500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第113回:東京ヒズミランド


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 東京ヒズミランド1

 紗絵は、都営新宿線を新宿三丁目駅で降り、花園通りを東へ向かっていた。
 彼女のオフィスは新宿二丁目の雑居ビルの4階にあった。新宿二丁目は世界に冠たるゲイの街だが、いっぽうで同じ街の中に小学校や商店街、オフィスビルが混在している。昼の住人と夜の住人がいるといってもいい。
 紗絵は十字路で、いかにも作家ふうの着物を着た泥酔した女と、それを脇から支える若い茶髪の男二人とに出くわした。
 紗絵は、一瞬身構えたが、黙って通り過ぎた。この街の昼の住人と夜の住人は決して交わらないのだ。今の会社に勤めて三年になるが、夜の住人に話しかけられたことは一度もなかった。もう昼の住人の時間帯になりつつある空気に、男たちのかすれた大きな話し声は違和感をもって響いていた。
 夜の住人たちがザリザリと行進したであろう道をたどり、紗絵は新宿公園近くまで来た。そこで、行く先にいる二人の男を見て、はっとなった。高校生か、高校を卒業したばかりといった年頃の二人組だった。
 おや、あのふたりは、手も握れないで、カメラなんかもって。
 紗絵は、心の中で微笑した。



 東京ヒズミランド2

 東京。日本の首都。毎日多くの人々が電車に寿司詰めされ、ビルに吸い込まれ、精密機械のごとく働き、せわしない日常に駆り立てられる。そこで生まれた数多の矛盾が世界をゆがんだものへと変貌させる。私たちは真実を見失う。
 私たちが丸だと思っている形は本当はぐにゃぐにゃで、私たちが電話で話していると思っている相手は本当は存在しないのかもしれない。

<現実を忘れたいあなたに。時空の歪みを体験してみませんか?>

 ネットでこの文字を見た瞬間、地図の示す場所へ車を飛ばしていた。
 360度山に囲まれた自然豊かな村。これでも東京都だという。奥へ進むと長蛇の列が見えた。普段はうんざりするが、たくさんの同士を見て自分の選択が正しかったと認識する。
 二時間待って案内されたのは一本の大きな杉。正面に見えるのは大きなウロ、ではなくぐねぐねとゆがんだ空間。私たちの生活はこの静かな村にこんなものを作り出してしまったのか。
入場料の六千円を支払うとスタッフは「お気をつけて」とだけ言った。この先には夢のような世界が広がっているはず。いいや、帰るだけだ、元々いた真実の世界へ。私はとびきりの笑顔で空間の裂け目へと足を踏み入れた。



 東京ヒズミランド3

午前二時を過ぎたが、都市は眠らない。通りにはまだ人で溢れ、通り沿いには幾つもの看板が立ち並び、うたい文句を様々な光で彩っている。
その中に、電柱の陰に隠れるように立つ看板があった。そこに描かれた「の」の字が一瞬看板から浮かび上がり、その隙間から一匹の芋虫が這いだしてきた。
芋虫は看板から転げ落ちると、のったりとアスファルトを這い、そのままどこかへと消えてしまった。
芋虫がいなくなっても看板は「の」の字が浮いたまま佇んでいたが、誰もそれに気がつかない。
やがて、酔った男がその看板にぶつかり、転んだ。
男は気にする様子もなく立ち上がり、暖簾でもくぐるかのように看板をひょいとめくり上げ、電柱の陰に消えて行った。
だが、それも誰にも気づかれない。
その男は翌朝、自分の部屋のベッドで目を覚ましたのだが、靴を履いたままだった。
男はそれを疑問に思うことなくベッドから降り、朝食をとるために部屋から出て行った。
黒い「よ」の字が捲れたシーツに浮かび上がり、それが滲んで広がり、「ぬ」の文字となった。
そして、どこからか青虫が現れてシーツに潜り込んでいったが、やはりそれも誰にも気づかれなかった。



