500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第70回:捩レ飴細工


短さは蝶だ。短さは未来だ。

「後悔するわよ」と彼女は言った。
「たぶんしないよ」と僕は返した。
次の瞬間、次の瞬間、地面が消えて、そして目の前。
無数に広がる飴細工が360度、視界を覆った。
立ってるこの場所以外には、全て尖った飴細工。
絶望した僕を見て可笑しくてたまらないという風に、身を捩って待ちかまえている。

これだけの飴細工を作るのには、随分時間がかかっただろう。
歪んで捩れた愛の棘を、僕は舐め始める。
おぞましい形とは裏腹に、めまいがするほど純粋に甘い。



 目ヲ覚マセ狩リノ時間ダケルヴェロス 遮ル敵ガ在レバ是撃テ

 電素子ヲ束ネシ瞳輝カセ 焦土ヲ駈ケル鐵ノ猟犬

 死ニ場所ハ定メラレタリ蝉殻ノ 潰シ往クノハ鐵ノ函ナリ

 緋ノ色デ地ヲ蹂ミ躙ル絨毯に 只一塵ト化ス五千ケルヴィン

 煉獄ニ標セヨ捩レ飴細工 忘レ去ラレシ墓標ノ如ク



 政治犯は裸にされ、飴色の箱の中に入れられた。着色料の代わりだ。
 死刑執行。
 箱は捩られ、罪人の叫びがこだまする、が、すぐにぐしゃあと肉体と箱が一体化する。
 お上の命令である。牽制をこめたオブジェにするのだという。



 洋館の地下室には、さらに地下への階段があった。雑誌記者の俺は、「やり方に口出し無用」の条件で案内を引き受けてもらった国籍不明の男と、彼が連れている少女とともに進んだ。少女は黒髪だが、男は「日本人ではないので安心しろ」という。意味が分からない。「カナリアさ」とも。彼女のふびんな雰囲気に情が移る。妹に似ているからか。
「なんだ、こりゃ」
 やがて広間に出たとき、俺はカンテラに照らされた光景に目をむいた。
 薄暗い中、柱や壁が光沢を帯びたガラス質の物体に変化しひどく捩れていたのだ。横方向はともかく部分的な縦方向の捩れは、なんだ? いずれも形が違いずらりと並ぶ。
「ネェイジル・アムジィルク・フェノメノン」
 男の言葉はそう聞こえた。
「これがメイヤーズ・ハウスやスレイド・ホールなどとは違うところさ」
 そう説明した時、少女が悲鳴を上げた。半透明になりぐにゃりと横に縦にと捩れはじめた。
「来た! 逃げろ」
 叫んで遁走する男を慌てて追う。
 振り返ると、少女は無気味にひとり踊っていた。

 後で知ったが、霊感が強い者は避雷針の代わりになるそうだ。妹がこうなった理由は分かった。あの少女もあのままで、生きているのだろう。



 炎熱でついに通天閣が飴のように捩れた旧暦七夕の宵、夜空にぽっかりとアメの川が現われた。
 天の川は見る見るうちに捩れて熱い熱い原始太陽系を作り、
 原始太陽系の隕石円盤が捩れて熱い熱い地球を作り、
 水飴の如き溶岩がアメに冷やされて大陸となり、
 ベッコウ飴の如きマントルが大陸を動かし、
 砂糖の如き雪が降り固まって氷河となり、
 ——熱射病の頭に氷は有り難い。だが、道頓堀をアザラシとペンギンが競泳しているのはなぜだ?——
 最後に氷河が捩れて世界中にU字の谷間を生んだ。
 ——そうだ、男にとっては飴よりも鞭よりも嬉しい、あの谷間だ。早く、顔を埋めさせてくれ!——
 ふと回りを見ると、男という男たちが母なる大地に顔を埋め、大地も飴のように身を捩らせ絡まって、DNAの捩レ飴たちは瞬く間に世界を支配した。
 その時、私は悟った。なぜ彼らの触る物すべてが捩れるのか。政治も経済も。自然もビルも。
 真夏の夜の夢さえも。



