500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第69回:愛玩動物


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 ここは暖かく、菓子で膨れた私は常にまどろんでいる。職場は変わったがありがたいことに仕事内容はあまり変わらなかった。

「空色にしてちょうだい」
 白い和毛に取り巻かれた手が私を揺すぶった。おきゃくさまだ。シンナーでけぶっていた意識が一気に醒める。伸びすぎた先端をやすりがけし、柔らかい布で磨き上げる。右が終わったら、左。緑青と浅黄のネイルエナメルを混ぜ、しずかに刷毛で撫でていく。決して色むらを作ってはいけない。出来上がりは陶器のようになめらかで、我ながらほれぼれする。
「どうでしょう」
 手鏡を渡すとおきゃくさまは満足げにうなずき、私の首輪に銅貨を挟んでくれた。輝かしい角を振りたてて帰っていくのをお見送りする。
 色とりどりの小瓶が無限に並ぶ中、私の意識は再び曇る。ここは快適だ。仕事の終わりが見えないのも以前と変わらない。



 蚊の睫毛に棲んでいる焦螟というちっぽけな鳥は、自分の涙の中に白鯨を飼っている。焦螟はどんなに悲しくてもつらくても決して涙を落とさない。



【信号柱倒壊 犬の尿が原因か】
 X日夕方、Y街で信号柱が部材の腐食から突然折れる事故が起きた。自転車で通りかかった通行人がその影響を受け、軽い怪我をした。
 信号柱の腐食はおそらく犬の尿によるものではないかと考えられている。

【鳴き声により不眠障害 隣人刺す】
 X日夜、Y市で傷害事件が発生。加害者は隣人宅で飼われていた猫四匹の夜鳴きにより、一年以上に渡り不眠障害に悩まされていた。加害者は幾度となく隣人に改善を申し立てたが聞き届けられず、我慢ができず犯行に及んだ模様。

【十八歳女性 公園に全裸で放置】
 X日早朝、Y町の公園で十八歳の女性が全裸で横たわっているのを通りかかった男性が発見した。
 女性は全身を縄で緊縛され、一人では身動きできない状態だった。警察は女性から事情を聴取し捜査を進める模様。

【厚生大臣 飼い主に苦言】
「そもそも人間の九割がろくでもない上、中でもペットを飼おうなんていう人間は輪をかけてろくでもない者が多い。己の躾もできないのだからペットの躾もできなくて当たり前で、ペットよりはまず飼い主の方をこの世から処分した方がいい。そうすれば世の中も多少はよくなる。ヤツらこそアイ癌動物だ。目の癌だ」



「はい、ペットショップ又木……なんだ、お前か」
 受話器をとってからナンバーディスプレイを確認したらしい。
「朝日町のフルーツバットちゃん、そろそろやばい。次の仕入れ考えておいて」
「んー……結構経験値あるよなあそこの奥さん。ネコイタチあたりどうだ?」
 笑ってしまった。
「大丈夫だろう、確かケージも持ってるし。OK、ワクチン探しておく。しかしもっともらしい名前……無いか。あれ、和名がマングースか。なんか珍しそうな事にしといて」
 勢子先生、とスタッフが呼ぶ声が聞こえたので、電話を切り上げて問診室へ戻った。もしかしての勘が当たりハンカチ握り締めたご婦人が携えているのは、毛づやを失った蝙蝠が入った鳥篭。せんせい、と湿った声で縋るご婦人を舌先三寸でなだめ、診療室に蝙蝠だけをつれて入ると心得たスタッフが既に栄養剤注射の準備をしていた。
 エキゾチックアニマルの一言を看板に加えるだけで、患畜は数倍に増えた。又木と情報交換をしていれば何とかそれらしき対応はできる。希少動物を薦めないだけ良心的だと思ってくれ。
 ……そんないい加減な診療でも、「若いのに腕が良くて安い獣医さん」と評判になりつつあるのはどういう事だ。



