないのかもしれず。
などなど考えつつ人称のないまま神棚でぐるぐるとぐろ巻いてる。



「昔はさ、ここでもかなり多くの星が見えたらしいよ」
「へぇ。とてもじゃないけど、信じられないな。星なんか、いったいどこにあるっていうんだい?」
 そんな会話が東京などの大都市で交わされていた、その時。
「この辺でも、だいぶ見られる星の数が減ったよなぁ」
「空気が汚れてるから、仕方がないよ。向こうの町の方の空なんて、星一つ見えやしないじゃないか」
 そんな会話が、アフリカの草原など、まだまだ自然が残っているとされるような地域で交わされていた、その時。
 世界中の天文台はパニックに陥っていた。
「どうしたって言うんだ? 馬頭星雲を中心として周囲十五度に、星が一つも観測されないじゃないか。望遠鏡を早く修理しろ」
「いえ、望遠鏡は異常ありません」
「そんなはずがないだろう、オリオン座も観測できないんだぞ」
「いえ、観測できないのではありません。存在が確認できないのです。星々が、星々が、消えてしまいました・・・」



飽食の時代と言われ出して久しい。「日本人は勤勉な国民だ。」という言葉も最近はあまり聴かない。勤勉は決して日本人の専売特許ではない。外国人にも勤勉な者の居ることを今年はたっぷり見せて貰った。
町の縫製工場にインド人の労働者が雇われて来た。タマールという名のその男は実に良く働いた。昼も夜も働くから金も良く貯まーる。たまーに空き時間があると妻や子供たちの衣服を作って故国に送った。送金した金で家も建てたそうだ。
暮れには、二週間の休暇を貰って故郷に帰ることになっていた。
「君は実に良く働いた。家でゆっくりして来なさい。」
感謝の言葉と家族への土産を持たせて工場長が見送った。
「来年は職長になって貰う。」
「有難う。来年はもっと働くよ。」
彼は嬉しそうに手を合わせて工場長を拝んだ。
「職も大事だが、寝食を忘れたらお仕舞いだよ。」
工場長は心を込めて労った。
「しんしょくは何ですか?」
「寝は sleeping 食は eating だよ。」
「アッ、忘れていた!」
思い出した途端、全身が硬直して彼は地面に倒れ伏した。



可愛いわねぇ、食べちゃいたいぐらい。
という概念がよくわからないまま、22回目のお正月を迎えたわけだ。
グロテスクじゃない?
母は、あなたも子供を産めばわかるわよと無責任なことを言う。

では、母よ、あなたは私を食べちゃいたいのか、と問えば、
今はもうそれほどでもない、と答が返ってきた。

まぁ、そうか。



夢や希望では腹が膨らまないというが、この世には夢を食って生きるものがいる。彼らはいつだって腹を空かせていて容赦がない。手当たり次第にそこらの人間を捕まえては容赦なく貪り食う。
そして食い荒らした後の抜け殻を見てはこう嘲るのだ。
「夢や希望では腹は膨らまないかもしれないが、腹を膨らませるためには夢や希望が必要だ。こいつらはまだそれが解ってない」

だから今でも人の希望は食べられつづけている。 



佃煮は嫌いだ。
特に祖母の作るものは、何故か塩辛く、夕飯に出されても、ほとんど手をつけなかった。

今日は疲れた。知らない親戚がいっぱい来た。食事をする暇も無かった。
冷蔵庫を開けてもなんにもない。
あの不味い佃煮だけがラップに包まれている。
さっきまで沢山の人が居た居間で、祖母の遺影のあるそこで、私は残り飯に佃煮を乗せ、胃に流し入れた。
「また、しょっぱくなってるよ」と祖母に文句を言ってみたが、もう、祖母の慌てながら謝る声は聞こえない。



お腹が減った。
けれど食べる物がない。
金も、ない。
お腹が減った。
目の前にゲーム機がある。
…。
食べられるだろうか。
いや、この世に食べられない物などないはずだ。
そうだ、食べられる。これは食べられる物だ。
ぼくはゲーム機のコントローラを手に取った。
食べられる。
そっと歯をあてると、硬い。
ゆっくりと顎の力を強くした。
これは、食べられる。
唐突にコントローラが口の中で砕けると、ぼくは勢いにのってそのままそれにかぶりついたむしゃぶりついた。
うまく噛みきれないところがある。
だけど大丈夫だ。噛みきれなかったら飲んでしまえばいいんだもの。
ごくり。
結局、部屋のテレビまで食べてしまった。
お腹いっぱいだ。もう食べられない。
食休みに、四角くなった腹を天井にむけて寝転がった。
ああ、まいったな、テレビが見られないや。