 東京ヒズミランド4

道路もバスもぐにゃぐにゃとうねって、蛇の背中のように歪んでいた。老人ならまだしも、子どもも、学生も、若者もみな、腰からぐにゃりと身体を曲げて、歩いている。顔の輪郭も、目も鼻も、歪な楕円のようで、その表情はどことなく悲しそうだ。道路の歪み具合にそって歩いているせいか、みな蛇行している。駅ビルのショーウィンドーにうつる私の姿も、やっぱり腰からぐにゃりと歪んでいた。夕方から夜にかけて、歪み注意報が出ていたのをすっかり忘れていた。目の錯覚だから、身体が痛いということはないけれど、やっぱり慣れない。花粉症と同じで、梅雨入り前には終わるらしいが、何が原因で歪んで見えるのかは、まだ解明されていない。東京だけに起きた歪み注意報は、今日もまた、ニュース番組を賑わせている。キャスターはこう締めくくるであろう。「歪み数値が一番酷く計測されたのは、予算委員会開会前の議事堂前で……」



 東京ヒズミランド5

 ヒズミーの中は暑い。主食は中の人の汗だな、きっと。
 ヒズミーの中は狭い。膝を折り両手を振って動き回るが、実に動きづらい。
 ヒズミーの目はピンホール。空気穴でもあり、これが唯一の外界認知手段となる。げしり、と弁慶の泣き所をチビッ子に蹴られても見えることは少ない。わざわざ覗いてくるガキは除くが。
「ちょっと、ヒズミンは女の子だからもっと可愛くして!」
 そうだっけ。そういやこれでも年頃の女の子らしい。
 でも少し休憩させて。結構疲れるのよ、コレ。
 着ぐるみの外は夢が溢れる空間らしいが、地方から出てきた俺には関係ない。この狭い空間が全てだ。
 もちろん、煙草すら吸えない。



 東京ヒズミランド6

 北朝鮮の平壌に、東京ヒズミランドなる複合エンターテインメント施設が出来たと言うので訪ねてみた。資本主義の象徴としての東京の歪み具合を、エンタメを通して嘲笑すると言う目的で創設された施設だが、とりわけこの施設内で話題になったのが施設の一つである「東京ヒズミランド美術館」だった。話題になっている訳は、北朝鮮の芸術家達の作品にあった。北朝鮮では本来の意味での芸術家達の自由は阻害されている。しかし、この美術館に展示されている作品は違った。名目は資本主義批判を目的とした作品なのだが、芸術家達は北朝鮮当局の思惑に反して、それこそ水を得た魚の様に、生き生きとした作品を発表していた。自由に芸術活動をする喜びが作品に満ち溢れていた。私は、瞠目に値するそれらの作品を鑑賞しながら、北朝鮮の芸術家達の小さなオアシスとして、この美術館にいつまでも存続して貰いたかった。



 東京ヒズミランド7

妖怪ヒズミ。三つ目で尖った耳を持ち、手はなく尾が長い。人混みに住み、人の肩から肩へ跳びうつる。肩に乗ると尾で耳に巻き付きぶら下がり人の耳に悪意を吹き込む。
あるとき新宿のデパートの美しい女店員がヒズミに憑かれた。女店員は、上司が仕事を与えれば「私にばかり仕事を押し付ける」と怒り、仕事に補助を付けると「私の仕事を取られた。私を排除しようとしている」と悲観するようになった。不満や悲観を喰ってヒズミは増える。女の耳からはヒズミがぞろぞろとぶら下がり、その重さで背が曲がり、口がヘの字に曲がり、いつも頭痛に悩まされ、ひどい形相になってしまったという。
高度成長時代、東京で急速に増殖したヒズミは新幹線・高速道路の整備に伴い日本中へ拡散された。1990年代後半以降、住宅開発などによる都心回帰のため東京圏へのヒズミ再流入が顕著となる。そして2009年の経済の低迷以降、そのペースは緩やかになっているものの、今も東京へのヒズミ流入は続いている。



