僕は星になった。
五つのとんがりをのばして、原っぱに寝ころんだ。
夕暮れの空だ。
星だ。一番星だ。
二番星だ。
三番星、四番星。
彼が僕の顔をのぞきこんだ。
「お前」
彼は、あきれたような、困ったような、優しいような目をしていた。
「お前、またそんな、星になっちゃって」
そっと目元をぬぐわれて、とてもじゃないけど僕は星になったままではいられなかった。
世界で一番短い手紙は「?」「!」だよ。
とコンパで蘊蓄を披露した次の朝一番のメール。
…ちぇ。
地上にはまだ慣れなくて、天使はおどおどしています。
どうしてわたしを、そんなに物珍しそうに見るのだろう。
人のフリをしてここにいるはずなのに。
ほんのり光る星型の輪ををくぐり抜けたとき、きらびやかな羽も、まばゆいハローもすべてそぎ落として来たのに。
でも、天使の背にはまだ微かな羽毛の光が残っているのでした。
きっと神様には、助けなければいけない人があったに違いありません。
幸せそうに目を細めて見つめるのがその人だとは知らず、天使はやっとこの星の歩き方がわかりはじめたような気がするのでした。
病室に入ると彼女はサインペンを握り締めてスケッチブックに落書きをしていた。大人びた容姿とはまったく似合わないその仕種が僕を不安にさせる。
「あ、おにいちゃんだぁ」
僕に気づいた彼女は無邪気な顔ではしゃぐ。
一ヶ月前の彼女は清楚で物静かな中学二年生だった。今の彼女は推定三才。見た目が変わらないだけに違和感は強い。
「これ、クラスのみんなから」
千羽鶴を渡す。僕がクラスの代表に選ばれたのは、ただ委員長だったからという単純な理由だった。
「うわあー!」
彼女は顔を綻ばせて歓んだ。彼女の笑顔なんて見たことはなかった。
「じゃあ、わたしもおにいちゃんにプレゼント!」
そう言うと彼女はスケッチブックに何かを書きつけ、破りとって僕に渡した。
紙いっぱいに描かれた大きな大きな星。ところどころ歪んでいるけれど、それは確かに五つの角を持つ星だった。
「みきね、そのおほしさまがいちばんすきなんだよ」
帰り道を歩くうちに日が暮れた。
一週間後に彼女は0才になる。そしてその次の日にはさらに前に戻る。
空を見上げるといくつもの星が静かに輝いていた。彼女のくれた星はいったいどこにあるのだろう。
万物を愛せよ
たとえ無理だと分かっていても
傷つき易いだけがとりえの
やわな心臓が悲鳴を上げても
環境問題ばかりを気にして
あなたを蔑ろにしすぎたので
今 あたしはこんなに苦しいのです
両の手のひらから溢れるくらい
張り上げた声は誰に届く
振り上げた拳は何を打つ
このままじゃいけないのは分かっているのだけれど
正常に機能する方法が分からないよ
万物を愛せよ
たとえ無理だと分かっていても
この歪なループが憎しみで
赤銅色に沈めるまでに
見ると男が怪しげな物を並べて座っていた。
なにやらきらきらと光る物に目が留まったので摘み上げると男は言った。
「それは星ですな。」
「星?」
「兄さんは運がいい。それは珍しいもんでしてね。この季節は空が低いんでちょいと気を許した星が誤って転がり落ちてきたりするんですよ。」
並べている物も怪しければ言うことも怪しい。
「転がり落ちてくる星とは初耳だ。持っていると何かいいことでもあるのかい?」
「星だからな。強く願うと、そうだな、その大きさなら願いの1つや2つなら叶うはずだが。」
強く願うと、叶う。
「どうだい、安くしとくがね。」
一瞬、迷う。
「いや、止めておくよ。」
願っているうちはいい。願っているだけなら。
「しばらくはここで商いしてるから、気が向いたら寄ってくれ。」
気付くと胸を押さえたまま床に転がっていた。
ああ、本当だ。強い願いは叶うんだねえ。
妻の声がこだまのように響く。
見ると引っ掛けて倒れたゴミ箱からあれより一回り大きい星が転がり出ている。
妻は迷わなかったらしい。
強く願うと。
その大きさなら。
何を私は。
それよりも。
なのに何故。
遠くなる意識の中で、声も無く妻の体が倒れていくのを私は眺めていた。
「ぺかっと」
もうこの町ではみえなけれどそこにある
ずっと昔に消えたかもしれないおぼろげな残像を
線で結んでは形を作る
見えないけれどそこにある
そこにいないのとは違う