 男。
 甲州街道を上る。
 食ってないわけではない。
 それでも顔は浮かぬし、くわえた長い楊枝は所在なげに垂れて揺れる。

 女。
 甲州街道を下る。
 理由は伏せるが、追われている。
 のっぴきならないことに、追っ手の男どもに捕らえられ、抵抗するなやおとなしくしろや。

 男、通りがかる。
 女、助けてくださいまし。

 抜刀するは男ども。男、両手で白刃取ると、きええと振り下ろすわ薙ぎ払うわ。迫る凶刃かいくぐりて逆胴斬ると、返す刀で頭領を突く。鞘無し刀に興味無しと放る路傍に、男どもが累々と。

 女、有難う御座います。
 男、ま・いいってことよ。
 甲州街道一人上る。くわえた楊枝、空高し。



昼間なのに、突然暗くなった。
僕が、どうしてと聞くと、パン屋のおじさんが教えてくれた。
「月が太陽を食べちゃったのさ」
「月が? 太陽を?」
太陽ってどんな味なんだろう。
僕がそう思っていると、また明るくなった。
空を見上げると、太陽が戻ってきている。
それを見て、僕はパン屋のおじさんに言った。
「太陽っておいしくないんだね」



 ステーキが僕らのテーブルに運ばれてきた。このために今日はお腹を十分に減らしてきたのだ。大きめに切った肉を入れるために、口を大きく開いたその時だった。
「君、今自分が何を食べようとしているか、分かっているか?」
友人は肉に手もつけずに僕を見ていた。
「ん?何って、肉だよ。牛肉だ」
肉を刺したフォークを持っている僕の手は、宙に浮いたまま行き場を失っていた。
「それは、ウェイターが運んでくれて、シェフが作ってくれて、肉屋が売ってくれて、牧場が売ってくれて、酪農家が育ててくれて、牛の餌になる草があって、その牛の親が牛を生んでくれて、えっと・・・」
「何が言いたいわけ?」
「その牛肉に関わって来たモノ全てに感謝の気持ちを込めて、頂きますって言うべきだ」
そう言えば、忘れていた。僕はフォークを置いて、手を合わせて言った。
「いただきます」



「食人の風習があった民族では、ヒトを食べることはその対象の力を受け継ぐことと信じられていた事が多い。つまり対象に敬意を持っていなければ食べたりはしないわけだね」
「はあ」
「たとえ牛や豚であっても、それがペットであれば食べる気にはなれないというがそれは意思の疎通をしてしまったからだね。だが私に言わせれば、『食べる』という事は相手への賛辞だ。愛だ。他の生命を取りこまなければ自分の存在を維持できない、そういう生き物として進化してしまったのだから余計なセンチメンタリズムは不要だよ」
「はあ」
「まあ、私と君の場合少々状況が特殊である事は認めるが」
「まあ、そうですね」
「だいたい君も、こうして私が話している現象は自分の幻想妄想幻聴ではないかと疑っているではないかね。何も遠慮する事はない。さあ食べたまえ」

 俺は遠慮していたわけではなかった。突然朝食の目玉焼きが喋り出した事に驚いて呆然としていたわけでもなかった。
 ただ、どこを箸でつつけばこいつを黙らせられるだろうかと考えていたのだった。空腹の前には何者も立ちはだかる事は出来ないのだ。



 目の前にはいろんなごちそう。
 いろんな形、いろんな色、いろんなにおい、たくさんの食べ物がテーブルに並んでいる。
 けれど、おいしいかどうかは食べてみないと分からない。
 たとえばこの、ちいさなお皿の一品料理。
 ちいさいからとてあなどるなかれ。
 これが、名も知らぬ料理人の渾身の一品であるかもしれない。
 可能性は、おおいにある。
 さまざまな料理人がそれぞれ工夫をして作り、出された料理をわたしが食べる。
 人はだれも料理人たりうるが、いまのわたしは一人の客として、この椅子に座っている。
 さあ、どれを食べようか。
 出されたものすべて食べるのが作ったものへの礼儀というものだが、なかなかそうもいかない。
 皿をひとつ手にとり、箸を運んで、
 一口、がぶり。
 がぶり、がぶりと、一口ずつ、食べてみる。
 うまいと、ついついもう一口。
 つい、もう一口。
 うまいものが食べたい、うまいものが食べたい。
 もしかしたらそれは、世界随一のゆでたまご。
 今日もわたしは料理を食べる。
 いただきます。
 ごちそうさま。
 ああ、美味しかった。
 それからズズと茶を一杯、そんなふうに、わたしは死にたい。



新発売のカップ麺と思っただろ。違うんだ。最初にお湯を注いだら、湯切りをする前にいつもより20秒余計に置いてくれ。でないと脱水症を起こしてしまう。いいよ。あけてみろ。どうだい? 胎児じゃないよ。生まれたばかりの子猫さ。まだ目も開いていない。ミルクはいらないよ。さっき動物スープの素を入れたろ。あれが蛋白質を合成して、自動的に大人になるまで膨張するようになっている。そしたら普通に餌を食べるようになるさ。この子猫は大きくなったら白い猫になる。蓋に書いてあるだろ。白い猫って。黒い犬もある。どんどん種類を増やしていくつもりだ。赤いきつねと緑のたぬきだって、できるけどね。だって紛らわしいだろうが。食べられないことはないよ。原料はカップ麺と同じだからね。でもおいしくない。やってみたんだ。試しにサファリパークで、黄色いこじかと紫のうしをライオンに与えてみた。安価な餌として利用できないかという話があったんだ。口はつけた。見た目はまずそうじゃなかったんだな。いい生餌になると思ったが、食い残してそれっきり。サファリパークに行ってごらん。今頃は無数の黄色い点々が跳ねまわる荒れた土地に、紫の雲がたなびいているよ。