 日本という国の首都東京にあるたとえば新宿原宿池袋もしかして秋葉原それでなければ六本木丸の内に似たこの場所は上野アメ横か浅草はたまた深川不動尊あたりに並ぶ仲見世もしくは中野ブロードウェイ的な神田古書街のようになりつつあり、パリカイロ上海ラスベガス京都バンコクの風情も漂う。
 むかし泣き虫神様が、という歌を口ずさみ指をくるくる動かす。
 世界中に散らばった神様の涙がドロップスになったことから分かるようにその体には液状の飴が入っていて、それを細工してこの世をつくったのだそうな。
 というのは頭の悪いことにそんなものをうっかり落としてしまった本人の談で、地球とつながる奇体で複雑な飴玉を拾い膨れ上がる悪戯心と好奇心でワタシが表面をつまんで捻り逃げたどこだか分からない砂漠やパンパや遺跡の類もちらほら覗くこの通りを歩く韓国人みたいな白人男性、黒人女性みたいな象、イカみたいな犬、座布団みたいなパリジェンヌ、武士を眺めながら地上の飴よりも簡単にカタチを変えるそいつヲ今日もユビ先でクルクルうふふと弄ルの抱けど時分は今どう生っているのか良く溺た脳ミソまで捩れナニかと混じっ手イク乃が尾モ白くテ止マラ無いシ肩なゐウフふ符フふ婦フふ訃フ。



 彼女が飴細工を買いたいと言うので、露店に向かった。僕は興味が無く、彼女が望むものをさっさと買う。
「兄ちゃんにはおまけや。今度来た時は買うてや」
そう言うが早いか、露店のおっさんは奥から何やら取り出し、僕に手渡した。結局僕の手許に残ったのは、失敗したものなのか捩れた飴細工だった。
 縁日の喧騒が、僕と彼女の微妙な隙間を空しく突き抜けていく。今宵の夏祭りに一昨日軽い気持ちで誘ってみた。まさか快諾すると、その時は思ってもみなかったのだ。嬉しい筈なのに、何故かぎこちなくしか接することのできない己が歯痒い。手持ち無沙汰の彼女は、飴細工を玩んでいる。飴細工を買おうなどとは、今まで一度も思った事がなかった。食べ物なのか観賞物なのかも分からない中途半端なもの。僕と彼女の関係も似たものかもしれないと思うと自嘲気味に笑った。おっさんから貰った飴細工を取り出す。左右の羽が非対称の天使が捩れた矢を引く姿が模られている。何気なく天使の矢を彼女のいる方へ傾けてみる。これで距離が縮まるのなら世話ねえと思った。徐にビニールを剥ぎ取り、飴を舐めてみた。口中には予想以上に甘い味が広がり、少し切なかった。



「あなたなしでは生きていけないの」

一言だけ書き残し、姉さんが自殺した。
ポケットの中には遺書と共に飴が数個。
姉さんが大好きだったハッカ飴。
そっと口にふくんでみると、愛しさ、切なさ、苦しさなどの
いろんな糖が混じりあい、恋という名の味がした。
ああ、甘いだけではないんだね……。
夏の空の下に放置された飴は形をなくし、
それはまるで滴のよう。

姉さんが最後に流した涙なのかもしれない。



「ここにピンク色の大きなハート型の飴がある。では、実験だ。キョウコ君、キミは表側から舐め始めてくれ。ボクは裏側から舐め始めるとする。すると……」
「絶対にイヤです! 所長!」
「なぜだ?」
「これ、メビウスの輪の形になっているじゃないですかっ!」
「それが何だというんだね? (ちっ。キスができるように細工を施した飴だということがどうしてバレたんだ!)」