頭上か二次元か幻か
ぺかっとそこにある
烙印を押されたのは、わたしがツミビトだったからだ。泣くことしか能のない母は、幼いわたしを烙印から逃れさせるための尽力はなにひとつせず、ただその厳格さだけが特長であった祖母は、それはさだめであると言い放ち、それ以降わたしを無視した。
印を刻まれたわたしは当初その痛みにのたうち回ったが、与えられた運命にあらがうことはせず、痛みがひいていくにつれ、わたしは徐々に自分に割り振られた役割を受け入れていった。わたしは誰とも交わらず、ただひとり、烙印をのみ抱きしめて日を重ねた。そしてそのまま朽ちていくのだと思っていた。あなたに出会うときまでは。
あなたはわたしの胸に刻まれた烙印に、躊躇せず唇をつけた。とまどうわたしを抱きしめ、わたしを呪いながら、あなた自身をわたしのなかに穿った。わたしはあなたを欲しがった罪を贖うために、あなたの子をなすのだろう。そしてそれもまた新たなツミなのだ。
あなたが☆型の焼きごてをわが子のために振り上げるとき、わたしもまた母のようにただ泣くのだろう。そうしてわたしはツミビトとしての人生をまっとうするのだ。
「時代も変わったものだ」
大鍋の中で金属音のような高い乾いた音をたてて転がっていく金平糖の大群を見ながら私は思った。
江戸時代の終わりに創業されたこの和菓子屋も私で四代目となる。
金平糖一筋、140年。
五代目は回転し続ける大釜にグラニュー糖を煮溶かした蜜を一心不乱にふりかけている。
蒸発してはふりかける作業を一日八時間、二週間続けて完成する。
現在のほぼ一般的な作り方だ。安価で大量に均一な形のものができる。
昔が良かったというつもりはないが、時折寂しくなることはある。
夜中ふと目が覚め、冷え固まった糖蜜のかけらを手に念じる。
四角く平たかった塊が私の手のひらの上で溶けて丸くなる。
目をつぶりイメージをする。
カタツムリが触覚をのばすように、球体から一本ずつ突起がのびていく。
四方に、八方に。
やがて、均等な長さと大きさのツノですべてが覆われる。
昔は24本と数が決められていた。
どの角度から見ても同じ星型に見えるものが最高だと教えられ、その通り手作業で一個ずつ作ったものだった。
「時代、か……」
出来上がった金平糖を見つめながら私はそう呟いた。そして口に含み、がりりと噛み砕いた。
冬の夜は、空も吐く息も地面も全部キラキラしていて憎たらしい。踏みしめる足音も、きゅっきゅって、キラキラしてる。
世界中がハッピィな聖夜に失恋するわたし。
何度も考え直そうとはした想いが、もうすぐ星になる。だって、今日で無くちゃダメなんだもの。キラキラした1年前の夜を、空に返さなくちゃダメなんだもの。
赤と緑と白といっぱいのイルミネーションでキラキラした街角。いつも先に来て待ってくれてるの、案外しんどかったんだよ。
空から零れたキラキラを、わたしは胸いっぱい吸い込む。
OK。どんなにくすんだわたしでも、最後の言葉ぐらいはキラキラさせてあげる。
「バイバイ」
世界が、空気が、星が煌めいた。
心がひとりぼっちでも、眠れますように——
私を問診していた美声で美形の医師が病室を出てゆくのと入れ替わりに看護婦が入ってきて、これまた息を呑むほど美しい。容姿の水準が上がっているのかもしれない。
自分がどれくらい昏睡していたのかまだ知らされていないけど、世の中は「だるまさんが転んだ」と言って振り返るオニの視界のように変わるもので、ふたつの国がひとつになり、ひとつの国がみっつになり、どこの家にもあったものがどこの家にもなくなり誰も持っていないものが誰でも持っているものになり値段がないものに値札が付くまでさほどの時間は要しない。
彼女の制服の胸に透明なポケットがあり、バーコード付きの名札が入っていて「☆むら」と書いてある。「お名前なんとお読みするんですか?」と尋ねると、へ?名札を指差してとまどった顔をするがすぐに心得た笑顔にもどり耳に清水が流れ込んでくるような心地よい声で「☆むらです」と答える。
男が二人、湖のほとりで星空を見上げていた。
「子供のころ、よくこうして夜空を見上げたものでした」若い方の男が口を開いた。「宇宙はどこまで続いているんだろう?星は何で光るんだろう?って。そうそう宇宙人が攻めてきたらどうするんだろうって、…バカなこと考えてずっと庭に立っていて、母親に怒られて…」