腹が減って死にそうだった。手始めに冷蔵庫の中身を全て平らげる。
満たされない。ついでに冷蔵庫も食べる。それからも食欲は止まらない。
食べて食べて。車も家も人も街も、みんなみんな咽を通っていく。
大きくなった腹の中に街ができ人が住み家が建ち車が走るようになった。
けれど私に見えるのは掴めない空だけで、時々あの日食べた冷蔵庫の機械音が聞こえたりする。



アリスは三月兎のお茶会が大好きでしたが、いつもお茶もお菓子もないことだけは不満でした。
「ティーカップはすっからかん。お皿の上は屑一つない。これでよくお茶会だなんて言えるわね」
アリスの言葉に気狂い帽子屋は目玉をくるくる回して答えます。
「だってアリス。カップに紅茶を入れたらこぼしてしまうかもしれないぞ」
「それにお皿にお菓子をのせたらいつかなくなってしまうだろ?」
「食べるためにあるのだもの。無くなって当然よ」
「だめだめ、そりゃお菓子があるときはいいだろう。けれどお菓子がなくなってしまったときの悲しみったら小さな女の子には耐えられないさ」
諭すように言った三月兎はそれでも不満気なアリスの顔を見て言いました。
「仕方がないなあ。それじゃあ次に君がお茶会に来る時にはお菓子も用意してあげるよ」
それを聞いてアリスの顔は輝きました。
「本当に?」
「本当さ。楽しみにしておいで」

次の週、アリスに三月兎からの招待状が届きました。
お茶会のテーブルを見るアリスの顔を見て三月ウサギは言いました。
「どうしたんだいアリス。僕が兎だって知らないわけじゃないだろう?」
お皿には野原のくさっぱ、生のニンジンが上品に盛られていました。



(目が口になった男の話)
 瞬きするたびごとに景色が変わる。パソコンの点いたり消えたりするカーソルを見ていたり、沈む日で光る好きなアーティストのポスターを見ていたり、優しい膝の上で微笑む女の人を見ていたり、見知らぬ国で死んでいく人を見ていたり。インスタントコーヒーの顆粒が誤ってベッドに落ちたのを見ていたり、リスが交尾するところを見ていたり、バスの運転手の白いワイシャツを見ていたり、とにかく、瞬きするたびごとに景色は変わった。
 瞬き疲れて男は眠った。まぶたの裏で男が見たフィルムが涙に消化される。パソコンのカーソルはバックスペースとデリートを自由に使い分けて女の人の笑顔を砕いていった。砕かれた笑顔が死んだ見知らぬ国の人の血に染まって、それでもほほの筋肉は突っ張っていた。リスは交尾の最中光り輝く夕日に焼き付けられ、その柄がプリントされたバスの運転手のワイシャツの白がほつれながらコーヒーの粉になってベッドの上で女の人の笑顔を描いた。それらはみなまぶたの裏に沈んでいった。日にあてられたポスターがだんだん色を失うように、明日来る今日は昨日よりも褪せているだろう。彼はそれを知っているのだろうか。知っていたとしても、男は涙を涎のように垂らして明日食べる景色を思うことしかできないのだ。



少女は太陽に恋焦がれていた。夜明け前、少女は東の空を仰ぐ。紫から薔薇色に染まる空に太陽が昇る。太陽の光に照らされ少女は頬を赤らめ胸を高鳴らせる。夕暮れ、少女は西の空を見つめる。朱に焼けた空に落ちていく太陽を見つめ少女は涙を流す。少女は太陽がそこにあるだけで幸せで太陽に語りかけるだけで満たされた気持ちになった。ある日のこと。少女の太陽の前をひとつの影がよぎる。太陽によく似ているようでもあり少しも似ていないようなその影を少女は奇妙に思う。少女はいつものように太陽に語りかける。すると影が少女に語りかけた。少女は戸惑った。返事をもらったことなど今までになかったのだ。少女はもっと話しかけた。影は少女を笑わせ慰めた。太陽を背にした影はそっと腕を広げ柔らかく温かい闇の中へ少女を抱きすくめた。
少女は影の中に太陽を見ていた。そしてまた太陽の中に影を見ていた。やがて太陽と影が分かれていく。少女は影に抱かれたまま太陽から離れていく。影から解き放たれた太陽の眩しい光に少女が手をかざす。少女の手にダイヤモンドリングが光る。



