500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第50回:月面炎上


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 夜空に浮かんでいる二十八個の“月”を見上げて、僕はがっかりした。

 あーあ、これで三回目だよ……。
 また怒られるのかなぁ。バカにされるんだろうなぁ。

 今回も、僕がつくった“月”だけが、なぜか赤い色をしていた。



「世界各国の有望な作家諸君、
 月面をペン一本で燃やせた時代はもうじき終わりを告げるでしょう。
 いますぐ知的財産損害保険を!」

 君たちが有望かどうか知れないが、最近この手のダイレクトメールが増えてきたのは周知の通りだ。それもそのはず、今やパリのトップモデルたちより “ビューティ・フェイス”と称賛される美しいクレーターの所有をめぐり、世界中のヘッジファンドがこぞって資本を投入し、入札競争が過剰にヒートアップしているのだ。火消し水と期待される月禁法の整備が急ピッチで進められているが、価格相場の燃え上がる速度には到底追いつかない。さらに、転売に次ぐ転売で所有権者は入り乱れ、月面特許商標庁には審判請求の分厚い束が連日連夜届けられ、百人の審査官の脳みそが片っぱしから火を噴きそうな勢いだ。

 私が有望な後輩諸君に忠告することはただひとつ。バカ高い保険料を払っておかない限り、うっかり他人の所有地を筆で燃やせば自分の銀行口座まで炎上するぞ、ということだ。編集者より弁護士との打ち合わせがずっと多くなった私の二の舞いにならないように——健筆を祈る!



ムーンウォーク時に発生する摩擦によってガスに引火。低重力状態での爆発は全てを吹き飛ばしてなぎ払うに十分な威力を有していた。それからしばらくした後、月から発生するガスを制御する方法と、月の地下に莫大な鉱物資源が眠っていることが発見された。
今では月の工夫たちは、皆ムーンウォークで月を削りだしている



月が太陽に恋をした。



 御伽話の結末を、最後まで聞き終える前に子は眠り、僕は静かに起って台所へと。ご苦労様、と君に差し出されたお茶を口にしてふぅと息をつく、その呟きさえ味わう心地で、ようやく全ての任から解かれて訪れたこの安堵のぬくもりを慈しんだ。そうして流しに立つ君を眺めていると、今夜は月がとても綺麗、明日は晴れね、と言った。その後ろ姿に、僕は想う。
 罪を犯して手に入れた幸せを、君は恨んでないだろうか。
 僕は、ただ黙って飲み干した湯呑みを君の背中越しに流しへと置き、そうしてその小さな肩にそっと額を当てた。


 三本足のカラス、清らかなウサギに憧れて、太陽に化けて近付いた

 ウサギは鳴かずに、ただ泣いて、炎の中に身を投げた

 邪なカラス、三本足で、ウサギに影を差し込んだ

 ウサギは鳴かずに、ただ泣いて、炎の中で影と踊った

 —御伽話の結末は—



「はぁ? 好き、だぁ?」と野村は即座に爆笑した。「冗談っしょ? あんた、そんなクレーターだらけのツラして。駄ー目よ、私ぁ。あっは、駄目! だってお月さまみたいだぁお、そのツラっ」
 と、そんな振られ方してから、僕のあだ名は「ツキヅラ」になった。

 テレビで見た、香港だかどっかの美容療法を真似てみる。顔にべこぼこと開いたニキビクレーターのひとつひとつに、我流で、親父のライター使って、火を点ける。
 ピーリングって言って、荒れた肌を化学薬品やレーザーで焼くと、薄皮一枚ぺろんと剥けて、その下から赤ん坊みたいなつるつる卵肌が出てくるんだって。そのバリエーションって話なんだけど。
「美容だってんだから。ビビることないぜ俺。大丈夫」と呟きながら、それでもやっぱり冷や汗が出てきた。ぽっぽっぽと灯った炎は、なんだか、いつまで眺めていても消えなかった。オイリーな肌質の僕だ、皮膚の奥底から給油が続く限り、燃焼は保たれるらしい。
 ぢっぢちー。肉の焼ける音が聞こえて、少々嫌な臭いもしたけれど、「美容、美容」と呟いた。鏡を覗き込みながら、こうして顔から幾筋も煙の上がる状態のまま野村に詰め寄り、抱きついてやろうかな、なんて考えていた。



月の周りをくるくる廻る。
スピードあげてぐるぐる廻る。
お月さん、ちょっと汗かき顔歪む。
かまわず気にせずくるくる廻る。
スピードあげてぐるぐる廻る。
ほらほら月が泣き出した。
それでもやっぱりくるくる廻る。
スピードあげてぐるぐる廻る。
お月さん、とうとう真っ赤に燃えちゃった。



 はじめに、そっと珊瑚たちが卵を放した。
 後の事は偶然に愛された子孫に託し、波の下に白く交合の煙を吐いて彼らはじっと指を伸ばした。
 磯場に蟹が集い、干潟の泥の中では眠っていた筈の魚たちがダンスをはじめる。

 海岸線で時ならぬ交歓が行われる中、陸では獣たちがうっそりと頭をもたげる。
 山で、サバンナでのびのびと哀惜の歌を奉げる者たちに導かれ、繋がれた犬が喉でこっそりと歌う。猫は広場で寄り添い、ただ黙ってその時を待つ。