もう一方の白髪の男は星を見上げたままだった。その秀でた額と瞳の力に鋭い知性が窺われたが、眉間には深い皴が刻まれていた。夜空いっぱいに撒いたような星々のきらめきに比して、彼のまなざしは暗すぎた。
「バカなことではないさ。この宇宙に我々以外の知的生命体がいるのは何ら不思議ではない。神の摂理を完全に解くことができるならば星を渡ることも。…ただ、彼らは攻めては来るまい。それほどの知性ならば、戦争などという愚かで野蛮なふるまいをするはずがない。…あるいはこう言い換えてもいい。科学が国家や戦争や資本に隷属する限り、星を渡るほどの発展は望めん、とね」
冬の空気に星の明滅する音まで聞こえそうだった。
「先生、ナチよりも先に原爆はできるでしょうか…」
白髪の男は、星を見上げるだけだった。
真夜中。
交差点のマンホールの穴から、小さな羽虫のような光がふわふわ出てきて、空へのぼっていた。
狙いをさだめパチンと手を叩く。
てのひらに残った光の跡が、何年経っても消えない。
突然、彼女の目の中に☆が見えた。☆だ。銀色に見える。僕はまばたきをした。目をこすった。けれど、彼女の目の中の☆は消えない。
「君さ、目おかしくない?」
「何のこと?」
彼女は聞き返す。気づいていないのだろう。僕は言うべきかどうか迷った。気づいていないのなら言うべきじゃないのかもしれない。僕の錯覚かもしれないし。そうだ、もっと近くで確かめてみよう。
「あのさ、ちょっとこっち見て」
僕は、水の入ったタンブラーをよけて、彼女の手をとる。身を乗り出して顔を覗き込んだ。彼女は驚きもせず僕を見つめる。
僕は彼女の目の中を確かめた。やっぱりそこには☆がある。☆だ。銀色の☆だ。かすかに光っているようにも見える。
彼女は逆に僕の手を握り返し、ウェイターを呼んだ。
「やっぱりテイクアウトにするわ」
「包みますか?」
「大丈夫。このまま帰るから」
「恐れ入ります」
ウェイターが一礼して下がる。彼女は僕の手を引いて立ち上がった。僕も☆を見つめたまま、立ち上がる。角度が変わってもそれはやっぱり☆だった。銀色に光る☆だ。
彼女は僕を連れて店を出た。それでも、彼女の目の中の☆は消えなかった。
「駄目、待って」
艶やかな声を洩らすきみの制止に聞く耳をもたず彼はピックを振り下ろした。鋭い眼光の淵にもはや涙も枯れてただ消える事のない痕ばかりが刻まれている。世界が不幸になればいい、かねてからの想いは彼の身体を蝕んでいたが構わず彼は振り下ろし叫び散らした。
「あっ」
きみの胸元の十字に尻尾が生えているのを認めてなお彼はきみを奪った。戦慄がきみを貫くがじくじくとした痛みはむしろ彼の中で淀んだ。きみは彼の代わりに涙を零したがそれでも彼は魂を失えはしなかった。きみは切なげに彼の名を口にする。
それは彼の叫びと同様に雲をつかむがごとくにあえなく散っていった。きみはなお切なげに彼の名を口にする。
それは彼の涙と同様に虹を焦がすがごとくに面影さえ無惨に消えていった。きみは彼の名を口にするほどに遠ざかる言葉ならぬ声も艶やかに彼を憐れみ慈しむ他なかったがそれでも彼は魂を失えはしなかった。やがてあたたかな穢れが二人を満たしたが彼はそれをも拒みついに叫ぶのをやめなかった。彼は魂を失えはしなかったが声と共にその名を失った。
そして今、ぼくは彼の名を口にする。それは二分半ばかりの歌になった。
女は異国のにおいを体じゅうから漂わせていた。女がいつどこからやってきたのか島人は誰一人知らなかったし、女が漂わせる異国のにおいも女の生白い喉から洩れる言葉も初めて耳目にした。
朝まだきのなか女は諸肌を晒し、豊満な体と黒々とした髪を洗う。貝や魚をとっては焼いて食い、ときおりふっと遠くの地平線に目を細め、異国を、女にとっての母国を懐かしむ素振りを見せる。
男は異国の女を組み敷き、抱いた。男はこの島で漁業を営み、逞しく浅黒い腕を持ち、朝まだきのなか諸肌を晒す女と出逢った。異国の言葉で女はよがり、男もまた女にとっては異国の言葉で女に愛を囁いた。やがて女は子をはらみ、二人は添った。確かな会話を交わすとき男と女は単純な線画を描いた。それらは単純な線画であるがために異国の言葉を囁き合うより雄弁だった。