「傘に隠れて歩き食いしながら水溜りをひょいと越す仕草がまた良し」という象形文字が歩いている。



ねえ、かつては僕だって普通だったわけなんだからさ。
—— 普通じゃないと勘違いしていることをえらそうにしないで。
語る彼の眼が、嫌いだ。ギラギラしてる。
嘘っぽい臭いがする。私、臭いには敏感なの。
今日だってまあ少し暇だからつきあっているだけで、私があんたに好意を持っているとか、勘違いしないでほしい。
一人でいるのと、あんたと会うのと・・・。
不味い血を味わいながら、ためいき。



さあ、休日のランチだ。
湯気が上がっているのはポテトスープだね。匂いでわかるよ。その隣のサラダ、トレビスの紫色がきれいだなあ。レタスや水菜の黄緑とよく合うね。ドレッシングはピンク?何が入っているんだろう。おお、今日のチキンはずいぶん厚いね。ちゃんと火は通った?皮がカリッとキツネ色になっていて、すごくおいしそうだ。このトマトソースもいい色だねえ。主食はフランスパンか。あの新しいパン屋さんの?お、ちゃんと焼きもどしてくれてありがとう。冷めないうちに食べたいな。あれ、花のかげにあるのはなんだい?ああ、庭のみかん!ついに収穫したんだね!すっぱそうだけど、食後にいただこう。それなら飲み物はコーヒーじゃないほうがいい。ハーブティーはどお?ほら、マーロウがあったじゃない。レモンを入れた時みたいに色が赤く変わるかどうか、みかんで試そうよ。うん、いいアイデアだ。
さあ、君も早く座りなさいよ。
ほら早く。
早く。



「……それでね、大きくなったらね、鳥さんみたいにお空を飛ぶの」
まだ幼い娘はキラキラとした瞳で無邪気に夢を語った。
大好きなチキンナゲットを口いっぱいに頬張りながら——。



貴方の口に運ばれる瞬間私はこのために生まれてきたんだと納得し実感し柔らかな舌の触を弄びながら落ちていきまるで包まれるようなあたたかな場所へと辿りつく。私はこれから貴方の血となり骨となり貴方を一日でも多く生かしそしてひとつになる。そう思うと体は熱くなって溶けていきそうになる。確かに私は今幸せです。



「月が太陽を食っている!」と昼の地球人(猿に似ている)が嘆く頃、夜の月人(兎に似ている)は「地球が影に食われている!」と喜び、昼の月人(亀に似ている)は「絶好の甲羅干し日和だ!」と太陽を食す。



今より約1800年の昔、仲國を舞台とした戦国の物語。
そして、3人の武人が天下統一を目指す物語。
彼らはそれぞれ食、衣、住の国を創り、互いに熾烈な争いを繰り広げてゆく・・・

「そんなバカな!」とおれは矢庭にテキストを破り捨てた。



 月が太陽を喰らう。
 日が陰る。
 私は目を閉じる。あなたの熱を感じる。あなたの吐息を感じる。
 あなたが私を食む。
 私は目を開け、あなたに口づける。あなたの唇から私の血の匂い。
 私があなたを食らう。
 日が戻る。
 私の唇からあなたの吐息。あなたの声音で私が囁く。
 愛しているよ——



 最近はとくに短くて、布きれを巻いただけの輩が多すぎる。
 お前らにプライドはないのか?見せないというプライドはないのか!!ただ短いだけのスカートのどこが可愛い!!
 心の中で叫んでいると左の方でネコが鳴き、俺はファインダを覗き直す。
 そもそも、妙な機材で盗撮した写真になんの価値があろう?それらはただのパンツ写真に過ぎず、パンチラ写真ではない。生の現物ではあっても、エロースも芸術も存在しない。パンチラとは刹那だ!瞬間の芸術なのだ!欲望だ!!ソウルだ!!スピリッツの結晶なのだ!!
 だから俺はビルの隙間で、猫臭いアスファルトに腹這いとなって時を過ごす。膝上で長すぎず短すぎずのスカートが、捲れ上がる瞬間をフィルムに焼き付けるため!一瞬に現れ消える奇跡のために!!
 心で叫んでいる時、右からフレームインする女はスカート!右からはためくスカートの裾!!俺はシャッタをっ切る!!

 にゃーっ

 左ぃぃぃ!三毛猫ぉぉぉ!!芸術が、俺の芸術がぁぁぁ!!にゃーっ!!
 心の中で叫び、俺はファインダを覗き直す。瞬間の芸術のために!