 弦の震えは大きな震動となり、夕暮れを揺らす。
 だらに、と法師の口から飴が溢れ出た。琵琶の調べに合わせ、飴は伸び縮む。捩れよじれる。法師の額に汗が噴き出す。
 飴は姿を変え続ける。胎児から般若へ。般若から船へ。船から馬へ。
 馬がいななくように仰け反ったところで、法師は撥を止めた。夕闇に静けさが戻り、熱気がすうと引いていく。ぼさっ。冷えて固まった馬が法師の口から落ちた。



 さァさお立会。宜しいか、細工の細から糸を切り、工をカナにして頭に乗せて火にくべたらばさて“魚”となる。ではこの水飴が何に化けるかをとくと御覧。宜しいか、飴は切られて水となり、火にくべたらばさて湯となる。手を挿してみりゃ加減は上々、毛穴もひらくがひらくは毛穴ばかりでないよそこのお姐さん、貴女にも挿してひらかせたいねオヤ失礼。さてさて注目、ではこの湯をおっかなひらいてみればさァどうだ、湯はさァ“ゆ”とあいなりまして紙の上ひゅッとおよぎます。どうぞおひとつ。



 あるところに妻を亡くした男がいました。横たわる妻の顔は、まだ不思議なほど瑞々しく、とても埋める気になれません。
 髪を撫で、頬に口づけた男は驚きました。甘く濃いミルクの味がしました。髪の毛は香ばしいカラメルのよう。蜂蜜、果物、チョコレート。妻の体は、どこもとろけるように甘く、とびきり上等なお菓子の味がしたのです。
 ほんの少しためらった後、男はまず妻の小指を折りとり、口に含みました。

「それから?」
 喉に絡む甘さをお茶で飲み下す。飾られた細工菓子のすばらしさに、つい店を覗いただけなのに。いつのまにこんな話になったのか。
「ある日男は気付きました。自分の指がとても甘いことに」
 なるほど先が読めた。それは何かの呪いで、この精巧なお菓子の動物たちも、元は生きていたのです、と続くのか。
 私の考えを見透かしたのか、店主は薄く笑う。
「男の虚言か妄想かもしれませんけどね」
「それも怖いな」
 しかしもし何かの呪いだとしたら、妻はいったいどうしてそうなったのだろう。
 考える私の前に、店主が新しいお菓子を置いた。小さな花を丸ごと封じた、なんとも美しい飴だ。
「さぁ、試食をもっといかがです」



 身の丈以上を望んだってロクな事にならねえ。これは死んだ親父の口癖の一つだった。
 この道ウン十年、女子供の食いモン作って何が楽しいって飴屋の長男に生まれたのがウンの尽き。けども発明家になりたかった俺は考えて、考えて、とうとう大発明に漕ぎ着けたのよ。エレキテルを通してよ、次にあれとあれだ、こう……ちょいちょいと手を加えたら出来上がったって訳さ。今と昔を行き来できる飴細工、なんて聞いた事あるめえ? 十八番の白鶴。こいつの首を右に一巻きで一昔、左に一巻きでその逆って寸法よ。
 この一斗缶にゃ未知の世界が詰まってんだ、そう得意げに言ってた親父のもう一つの口癖は強ち間違いでもなかったな。なんて考えながら俺は鶴の首を優しく捻る。
 キリキリ、キ、キリ、キリ。

 甘ったるい霞の膜が通り抜けると、場の空気ががらりと変わった。屋敷の作りは変わりないが、整然とした作業場の様は俺には再現出来やしねえ。
「一郎! テメェまたこんな場所で油売りやがって」
「親父、こいつあ違うんだ」
 問答無用。説明どころじゃねえ三十六計何とやらだと俺はいきおい捩くれた鶴を構える。
 キリ、キリ、キ、キリ……パキッ。
「あ」