女が子を死産し、女もまた臍の緒を切らぬまま子とともに命を落とすと、男は浅黒い腕に女と我が子の遺骸を抱いてどこかへ行方をくらませた。男の生死は知れなかった。
ただひとつ男の手による書付が残った。それは単純な線画で描かれた五角形の星と見えたが、単純な線画であるがために島人の誰にも男の真意は不明だった。
大きく息を吸う。内なる確信の光と共に、ゆっくりと吐き出す。僕は腕を上げ、宵の明星に携帯をかざした。
彼女からのメールが映し出された。
1/28 17:01
sub: (non title)
from: ヴィーナス
あのお店すごくおいしかったよ(^-^)また会おうね。
予見していた内容の返事に僕はにんまりと笑った。沈みかけの太陽は「人の女に…」と難癖をつけ、星々が囃し立てた。そんな彼らに適当に手を振って置いて返信を送る。明日、僕は、再び金星行きのスペースシャトルを操縦するだろう。
——中身のないやつ。
形がそっくりな分、セーマン君には嫌われています。
こんぺいとうとも国防総省ともにしきのあきらとも似つかない犯人がショートショートの巨匠に宛てたプトレマイオス天文学の残滓。
こつこつ、こつこつ。
しんと静まり返る道に、ただアキコの革靴の音だけが聞こえます。
今日はいまいちな一日でした。遠距離の彼氏とは連絡がつかないし、自信を持って提出した企画は上司からダメダシを食らうし。
はああ。
ため息をつきながら、暗い夜道を帰ります。このあたりは街灯も少なく、寂しい通りです。
「You got a mail!」
携帯が鳴り響きました。メールのようです。
ぱかっ、かちゃ。ぴっぴっ。
遠く、二千キロメートル離れた空の下からの着信です。
「☆」
画面にはただそれだけ。
ふと自分の頭の上を見上げてみました。今日は日本晴れだそうです。
大きく光る満月。その横に、火星が負けじと輝いていました。
眼下に母星が視える。橋頭堡の端っこに座りながら眺めていた。
「ここか」
背後からの声。同室のやつだ。
ため息をついて、素直になって呟いた。
「やっぱり俺、向いてないんだよ」
「くだらねぇ。最後の演習でポカしたってだけだろう。本番でしなきゃいいだけの話だ」
「本番でポカしないための演習だろ」
「…くだらねぇ」
隣に座る気配。やつの投げた小石が波紋をつくって、母星の形が揺らいでいる。
「お前さ」
微かな音をたてて、基地から機影が翔けていく。その表面は粒子の摩擦で冷たく光って、まるで逆回しの流星だ。
「自分を侮るなよ。同期じゃ、やっぱりお前が一等だ」
一年間、ほとんど口をきかなかったくせに、なんで最後の夜だけこんなに饒舌なんだ。
「誇ってろよ。少なくとも、胸にそれ着けてる間はよ」
左胸の、その章のかたちをなぞった。鋭角に尖った厳しいかたち。だから奮い立たせてくれる、優しいかたち。
夜明けと同時に、俺たちは配属を受ける。そうして、天翔けて、いつかは消えていくんだ。
「…そんだけだ。さき戻るぜ」
立ち上がる気配がして、足音が遠ざかる。母星の姿はいつか元通りになっている。
「…そうだな」
もう一度、ため息をついて、天を仰いだ。
ホシノさんは突然やってきた。何の前触れもなく唐突に。ホシノさんの大きさはちょうど1メートルくらい。頭も両手も両足もみな均等の長さに尖っていて、早い話が星型の形をしていた。
ホシノさんは深夜2時頃やってきた。たぶん空から降ってきた。僕は夜更かしして漫画を読んでたんだけど、ふいに窓から黄金色の光が射して、気づいたらそこにホシノさんがいたんだ。
「きみ、だれ?」
「ホシ……ノ……」
ホシノさんは今にも死にそうな声でそう言った。かなり弱ってるみたいだった。焦った僕はわけもわからず、近くにあったペプシを差し出した。するとホシノさんはそれを夢中になって飲み干し、旨そうにクァーっと息をついた。ホシノさん、嬉しそうだった。
「ねえ、もう一本あるんだ。持ってくる」
僕はもっとホシノさんを喜ばせたくて、冷蔵庫に新しいペプシを取りに行った。
でも——。僕が部屋に戻ってきた時、もうそこにホシノさんの姿はなかった。カラになったはずのペプシの缶ごと、跡形もなく消えていたんだ。……夢?