僕の目の前にコロナのようなオーラを発する輪郭だけの彼女がぽっかり佇んでいる。
なによくあることさ。
他の男の影を映すことなんて。



 大勢がつめかける控え室で、僕はぼんやりと順番待ちをしていた。
 係員から渡された書類に必要事項を書き込む。事務的にすらすらペンを進めていたが、この選択肢で思わず手が止まった。
 ( 草 ・ 雑 ・ 肉 )
 どれかにマルを付けなければならない。質問の意味は分かる。ただ、「草」の範囲はかなり広い。ミジンコだってそのうちに入るのだ。川の流れに揺られて知らぬ間に魚に食われてしまうのはさすがに空しい。少し悩んだ末、僕は「肉」にマルをつけた。
 すべてを書き終え、紙を畳んで係員に渡す。力が抜け、すっと半端な溜め息がもれた。
 隣の席に座るかわいい女の子が僕のひじをペンでつつき、「ねぇ、『食』はどれにしたの?」と聞いてきた。「君は?」と逆に問う。彼女は「草」にマルをつけたらしい。生肉を食べるのは嫌だと言う。その気持ちは分からなくもない。だけど、草を食べるのはサラダとは全然違うよ、と僕は忠告する。そうね、と彼女は片えくぼを見せてほほ笑んだ。
 係員が僕を呼ぶ。もしどこかで再会したら、やっぱり僕は生きるためあの子を追いかけ食べるんだろうか。彼女の明るい声に背を送られながら、僕は転生への扉に向かった。



外はずいぶん冷えてきました。大きな星は、青に、黄色に、橙に、くるくる色を変えて光ります。こんな夜は、空気がとびきり澄んでいて、きりきりいっそう寒くなるのです。
部屋の中では、ストーブの炎が青く揺れます。湯気を立てるやかんは、古いけれどぴかぴか。おばあさんが、いつも乾拭きするからです。柴犬のコロは、ストーブの前にごろり。・・と思えば急に起き上がって、おばあさんの足下にすり寄りました。ごはんの時間のようです。コロの食事は、いつもおばあさんより先。コロがおわんに鼻先を突っ込んで、夢中でぱくぱく食べるのを見てから、おばあさんは自分の食事の用意を始めます。
白いご飯。おみそ汁。のりや干し納豆、焼いた魚にお漬け物。小さなお膳の前に座り、手を合わせて「いただきます。」
それがおばあさんの食事の風景。ここ何年も変わりません。これからもずっと変わらないといいなと思います。コロもそう思っているにちがいありません。コロはおばあさんが大好きです。にこにこおいしそうにご飯を食べる、おばあさんが大好きです。



『ある日パパと2人で語り合ったさ』と始まる曲を、NHKの合唱コンクールで見て、そういえば私は父と語り合ったことなんてなかったなぁ、と追憶する。
高校1年生の頃、6年前に届いたという父からの葉書を、母は神妙に私に見せた。
両親が離婚してから初めて見る父の字だった。
「お父さんは今もここに住んでいるらしいの。あなたに会いたいって」
父の面影が薄れていたけれど、母がそう言うなら、と、その住所のアパートを訪ねた。学校帰りの制服のまま、電車で2時間かけて辿り着いたそこは6畳1間で、・・・今でも憶えている。連絡もしないで行ったので、1時間ばかり玄関先で父を待った。帰ってきた父は驚いた様に、それでも部屋に通してくれた。壁にはポルノカレンダーが掛かっていてバツが悪そうに父は背中を向けた。
私は大して話もしないまま台所に立ち簡単な夕飯を作った。
味噌汁は少し濃かった。それでも父は残さず食べた。2人で無言で箸を動かした。窓から夕日に萌える樫の樹のざわめきだけ、静かに鳴っていた。



生きろ。殺せ。与えよ。奪え。これすべて是とする。



パタルカタンはマルニハニの尻尾をくわえ、
マルニハニはタルワンカの腹に喰らいつき、
タルワンカはカズセロの体液を吸い取り中、
カズセロはレクルルを下半身まで丸呑み中、
レクルルはミシアシをふたつに引きちぎり、
ミシアシAはユエーの足四本に噛みついて、
ミシアシBはユエーの腕四本に噛みついて、
ユエーの腹の中でメジウルラルの卵が孵り、
そろそろ何がなんだかわからなくなった頃、
ふいにパタルカタンが大量の糞をひり出し、
それを目当てにアズズの群れが飛んで来た。



彼はある休日、誰もいない店内で食事をしていた。そこは彼の店であり、いまは彼以外にはだれもいない。
窓からさす暖かな日差しのもとで、規則正しく整列したテーブルの中心で、彼は一人ナイフで肉を裂き、切り取った断片をフォークで口に運んでいる。
彼が食べている料理の材料は古くは薬として利用されていたり、時には呪術にも用いられていた。それしか食べない部族もいる。とある国では革命のさなか、城塞都市に篭城した国民の主食としても重宝されていた。
 いま彼が食している部位はそれの生殖器官であった。ローストされているので面影はない。かかっているソースは同じくそれから採られたものを材料としており、「白い血」とうい名で人々に親しまれている。1930年代の医学界の最高権威の手によって書かれた「○○療法」という著作を参考に作成した、彼手製のレシピに基いて調理してある。老化に効果覿面らしい。
 30代まで童貞だったフロイドという男がこういった。
『むさぼり食うために人を殺してはならないということには充分な理由がある。しかし、肉のかわりに人肉を食べてはならない理由は、どのようなものであれ一つもない』
 彼の座右の銘である。



