500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第56回:プラスティックロマンス


短さは蝶だ。短さは未来だ。

僕らはいわゆる年の差カップルというヤツだ。
彼女は僕の母より年上でジェネレーションギャップを感じないかと言えば嘘になる。
彼女はITをアイテー、プラスティックをプラッチックという。
バブル経済をなぜかバルブ経済と刷り込んでしまったらしく、何度言い咎めても「バルブの時はねー。」などと平気で言う。
豪快に笑いながら「これ最近はプラッチックで出来てんのねー。」などとのたまう。
そんな彼女が憎めないし愛しいと思う。
ある日彼女が真っ白になった。
医者によると生活に必要な最低限の情報を残して全ての記憶が消えてしまったのだという。
原因はまったくわからないらしい。
忘れたことすら覚えていない。
あれほど豪快だった彼女は今はたおやかでさえあり、新たな世界を楽しそうに受け入れていく。
「これはなに?」
「これは入れ物だよ。」
「これは?」
「これも入れ物だよ。」
「違うものなのに同じなの?」
「ああ、ええとね、こっちは陶器。こっちはプラスティック。」
「ええと、とうきと、プラスティック。」
するりとすべるようなイントネーション。
とたんに何かが胸にこみ上げてくる。
僕は嗚咽を止めることができずにそのままその場に崩れ落ちた。



—その中にふたりの思い出を入れた。
ぼくの機械の横には、きみの機械があるだろう、音もなくたたずんで。
にせものの暮らしを生きていくことを選んだ。
老いてゆくことを拒んだ。
触れ合うぬくもりもなく、ぼくの機械ときみの機械が並んで。
だけどそれはもう、外の世界の話になる。
ぼくもきみも、機械の中で生きている、なんて思いもしなくなる。
本当は触れ合ってなどないきみの肌のぬくもりを感じるだろう。
あまい、あいまいな世界。
それでいいか?
間違っていたかどうかも、関係なくなる。     でもそれで…
いつか機械がとまっても、夢の中で死ぬというだけ。    …
細い管でつながれて、
つめたい、ふたつの機械が並んでいる。
そして始まる、—



 君よ。君よ。麗しく可憐な少女の君よ。僕は君ほどの女性を他に知らない。淡い空色の髪、儚げな紅い瞳、そして抱きしめれば壊れてしまいそうな細い身体。何もかもが完璧で、何もかも愛おしい。君は、君こそは、世界でたった一人の僕のVENUS。
 ねえ、だから約束しよう。いつかきっと、僕が君を連れ出してみせる。こんな冷たく狭い檻の中に、君はいるべき人じゃない。君は僕と結ばれて、他の誰より幸せになる。僕は運命を信じてる。君と出逢った運命を。
 ああ、もう時間が来てしまったね。お願い、そんな哀しい顔をしないで。今夜はこれでさよならだけど、必ず君を迎えに来るから。大丈夫だよ。たとえどんなに遠く離れても、君への愛はここにある。さあ、もう僕は行かなくちゃ……

「お客さん、閉店ですよ」
「……わかってます」
 背中に大きめリュックを背負った秋葉系の青年は、ショーケース越し24センチの綾波レイ(税込12,6000円)に萌ゆる想いを告げると、名残惜しそうに店を後にするのであった。



—ただいま
 声を掛けるとドアは音もなく開き、閉じる。万全のセキュリティと利便性。整然とビル群を見おろす窓のカーテンが自動的に引かれ柔らかな色の灯が点る。留守中の電話は0、メールは14件。チカチカと光が告げる。快適に設定された温度と湿度。
—ただいま
 顔をよせてできるだけ静かな声で囁く。君がちらりと笑った気がする。
 君だけはプラスティックなんかじゃない。
 椅子もテーブルも観葉植物をかたどったオブジェも。この部屋はプラスティックでできている。めったなことでは砕けず、ぶつかっても怪我をしない程度の弾力を持つの壁が生活の表面を覆っている。錆びもせず腐りもせずけれど永遠ではなく、曖昧な、硬くもなく軟らかくもない、ガラスの冷たさすら持たないプラスティックの部屋。
 この部屋の中で君だけはプラスティックじゃない。
 部屋の中央に置いたプラスティックの塊。君はその中だ。
 微かに不透明な塊。その中に閉じこめた君を見る。プラスティックの内側は君の分だけ欠けている。重さも色も匂いも不純物は何もない。完璧に透明な存在。
 確かに君の分だけあいた空洞。確かに君を感じられる。
—おやすみ
 君の目を見ながら、君を包むプラスティックにそっとくちづける。