僕はベッドにもぐり、部屋の灯りを消した。おやすみ、ホシノさん。
呟いたその時、窓の向こうに広がる夜空で、何かがきらりと光った気がした。
その子は綺羅という名前で、なんとなくいつもキラキラしている。
どこがどうというわけではないのだが、うそっぽいクリームの挟んであるメロンパンに
えらく感激してみたり、ドーナツ屋のうすいコーヒーをありがたがってみたり、いちいち
僕と反対の感性のところで、キラキラ光線を発するのだ。
その子がつまらないことに感動するのを見ていると、僕が常々排斥する類のもので
あっても、そう捨てたもんじゃないのではないかと思えてくるから不思議だ。
極めつけは、穴の開いた毛糸の帽子。
あちこちの虫喰い跡から、人指し指をにゅっと出してはあははと笑い、どうせ髪も
帽子も黒いからわからないわよ、と言う。いや、わかるって。
「暖かければいいの。適当にゆるくて耳まですっぽり。なかなかないのよ、こういう
帽子。人にどう思われたって平気だもん。」
まいったな。僕にはまだ、虫喰い帽を被る勇気はないが、そこまで周囲を気にしない
彼女を、まずいぞと思いつつもちょっと尊敬している。
そんなこんなで僕は、彼女のケイタイ登録名の前に、こっそり☆マークを付け足した。
夜道の慰めに知らない☆に名前を付けた。
「…はゆらむ」
☆はにっこりと瞬いた。たぶんあの☆には既に誰かが付けた名前があるだろう。図鑑で調べればわかるはずだ。
でもそれは問題じゃない。わたしにとっても、はゆらむにとっても。
はゆらむは赤っぽく光る時も青っぽく光る時もあった。赤っぽく光ればドキドキしたし、青っぽく光ればうっと
りした。
曇った晩には会えないのが淋しい。雨の晩のほうがいくらかマシだ。傘が空を隠すから。
彼のハガキには平行線が九本引いてあるだけ。そえられた言葉はたったひとこと「星製造装置送ります」。
わたしは平行線を山折り谷折り。オーブンで星を焼いて彼に送った。
「僕たちは志願するんです」
若いゾンビが言った。
「そいつはいいや」
「乾杯してくださいよ」
肌は土気色で衣服は破れ、湿っていた。においはそんなにひどくなかったが、死体置き場で香料を飲まされたからではない。活動を再開すると、彼らの組成は死体とは別のものに変わる。一般の腐ってゆくばかりの死体とは異なり鉱物的な増殖さえもするらしい。
徴兵所へ行けば一発合格はまちがいなし。なにしろ一度死んでいるので、滅多なことではくたばらない。
それであらかじめ祝杯を上げようと、まあそんなわけだった。
「どうもね。僕たちはまだ死んでから日が浅いんで、死体でいることに慣れないんです」 青黒く斑点の生じた顔に快活な笑顔をつくって一人が言うと、
「とても、じっと死んでなんかいられない」
「墓の中は退屈で」
「尻は冷たいし」
「戦争なら、なあ、そうだろ。戦争なら活動的で僕たちにぴったりだと思うんです」
「エンディミオンの軍はケープ・コッドに上陸したそうだよ」
そう告げると、カウンターで彼らは気勢を上げる。
「ウラー!」
「乾杯!」
「戦果に」
「勝利に!」
彼らが足を踏み鳴らすと、床を匍匐前進するおやじゾンビが、ゴキブリのように空中に跳ね上がる。
物語は、乱暴に言ってしまえば、最終的には読者が完成させるのです。
私が判りにくい死に方をしたので皆困ったようだ。
最近思い詰めていたような気がします。
誰かが言う。
何故あいつが。
他殺と決まったわけではありません。
あそこの倉庫で。
この辺も物騒だからね。
私の死についての物語が組み立てられて、時に壊されまた組み立てられていく。
暴行された形跡はありません。
じゃあなんでこいつは全裸で死んでるんだ。
私は小説を書いていました。書いても書いても上手に出来ず、少し疲れてしまったのです。
何だこれは。
遺書、にしちゃおかしいですね。