 結合性一卵双生児の姉弟は、融点のない飴人形のような体を舐めあっている。



 昨日昼からの雨は粘度が高くて、夕陽を取り込むと街中を琥珀色にコーティングしたんだ。まるで縁日の屋台か宝石屋さんみたいにさ。ペロペロキャンディみたいな東京タワーはとくにかわいいんだけど、ホントは何度も練った方が美味しくなるから、東京都庁舎2つに割って練り練りしようね。ミッドタウンはたぶんハッカ味だからスースーするけど大丈夫? 夜が混ざるとちょっぴり辛くなるけど、朝になったら全部溶けて蟻がたかるから、塗れてキラキラした僕を早く食べて。



○蜜人形の消息はいまだ知れない。○蛸の5番、スピロヘータソナタが奏でられる頃。スパゲッティソースストリートの狢部屋のベッドで、砂糖菓子の靴の一方が発見される。○象鉄路模型的線路一様地複雑互相纏繞的不能数的死体的謎。○ミカンの鳴る丘で世界の崩壊を叫ぶ14才。○ふかひレの秘密が今暴かれる。
【げんの・しょうこ先生】
じつに良い脱ぎっぷりです@50点。
【いわしのふとんあげ】
はんぺんの間にイワシを3匹はさんで竹串で固定キツネ色になるまで揚げる。パン粉をまぶしたり玉子をつけてはおりません。
【イノシンさん】
あまり上等でないクサの味がする。
【ミツカンないポン酢】
従業員全員大食いのキャバクラ中華。こりゃHELLぞね。たまらんばい。
【エロクールビズ。】
本年度最強の半透明!
【モヘンジョだろ? みたいな…】
フライフィッシングで遭難。飲まず食わずで2週間。>>>>>>越えられない壁>>>>>>フィッシング詐欺で1年4ヶ月の実刑判決。
【アル中学生】
『鍋の具はお麩になる』をしのぐ感動。もうサイコー。
【♂♀】
寝る前に『カーマスートラ』なんか読じゃいけませんってお母さんに言われなかったのかよカモノハシ!



「神社のかげであなたと口付けていたのは誰だったのですか」
 あなたにそう責められたくてした行為だったのだから相手の名など覚えていない。
 口を噤む私の手首にきりりと爪で捻った赤い痕が増えていく。
 年毎に減る露店の端から端まであなたが歩いた回数は細い指に握る鶴形の飴で知れる。
 と、思っていたのにあなたはうすく笑った。
「神社のかげでわたしと口付けていたのは誰だったのでしょう」



しみじみと痛い。セロファンの中のピンク色。やなやつやなやつと思っていたのに、
このピンク色が。このピンク色が・・。
どこでどう間違えばこうなるのか。50メートル泳いだ壁で思いっきりターンした時
みたいに、すべてがぐるんと転換しそうな予感。
ピンク色はピンクなだけじゃない。上品なサテンの輝きがある。そして甘い。
その上、こともあろうにバレリーナだ!わたしが、怨み葛の葉信太の森で生まれた
ガラス細工のバレリーナに心奪われてたことを、知っていたんだあいつは。
言ったかもしれない。うん言った気がする。雑貨屋でガラスの動物を見た時だ。
だけどそんなこと覚えてるか?ふつう忘れるだろう!わたしだって、もうどの本で
見たのか覚えてない。
わからないわからない。あいつがわからない。稲村省三に弟子入りしたって?
飴細工を専門に勉強してるって? えーーー!!だ。
ばかじゃないの?大学で数理なんか専攻したくせに。そのための塾の費用莫大
だったのに。 お母さん泣くから!
簡単に近づいてほしくないのよわたしの聖域に。 もうまったく。あほか。
でもでもなんてきれいなピンク。なんてかわいいカタチ。あのガラス細工には負ける
けど、確かによくできてる。
キミに最初に見せたかった、とはね。よく言ってくれたもんだよね。
・・・あーだめだ! わたしってなんて単純!