 ヒトだけが知らない。
 アマチュアは我こそが第一発見者と天文台への回線を混雑させ、プロフェッショナルは右往左往するばかり。
 ヒト以外のいのちが見上げ、見守る中でヒトは灰色の地面を見つめ、あるいは眠りの中におり、

 三十八万キロの彼方のうつくしい衝突に誰も心構えが出来ていなかった。



「月などいっそ燃えてしまえば良かったんだわ。そうすれば地球はこんな生殺し状態を知らないですんだもの」
彼女は続ける。
「月なんて完全体でありたいという地球のアリストファネス的愛を黙殺し続けながら、二者の存在が別れて以来距離を広げる仕打ち以外の何もしないじゃない。
月の我侭をさえ容認しなければ、地球は全体性を失い今も尚切断面の縫合跡を痛々しく残すなんてことは無かったのに」
私は嗤っちゃった。
「天体に生殖能力など無いわ。生殖こそが不完全さの証じゃないの?」
じゃあ、と彼女は口の端を愉快そうに歪めながら返してきた。
「重力という“性慾”が引き起こす衝突という“性行為”、衝突の残骸である星間雲の“和合水”から天体が“生まれる”という事実は一体何を示唆しているのかしら」
彼女の敵意を湛えた瞳のなかに、月が煌々と青色の炎をあげているを、私は見たような気がした。



 食料を守るために村人は高床式の倉を建てた。円形の堀で周りを囲い、子供一人がやっと通れるだけの細い橋を架け、橋の途中に門を造った。村人は太郎に門番を命じて言った。「交代が来るまでこの場所を離れてはいけないよ」太郎が見張っていると一匹の鼠が門の前に立ち、通れないと知って引き返していった。明け方、太郎は寝ずに待っていた。夜が音もなく羽ばたいたかと思うと天狗が現れ、「感心だな、坊主」と飴をくれた。天狗の飴を舐めると喉も渇かず腹も減らなかった。朝になり、また夜が来た。今度は鼠が集団で橋を渡った。太郎は門を開けなかった。鼠が帰ったのは夜も白む頃だった。すると「坊や、大変ね」姑獲鳥が現れて、太郎に乳を含ませた。「お飲み。そうすれば眠らずにすむ」次の夜。痩せた母鼠が子供にやる餌もないと両手をすり合わせた。姑獲鳥のおっぱいを飲んでから、太郎はちろちろと唇を舐める嘘の舌が見えるようになっていた。森の中ではびっしりと地面を埋めた鼠の群れが門が開くのを待ち構えている。首を横にふると母鼠を押しのけ一匹の巨大な野鼠が近寄ってきて、太郎に臭い息を吹きかけた。生きた心地もしなかった。最後の夜は闇夜だった。森を渡って明かりが近づいてくる。村人かと思ったら月の人だった。月の人はのっぺらぼうで光はそこから漏れていた。門を開けると、太郎を連れて倉に入った。中は空っぽだ「お前は鼠の餌だった。鼠が倉に入ったら群れの重みで全体が水没する仕掛けだ」月の人は太郎に言った。「今頃は村人も月の裏側の顔がどんなに恐ろしいか身をもって知っているだろう」



 ねえ、あの月を燃してみせてよ。
 舌の痺れるほど自分の言葉に酔い痴れながら、私は汗ばんだ男の胸に顔を載せ心臓の音を聴く。瞼の裏に映る月は歪み赤くとも、窓の外の月はいつであっても鮮やかな黄色を誇っている。
 私の魂はあそこにあるの。私がそうと決めたときからずっと。
 窓の外の月を指し、御伽噺のように男に語ったのはいったいいつのことだったろう。どんなに私を征服したつもりでいたところで本気になどならないと言いきる私に、男はいくらでも非難と落胆の混じった溜息をついてくれる。それは、あの月を燃してみせてと私がせがむたびにもまた同じく。
 私は男の胸に顔を載せ、瞼の裏に歪んだ月を描きながら男の細い溜息を嗅ぐ。男の胸の汗ばんでいる所為で、押しつけた私の耳は水分を含みたちまちのうちにふやけてしまう。
 燃してみせてよ、ねえ、あの月を。
 歯痒さに舌の痺れるのを感じながら、私は男の心臓の音を聴き続ける。ふやけた耳に届く男の心音より、私のそれのほうが早い。男は非難と落胆の混じった溜息をつく。私の舌は痺れている。瞼の裏に映る月は赤い。赤い。



地球に衝突する直径2kmの隕石がNASAの監視網で発見されてから、世界中のスーパーコンピュータを使って何度も軌道計算がなされ、衝突が不可避であることが判明するまで1ヶ月とかからなかった。アメリカ、欧州、ロシア、日本、中国が中心となって国連主導で対策が検討され、月の軌道を修正して地球の盾にすることが決まった。水素を用いた核融合推進装置の設計がアメリカから提案され、各国はその資金負担と技術協力を行うことが決定された。2年後には静かの海の端に設置された推進装置によって月の軌道は2万kmずらされ、半年後の衝突に向けた準備は完了した。後にルナの受難日として呼ばれる3月3日、人々は空を見上げ固唾を呑んでその様子を見守った。38万kmの彼方からは音は伝わらず、オレンジ色の閃光が美しく拡がった。宗教学者や科学者はこぞってこの計画に反対したが自分の命もまた大事であった。ただ恋人たちだけは人生最大のイベントに興奮し、生まれてくる子どもたちにかつて月は丸かったと教えてやろうと話していた。その後動物たちの異常な発情期行動が数多く報告された。