 東京ヒズミランド8

 現代人はまったくもって歪んでいる。というか人間はみな歪んでいる。つうか、生き物は我と周りとを歪ませながら生きているのだ。体が、心が、ちょっと疲れちゃったな、という時、歪みを正すという方向もあろう。逆に、もっと歪んでしまえという方向も出現するわけである。なぜなら歪んでいるからだ。さて、歪みという歪みを頑張ってできるだけ集めたこのレジャー施設だが、なぜだか(もちろん歪んでいるからだが)鹿児島市の、住宅街の、三階建てアパートの二〇二号室がそれである。ドアを開け、右手の券売機から入場券を買い、玄関を上がると(靴を履いたままお上がり下さい)、立ちふさがるようにエレベータの扉が待っているが、それが入場ゲートである。さあそこからは先はお待ちかね、建物の計算されつくした設計のゆがみに足元ぐらぐら、種々の音色の人間関係のきしみ音に心どきどき、ん、あと、何かあったけ、あ、そこ落とし穴。というわけでお土産は木彫りの熊がオススメ、心身ともにふらふらとなって、退場ゲートをくぐると……はて、当たるも八卦当たらぬも八卦、時空の歪みにより、そこは雅やかな古都かマンモスと追いかけっこか言葉は通じるのか空気はあるのか! では良いご旅行を☆



 東京ヒズミランド9

東京には密かに水が湧く場所があるという。

金銀の秘水
墨田区向島一丁目(墨田公園内)
真新しい金ぴかの味がする時もあるし、いぶし銀の渋い味がする時もある不思議な湧き水。

青赤の秘水
渋谷区代々木神園町(代々木公園内)
若々しい青リンゴのような味がする時もあるし、熟れたリンゴのようなセクシーな味がする時もある不思議な湧き水。

白黒の秘水
港区白金台五丁目(東京都庭園美術館内)
高級住宅の白い壁のような味がする時もあるし、魚が焦げたような黒い味がする時もある不思議な湧き水。

201×年、東京直下で大規模な地震が発生。
幸い地震後も秘水は枯れること無くこんこんと湧き続け、水を求めて周辺の人達が集まって来た。
向島では、スカイツリータウンの新住民と浅草の江戸っ子が避難所を設営し、
代々木では、原宿ガールと渋谷ギャルが今後の着替えについて相談する。
そして白金台では、シロガネーゼと目黒のサンマ職人が炊き出しについて思案していた。

東京の奥底に巣作っていた歪が、一気に解消された歴史的な一日だった。



 東京ヒズミランド10

 カレは東京のあちら側のニンゲンで、アタシはこちら側。だからデートは東京で。
 カレはいつも遅刻する。アタシもいつも遅刻する。だって、東京行きはよく運行休止するから。風が吹いても雨が降っても止まっちゃう。自然のセツリってやつだよね。
 だから、今日、いつもの場所にカレがいないのも、たぶん自然のセツリのせい。カレからの連絡がないのは、たぶんケータイの電池が切れたから。疑うのってよくないよね。
 いつもの場所なのに見覚えがないのも、あんな建物知らないのもいつものこと。着物の人が多いのは、どこかでお祭りがあるんでしょ。あの馬車も人力車も手の込んだアトラクション。見えるはずのところに東京タワーがないのも仕掛け。高層ビルが見えないのも、足もとがアスファルトじゃなくてむき出しの地面なのも、全部全部いつものこと。
 ここは東京。カレとアタシがデートをする街。あちら側にいるカレに、こちら側にいるアタシが出会える、唯一の場所。
 だから早く来て。アタシを見つけて。ずっとずっと待ってるんだよ。いつまでも終わらない今日に閉じ込められた街、この東京で。



 東京ヒズミランド11

「おじちゃん。おじちゃんだろ?おじちゃん、ヒミズのおじちゃんだろ?」
「誰がでんでんやねん!」
 「ヒズミの家」で僕が聞いた会話は、きっとこの夢の国で何度も繰り返される会話。「ヒズミの家」だけじゃなく、「プレートさんのハニーハント」でも、「チップとマッドのツリーハウス解体(略してCMT解)」でも、「空飛ぶ断層」でも・・・
 北アメリカプレートとフィリピン海プレートと太平洋プレートとユーラシアプレート。押し合いへし合いする埋め立ての国に氾濫するヒズミのおじちゃんは、分身でありクローンだという。世界で一番有名な著作権鼠が、この世にたったの一匹しかいないのと同じくらい「たしか」らしい都市伝説。
 「セントロイト・シューティングギャラリー」ではしゃぐヒズミのおじちゃんも、「P波S波地層の旅」でアイソスタシーベルのパンツを覗き込むヒズミのおじちゃんも、「ユガミの家」で僕が見ているにもかかわらずユガミちゃんと乳くりあうヒズミのおじちゃんも、皆、同じおじちゃん。
「おじちゃん。おじちゃんだろ?おじちゃん、イズミヤのおじちゃんだろ?」
「台本通りでなんで乱入やねん!」