 爪で引っ掻いてできた傷だったアタシの目蓋は震えつづけることを恐れて僅かに痙攣し、ゆっくり開いた。
 閉じた。
 とても見ていられない。光速では速すぎて。音速ぐらいが生温い。男爵さまの声を、壁を背中にじっと待つ。
「お嬢さん。私と一緒に踊ってくれませんか?」
 ヒトツメ城で開かれた、舞踏会の主役であるオリヅル男爵さまの姿は幾層もの煌びやかなドレス製の幕の内にある。男爵さまの一声で、幕が左右に引かれ、空中を虚ろに浮遊する何対もの眼がアタシに光を浴びせた。
 一歩、堪えきれずに、男爵さまに近づいた。そこは、男爵さまの位置を底にした擂り鉢状にでもなっているのか。人の出入りが激し過ぎるせいで。
 アタシはオリヅル男爵さまの鋼より頑なでもなく、紙より優しくもない、その立ち姿に見惚れているばかりではいけない。
 招待状を受けた翌日から、西の都市一と名高いフラミン語講座の教師を招いて一本足話法を学んだ。
『二本足の片足立ちなら、いっそ、一本足で精妙なバランスを取りなさい』と、タタラ先生の厳しい教えのお陰で、相手の些細な言動から顔色ばかり窺っていた、昔のアタシは、今、此処には居ないのだから。



 僕は真っ白な砂漠を歩いていた。ある場所までずっと歩いてきていた。そして、ある場所に着くと彼女は立ち上がった。
 僕らはしばらく向かい合っていた。不意に、彼女の足元から潮水が泡を立てて湧き出した。潮水に浸った爪先が、少し青かった。
 湧き出した潮水が空に滴り落ちる。最初の一滴。彼女は空を見上げる。やがて潮水は彼女の足から頭まで伝い、髪の毛の先から滴り落ちる。
 空に落ちた滴は空を叩いた。波紋が広がる。無数の星が揺らぐ。歪む。
 僕は眩暈がして目を瞑った。次に目を開けたときにはもう、彼女はいない。



 透き通る石の上に遺体が二体並べられていた。
 遺体は互いに手を取り合い、鉛筆くらいの半透明な棒を持っていた。
 強い日差しがまぶしい。
 階段状になった安置台には、足下にも透き通る石が敷き詰められていて、きらきらと光を乱反射する。
 辺りには坦々としたお経が響く。
 参列者ひとりひとりが遺族に一礼して、受付で渡された小さなガラス質の欠片を、遺体の前にあるダイオキシンゼロのサランラップの上に置いていく。
 誰かが、欠片がたくさん集まると光を複雑に反射して燃え上がるように見えるので、死者がこれから歩いていく先を照らすと信じられており、古くから必ずこういうことをやる風習になっていると教えてくれた。
 なるほど、徐々にこんもりと山になってきた欠片はサランラップの上ではじけそうなくらいに光を放っている。死者が持つ棒はその強い光を受けて七色に輝いていた。
 どこからともなく、光が集まっていく。
 壇上の二人のかたちをしたそれは、現れるでもなく、消えるでもなく、ぐにゃぐにゃとねじれながら白く乱雑に揺らめいていた。



 我こそは恋愛の求道者である、と言い張る男と縁があった。なるほど、彼は行き届いていて、何かしらの贈りものを欠かさず、レディファーストで大変紳士的なのだった。
 男はキラキラしたものがすきで、高いところがすきだったので、私達は大抵そういうところへ行った。男と会うときにはいつも歩調がふらつく。それを見つめる男の目が私はすきで、より一層足元がゆるくなった。
 今夜もいつものように、まばゆい光に目を眩ませながら酔っ払う私に男が告げた。
 あなたは、僕があなたをあいしているから僕をすきになったのでしょう。
 そうかもしれない。夢見心地で私は答える。すこし微笑んでさえいたかもしれない。男は重くながいため息を吐いた。さようなら。
 ぴんとした男の背中を見送って、私は残されたグラスを綺麗に空ける。のみ下すたびに熱く喉にしみる。
 その道のひとでさえ、気付かなかった事なのだから、この私に解りようがない。
 お勘定をすませて、おもてへでる。泣きながら帰った。