屋台を構える場所ってのはきっちり決められててよ。オレの隣は亀釣りでよ。
ミドリガメそっくりの亀屋じいさんはよ、客に亀渡すときに、一生大事にかわいがってくんなって言うんだよ。
オレはよ、その言葉を何回も聞きながら材料合わせたり、銭の勘定してんだけど、絶対言うんだよ。一人も漏らさずに。
でよ、亀屋のじいさんに聞いたんだよ。やっぱ、かわいいのかって。そしたらよ、じいさんしわだらけの首をこっちに目一杯伸ばして、オメェの親父に聞いてみなって言うんだよ。だからよオレは家へ帰ってから親父に聞いたんだよ。
そしたら親父が言うんだよ。亀戻ってくるらしいぞって。可愛がりすぎて弄りけぇすだろ死ぬんだよ。一匹や二匹増えたり減ったりしてもよ、わかんねぇよ。それがよ、次の日その次の日になるとよ、ポリのたらいの底が見えねぇくれぇ黒々としてんだと。だからあのおやじは商売上手なんだって、死んだ祖父さんが言ってたな。半分寝かけてるような親父は嗄れ声でぼつりぼつり話した。死んだ祖父さんって、亀屋のじいさんは一体いくつなんだよ。ってオレが聞くと、亀屋さんの奥さんみたことあるか、偉ぇ色っぺぇオンナだぞ。と親父は答えた。



 ペットのチェスを抱いたまま喫茶店に入りカフェモカを頼んだ。良い香りを楽しんだ後、冷めるのを待つためにペットをテーブルに置いたまま手洗いに行ったのだが、これが失敗だった。
 戻ってみると、テーブルに置いた文庫本のしおりがカフェモカに伸びているではないか。ページを開くと中はすでに真っ黒で、文庫本が昨日覚えた小説も読めない。微かに、チョコレートの香りがする。初恋に思うものを感じたが、当然、読書家としては物足りない。作者のイトでもないだろう。
「チェス〜」
 ため息まじりにとがめると、ペットの文庫本は一瞬しおりとした。こういうところはとても可愛らしいよなぁ。



 わあかわいいという。わたしたちは、かわいい。だから、かれらが、せわをする。わたしたちは、一つ一つがちがう。かれらも、一つ一つちがう。それぞれが、いろいろの生きものを、かわいいという。そして、そだてる。かれらは、おもしろい。わたしたちも、かれらが、かわいいという、生きものの一つ、です。
 しかし、その中でも、わたしたちは、とくに、かれらにかわいが、られる、ように、なる。かれらのたくさんがわたしたちを育てる。とても、ありがたいことです。すばらしい。それは、わたしたちがかわいいからです。
 いたるところで、わたしたちはなかまに出会い、ます。かごの中で、出会うことも、あります。外に連れてゆかれたときに、出会うこともあります。わたしたちは、わたしたちのことばで話をしますが、かれらは私たちの会話が分からないようです。私たちにはかれらの言っていることが分かるのに、何故なのでしょう。私たちは、ときどき相談をします。
 私達は夏の植物がにょきにょきと伸びるように成長し、すっかり彼らより賢くなりました。相談していた通り、世話になったお礼も込め、彼等を飼育し、可愛い、可愛い、と撫でています。ないている様子も、愛らしいです。



 殺すために飼いはじめたようなものだった。俺は失ったものしか愛せないから。
 最後に痙攣した君は死に抗っているようにも生を希求しているようにも見えなかった。ただ寒かっただけなんだと思う。鼓動がとまった君の体はどんな微笑みよりも冷たい。
「涙が見たくて眼球を潰したけどあのとき流れたのは硝子体とかいう液体だったんだね」。君の喉をなでながら俺は言う。開かれない瞼の奥で眼球は呪物になる。
 肉は腐る。それが君の体でも。お腹を突くと爛れた表面が指にまとわりついて剥げた皮の下から内臓を食い破った蛆が大量にわきだし、ごはんつぶみたいだから茶碗へ移し永谷園のお茶漬けとお湯をかけて飲み下した。胃の中で蛆がぐるぐる回っている。君とひとつになれたみたいでうれしくて成虫した蝿が俺の穴という穴から飛び立つところを想像して勃起しながら君の頭を捻り切る。君がよく遊んでいたように四つんばいになって頭を転がしたら首にかかっている鈴がリンリンと俺を呼んだ。懐かしいというより感情を忘れさせてくれる音。
 君の体を庭に埋めたら、君と同じ名の花の種子を植えよう。庭一面に咲き乱れる撫子の根に挿入して、君を感じたい。夏の土は女性器のように温い。