けれど私は面白い事を思い付きました。
訳が分からねえ。
読者は、作者が与えた情報を繋ぎ合わせ自らの内に物語を作るのです。
こんなのが物語なものか。
私が与えたのはただの記号。
あの紙切れに意味なんか無かったんだ。
一筆だけの、私の小説。
どうかしてる。
母さんは、あれを昔私が絵に描いた星だと思うでしょうか。
奥さん、落ち着いて聞いて下さい。
それは違います。だけどそうだな、どうかたくさんの物語が生まれますように。
彼の小説は、瞬いてその願いを誰かに伝えることもない。
遥か遠くの連峰は白く、足もとの湖面もまた白く染まっている。
すっかり凍った湖に下り立つと、いつもの場所に先客が一人いた。背を丸める初老の男は、開けた穴に釣り糸をたらしじっと当たりを待っている。
「どうですか。釣れてますか」
寄って釣果を聞くと、大公望は首を振る。
「昔は良かったなぁ。数はもちろん、質も然り。今じゃセレストロンやミード、ビクセンなんぞ滅多にお目に掛からん」
お、と当たり。星型の穴から双眼鏡が釣りあがる。期待しながらメーカーを確認すると、肩を落とした。
「双眼鏡が釣れただけ、ましじゃがの」
さびしそうに崩れる相好。それでもきょう初めて笑みを見た。びくを覗くと、ちいさな星座早見板が一枚凍っているだけだった。
「光害がひどいんかのう」
ぼやきながら穴に糸をたらす。私も糸をたらすべく、辞した。
さて。何を釣ろう。
ハート型の穴を開けて、嫁さんでも釣ろうか。いや、たまには星型の穴にして中を覗いてみるか。
金色の☆がにこにこ顔で逃げていく。
「そこっ! もう少し、あああ」
彼が走る、跳ぶ、もう一度大ジャンプ!
「やったー!!」
きらきらの☆を掴んで彼の体がきらきらと光った。
そうしてガッツポーズをしている私とコントローラーを握った弟の目の前で、真っ直ぐ奈落の底に落ちていった。
耳にタコが出来るほど聞いたゲームオーバーの音楽が流れている間、私たちは口を開けたまま硬直していた。
五つ子たちのために作られた五角形のコタツの上に、五つ子たちのために作られた円形のケーキが置かれていた。
今日は子供たちの誕生日だ。三角帽子を被った子供たちは生誕の祝福よりも、目の前のご馳走を喜んでいるようだ。コタツの縁に並ぶつぶらな五対の瞳は、そわそわとケーキを見つめていた。
「お父さん、まだぁ?」
子供たちが口々に不満を漏らし始めた頃、夫がようやく帰宅した。手には五つ子たちのために買ってきた、四角形のプレゼントの箱が五つ。それまでへの字に引き結ばれていた子供たちの口が、一転してワの字に開いた。
家族が揃ったのを合図に、ささやかな誕生日会が幕を開けた。コタツに昇った満月が欠けていく様子を見て、私は五つ星たちが生を享け、日々を翔け昇っていった軌跡を思い起こしていた。五つ星たちもこの先、月の様に目まぐるしく変化していくことだろう。
私が回想している内に、子供たちが騒ぎ疲れコタツの中で、帽子も取らずに眠ってしまった。五角形の掛け布団から、安らかな寝顔が五つはみ出している。リビングに昇った、空に輝く星よりも大きな一つ星に、私は願いをかけた。どうか大切な五つ星たちが健やかに育ってくれます様に、と。
締め切りだったことを思い出した。僕の電車はとっくに発車していて、もうどんなに足掻いても間に合わない。
仕事をクビになった。次の仕事はみつかりそうにない。妻には逃げられた。子供たちには蔑まれ、唾を吐きかけられた。家族を養えない男に存在価値はない。
空中図書館に僕の明日を調べに行った。片足の図書館司書の女の子はすまなさそうにそんな資料はございませんと答えた。
「だってまだ生きているじゃありませんか」
僕はむきになって言いつのった。
「申し訳ありませんがどのような資料にもそのような記載はございません」
僕は傘を差して川底を歩いた。