月を求め、腕を伸ばす人々が描かれた油絵。その絵を男は指で強く擦る。遠く離れた天体を求める姿を自分に重ねて苦笑して、嘲笑って。
 まだ湿り気のある絵の具は混ざり、乾いた絵の具は剥がれ落ち、人間が一人、胴が崩れて死んだ。
 男は次の人間を殺す。実在を感知し得ない人間を想い、その確認しようのない死を願って。また一人、また一人と男はその指にかける。ここは自分だけが取り残された無音の世界。微かな悲鳴が耳に入ればいいのにと思いながら。最後に月も、願いを込めて強く擦る。指先に残る摩擦熱。月は完全に乾いている。崩れない。窓の外を見る。何も起こっていない。いつもと同じようにただ広がる闇に男は落胆した。月を最初に手にかけていても、時間を考えるともう乾いていた可能性が高い。そうであっても、そもそもの前提は無視して自分の行動の順番を後悔する。
 けれど、と。
 男は僅かな可能性に思いを巡らせる。指先に残る熱を、想う。自分の故郷、虚空に浮かぶここから38万キロ離れた天体。その天体が熱く沸騰していることを願い、そしてここに起こる炎を願って、掌で、絵に唯一残る乾いた大地を、強く、強く、擦る。



 三角フラスコの中に丸ごと月をポイっと入れて、アルコールランプでじっくり加熱。そしたら月の表面がだんだん青白く燃えはじめたので、僕はすかさずノートに「月面炎上」って書いた。ようし、これでバッチリだ。なんだかエライ博士になった気分。でも調子に乗って燃やし続けたら、月から黒い煙がもくもくと出てきて、先生に思いきりゲンコツで叱られた。「火を扱うときは充分気をつけなさいって言ったでしょ!」だって。ちぇっ。なにもゲンコツすることないと思うけどなあ。まあいいや。次はどの星の反応を見ようかな。



睡っているあいだに月は、文明に感染していた。
文明はきらめく網のような病巣を月面に広げる。月の大地から燃焼合成で取り出したシリコンで太陽電池をつくる。月の微小重力と低圧大気が、燃焼合成の繊細さを引き出すのだ。産物は金属の莢状の搬送体で地球に送られた。
虚空を、星よりもしげく瞬くものが、めまぐるしく行き交う。
龍と鼠の時間が違うように、星と文明の時間もちがっているので、それなりに存続した文明も星々にとっては一瞬である。じぶんが燃え上がっているように感じて月が目覚めたとき、もう炎なんてなかったし、文明もなかった。
月はまた睡り込む。星々が「もうすこし起きて待っていよう」と思うほど、宇宙が興味深いふるまいを始めるのはまだ先のことで。
二度と搬送体が打ち上がることもなく、月面にはただきらめく瘢痕だけが長く残った。月が気づかない程度に細々と、燃え続けていた。

あるとき太陽になってしまう夢をみて目覚めた月は、ひとつのおおきな太陽電池になっている。
でも月は泣いたりはしない。驚きもしない。今はまだ。



 文化堂は町唯一の画材屋さん。店は狭くて、デッサン用の石膏像は二体だけ。
 ディアナ、マルス。その隣はもう、重くて分厚い“美の巨匠たち”の画集が列になる。
 思えば、それがまずかった。
 ある時、お客の連れた黒猫が、風でひらひら揺れる画集の紅い栞にじゃれついて。小さいながらも鋭い爪は、細い栞を見事に捕らえ、それで巨匠たちはドミノになった。
 驚いたのは女神と男神、迫りくるゴヤの顔で、あわれ、木っ端微塵?
 けれど、戦の男神はさすがだった。
 我が腕は、守るためのみ振るわれる。
 トルソだから手はないけれど、しっかり月の女神を庇えるように、筋肉質の背中を精一杯に硬くして。黒く重たい画集の波を受け止めた。そうして、店主が慌てて画集を戻すまで、砕け散らずに耐えていた。
 お客の画学生は、黒猫のお詫びにディアナを買い取り、アパートの小さな窓辺に飾る。
 「守って」なんて、わたし一度も頼んでないわ。
 つっけんどんにディアナは云った。
 けれど夜空を見上げる顎先は寂しくて。銀月光の下、彼の最期を思い出す。
 それは、静かに燃える眼差しで。
 少女神は、その時初めて、自分を被う焔に気付く。