 犬が失踪してから一ヵ月と三日経った。それまでは犬を中心にした生活だったから、自分と時間を持て余してる。ドッグフードの袋を手に取りハッとする回数は減ったけれど、代わりに犬の匂いが染み付いたクッションを抱きしめて泣く時間は長くなった。
 その夜、帰宅すると玄関の前で「わん」と吠えるものがある。懐かしい犬の声だ。なのに、犬の姿がない。よくよく見ると、手が落ちていた。右手。
 わたしは手を握り、家に入る。手は私に指を絡めた。少し毛深い手。
 手は指と手のひらを使って尺取虫のように家の中を移動した。迷わず紙と鉛筆を取ってテーブルに上がると、すらすらと鉛筆を動かし始めた。
「これまであなたの愛玩動物として生きていましたが、それが不満だったのです。あなたに愛玩されるのではなく、あなたを愛玩したい。そのための手になりました。」
 あなたを愛玩したい。奇妙な日本語だと思いながら、手が髪を撫でる感触に身をまかせる。されるがままにしていると、手はうなじをつつつ、と撫で上げた。
「きゃん」
わたしの声だった。
 こうして、かつて愛玩していた犬との立場は逆転した。でも、一つだけ頼みがある。あなたの爪は、わたしに切らせて。



「ほら、かなえ。誕生日プレゼントだよ」
「わーい、ありがとうパパ! 開けてみてもいい?」
「ああ、どうぞ」
「やったー!」

 がさごそ、がさごそ。

「わー、かわいー。この……この、この子かわいー。パパ、この子、なぁに?」
「なにって、かなえが前から欲しがってたやつじゃないか」
「そ、そうだよね。わたしが前から欲しがってたのだよね。えっと、うん、うわ、うん、かわいー! ありがとね、パパ!」
「ははは、世話はかなえがするんだぞ」
「え、わたしが育てるの? どうやって……」
「こらこら、この間、パパに飼い方を懇切丁寧に説明してくれた女の子は、誰だったかな?」
「あ、うん。わたし、説明したよね。てへっ、うっかりしてたー」
「はは、じゃあ、パパはお風呂に入ってくるから」
「うん! またね!」

「……この子、なに?」



 脇見を知らないという愚かな幸せ。



あそこはずっと前から私が行きたかった場所だ、と彼女が言う。

それは確かにそうだ。彼女には辛いことが本当に沢山あった。いくつかは俺も見ていた。けれど俺は彼女に特に何もしなかった。

そこは確かに彼女にとっての救いなのだろう。とてもいいところだということは俺にもわかった。

だけどそうして彼女の目はもうすぐ来るはずの陽だまりを思い描き、ほかの何も見てはいない。こうして話しかけている俺のことも。

勝手に幸せになって笑ってろ、と思いながら、俺は皿の煮干に顔を突っ込んだ。



 我輩は愛玩動物である。所属はまだない。
 ポチという名の猫がいいか、タマという名の犬になるべきか、思案している。
 あのね、これって結構重要よ? どっちにしたっていい餌食よ? 猫なのにドッグフードとか、その逆とか、笑えないギャグかまされちゃうかもよ?
 唸っているとお隣が呼んだ。
「○○ちゃん」
「何だよ、マルマルちゃんってのは」
「じゃあ、かっこかりちゃん」
 かっこかり? (仮)? 俺は気分をいたく害した。
「お隣さん、でいいだろ。もう俺らしかいないんだから」
 お隣はため息をついた。
「どうしよう、僕たち。えり好みしすぎたよね。カタログの質は落ちるばっかりだし。あーあ、こないだの、鼻のかゆいフェレットになっときゃよかったなあ!」
 お隣は突っ伏した。毎度毎度、そんなに嘆き悲しむなら、「割に合わないマルチーズ」にでもなってしまえばいいのだ。
「俺は待つぜ。次回に期待する」
「またそれ? そろそろ店長、キレてカタログくれなくなっちゃうかもね」