すべてが過去になってしまったので、現在はすべてを後にして旅立つ。
未来たちのなかには、世界にとどまって過去になるものもいるし、現在を追って飛び立つものもいる。
未来のひとつひとつは、水滴の鎖でできた蜻蛉のようにみえる。過去がないためにかたちも色も大きさもさだかでない現在を、大きさも色もとりどりの未来たちが追う。
ごく抽象的なものたちは言葉による形式化によって気密し、表記を船/体として旅する。素材は任意に接収され、ここに記された文字のように、かけ離れた場所に痕を残す。
「どこへいくの?」世界を離れるのははじめてのおさない未来が、心細げに尋ねる。羽ばたくときに羽根の下側にできる局所的な過去様態の切片がきらめく。想起されることのない想い出の、主体のない忘却によって推力を得ている。
「それは着いてから決まるんだ」旅慣れた未来が答える。
「現在はなにを求めているの」
「その答えはない。『答えのあることの集合』、これが過去の定義で、『答えのないこと』が現在の定義だから」
「じゃああなたはなんのために現在についていくの?」
「まだ問われたことがない質問になるために」
「そんなものまだ残ってる?」
「最低限、時間を離れることができる未来の数だけは」



 ごめんあそばせ、あたくしは、レンジで一分チンデレラ。
 ガラスの恋など重いだけ。



「ねえ、こっちむいて」
 そう言って彼女は僕の頬に口付けをする。
 やめてくれ。
 頬に広がる冷たい感触を知るたびに僕は、もう二度と彼女の暖かなぬくもりに触れる事はないのだと思い知らされて、彼女と同じ温度まで僕の心が冷えてしまうのを止めることができないから。
「そんな顔しないでよ」
 困ったように笑う彼女の顔はやっぱりそのまま彼女のものだから、僕は余計に混乱してしまう。



今日はお天気がいいから、窓際においてある金魚鉢をもって出かけてみようと思った。ポケットに入れると、ちょっとした箱庭気分。
外は夏のさわやかな風が吹いていて、日差しの強い今日の日には特に心地がいい。
あんまり気持ちがいいもんだから、私は金魚鉢のキャップの部分をもって腕をぶんぶんと振ってしまい、わっしゃわっしゃと水の音。気がついて、しまったと中を覗くと、金魚のきんちゃんは目をまわしたというようにふらふらと水中をふらついていた。
ふと、鉢の中の水面が白くなったのをみて、顔の前までもちあげてみた。かかげてみると、ちょうど太陽の光に照らされて、四角い金魚鉢の中はキラキラとまばゆく光っている。色とりどりのビー玉をしきつめた、透明な薄皮に包まれた世界に七色の輝きが満ちて、何だかとっても特別な感じがする。
ちょっと立ち寄ったコンビニで、沢山にならべられたペットボトルの中に私の金魚鉢を入れてみた。他からはあからさまに浮いているそれをみて、ちょっとおかしくなって笑った。



 波に乗っているとサーフボードにサメが噛みついた。試合が近いのに。俺は巨大な顎に何度も肩を噛まれながら考えた。溺れながら、もぎ取られた腕が泡立つ海中に引き込まれていくのを見た後の、記憶はない。波が岩に叩きつけたボロボロの体を、仲間が救助してくれたらしい。
 型通りのお悔やみを、俺は聞き流した。
 俺は義手をつけて海岸に戻った。もうすぐ試合だ。椰子の葉陰には恋人の姿。
 ボードを漕いでいると、またサメがサーフボードに噛みついた。こんどは俺の脚までいっしょに食いちぎっていった。
 俺は義足をつけて練習した。
 砂と血の記憶にまみれた岩場にはビニール袋を飲み込んで死んだウミガメの白骨死体が打ちあがる。さめざめと泣くトップレスの恋人は零した涙を胸で受け、対の真珠をいっそう明るく際立たせた。
 試合当日。
 俺は波をとらえた。体が浮く。義足は本物の足と見事な一対となってボードを踏み、義手は風を切る矢印をつかんだ。
 チューブを潜りぬけ、俺は砕け散る波を背に反転する。スローモーションで世界がしなう瞬間。サーフボードにサメがまた噛みついた。
 ボードと手足が砕けとんだ。
 俺は光の中に投げ出された。