おたまじゃくしたちがラインダンスを踊っている。
「諦めちゃえばしあわせになれるよ」
無邪気ににっこりと笑いかけてくるおたまじゃくしたちに苛立ちながらも僕はどうすることもできず無言で歩きぬける。
いつしか海までたどり着いていた。ヘドロの溜まった海底で腰の曲がった車掌役のはぜが言う。
「旦那。電車はとっくに行きましたぜ」
見上げた運行掲示板にきょうの運勢が表示されていた。
天蓋付きのベッドでひとりの少女が眠っている。少女は夜の始まりにゆっくりと目を覚ますが、身動きはしない。閉じられていた目を開くだけだ。起きているか眠っているかの違いは、少女にとって目を開いているか閉じているかの違いでしかなかった。
少女はそのまま薄い紗の向こうに視線を送る。天井には星型の窓枠があった。夜ごと少女は目を覚まし、朝日が窓枠をかすめるころに目を瞑る。切り取られた星が白からオレンジに変わり、闇色になると銀色の枠だけがわずかに浮かび上がる。その先に星屑たち。紗を挟んでもはっきりと感じる、たったひとつを見続けるのが少女の役割だった。今日もまた星は輝くだけ。少女は幾夜幾十夜を繰り返し繰り返し、星が瞬くのを眺めるだけの繰り返し繰り返し。
幾千夜幾億夜の後についに星は流れ、長い尾を引くもののすぐに窓枠の外へと消えてしまう。それは少女に約束のときを告げていた。
少女は女の子を産み落とす。あなたが少女で満ちるときまで、窓枠の向こうから眺めているわ。それで少女は完成し、星になる。
○と●はオセロ・ゲームをしている。序盤こそ○が有利に進めていたものの●が四隅を制してからは形勢逆転。一打で●●●●●●●●と一列を●にしたりもし、盤上の殆どを●にしてゲームは終了する。
●が負けた○に向かって軽口を叩く。これまでの諍いや鬱憤まで反芻され○は激昂する。○は激情家だ。手許のコップを投げつける。コップは●のすぐ脇をすり抜け◇□◇□◇回りながら飛んでゆく。コップは壁にぶつかった途端に☆ると、蝶がひらひらと飛んでいる。
ゆっくりと舞い降り盤の中央にある●で羽を休める蝶を眺め○と●は呆気に取られる。▽だった蝶の羽がみるみる▼になる。
●と○が出した結論は「これまで観察されたコップが壁にぶつかると全て砕けて来たからと言って、初めて観察されたあのコップまで砕けるという保証はなかった」というものだ。因果性とは経験を世界に投影したものに過ぎないのである。そうすれば蝶の色が▽から▼になるのだって驚くに値しないではないか。
蝶が盤を離れる。瞬間、全て☆ったかと思うと盤上の●が霧散し残ったのは幾つかの○と中央の●。そのままゲームは再開され今度は○が大勝する。○はコップの水を旨そうに飲み干す。
え? いや、だから読者であるあなたが犯人なんですってば。いいですか、もう一度説明しますよ。あなたは葛西君が一人、村主さんの部屋に呼び出されるところまで読み進んだ。ところが村主さんはその部屋にはいなかった。しかもその部屋に入った途端、外側から鍵をかけられ、その部屋から出られなくなってしまった。ピンチに陥った葛西君に、君はハラハラドキドキしていたハズだ。密室の中、だんだんと精神的に追い詰められていく葛西君。彼の心情が刻々と荒んでいく様を見せつけられ、君はこの先の展開への期待感を胸に気持ちを逸らせながらページを進めていった。そうだろう? そして君は次のページを見た瞬間。……真っ白な見開きに一文だけ逆さまにして『逆さまにしないでください』って書いてあったのを見たときにはもう、勢いで、その文章の意味を考えるまもなく君は本を逆さまにしていた。そのとき世界が逆さまになり、天井に頭をぶつけて死んだというわけさ。…………なに? 納得がいかない? なら聞くが、君はどうやってこの、私以外が一瞬にして死んだ状況を解説してくれるんだ?
なんだ、三流ばっかり!