 お隣は人間になった。最初にこれを聞いたとき、俺はちょっとどきどきしたのだが、それなりに店長とうまくやっているようだ。
 俺はうさピー。ハムスターだ。
 にんじんも悪くないし、まあ、満足している。



 やはり捨ててこいと言うべきだったのだ。
 旅先のいわくあり気な森の端で出会ったそいつは、まんまと妻に取りいって我が家に入り込んだ。はじめて目が合ったときから気に食わん奴だとは思っていたが、しばらくすると正体を現した。
——あたしも二百年ばかし生きてますからね。あんたとは経験値が違いますよ。
 以前は私の定位置だった座布団に尊大に寝そべり、片目を開いて宣う。
——なあに、ちょっと奥さんが気に入ったんでね。老いらくの恋ってやつです。
 なんと図々しいうえに破廉恥極まりない言い草だ。しかし妻の前では文字通り猫をかぶり不埒にも甘えきっている。妻も妻でこのぶくぶく太ったお世辞にも可愛いとは言えない巨体を下にも置かない扱いようで、このままではいずれ長靴でも与えて連れ添いかねない。後添えが畜生とあっては末代までの恥。何としても阻止せねばならぬ。
 窓から放り出そうと首根っこをつかむと、憎たらしいことに余裕綽々の態度で鼻にかかった声をあげる。妻はすぐさま駆けつけ、こちらをひと睨みすると相好を崩し抱き上げた。これではどちらが飼われているのだか分からない。
 妻の肩越しにこちらを覗くと奴め、ぺろりと舌なめずりをした。



 近所のお姉さんの飼っている鸚哥が卵を産んだ。空色の羽の奇麗なヒヨという名前のその鸚哥を、お姉さんは雛の頃から大切に育ててきた。僕はときどきヒヨを見せてもらいにお姉さんの家を訪ねた。
 ヒヨの話をするお姉さんの頬はぽうっと朱色になって、心底ヒヨを愛しているのだと判る。僕はお姉さんを奇麗だと感じる。
 お姉さんはよくヒヨを肩に乗せて遊んでいたけれど、卵を産んでからヒヨは温めるのに必死だ。雛の孵るのが愉しみだと口では言ってもお姉さんはやはり寂しげだった。
 僕は、何とかお姉さんを喜ばせたかったのだ。お姉さんが小用に立ったときヒヨを籠から出そうと手を入れた。驚いたヒヨは派手に暴れ、あっけなく、卵は割れた。僕はその場を逃げだした。
 それからしばらくはお姉さんの家を訪ねずにいたのだけれど、偶然駅で逢って驚いた。顔は青白く病的に痩せ細っていた。ヒヨが死んだことをそのとき知った。卵を失ったストレスで自ら羽を抜き、最期は地肌を剥きだしにしたぼろぼろの姿で固くなっていたという。
 骨のたどれるくらい薄くなったお姉さんの背中はヒヨを連想させて、僕はいっそ胸が張り裂けてしまえばいいと願う。



 ミキサー車がまわっているのを見つめているうち、気づけば足元からモルタル化していた。みるみるとぼくは形をうしない、どろどろの溜まりとなって見あげる空は青かった。なすすべもないのでこのまま固まってしまうのをぼんやり待っている(一昼夜はかかるだろう)と、ごろごろと何か近づいてくるのが聞こえた。ネコ車だ。だれかの足とスコップが見え、ざくざくとぼくはネコ車に移された。もう身体中まぜこぜなので、おなかだった辺りとせなかだった辺りがくっついているような感覚をおぼえる(といっても空腹というわけではない)。さてネコ車にゆられてどこへと運ばれてしまうのか、それにしてもネコ車はなぜネコ車? 猫とは似ても似つかないがこれはこれで可愛い気もする。もっとも、いまのぼくはネコのお荷物なんだけれども。それでも可愛がってもらえるかしら、見捨てないでね、頭をなでて、ちがうそこは足だからなんて考えているうち容赦なく地へどぼどぼと流し込まれた。日焼けした左官のオジサンが丁寧にならしてくれるのであちこち妙にくすぐったい。これでぼくは明日の朝には晴れて平らな床となろう。心配なのは夜中に猫が足あとつけにきやしないかってことだ。