ここ数日で、急にいれ歯が緩んできた。どんなに注意深く咀嚼しても、コトリとずれる。その微妙なずれに耐えられず、私は口のなかのものをすべて吐きだす。一対の生温かい歯と歯茎が食卓に転がる。ねとりとなった食物が、私の膝を汚して床に散る。
 それから私は、ただただ茶碗の水をねぶって過ごした。日に何度かは、歯をいれてみることもある。コトリだったずれはキュイキュイと擦れはじめ、終いにはカチン、カチンと滑り落ちるようになった。
 これ以上、先送りにすることはもう出来ないのだろう。
 独りきりの夜。私はちいさなブラシでいれ歯を磨く。念入りに手をかけた歯肉は透けるように光る。健やかだ。どんなに固いものを噛み締めても、きしむ心配はない。
 まだ濡れたままのいれ歯に、真正面から私は喰らいつく。コココと小刻みにいれ歯は震え、その顎をおおきく開けた。



「卵による造形美の中で、目玉焼きこそは、最高位の優美さと、その存在の緊迫感を併せ持つ至高の業と言えるだろう。良質の蛋白質のみが表現し得る、あのなだらかな台地を見るがよい。そしてその央部に静かに、しかし挑戦的にそびえる満たる黄色の半球を。象徴的な視点から見れば、この完璧な黄円はまさに月輪であり、またこれを食する者はまさに月食いの蛇神となる……」
 男はかすかに口笛を吹くと、本を閉じた。資料販売の書棚に戻す。改めて展示会場を見るが、もう一周して入門書を斜め読みして得た知識を活用しようとは考えなかった。
 男は美術館を出た。
 今度の特別展示は失敗だな。お気に入りの美術館だが、今回の展示ばかりはついていけない。
「円熟の目玉焼き展—黄身・白身・丸み—」と題された看板が入り口に立てられた館内は、それでも案外、人が入っている。
 知らない間に物好きが増えたもんだ。目玉焼きの最高の芸術性が何かなんて、子どもでも分かることだろうに。
 男は家に帰ると、フライパンを熱し、油を垂らして卵を割った。良い塩梅になったところで皿に移し、一息に食べてしまうと、ようやく腹の底から息を吐き出した。



洋子が目の前から去ると、そこには彼女の友人がいた。いや、さきに知り合っていたのはこいつのほうだったんだよな。それも随分長いつきあってたんだよな。いやぁ、久しぶり。



 それは偶発的な現象で、言ってみれば「逃げ水」などにも似た、滅多に起きない珍事である。ちなみに、逃げ水、というのを説明しておくと、あるとばっかり思いこんでいた水が、次の瞬間にはなくなってしまう経験のことだ。すなわち、水という概念を突如としてすっかり失ってしまう。それが一体どういうものだったのか、或いは、もちろん水という言葉自体、脳内からきれいに消えてしまうので、その状態に陥った人が仮に水を目にしたとしても、例えば観光バスとか健康とかGEとか、そんなものと混同してしまい、正しく認識することはない。
 食、というのも、これまた随分と珍しい現象で、(誰でもいいのだが)誰かが(何でもいいのだが)何かを、口に放り込んで、はむはむと咀嚼して、終いには、っんぐっと嚥下してしまう、という事態である。むろん、こんなことは簡単には起こり得ず、ほとんど奇跡に近い。だから実際にそれが起きた瞬間を目にした者などはごく少数である。とは言え、数多くの人にその奇跡体験について問うてみるならば、うひゃうひゃ笑いながら自由自在に空を舞い飛ぶことと同様、現実にではなくとも夢の中で経験した人くらいには、まあ、出会えるかも知れない。



 中華鍋いっこでええよ。焼く煮る揚げるOKアルヨ。
 あと、包丁と砥石。押すんじゃなくて引くねん。引くと刃先がギザギザになって、顕微鏡で見たときギザギザなってんねん。ノコギリみたくなってんねん。だから包丁切るときはな、引くと切れんねん。
 お野菜はな、水から茹でるのと、お湯から茹でるのがあります。大根はな、水から茹でます。牛蒡とかな、大蒜の芽とかな、かたい野菜は水のうちから火にかけてゆっくり茹でるとサクサクなってうまいねん。
 菜っ葉は沸騰させちゃだめ。ぐずぐずなる。
 出しの引き方はまた今度、教えてあげる。出し殻がな、たくさん出んねん。出し殻おかずにご飯食べんのうまいけど、飽きんねん。猫飼いたなる。
 塩、胡椒、レモン。醤油にバター。葱には生姜。おいしい組み合わせってのが幾つかあってな、それ覚えといたらおいしいものしかできひんわ。
 飯は毎日うちで食うのでよろしくお願いします。