 頭上に昇る赤い星が青かった頃、燃えているからこの星が輝くと、僕らのご先祖様は思っただろうか?
 白かったり黄色かったり赤かったり。時々に形すら変えるこの星を、遥か彼方で輝く変光星のように熱く燃える星だと信じただろうか?
 今、誰も住めなくなったあの赤い星から、この星はどのように見えるのだろう? 反射能の大きい白い大地の上で、本当に燃え盛るこの炎はどのように輝いているのだろう?
「休憩終わり! 次こそ消すぞ!」
 目の前の大火事に意識を戻す。さぁ! 仕事の時間だ。



 男は災悪な消火戦を死に損なった元・専消火機械化小隊の身体を抱え心肺の中は腐った黄身色の月の灰が充満し過ぎている。懐から『まんぞく』のパッケージを取り出すと片手で器用に煙草を一本引き抜き咥え頬白い炎を点すと紫煙を思いきりよく吐きだした。
 ぷはー。
 仕事開始の合図は今にもシティに流れる深夜外出外気深呼吸警報のサイレンだ。
 ウォーウォーワゥオーオワワーウォーワオゥゴッ、ゴブァ。コホッコホ。
 疾走した。
 路地に漂う小ゲコウ羽蟻の群舞をカロリやかに飛び越える。
 いきおい余って酔っ払いの吐いたゲロで滑りそうになる男はぐりんと夜空の月を見上げた。月
 その隙を防塵マスクを被った商売敵が後ろから走り抜けていく。無駄な時間を喰ったとため息を吐く間もない。立ち止まってはいられない。両の拳を握り締めた。ぎりりと奥歯を噛み締めた。
 男が必要なのは金と情報。
 街中を走り回ってドラッグ・アンド・ドロップの運び屋で命を張って掴んだ金と情報で、男は戦友の遺灰から抽出された炭素で出来た月灰ダイヤを必ず奪いかえす。
 約束の地で再び灰に帰せ。



 お月さまが入国しようとすると、税関の職員が呼び止めました。
「コラ、月は持ち込み禁止だ」
 顔を置いてはゆけないので困っていると、税関職員はお月さまの顔を墨で黒く塗りつぶし、
「これでよし」
 と言いました。
「月をじかに人目にさらすのは問題ありですから。入国を許可します」
 ぷしゅん!
 お月さまが怒ると墨はメラメラと燃えあがり、白い灰になってきれいに落ちてしまいました



 君は月の太陽が照っている側に立っている。君の背後には不時着した宇宙船がある。宇宙船は大破して、もう使い物にならない。君は遠くを見る。君が立っている地点から三百キロ離れた地点で、母船が君を待っている。君は背後を見る。大破した宇宙船の中には、以下の道具があった。君は以下の道具の中から五つだけ持ち運ぶことができる。君は何を持って母船までの長い道のりを踏破するだろうか。
・マッチ箱
・固形食糧
・長さ20メートルのナイロン製のロープ
・シルク製のパラシュート
・携帯式暖房機具
・45口径のピストル
・脱脂粉乳の粉
・50キロ分の酸素
・星図
・ライフジャケット
・方位磁石
・20リットル分の飲料水
・照明弾
・救急用品と糸と針
・FM電波使用の携帯電話
 五つの道具を手にした君が最初にしようと思ったことは、残す十の道具をマッチで燃やすことだった。そこから一分以内に発生した出来事に君は命を落とす。ピストルが誤放し、酸素が失われ、全てが燃え上がった。君は小さな、しかし大きな一歩を踏み出すこともできないうちに絶命した。



 その日、月が丸焼けになって落ちた。
 原因は二人の宇宙飛行士の燃えるような恋だった。



 石像が血の涙を流したら、牝牛が月を飛び越えたら、いいえもっとそれ以上のことが起きたら、私たちは結ばれる。



 うっかりもののお母さん兎がガスコンロをつけっぱなしにしたため、お餅はすっかり炭化してしまいました。のみならず、壁にまで燃え移って、あらたいへん、辺り一面が火の海に!
 慌てて火元から跳んで離れた兎さんの一家。「急ぐのだ! 爆発する前に脱出しなくては!」と叫ぶお父さん兎に従って、自家用フライングソーサーに乗り込むと、ホワンホワンホワン、空へと避難したのでした。

アポロ乗組員「あのー。なんか燃えてるんスけど。降りられませーん。……どうぞ」管制塔「あ。この馬鹿。やりやがった。どうせまた窓から投げタバコしやがったろ。あーあ。今すぐ戻ってくるんだ、いいから戻ってこいアホンダラ!……どうぞ」

 帰還したエドは以前のエドではなかった。まるきり人格が変わってしまっていたのだ。
「彼は宇宙空間で、なにか想像を絶するものを見てしまったに違いない」と人々は囁き合った。
 NASA勤めを辞めたエドは、間を置かず「『耳の長いモコモコ神様』伝道教会」の牧師として帰依した。教会では毎晩、唐辛子入りの目薬を回しては、おのおの点眼し、いちように真っ赤く腫らした網膜を透して月夜を見あげ、祈りを捧げる。
「イカれポンチー」と人々は囁き合った。