 残った時間を指折り数えると男はオルガンを構えた。指で鍵盤を踏むとき、男はピアノを想像する。それは鏡のように艶やかな黒色だ。場所は美しい浜辺でピアノは浅瀬の中に立ち踝は水影にゆらめく。空は果てしなく陽光は鋭く。網膜を透ける光は赤く。
 男がピアノを弾いていると、山のほうからポメラニアンたちがかけてくる。彼らは濡れるのも躊躇わず飛び込み、一様に男の後ろで横一列に並ぶ。弦の本数に等しい数で。きちんとお座りの姿勢でいるが尾の動きだけは不統一で、ばちゃばちゃと飛沫が飛ぶ。陽を受け煌く様はさながら火の粉。
 ピアノの弦は犬の毛で出来ている。複数の毛を縒り合わせて作っているのだ。男が弦を叩くたびどこかの毛が擦り切れ、やがて張力に耐えられなくなり途切れると、蓋の合間から黒く縮れた毛先が一本また一本と飛び出す。和音。わおん。途絶えたきりもう二度と鳴かない。
 全ての弦が切れてしまうと男はオルガンを立ち、傍らの愛犬の体を抱いた。間もなく壁を突き破った炎があつい舌で男を舐める。湿っていないのは何故か。
 虚ろに指を這わせ、愛犬の口をこじ開け舌を引き出し理由を知る。しかしもはや瑣末な話でしかないのだが。



「SEXは肉体的な興奮、快楽だけでは駄目なんだ。スピリチュアルな繋がりが無いと、意味が無い。即物的な喜びに浸る昨今の愚民は度し難い……」「と旦那サマは仰るけれど、そんなコト、どうでもイイじゃない。だって、キモチイイとぜーんぶわかんなくなるんだもの」「と小学生の俺に言われても、困るんだよナァ。ねぇ、ポチ?」「そうかもにゃーあ」



 風切り羽は切るのが一般的だ。爪と牙が鋭いので、外出の際には、ハーネスおよび轡の着用が義務づけられている。
 上半身はほとんど人の子供だ。腰の下からは柔らかな毛皮に覆われ、下半身は大型の猫に似ている。背中には白鳥のそれに似た、大きな羽がある。
 肌は白く、羽も毛並みも基本的に白い。最近は黒や金色の毛色も出はじめたが、瞳はどれも必ず黒だ。どこまでも澄んで美しい。生の肉を好み、鳴き声は発さない。
 謎の多い生物だ。野生のものなど確認されていないし、つがうことも子供を産むこともないのに、いつの間にか増えている。
 性質は猫に似ている。賢く気まぐれで、人を選び、それだけに甘えられると愛らしさはひとしおだ。
 近年、出生率の異常な低下と環境汚染で、世界の人口は激減し続けている。今や子供を持つ家庭はほとんどなく、世の中は空前のペットブームだ。それにつれ、彼らのような不思議な生き物も増えた。
 一日の終わり、無防備に眠る姿を眺め、その頬や羽を撫でていると、それだけで満ち足りた気分になる。
 ただただ愛おしい。



 部屋に入ると、足元を何か小さなものが駆け抜けていったから驚いた。
「うわ、何?」
「ああ、ハムスター」
 ヤツはそう言って、部屋の中を見回す。
「お前が来たから驚いたのかも。どっかに隠れてると思う」
「へぇ。放し飼いしてんの?」
「はぁ? 放し飼い?」
 意味がわからないと顔全体で訴えるヤツを見て、室内だと放し飼いって言わないんだっけ、と俺は言い直す。
「カゴとか入れないのか? 家の外に逃げたりしないわけ?」
「逃げるわけないだろ? ここが彼の家なんだから」
「ふーん、すごいな、頭いいんだ」
「お前んとこにもいるだろ? ハムスター」
「いや、いない」
 俺がそう言うとヤツは、ええええっ、と大声を上げる。
「じゃ、お前誰に飼われてんの?」
「って、お前ハムスターに飼われてんのかよ?」
「皆そうだと思ってた。で、お前は?」
「俺はママ」