朝食は食パンと目玉焼きが定番。目玉焼きには食塩を少々かけます。
昼食は職場の食堂で同僚と一緒に食事です。今日は生姜焼き定食を食べました。
夕食は我が家の食卓で食べましょう。食材は新鮮なものを選びます。食費は多少かかりますが、食中毒になってはいけません。
そうそう、食後には焼酎が待っています!職場で起きたショックなことを焼酎に処分してもらいましょ。



 ショック。ああ、『土星蝕』という天文ニュウスがちっとも世間を騒がせなかったぜ、くるっくー、と愚痴り、せっかく天体望遠鏡を大量に仕入れたのに丸損だ、騙された、と罵りながら、愉悦イヒヒな快楽街を歩いていたオレマロは、運悪く出会った蜘蛛仕掛けの女に捕らえられてしまった。
 あたし、デキスギサンでーす。と名乗る女は、不景気顔のオレマロに纏わりつき甘い言葉を囁くと、「なんかぁ、お腹すいてきちゃったぁ」と言って腹を押さえ前屈みになり、尻のような胸の谷間をオレマロに見せた。
 それは、幸福な空腹擬態だ。
 オレマロは、腹減り、誰でもいいから話をしたい、おっぱい大チュキと、とにかく、そんな感じの欲望から女が腕を引くのに任せた。
 デキスギサンが案内したのは、友人がやっているという黒枠金網の店で、オレマロの小卓にはたくさんの酒や料理が並んでいく。「こんなに喰うのかよ」と呆れ気味にオレマロが言うと、
 「へーきっ。あたしの胃は宇宙よりでっかいのよ。どう、望遠鏡ででも覗いてみる?」
 女が口を大きく開ける。「あーん、食べさせて」
 オレマロは蜘蛛の巣の上に盛られた蝶羽の刺身を手ずから摘み、それを女のザラザラした舌の上にのせた。



「魂にも不味いのと美味いのがある」
悪魔が言った。
「だから日本人は世界一の長寿なんですね」
「そういうことだ」
「誰だって不味いものを食べるのは嫌でしょうに」
「たまには口の汚いやつがいるのさ。人間だって、そうだろう? トカゲを食ったり、蛆虫を食ったり」
「よかった。日本人が死ななくなったら、どうしようかと思いました」
「神なんか俺らよりずっと美食家だからな。天国の食卓で神が食うのは事故で夭折したり、殺人の犠牲になった幼い子供ばかりだ。不味い魂はゴミ箱直行だよ。俺らは事故を起こしたり、犯罪者をそそのかしたり、さんざん苦労しているのに、神なんて簡単なものさ。腹が減ったら地震をひとつ。津波でがっぽり。戦争をちょちょいと。ほら、耳を澄ませてごらん。今も聞こえるだろう? 神がシャリシャリと魂を噛み砕く音が。まあ、俺らもずいぶんおこぼれに与るけどね」
日蝕のさなかに現われた悪魔はしばらくモゴモゴと入れ歯の合わない口を動かしていたが、やがてお日さまが戻ってくると、ぶるるっと身震いをひとつ。
「や、これはいかんな。じゃあ失敬」
と言いながら、やけに気取ったそぶりを見せたかと思うと、あっという間に姿を消してしまった。



 この星が太陽とあまりに仲良しだったので、嫉妬した月がその二人の視線を遮った。
 太陽はたちまち欠けていき、この世界は暗黒となった。そのためこの星の人々は世界の終わりが訪れたのだと、泣き崩れ、打ち震えるばかりとなった。
 そのような折、安寧の西、食杷に煉という弓の達人である武人がおり、その暗黒の中で神々のご宣託を聞いた。
『愛するものの肉を喰らい、その御力で、月を射落とすがよい』
 早速、煉は愛する加奈姫のもとを訪れると、その神々の御言葉を伝えた。加奈姫はすぐに承諾すると、衣服を脱ぎ捨て、その美しい体を煉の前に横たえた。煉は泣きながら加奈姫の肉を喰らい、その姫の胸の骨で一本の矢を作ると、天空の月に向って放った。
 すると、たちまち月は砕け、太陽はその輝きを取り戻し、世界は万色に染まった。
 加奈姫を喰らった丘の上に、うつぶせに倒れたまま動かぬ煉の屍があった。
 その屍は夜がふけると輝きはじめ、龍となって天に昇ると、新たな月となった。
 その月には加奈姫の形をした影が刻まれていた。



 柔らかな陽射しを浴びながら、波打ち際を歩く。今まで気にしていなかったが、実際にその目で見ると、潮の満ちて来るのは意外と早いものだ。
 ほんの百メートル先の松の木まで行って戻るまでの間に、足元近くにまでさざ波が静かに忍び寄っている。この辺りは傾斜が緩いので、五分もすれば、奥手のブロック塀まで波が届くだろう。そうなれば、波が塀を乗り越えるのも時間の問題だ。
「もうこの町にも住めないわね」
 こうしている間にも極地の氷は溶け続け、世界中で数え切れないほどの町が波の下に沈んで行っている。陸地が海に取って代わられることで植物が減り、そのために地球温暖化が加速、当初の予想をはるかに越えた速度で海面は上昇し、今も上昇を続けている。
 仙台の伯父の家は水没して久しい。鹿児島の祖母の家も、今となっては海の底だ。東京の高層ビル街も、魚しか訪れるものはない。
 少しずつ、少しずつ、私たちは高地へと追い込まれて行く。やがてその行き場を失った時、私たちは、どこへ行けばいいのだろう。私たちを受け入れてくれるはずの土地は、今この瞬間にも、世界的に減り続けているのだ。