 さようなら。まるで盲目の恋。私には彼しか見えなかった。暗やみの中、彼だけ頼りだった。彼はこわれ物を抱えた私をがっちりと守ってくれた。でも、さようなら。彼の中にもう私はいない。私も空っぽ。代わりにあの子のお腹がいっぱい。あら、違った。次はチョコチップクッキー。そして彼と私は引き離される定め。紙マークのついた彼はつぶされて右の袋へ、プラマークの私は左の袋へ。さようなら。でもきっとまた会えるわ。別れは出会いのプレリュード。大切なのはリサイクル。そう、分別がキーよ。彼と私の次の出会いのために、あなたの協力が必要なの。お願いよ。遅れないで。月曜の朝八時までに出してね!



 ごみ袋が透明になってから何回目だろう、分別を注意されるのは。他人のごみに興味をもつなんてまったく悪趣味だと思う。でも今回はちょっと違った。今、僕のごみを覗いているのは美少女なのだ。ドキドキするではないか。
「プラ、ってわざわざ書いてあるんだから、分けなきゃいけないのは分かりそうなものなのに」
 ぶつぶつ言い、キッと僕を睨む。素敵だ。
 次のごみ出しの日、もちろん分別せずに捨てようとしたらまた彼女に叱られた。その次も同じ。嬉しいけれど、いったい彼女は何者なのだ? 不思議に思いながら分別する様子を見ていたら、ふいに彼女が泣きそうな声で言う。
「どうして分かってくれないの? どうしてあなたは」
 驚いて僕はおろおろしてしまう。僕はただ、君が怒る顔を見たかっただけなんだ。
「わたしはもう帰らなくちゃいけないの。ねえ、あなた本当は分かっているんでしょう?」
 ついに彼女の瞳から涙がこぼれる。僕はとっさに両手を差し出す。手のひらに落ちたそれは、しかし液体ではなかった。彼女の涙がいつからプラスティックの粒だったのかを確かめたくて軌跡を遡るように視線を上げるが、すでにそこには誰もいない。



「何を遠慮しているの?」
 そう言われなきゃわからなかった。だって、一方通行が長すぎたんだ。
 高まった熱がほんの少しも冷めないように、重なったリズムがほんの少しも崩れないように、慌てて僕は歯でプラスティックの袋を開ける。
 君から両方の手を離すのは、こんなときでも怖い。
「キスしてもいい?」
 君が笑いながらうなずくその振動で、僕はゆっくりと夢に落ちていく。あとは、君も同じ夢を見てくれたらいいと願うだけ。



音をたてて砕け散ることもできず、
無残にひび割れ、歪み、くすんでいくだけなのだ、
この恋は。

それが、永遠と引き換えにぼくらが手に入れたもの。



 万緑が生い茂る山間をくぐり抜け、ぼくたちの旅はすいすいと駆けめぐる。少しひなびた車窓から草木をなでた風がさわさわ流れこむ。祖母はひざの上に太陽のかけらみたいに鮮やかなミカンを置いて、ぼくたちにほっこりとした笑顔を向ける。けれど、ぼくたちはミカンに手を伸ばさない。なぜならぼくらはまだ駅を出たばかりだからだ。
 峠の茶屋では娘が忙しそうにはたらき、そのふもとの門前町でそば屋が客を呼んでいる。木造の立派な駅舎の前を通り過ぎ、どんちゃん騒ぎの屋形船を谷川の底に見おろして、山肌に異人が建てた白ぬりの教会を見つけ、まだまだ走る。汽車は煙をずっと吐かない。そして、二周目に入る。ぼくたちは脱ぎ散らかした靴もそのままに、車窓にしがみつき、やっぱりミカンに手を伸ばさない。なぜならぼくらは永遠の旅行者だからだ。