 ちえちゃんのランドセルからはいつも、ウザギのぬいぐるみがのぞいている。



『かわいがってあげて下さい』
 小振りの段ボール箱に貼られたメモにはただ一文、それだけ記してあった。己が置かれた状況を知ってか知らずか、一対の瞳が上目遣いにこちらを見つめている。
 またか。俺はうんざりという思いで溜息を吐いた。当の第一発見者である弟は素知らぬ風に、箱の中でうねる尻尾にかまけている。
 ……何を言おうと、生後間もないだろうこの子猫に罪はない。きっと。
「お前さ、捨て猫ばっか見付けてないで彼女作れよ」
「放っとけ」
 ふてくされる弟を促してそのまま立ち去りかけた時、「やだ、かわいー」と後ろから声が。振り返れば果たして、若い女性が数人、件の瞳に吸い寄せられていた。
「捨て猫だよね」
「え、超可愛くない?」
 しばらく様子を窺っていると、その内の一人がおもむろに携帯電話を取り出した。身振りを交え、通話の相手へ熱心に何かを訴えている。
 そうして数分、どうやら交渉は成立したようだ。大事そうに箱ごと抱き締めて去って行く彼女らを、弟は何やら考え込む様子で見つめていた。

 三日後、「俺は今日から捨て猫になる」とだけ言い残して弟は家を出た。

 余談だが、うちの家系は代々犬顔である。



 丁寧に摺った墨を細筆に取り、姫は和紙の上で手を踊らせる。白く華奢な指が筆を措いたのを見て、わたしは文鎮を除けて、たった今描き上がったばかりの絵を目の高さに掲げた。蛙だ。丸い目をこちらへ向け、今にも鳴き出しそうだ。姫は夜色の瞳を紙の蛙に向けていたが、眉根をかすかに寄せ、瞼を閉じた。
「ふぅ」
 愛らしい唇を尖らせ、優しく甘い息を吹きかける。すると、和紙はわたしの手を離れ、歪み、縮み、丸まり、やがて一匹の雨蛙に姿を変えた。げこ、と頓狂な鳴き声を上げると、蛙は姫とわたしに背を向け、御簾の隙間を抜けて去っていった。
「あの子も、あの子を求めている方の許へ向かうのですよ」
 大納言殿の側室腹として生まれた姫は、少し不思議な力を持っている。都に渦巻く衆生の胸の裡を読み、憂さや物寂しさを持つ者へ、紙から生まれた獣を送る。お仕えしたての頃は怪異に驚いていたのだけれど、今では姫の情け深さをお慕いするばかりだ。
「憂き想いを吸い取った獣は、人知れず姿を消して土に還ります」
 夜色の瞳には、一切の迷いがない。わたしは改めて姫の徳深さに沁み入った。



「たんなる骨折です。すみやかに治療してください」
「そう言われましても…」
「獣医というのは動物の種類によって選り好みするのですか。こんなに苦しそうにしているのに」
「いえ、その…そういう意味ではなくて」
「治療に役立つならなんでも訊いてくださって結構」
「あなた…、あなたは、この…お嬢さんとどういう関係なんですか?」
「飼い主です。分かり切ったことをお訊きになる」