 あの野郎ときたら本当に頭に来るんだ。
 オイラが彼女の肩を引き寄せ甘い言葉を囁いて、さあここぞと言う時に頭上から「プププー」と噴出し笑いが聞こえたんだ。
 誰だと思って見上げてみれば月の奴、真っ赤な顔で笑いを堪えてやがったんだ。
 覗かれた恥ずかしさと笑われた悔しさに逆上したオイラは、物干し竿を掴むと野郎の顔目掛けて思いっきり突いてやったんだ。
 そしたら野郎も怒り出して飛び掛ってきやがったものだから、取っ組み合いの大喧嘩だ。
 すると普段はおとなしくて声を荒げた事もない彼女が「二人ともやめなさい!」って怒鳴ったもんだから、僕も野郎も驚いて手を離したわけだ。
 そうして野郎は憤然と定位置に戻ったわけだが、オイラときたら彼女の機嫌を直すのに大変さ。結局キスさえお預けされて、帰っちまった。
 どうも腹の虫が治まらないオイラは、野郎がよそ見している隙にライターで火をつけてやったんだ。
 そしたら月の野郎、ボーボーと太陽みたく燃えやがった。慌てて海に飛び込んだが黒コゲになってやがった。
 ざまーみやがれってんだ!



 肩が触れたとか肘が当たったとかで酔客に絡まれる。俺も酔っていたので買ってしまう。「喧嘩ならよそでやってくれ」と店主に言われ、俺たちは表へ出る。にらみ合っていると警官がやって来る。「うちの管轄外でやってもらえるとありがたいんだけど」俺たちはタクシーをつかまえ、山中の県境を越える。胸ぐらをつかみ合っているとどこからともなく声がする。「この国に争いは不要」俺は酔っ払い特有の鋭い勘で、国の天然記念物に違いない、と悟る。国の天然記念物に言われちゃあしょうがない。俺たちは出発時刻がいちばん早い飛行機で国外へ出る。馬乗りになっている俺の肩をその国の住人が叩き、大げさな身ぶり手ぶりを交えて言う。「暴力を振るいたいなら月へ行け、ということわざを知っているかい?」外国語はちんぷんかんぷんだが酔っ払いの勘はとにかく鋭いのだ。俺たちは宇宙船をチャーターする。発射の頃になるとさすがに酔いは覚めていたが、もう後には引けない。何しろ元手がかかっているのだから、どちらかが燃え尽きるまでやめるわけにはいかないのだ。



 解けたおさげが円に乱れてちりちりと、まるで、昔パパが自慢気に聞かせてくれたレコードみたい。真ん中に浮かぶ君の顔のあんまりにも白いのが、僕は何だかふしぎだった。空の方を向くと、さっきまでは曇っていたけれど、今はまばらに星も見えて、月も、そういえば何だかレコードみたい。ちりちりと鳴るその黒は、裏返す必要もない無限の一面。
 僕らは心中の約束をした。大人になったら心中するって君は前から決めていて、そうして大人になったから、今夜がその決意の夜。二人家を抜け出して、この秘密のアジトへと。僕らはキスを交わし、関係を結んだ。君は大人の証を見せてくれた。肌がいたずらにまぶしくて、赤が差すと、なおさらだね。そのまま重なって一つになると、これで二人で二十歳で大人だね、と。
 ママからくすねてきた睡眠剤を、君は口に含んで再びキスを。そうして目をつむる。僕は、ごめん、飲み込むふり。目をつむれない理由ができた。申し訳ないけれど、僕は少し遅れていこうと思う。見届けるよ、君が黒焦げになり果てるまで。
 夜はどこまでも拡がる円で、響きの冴えゆくのを聞きながら、僕は君の大人の証を指ですくい、つう、と君の唇に差した。



 ぼくは、彼女の瞳に指をのばした。彼女の瞳はきれいなガラス玉で、きらきらと彼女の周りの風景を映し出す。彼女が二度と見ないと誓ったあの人の姿まで。音もなく静かに。
 ぼくの指がぐにゅりと瞳を引きずり出す。ずるりと視神経を引きちぎったぼくの手のなかで、彼女の瞳が涙を流す。
 ぼくは帰る所を失った彼女の瞳に口づけをする。瞳がぴくと震える。脅えないで脅えないで。きみの行きたいところに行こう。きみがもう痛みを感じないぐらい遠く遠くへ。きみが映しながら行けなかった遠くの、あの月まで。
 月ならきみは誰はばかることなく泣くことができる。音のない静かな空間。大気が温もりを守らない空間。きみは太陽光線に焼かれてその視力を失い、哀しみを燃料として思う存分泣くだろう。放射能がきみを包み、きみは景色をなくすだろう。きみは思い出をなくすだろう。きみはすべてをなくすだろう。朽ちることのないまま、きみは果てるだろう。
 彼女は、お願いね、と微笑み、瞳のない目を眼帯で隠した。彼女はもう泣かないのだ。ぼくは手のなかの瞳を、そっと撫でた。



 臨月の妻を焼いた。
 黒煙が庭に居残る。私は窓を閉じる。言葉の滴が指先から飛んだ。
 原稿用紙を買おう。本も買おう。後だ。後回しだ。とにかく今は書きたい。
 人魚姫は声を代価に足を得た。私は文学を捨てる約束で妻を得た。約束はもう反故になった。
 寝室に隠されていた鉛筆。菓子折りの箱紙。指の間から言葉が滴り落ちる。書いてくれ、と震える名詞。うねる動詞。接続詞と助詞が滑る。
 だが書けなかった。
 窓の向こうに黒い月。妻の瞳。白炎を上げる鉛筆と箱紙。
 赤子の泣き声がした。