「ロマンティックな夜に」
 窓際に座るカップルがチンとワイングラスを合わせる。二つの深紅が揺らぐ奥、淡い街灯の通りを黒い人影が疾駆する。相貌白く口は紅。警官隊が影を追う。通りの奥のショウウインドウでピエロ人形が笑う。
 と、ピエロを見ていた黒背広に丸つば帽子の人物が振り向いた。白い相貌に赤い口がニタリ。通りを警官隊と別方向に。
 やがて黒背広は別のショウウインドウに。中には目を伏せたまま薄衣と輝石をまとう黒い長髪のマネキン。影が黒手袋で窓に触れるとたちまち回転扉に。
 くるり、くるりと窓の外。その時には警官隊が十重二十重。
 マネキンを抱いた紅の唇はニタリ。黒い靴を脱ぐとジェット推進で流れ星。マネキンにキスをすると伏し目はぱちり。
「ホホホホホ」
 高い声は風に消えるも背後のネオンが「ホホホホホ」。
「ホホホホホ」
 と、ネオンが見えるホテルの一室。
 チンと朱に揺らぐグラスが合わさる。薄衣の女性は赤い唇をニタリ。胸元には輝石。
「プラスティックな夜に」
 ワインを干すと、目の前に座る黒背広の丸つば帽子を取る。
 ばさりと夜のような長髪がこぼれた。
 伏し目の黒服はキスをねだろうにももう動けない。



 いつも、借り物のカラダを着ているような気がしていたのでした。いつだって受け売りでしかコトバも吐けず、ココロも表せないのでした。ボクは怖いのです。本音をぶっつけてじぶんを見破られてしまうのが、はてしもなく恐怖なのです。ですから、きっとこの人も同じなのだと、まったくアンイにアンニュイを装うアナタを見初めたのでした。
「そうして浮かれて、いまの何がそんなに楽しいの」
 アナタは冷め冷めと言い、クラスメイトに便乗して騒ぐボクも内心、ヒヤリとしました。
「いまが楽しいんじゃない、イマを楽しんでるだけだ」
 対するボクの一言が、影挿すアナタの頬をわずかにゆるめたのを、見逃しませんでした。真に受けてしまったのです。カラ元気と似非クールの近しさを直感しました。こんな二人ですから、うまくはいかないでしょう。本質に触れれば、失望のうちに散るに違いありません。ボクにはそれが怖いのでした。

 でもネ、勇気をだせばサ、偽物が本物に勝つことだって、ある。
 古いコメディ映画の受け売りを、かろうじて味方につけて、ボクはアナタの元へと向かいます。
 アア、もう、ウソは吐けない。どうしようもなくあなたが恋しい。



 僕の恋は、僕が落ちてはいけない恋だったのです。
 深く暗い穴の底で毎日プレイズチックを掘る僕は、1万年前の真っ黒な地層で眠っていた彼女を起こしてしまいました。1万年前の昔、マンネクヮインと呼ばれ、己の白さと競わせるかのように色とりどりの衣装をまとったはずの彼女を。
 30年生きることさえ叶わないプレイズチック掘りと、1万年前から白く美しいマンネクヮイン。

 僕が落ちてはいけない恋だったのです。

 六本の腕で掘り、四つの瞳が恋に落ちた彼女を、僕は十二本の指でバラバラにし、一つのプレイズチックの塊にしました。
 台車に乗せられ選プル場へ運ばれゆく彼女は、どのプレイズチックよりも白く澄んでいました。
 プレイズチック掘りの僕は、その日中泣きながらプレイズチックを掘り続けました。
 今日だって、僕は深く暗い穴の底で真っ黒になりながら、プレイズチックを掘るのです。白い幻影を掘るのです。
 僕が落ちた恋は、プレイズチック掘りが落ちてはいけない恋だったのです。



 緊急停止ボタンに、機械油で汚れた指が伸びる。工場の機械は、一気にエアーを吐き出し静かになった。男は渋い顔で、出来損ないの製品を拾い上げた。繊細な細工の白いプラスティックのキューピッドが、赤く焼け、だらしなく伸びている。
 夕方の納品まで、あまり時間がない。男は急ぐ気持ちをどうにか抑え、工具を手に面倒な点検を始めたものの、原料のペレットや加熱温度の設定、射出器にも異常は見つからなかった。
「あとは、ここだけだ」
 男が温もりの残る成形部の覆いを取ると、冷え固まっているはずのプラスティックが、どろりと流れ落ちた。
「勘弁してくれよ」
 舌打ちをしながら、肝心要の金型を開こうとしたが、名人の呼び名も高い金型作りに頼んだのが却って災いしたのか、いくら力を込めても、ピタリとくっついたままどうしても離れない。男のこめかみには、青く血管が浮いた。
 そのまましばらく途方に暮れていたが、金属の隙間から赤味を増した残液が、なおも押し出されるのを見るに及んで、男は漸く得心がいった。
「お前ら、いい加減にしろ!」
 鬼気迫る一喝に、未練たらたらだったオス型とメス型も、しぶしぶ互いの熱い抱擁を解いたのだった。