夕刻になると毎日来た。触るとふかふかしていて、近寄れば思いのほかいい匂いがした。
よく干草の匂いなどというが、そんなものの匂いではない。おそらく小屋の女たちの白粉の匂いであろう。
あちこちほっつき歩いては眠そうな目で見上げ、擦り寄ったり尻尾を纏わりつかせたりして、女たちに可愛がられてきたに違いない。
羞恥心も自尊心もなかろう猫だが、わたしの前に来ると妙に行儀がよかった。
来れば必ず好物の魚をやり、食べ終わって舌なめずりを始めれば、頭と背中をよくよく撫でてやった。
撫でられているのは実はわたしのほうで、そうしているうち、日日積もる阿呆たちへの憤りだの、自分への苛立ちだのが鎮まる。
犬猫を飼う者は、少なからずそんな要素を欲しているに違いあるまいと思う。
しかし自分だけの玩具にするのも嫌で、わたしはついに何ものも飼わず仕舞いだった。



「課長。お先に失礼します」
 今年の春、久々に新人が配属された。
「お疲れ」
 いちいちわたしの机まで来て、帰りの挨拶をする「優秀な学生」だったろう青年。
「そうだ。お前、いい加減髪切れよ」
 なにより、可愛いから苛めたくなる。
「返事は?」
 支配の快楽。屈服の悦楽。想像しただけで背筋がゾクゾクする。
「……課長は」
 新人君の顔が……近くに……息が……耳に……
「僕が髪を切ったら喜んでくれますか?」
 思わず頷いてしまった。微かな汗の匂いが遠ざかっていく。
「ハイ!」
 悪魔が潜む作り笑顔に股間が反応する。
「わかったなら……早く帰れ」
 今すぐかぶりつきたいけれど、まだ早い。



「マコト、アイシテル」
西日が射し込み赤く染まった部屋の中、主に手懐けられたそれは愛を囁き続ける。部屋の隅、屍の様に横たわったそれの耳にはもう届かない。



 昔ある民族はあの月にいる兎を愛でたのだという。人は手の届かないものが好きであるらしい。そうして高い塔を造り、繁栄していった。
 ある時からは電子の生き物が好まれ始めた。それは画面の向こうのものであり、こちらには出てこられない。触れない。だから人はそれを愛した。
 そんな彼らが南極ペンギンを愛しんだのは自然だろう。極地の冬に繁殖をする鳥類。第一、素晴らしい生き物なのだ。水深何百Mと潜り、氷上に歩き、滑り、立ち、絶食し、ブリザードに吹かれ、……、成鳥の首の美しい黄色、それにほら、否応なく愛らしい灰色のふわふわした雛。
 溶けて流れて来た巨大な氷河が南極ペンギンの繁殖地に莫大な被害をもたらしたこともあったが、同じ地では生きられない人間達はそれでも同じ空の生き物として、我々に好意を持つ生き物として、高い塔を造った生き物として、遠くから懸命な努力を続けた。やがて来た氷河期。そして地球は今のように白熊半球とペンギン半球とにほぼ覆われたわけだ。
 ねえ、何とも貴い隣人ではないか、人というのは。今ではさほど遠い隣人ということもなくなったが、あの帯に住む人々を、だからここから見るだけにしなさいな、子ども達。お前達ちょっと近付きすぎるよ。その向こうには白熊だっているんだからね。