「いいか、冷静に考えてみろ。
まず月に空気は無い、それはアームストロング船長の写真を見れば一発で分かるだろ。俺たちは何のために宇宙服を着てるんだ?空気が無いってことはつまり酸素が無いってことだぜ。
そんな場所で物体が炎上なんかすると思うか?何かが燃焼するためにゃ酸素が必要、そんなこたぁ科学の初歩だぞ。そりゃ少しは燃えるかもしんねぇ、だが勢いよく燃えるわきゃねぇだろ。
だから月面炎上なんてありえねぇ。俺は何かおかしなことを言ってるか?」

「いや、それが正論だろう。
・・・じゃあ一つ聞くが、今俺たちの目の前で勢いよく炎上しているヤツ、ありゃ一体何なんだ?」



 月にひとつの燭台があった。
 小さな火が三つ灯る蝋燭は、酸素が無くても燃え続けている。錬金の技術が産みだした、「永遠の燭台」だ。
 誰がそこに置いたかは、調べるといいだろう。歴代の宇宙飛行士の誰か一人が、錬金術師という裏の顔を持つはずだ。ちなみに、燭台は目印。その下を掘れば、様々な錬金の技術が隠されている。
 それらを月に隠したのは、当時の人類にとってまだ早すぎるものと判断した結果と考えられる。つまり、文明に段階を踏んだ成長を望んでいるのだ。おそらく、月に定住できるレベルに達した段階ではじめて、有効利用されると考えたのだろう。
 しかし、「それは間違いだった」と記しておく。
 永遠の燭台の蝋燭は、人類の憎しみを糧に燃え続ける。それを補佐する蝋は、同じく悲しみに反映して増え続ける。正確には永遠ではないが、錬金術師はそう名付けた。
 空を見ろ。今、その失敗が証明されている。
 月は溶けあふれた悲しみ海となり、広がる憎しみで満ちている。
 感心するな。向こう岸の火事ではないのだぞ!



先程の宇宙旅行のニュースで流れていたVTRのテロップが『月面炎上の映像』となっていましたが、正しくは『月面上の映像』でした。
でも謹んで訂正は致しません。
どちらにしろ熱いスポットには違いありませんから。



父の古い実家にはギシギシと音を立てる細い階段があって、狭い二階の部屋に上がれるようになっていたが、二階はほとんど物置と化していて、埃をかぶった雑多ながらくたが何十年も放置されたままになっていた。大学の夏休みに何をするということなく泊まりにいったときに退屈紛れに二階にあがり、鏡台の引き出しから木綿のさらしに巻かれた手鏡を見つけたので、僕はこっそり持ち帰った。さらしには大きな茶色の染みがついており、手鏡は曇りなく周りの様子をよく映した。下宿先のアパートの窓に腰掛けて風呂上りに涼んでいると、不思議なことに気がついた。鏡には月が映らない。空には満月が煌々と輝いているのに鏡の中は真っ暗な夜空が拡がっている。鏡をさらに覗き込んでみた。あるべきものがそこにはない。机の上のお揃いのお茶碗、彼女の写真、そして僕のペニス。背筋から冷たいものが這い上がる。押入れの戸が少し開いている。思い切って戸を開ける。彼女の腹には突き立てられた包丁。まわりには燃えるような真っ赤な丸い血だまりが、まるで・・・。



 シャベルを使い、一心不乱に掘る。音は無い。ひたすら浅く、細く、長く。地球と太陽が踊るように複雑に巡る漠たる大地に一本の畦ができる。新時代へと続く道だ。
 機械は使わない。そんなものを月に運ぶぐらいなら酸素と栄養を運ぶ。宇宙服のなんと不自由なことか。掘った大地には酸素があるのに。
 知っているか。月には水があることを。外殻に当る岩石が、それだ。一見ただの岩盤だが、酸素と水素が高密度で含まれている。もともと水となるべきだったものだ。当然、「海」にはこの外殻の部分が多い。堆積型で生成されたのだろう。
 表面は太陽光で変質している。だから掘り起こしてやらねばならんのだ。
 ひたすら掘る。浅く、細く、長く。振りかえると、星が見守る何も無い大地に、一本の畦が地平まで延々と続いている。
 私は、やる。網目状に掘って火を付けるのだ。水素と酸素が高密度で吟有されているから大気の有無に関係無く爆発的に一瞬燃える。畦は導火線。一面土が掘り起こされ火の海だ。燃えれば大気ができる。畑にもなる。やがて広大な農場ができるだろう。
 だから掘れ。手を休めるな。新世界の炎を夢見ろ。
 動けよ!