 その頃僕らは製菓工場近くの公園でよく待ち合わせをした。むし暑い夏の夕暮れ、漂ってくる甘い匂いを背景に他愛ない話をするのがただただ楽しくて、半袖からのぞく彼女の白い腕にあれほどしつこい蚊が一匹も寄り付かないこと、代わりに蟻が行列をなして登ってくることなど忘れてしまうほどだった。彼女はちょくちょく体のあちこちに傷を作ってきたが、僕が問い詰めると悲しげに「お父さんの仕事のためだから」と首をふるばかりだった。
 あるとき彼女は何か思いつめたように、僕の目の前にそっと右手を差し出してきた。その華奢な指先を見つめているうちつい口に入れてみたくなり、恐るおそる含んでみたのだが、いつの間にか夢中になって舐めていた。気付けば彼女の人差し指と中指はおかしな方向に曲がり、小指に至ってはほとんど溶けていた。しかし狼狽する僕を尻目に彼女は妙に満足気な表情でひとつ頷くと、物も言わず走り去った。
 その後何度通ってもあの場所で再び彼女に会うことはなかったのだが、父親の仕事は成功したのだろうか。僕はまだ店先であれほど精妙な細工にお目にかかったことがない。



 レ点に見られるように、レには反転の意があり、尖端にて象徴される。反転とは、二項対立概念の一端から対極へ瞬時に移項することではなく、回転し巡ることである。我々の知覚では瞬間的に見えることもあるが、過程は省略はされども決して消却はされない。と、爺様は呟き亡くなった。幼かった私には爺様の言葉の意味はわからなかったが、それとなくは感じられた。以来輪郭のない概念が四六時中頭の中に満ち溢れたが、夢の中においてのみ概念に触れられるのだった。
 夢の中では私は岬の先端にある城を目指している。城といっても既に城の原型を留めておらず、ただひたすらに捩れ水飴のように伸びていた。爺様の別の言葉を思い出す。変化は反転や回転を内包する。事物の変化の完了に要する時間の長短に関わらず、その過程は必ず連続しているのだよ。瞬間的変化の瞬間に圧縮された過程には私の知らないことがまだ眠っている。
 回転とは世界の根幹を為す原理である。
 捩れた城の中心は超過の摩擦熱で既に融解し、真白に燃えていた。原初の太陽である。その核に何故回転するのか問うたが、彼は黙して答えない。ねえ神様。その手で飴細工を創るのか。既に捩れつつあるものを。



 小人たちは踊る。しゃらしゃらと床を鳴らし手を取り合い指を絡めまた離れる。また絡める。毛先から指先から黄金色の筋が舞う。わたしたちは小人たちが愉しげに踊り廻るのを眺めている。
 工場はたくさんの小人で機能している。わたしたちは毎朝大きな釜を熱しグラニュー糖と水と水飴を混ぜ合わせて飴を作る。特別なものは何も入れない。ヘラで充分に掻き混ぜて、ちょうどの頃合いを見計らって踊る小人たちの上に落とすのだ。小人たちは全身飴みどろになりながらなお踊り続ける。
 そのうちに飴は冷えて固まりはじめる。それぞれ、小人たちが踊った形に。出来上がりは冷えた飴に小人たちが搦め取られて止まるので判る。
 わたしたちは飴から小人たちを切り離し、叮嚀に温めて溶かす。たまに口に含んで舐める。すると小人たちは再び動きだすので、また踊りの列に戻してやって新しい飴をかける。
 小人たちが踊った軌跡どおりに固まった飴はひとつずつ味が違って、それはとても美味だから、本当によく売れる。