その人形を持ち込んだ男は、短くなった煙草を靴底に押し付けながら笑った。
男の横には女が立っている。
滑らかな白肌に艶やかな金糸。頬にうっすら薔薇色が咲いている。

「身の回りの世話に使うといい」
「余計な世話だ」
「そう言うな。奮発したんだからな。高いんだぜ、これ」

女は動かない。
ただじっと床を見つめ続けている。

「綺麗なもんだろ。生身の女にゃこれほどの美人はいない」

男は卓上の山高帽をひょいと頭にのせて立ち上がった。

「帰るのか」
「おう。儲け話が唸るほど待ってるからな」
「持ち帰れ」
「やなこった」

車椅子の肘乗せを小刻みに叩き、苛立ちと見送る気はないことを伝える。
男は部屋を出る前に思い出したように振り返った。

「なあ、人形が何故綺麗に造られるか知ってるか?」
「醜いものをわざわざ造るのか?」
「ちがいねえ」

男は笑いながら言った。

「ソレはお世話が得意だが、性的なお世話もできるそうだぜ」

言い返すより早く扉が閉められた。
後には座ったままの男と、立ったままの女と。

「名は?」
「ありません。マスターの望むままに」
「来い」

美しい顔だった。
美しすぎて人間離れしている。
ただ、愛されるためだけに造られた外側。

「・・・気色悪い」



『ちょっと外に出掛けるからよ。後の事はやっとけよ』

『カシラ、じゃなかった村田部長。お疲れ様ですっ、オスッ!』

連日の徹夜仕事でも文句を言う者は見当たらず
いざという時は上等な眠気覚ましが各社員の引き出しに眠っている
つまり、ブチアゲグループはそういう会社なのだ。

村田部長はタバコに火をつけた

闇金、裏風俗、ノミ屋、クラブ、ホスト、カジノ、裏スロ、彼が手掛けたシノギは数え切れないほどあった、それがまた当たる当たるブンブン儲かる。

シノギの天才!闇の錬金術師!
人は彼をそう呼ぶ。
金、女、車、捨て駒のヤクザ、本庁との太いパイプ、全てを手に入れた、思い通りになった
(フッフッフ、やっぱオリャ天才だ。よーし今夜は奴隷を呼んで下ネタ打って変態キメセクしちゃお!)

ケータイが鳴った、オヤジからだ

『オゥ、麻雀の面子足りんわ。今から三百持って赤坂のビルに来い』

『……へい、オヤ、社長。今すぐに、あんまり熱くならない方がーー』

『バッキャロー!熱くならずに博打がブてっかってんだ!今すぐ来なきゃ破門だ!』

五分後、赤坂のビルで組長のケータイが鳴った
孫の菫からだ。

『ねぇジィ、温泉連れてってぇ』
『あっ菫ちゃん、ジィは今ねーー』
『また麻雀!マジありえないんだけど〜!どんだけぇ〜』
『わ、わかったァ!今から来るからね』

人はみな
誰かが誰かの愛玩動物なのだ。



実家に立派な無花果の木があってね、その木の下には
飼っていた愛する動物達が眠っているの。
ペットを埋めた翌年に実るものは、不思議と格別に美味しいのよ。
子供心にも、あの子達が美味しい実に育ててくれたんだな、って
思って食べてたわ。今でもこうやっていろんな無花果を食べるけど、
やっぱり家のにかなうものはないって思うもの。

私は無花果のタルトをホークでつつきながら続けた。

ほら、甘い物でも食べて元気出して、あんなペットみたいな
ヒモ男のことなんか、忘れちゃいなよ。
今頃、新しい女に飼われているんだって。
元々、私からあんたに乗り換えたぐらいのおと……あ、ごめん、
この話はもうしない約束だったよね……。

行方不明になった彼について相談があると、元親友に
呼び出された。お洒落なカフェでの久しぶりの再会だったのに、
実に花のない話ばかりだった。
しかし、あの無花果は本当に美味しくなかったな、いい
お値段のケーキなのに、やめときゃよかった。
まあ、いいや、だって来年は……。

夏にたわわに実るとろけるように甘美な果肉を想像して、
私はひくく笑った。



 おまえの目元がどことなくぼくに似てきたのが不思議なような、当然のような気がした。飼主に似るものだとは言うけれど、実際そうなってみると表情が似るというのはお互いによりよく意思を伝え合えていることに他ならないのだと思えた。それで、もう少し踏み込んでみたくなったのだ。
 おまえと似た目元をした相手を見つけて、子を生させた。その子はさらにぼくに似た表情を浮かべるようになった。その子に、やはり顔つきの似た子を見つけてやり、かれらの子はますますぼくに似た。こんなにわかりあえる友がいるというのが、この上なく幸せに感じられた。だから今度は世代時間が短くなるような工夫をした。何代もの子孫が、とても短い間に生まれた。そしてその子は——おまえはどんどんぼくに近づいた。そして、何十世代かの後、おまえとぼくははじめて交われるまでに近くなった。ぼくとおまえの子はぼくに似た。ぼくとおまえの子はおまえに似た。ぼくはおまえを可愛がった。ぼくはぼくを可愛がった。これ以上近づく必要はもうなかった。