 僕には友達なんてひとりもいなかったけれど僕は天体望遠鏡を持っていたから僕の淋しさはいつもどこかを旅していて僕が毎夜見る月のクレーターに僕をみつけることができたのさ。
 僕が夜寝ないで天体望遠鏡を覗き込んでばかりいたから僕のお父さんがついに怒り出して僕は昼間は寝てばかりなので僕に内緒でお父さんはとっても簡単に天体望遠鏡を隠すことができたのさ。
 僕は嫌な子だったけど僕の勘はとっともよくて僕がお父さんが隠した天体望遠鏡をあっという間に探し出しちゃったから僕を再び月の世界に連れてゆけたのさ。
 僕に僕が悪い子だって教えるために僕のお父さんは僕がお月さまを覗いているのを知っていて僕の天体望遠鏡に火をつけちゃったから僕はさよならを言う間もなくて僕ではなくなっちゃった僕をそこに置いてきぼりにしちゃったんだけど僕にとってはその方がしあわせだったのかもしれなくて僕はとっても痛くて痛くて泣くこともできなくなって僕が燃えてるのをじっと感じていたのさ。



地球のとなりにちいさな太陽。



彼の人生はうまくいってなかった。かなりうまくいっていた彼の父は、「まあ四十になってみろよ。楽になるぞ。」とだけ言って、彼を自由にした。
四十才の誕生日。その夜は満月だった。川原に腰を下ろす彼の隣りには、あいかわらず誰もいない。だが、気付けば辺りは、白くて小さな花でいっぱいだった。
「祝福されてる。」彼は思った。そして、持ち歩いてぬるくなったコーヒーを飲みながら、父のことを考えた。
書類に目を落とし、タバコの煙を吐き出す骨張った横顔。それがいつもの、彼の中の父だ。もうこっちを見ておどけることもない。
空の中央に陣取る月は、目を細めるとまるで真珠だ。おまけに大きな月輪まで出ている。秋でもないのに煌々と照る月は、彼と一対一で向き合う。
彼は、つぶれた箱からタバコを取り出し、マッチを擦ると、ふいにその右手を空にかかげた。月の下方に、チッと火がつく。火はまたたくまに燃え広がり、表面は炎で見えなくなった。温度を感じさせない青白い火の海は、果てる様子もない。そんな月を見ていて彼は、心からきれいだと思った。



 その日、科学者は難解な科学用語を用いて「自然現象である」と解き明かし、宗教家は難解な宗教用語を用いて「神の怒りだ」と説き伏せ、新聞記者はそれらを噛み砕いてわかりにくい記事にした。心理学者は「性的欲求がもたらす幻覚だろう」と否定的に分析し、嫌煙運動家は「宇宙飛行士の煙草の不始末に違いない」と端的に非難したが、これらは特に取り上げられなかった。美食家は最後の牛丼を食べるために行列を作った。
 翌日、評論家は「この出来事にもっと関心を持つべきだ」と啓蒙したが、司会者は「まあねえ、みなさん忙しいですしねえ、対岸の火事という言葉もあるくらいなものでねえ、月面の火事まで気にしてられないですよねえ、普通の人はねえ」と締めくくり、話題は次へ移る。視聴者は「最後の牛丼に長蛇の列」の映像に自らの姿を探す。



ニュースキャスターは言った。
「Mr.オルドリンの、煙草の不始末によるものと思われます」



「みほ、電話」
 お母さんに呼ばれて、子機を耳に当てると、
「北図書館です」
 低くて渋い、男性の声が言った。リクエストされていた本が入りました、一週間以内のご都合のよろしいとき、取りにおいでください、と、そのとてもいい声は言った。
 みほはおしゃれして図書館に行った。夏休みに入ったばかりの晴れた暑い日で、並木道は蝉の大合唱だった。重いドアを開ける頃には、お気に入りのワンピースの胸に、汗が黒く染みてしまっていた。
 静まり返った書棚の間で涼みながら、カウンターを伺った。男の人は、一人しかいない。あの、とてもいい声を、もう一度聞きたかった。待っていても、ほかの男性司書は現れない。みほは思い切って書棚を離れ、カウンターに近づいた。
「『月面炎上』を取りに来ました」
 薄い髪を額に撫で付けてバーコードのようになっている頭が、上向いた。若干斜視の目は、みほを不思議そうに見た。みほがリクエストした難解な翻訳本は、しみだらけの骨ばった手元にあった。
「神谷美穂さんですか」
 とても、いい声だった。
「わたしです」
 中学生と中年の司書は、しばらく見詰め合った。二人の間にある真新しい本のカバーイラストが、冷たく熱く燃えていた。



 空に向かい、ひゅう、と矢を射る。流れ星をつくりたいので。矢は矢のまますっくりと細い放物線を描くだけで、星になることはけっしてない。何度やっても同じこと。
 腹が立ったのでめためたに乱射する。と、あっちゃこっちゃに飛び散った矢のうちの一本が月をかすった。
「ア痛ッ」
 頭の上から不機嫌そうな月の声。あっけにとられていると、月はそのまま不機嫌に僕を叱り始めた。
「おい、君、まったくとんだことを仕出かしてくれたようだね。私の顔が台無しじゃないか。この責任をいったいどうやってとってくれるつもりだい」
 あんまり頭にきた所為か、かすった矢の摩擦でか、月はごうごうと音を立てて燃えだしている。
 素直に反省するんなら私だってお月様だ、赦してやらないこともない。月は囁くようにそう言ったけれども、僕はそれをすげなくするとくるりと月に背を向けた。慌てたのは月のほう。
「君は薄情だな、え、吃驚だ。私をうっちゃり、なぜどうして立ち去る」
「こんなに明るくなっちゃっちゃあ、流れ星なんてもう無意味だからさ」
 それじゃさよなら。僕は手を振り、明るい夜径をとっとことっとと逃げだした。