 入道雲は辺りを窺う。北の方、南の方、うろうろ、うろうろ、もう少し、東の方。

 濃いピンクの百日紅から猿が滑る。するする、するする、猿の手には太い幹は手に余り、するする、するする、小さな猿は小さなしかめ面を作り、するする、滑る。
 青い朝顔は話を聞いてくれない。黄の白粉花も耳を丸めている。蝉のせいだ。
 お辞儀草は日を浴びながらうたた寝。間を金魚草が泳いでいく。この暑いのにさ、と蛙は満遍なく呆れる。
 風に飛んで行きたい麦藁帽子、ひゅひゅうっと。そうして地面に着地するのだ。ちゃん。壁に掛かった影法師は、飛べる。夜には宇宙さえ飛行する。今もたぶん、誰かは飛行機について、雲の上。つくつく法師も飛ぶし、天狗だって飛ぶ。ああ、わたしも飛びたい。日焼けはもうたくさん。
 ぱからっ、ぱからっ。
 竈馬は台所で駆けている。便所でも駆けている。風呂場も、ぱからっ、と高すぎる湯船の淵の絶壁に寄り、己は足が長すぎるからあめんぼにはなれない、とタイルの上にできた水溜まりごとに思い定める。水澄ましは夢のまた夢。
 外で、はっとお辞儀草が目覚める。向かいの蛙の呼び声。その上で猿が滑っている。

 稲光。ざあ、ざあざあ、と思うさま降ったら、そばには秋の空。あとは思い出、のかなた。



我が子の人生とおなじ長さの千歳飴が指先をかすめ、そのまま、大気圏に突入していった。



 右足を入れた瞬間に分かったのだが、何せすっかり油断していたのだ。バランスを崩してバスタブにつっこんだフタヤマは絶叫した。
 体を引き上げると、そのまま浴室を跳び出し廊下を走り、居間のドアを開けて数歩、固まった。
 固まったのだけれど、別にそれは全裸を見られたからではない。ミハラが気持ち悪くお姉さん座りをしていたからでもない。ミハラはもともと気持ち悪い。
 小指がちょっぴりもげかけたのだ。
「ミハラッ、おお、お前って奴はっ」
 ミハラはいやぁんと両のこぶしを口元にあてた。
「だ、だってフタちゃんってば、最近体形が変わってきたんだもんっ」
「お前がこっそりなめるからだ!」
 怒んないでぇ、とミハラは身をくねらせた。
「ね、ねっ。ミハがきれいにしてあげるからぁ」
 服を脱ぎ捨てたミハラが床をにじり寄ってくる。動けないフタヤマの左足にすがりつくと、ねっとりとふくらはぎを揉み上げ、指でこすった。
 大体の形ができたところから、表面を広く狭くなめていく。作り出したなめらかな肌に、ミハラはうふふとまぶたをすりつけた。
「おい、後で全部掃除しとけよ」
「フタちゃんおいしい。匂いもすてき」
 柔らかな鼻水がたれて、ミハラの背中の汗となじんだ。



 晩夏の月を見上げて一斉にした吐息から地球の温暖化を守るために、ブレーカーは落ちた。



 業績の乏しさを憂えていた私がついに成し遂げた新種の有用微生物の発見を妻はたいそう喜んでくれた。これは私だけの成功じゃないんだなと思えた。私はそのバクテリアにストレプトカラメラ=アナムネスチカと名付けた。
 掲載誌の出版社から届いたばかりの論文の別刷りを妻に手渡した。英語論文が苦手な妻に要点をかいつまんで説明した。このとき初めて妻は私が付けた名を知った。妻はどういう意味?と訊いた。
「思イ出ノ捩レ飴細工という意味さ」
 妻は論文の写真に目を落とす。写真の菌体は螺旋状に連なってはいたが、ひいき目に見ても飴とは言えなかった。
「それって……」
「そう。君への感謝のつもり」照れくさくて妻の顔など見られない。妻の視線を感じながら自分の撮った電子顕微鏡写真を見つめた。
 二人だけの大切な思い出、妙に捩れてしまった飴細工。やはり妻も覚えていてくれたようだ。
 もう一度お祝いに晩酌でもと、コンビニへビールを買いに二人で夜道を歩いた。