かくれんぼ、かくれんぼ。お星さまのかくれんぼ。
ひぃふぅみぃよぉいつむぅななやぁ、ここのつとぉで、見ぃつけた。
なんでなんで、どうしてわかった?——だってコロナがはみ出てた。



子;おかぁさん、もう一本ちょうだい。

母;これで3本目よ・・・。
  かぁさんの足まだ生えてないのよ。

子;だって・・・まだ、おなか一杯にならないんだもん、早くちょうだい。

母;・・・お父さんに頼んでみたら?

子;お父さん、おなか減った〜お父さんの足ちょうだい。

父;足か?・・・もう自分の足を食べてもいい歳頃だな
  食べ方を教えても良いかな?どうだ・・・食べてみるか?

子;・・・お父さんの足は?

父;お父さんのは臭いしもう飽きただろうに
  もう自分の足を食べる事を知らなければ生きていけないぞ  
  いいかい・・・
  教えるから良く見てるんだぞ!!!
  ちょびチョビ食べると痛いぞ!!!
  思い切りよく足一本まず食いちぎる
  いいか・・・こうだ
  ぐうぅぅぅそぉしぁて、いっきに食う
  もにゅぐぅぅっぅう
  ふぅ・・・どうだ?

子;痛いいたい痛いよ〜  

父;いっきだ!!!いっきにやるんだ

母;・・・

父;おっと一つ忘れていた、心の中で 「いただきます」忘れるな

子;でも、痛いよ

父;やがて慣れるさ
  がまんだ



 麺ひとすすりしてスープを飲んで、それから評判の溶ろけるチャーシュー。崩さないよう慎重に箸先で触れた。
 我々の口ん中の熱で溶け出すチャーシューなんてのは、もちろん豚自身の体温でも溶けないはずがない。つまり、体中の脂身が不定形に垂れ下がった、ひところ流行った「たれぱんだ」様の豚たちが、そこかしこにびろーんと伸びてる畜舎が存在するわけだ。
 私はチャーシューをつまみ上げながら、豚たちの可愛らしい垂れ姿を想像した。一匹がプヒッと鳴いて小首傾げてこっちを見やれば、私はもちろん微笑みながら見つめ返すだろう。──っと。その途端、凍り付いてしまうのでした。
 もうじき市場に連れて行かれる豚さん、悲しーい瞳をしているねえ。
 BGMにドナドナが聞こえ始めて、私は視線を逸らそうと大慌てで頭を振った。消化され排泄され、雨に打たれ大地に溶け込み草木の根に吸われたのち、甘ーい果実に転生するような美しい輪廻を思い浮かべようと努力しはじめた。
 でも、瞳は、リサイクルマークじみた循環する矢印なんてむさぼる側のナラティヴでしかないっしょ、って無言で囁くもんだから、「あーっチャーシューなんてもう食べられないっ」て私は呻いた。で、頬張った。



地上12万キロあたりで厚い層をなしている「レンズ豆イオン電位体」がいよいよ地球表面に対して並行密集する時期が来ようといたしております。つきましては、太陽光線の何かがしばらくの間低下し、最も密集した時には遮断することとなると思われます。この電位体は最近発見されたものですが、これにより何が遮断され、どういう影響が出るのか、ほとんどよくわかっていないのです。しかも、見た目には地上にはさんさんと陽がふり注いでいるようには見えるでしょう。今まで気がつくことのなかった、見えざる近宇宙現象だったわけですが、ただ、ただ、前回、食があったとされる時期にはヤトバツンダラ原虫の繁殖があったことがわかっています。ただ、この虫もなんのことやらよくわからないものですから、よくわかりません。ごめんなさい。とにかく、よくわかりません。



 男がどんぶり飯を食らっている。食い終わるとすぐさまお代わりをする。なんという豪快な食いっぷりだ。すでに空のどんぶりが山と重なり、それでも男は黙々とどんぶり飯を食らい続ける。やがてわたしの視線に気づいたのか、男は不意に顔を上げ、もごもごとこう言った。
「ところで先生、わたしの胃はどうなんですか?」
 わたしはモニターから目をそらし、胃カメラを飲んだままの男をちらと見る。
「食事制限なされたほうがいいですよ」
 そう言いながらわたしは再びモニターに目を戻す。相変わらず男は、がつがつとどんぶり飯を食らっている。まったくもって! なんともほれぼれする食いっぷりじゃないか。