 日蝕を 夢見て染まる 丸い頬  闇夜に浮かびし 乙女の恥じらい



月面の小さな炎に気付いたのは、五才の坊やだった。お気に入りの望遠鏡から顔を外して彼は言った。
「ねぇ、ママ。お月さまに火があるよ」
坊やの母上は宣う。
「あら、よかったわね」
翌晩、炎が少し大きくなっていることを認めた。
「パパ、お月さまが燃えているよ」
父上いわく
「そうか、そりゃ大変だ」
また翌晩、炎は、もはや望遠鏡を使わずとも確認できたが、坊やは父上にも母上にも告げずに朝を待った。
「先生、お月さまが火事です」
大好きな幼稚園のシズエ先生は、目の眩むような笑顔でおっしゃった。
「素敵。絵本で読んだのね。そのお話、先生にも教えて頂戴」
 その晩、いよいよ炎が拡がった月面を見た坊やは、決心した。消防署に電話をかけるのだ。小さな指で、ゆっくりとボタンを押す。
「火事です。お月さまが火事です。早く消して!」
受話器から、笑い声が聞こえた。
「坊主、悪戯はお断りだ。第一、月が火事になるわけがない。空気がないんだからな」
 坊やは絶望する。
 月が燃え尽きたら、月は、そして地球はどうなるのであろうか。
 五才の坊や肩には、あまりに重い。



無音の十六夜、突然の空の破裂に驚いた僕の見たものは、逝った夏を惜しんだ意地悪な花が、悪あがきに、僕らの世界から月を隠したところだった。



「かつて、月は太陽と同じに燃えていたのです」
「え、それ本当かい」
「いや、どうだろう」
「なんだい」
「でも、もしかしてもしかすると、そうでなかったとも、言いきれない」
「まあ、言いきれない」
「わからんけどな」
「調べようか」
「よせやい」 
 何にもない月の上で、足の方向は反対かしに、宇宙服のぼくたちは頭だけ並べて仰向けに寝転んだ。
 

「もしかしてもしかしたら、燃えてたかなあ」

「知らないねえ」


 ぼくたちの上に、半分の地球が見えていた。



「私は今までに嘘をついたことがありません」
——“世界一の大嘘つき”の座を射止めた男のついた嘘だとされる。

 確かにこれは、他に超えるもののない究極の作品だと言えよう。
 だがその一方で、時代遅れの作風であると言えるかもしれない。と言うのも、これは“明らかに嘘である嘘”だからだ。

 会話がさり気なく流れ、ワンテンポ遅れて気づくようなものが“良質の嘘”だとされる今の時代(もちろん悪意や実害のないのが前提である)、例えばこういったものが求められているのではないだろうか——
「知ってる? 静かの海の北50キロにあるNASAの基地で爆発か何かがあって、今大火事らしいよ!」



「そうよ、機嫌悪いわよ」
「自分の行動をよーく振り返ってみたら? もう私、月の兎が月面炎上に見舞われた状態なんだから!」
「もー、なんでそんな科学的な反応するのよ理系の男って! 今言ってるのは私の心理的なハナシでしょ?」
「じゃあヒントだよ、月の兎って何してる?」
「うん、じゃあそこで月が燃えたらどうなると思う?」
「いや、兎はいいのよ燃えなくて。たぶん逃げれるでしょ。じゃなくて……」
「『あ!』じゃないよもー! 思い出した?」
「何が違うってのよ。あの娘……」
「え? ウソ! これ……」
「ゴメンね、ありがと、大好き!」



 月は所詮、太陽の光を反射しているに過ぎないのだ。

太陽がそう言って蔑むので、月はどうにかならないものかと随分頭を悩ませた。



男はある晩、ぽつんと降ってきた小さな石にぶつかった。



月は、明るく輝く自分を想像した。



男は人に悟られぬよう、幾日かかけて、丈夫な弓と矢を用意した。

おまえの得意の弓で月に火矢をとどけたならきっと願いを叶えよう、と月がぼんやり輝いて男を唆した。

男は、同じ村のやさしくうつくしい娘に恋をしていた。

そして、山の頂上でこっそり、矢を放った。



矢は、火をつけたまま月にとどいて、夜がなくなった。



炎はごうごうと広がり、たしかに燃える自分の姿を見て月は満足していた。

月は、男の願いなど叶えなかった。



けれど、二日もすると炎はすっかり消えてしまった。



月は黒くくすぶりながら、また男を呼んだ。

今度こそ願いを叶えてやるから、と言うと男は、悲しい顔をした。

静かに綺麗に空に浮いている月が好きだったのだけど、と、やさしく寂しそうに微笑うあの人を見たんだと言った彼は、まあ、なんとかやってみるよ、と背を向けて去っていった。



それから月は大人しいけれど、時々、明るく燃えさかる自分を静かに空想しては、ぼんやりとすることがある。