 手をつないで手をつないで手をつないで手をつないで
 世界の終わりまで夢をみよう。



 今夜の月は大きくて、やけに明るい。
 目の前の海はどこまでも広がり、ぞりぞりと波打っていて、僕はちょっとした岩の上でその様子を見ている。
 昔の事を思い出した。
「いい夜だね。」
 やっぱり月の鮮やかな晩に、瓦礫の散らばる浜辺で彼女は言った。
「海も、きれい。」
「そうかな、僕は少し、こわいけど。」
 夜の光を映さない海面が、ぞりぞりと嫌な音を立てている。
「少しこわいくらいがいいのよ。」
 彼女は揺れる波を眺めながら、小さく笑った。
 僕は、自分が笑われたような気がして、言い訳をする。
「こんな海じゃなかったら、きっとこわくないと思う。」
「こんなって。」
「プラスチックの、海。」 
 ずっと昔に海はこんなふうになってしまったのだ、と大人たちに教わったのを思い出した。
「プラスティックのほうがいいよ。」
 と彼女が呟く。
 言葉の意味がよくわからないでいるうちにも、世界を埋め尽くすくらいの数のプラスチックの欠片は僕たちの前で蠢いた。
「そのほうがいい。」
 そう言って遠くを見つめる彼女の手が、僕の指先に触れた。
 海面が揺れる。
 ひどく明るい月の下で、ぞりぞりと大きく盛り上がっていく海を、ふたりで見ていた。
 今、僕はひとりきりでいる。
 海がきれいだった。



 彼女はその思いが達成されないことを充分承知していた。

 四畳一間の傾いたアパートの部屋でビスケットに釣られた猫の体を切り刻んで己を呪った。いかに己が醜く恥ずべき行為をしているのか、それを己自身に語って聞かせるのはうっとりするほど芳醇な香を漂わせた。

 カンバスに塗りこめる。したたり落ちた血で塗りこめ、潰した肉でその上を覆う。乾ききった呪詛の呟きは甘美過ぎる。それでも最後の一点において、それは完成し得ないものなのだ。あの人の血と肉がそこに供えられて初めてそれは輝きを増すものなのだ。

 彼女が部屋に篭って四百二十一日目の朝、ついにその瞬間が訪れた。
 横たわったまま微動だにしない彼女の腹を飢えた猫どもが漁っていた。ペチョリペチョリと美しい調べが流れる。

 カンバスには乾ききった絵が浮かび上がっている。その中心にあの人の写真が閉じ込められていた。

 はかなくも。



 一人の芸大生が亡くなった。交通事故だった。
 未完成だった彼のガラクタは、夢の島に放り捨てられた。
 一羽のカラスがそれに求愛をはじめる。
 そしてそれはずっと続いた。
 ずっと。
 朽ちることのないガラクタは何もこたえない。
 そしてそれはずっとそこにあった。
 ずっと。
 土に還らない材質で作られていたことは良いところであり悪いところでもある。
 やがてカラスの命は尽きてしまった。
 夢の島にガラクタという恋人を残して。



屋上に上がれば、下界はまるで箱庭だ。
カラフルに右往左往しているのはミニカー。行き交う人々には、顔の区別もない。
ビルのガラス窓は、黄昏れる光を、その一枚一枚に集めて閉じ込める。
見上げると空がやけに高い。思い込みの風景を完結させるには、存在があまりにも遠すぎる。

ため息を一つ。君を思い出してもう一つ。
そして次の瞬間、そんな自分を恥じる。
会えないことは問題ではない。同じグラウンドから離れ、傍観者になろうとするのは、いつも僕だ。

君は、君の時間を生きなさい。僕は僕の世界を行く。
そんなことを思って、また自分が可笑しくなる。



パリンパリンパリンポロッ
パリンパリンパリンポロッ
パリンパリン・・・コロッ
好きになっちゃったポロッ