 東京ヒズミランド12

 夢も魔法もない世界と聞いて、正直に言えばとても期待していたのだ。望めば叶う世界は甘ったるすぎて、お菓子は食べすぎると胸やけを起こすように、私にはもうおなかいっぱいだったのだ——なーんてことを言うと、女の子たちはせっせと反論を試みる。結局のところ、隣の芝生が青く見えたに過ぎないことを、私は転校一日目にして思い知った。

 人が嘔吐する瞬間って面白い。
 男も女も老いも若きも、みんな一様に目を白黒させ、グッ、だか、ゲッ、だか呻くのだ。そしてびちゃびちゃと白色茶色、色とりどりのゲロを吐く。何が楽しくて悲しいのか知らないけど、みんなげろげろ吐く。「大丈夫ですか」と声を掛けてペットボトルの水を差しだしても、彼らは私に気付かないか遠慮するかで、私が彼らの背中を擦れる機会はほとんどない。道行く人も見て見ぬふり。でも、そんな人々のおなかにも同じようなゲロがぐるぐる渦巻いているのだろうと考えると、私は妙な心地になる。そういう人たちが群れて海を埋め立てたり鉄筋コンクリートでビルを建てたりするのだ。働き蟻よろしく重たい荷物を抱えて右往左往。それであの七色のネオンの海ができるのだから、とても不思議なことだと思う。



 東京ヒズミランド13

 謹答 多良ノ葉書にて失礼致します。
 お遣いの雉虎君より、ご召致の旨お知らせ頂きました。仰せの通り、昨年災禍の影響は小生の暮らす柏木や角筈界隈にも一方でなく、また、駅前で正義を語った論客がその夕に詐称で捕縛される、巡査がやくざ者と旨い酒を飲む、雄が雌を騙り我々の耳様のものを頭部に付け客が喜ぶ、といったのを見るにつけ、この地の人道の乱れも愈々極まるように思います。比較的平穏の貴地への転移を勧められる貴意は至極妥当です。
 しかし小生は、この不夜の街に生まれ育ちました。人間の暴悪のため我ら狸奴の眷が暮らすに聊かの不適有りといえど郷愁を禁じ得ません。路地裏の塵芥容れの上に香箱を作り、夜鷹、忘八、与太者らとつかず離れず在るのが自然と感じます。彼らは、ふと気紛れの好意を示す点、我らとそう遠くないのかもしれません。
 斯様な仕儀にて、お申し出は咽喉の鳴音止み難く感謝の至りではございますが、謹んでお断り申し上げます。どうぞお元気で。 頓首
平成二十四年卯月 新宿 茶虎のジン
多磨盟主様
追伸 下総での隆盛もあり、鼠不足で退屈することはない様に思われます。お心遣い、重ねて有難う存じます。



 東京ヒズミランド14

昨夜一晩考え抜いた一言は結局言えずじまいで、新幹線のホームまで来てしまった。
父の連れ子の俺を、父が事故で死んでからも育ててくれた母さんに「ありがとう」の一言も云えないまま、ホームに新幹線が入ってくる。「俺なんか施設にでも放り込めばいいんだよ」思春期のころ、よく、そんな悪態もついた。いつも、ろくでなしの俺の頬を打ってくれた、世界一俺に優しい人とも、今日でお別れだ。東京という街が、本来なら無縁で赤の他人同士の俺たちを家族にしてくれた。そして今日、俺は母さんの人生を母さん自身に返そうと思っている。誰よりも幸せになってほしいから。もう、父の思い出も匂いも残した荷物と一緒に全部俺が持っていく。だけど……、今だけは、今このホームにいる間だけは、俺の母さんでいてよ。最後のわがままだから。
発車のベルが鳴り、ドアが閉まる。
「母さん、俺、俺」
両眼に涙をためた母さんは、ただ微笑んで頷くだけ。涙でゆがんだ母さんの姿が小さくなっていく。母さんが奮発してくれたグリーン車の中には、隅っこにサラリーマンらしい背中がひとつ見えるだけだ。俺は、携帯音楽プレーヤーに入れてある「無縁坂」を聴きながら、気がすむまで泣いた。



 東京ヒズミランド15

 たぬきにおつかいを頼まれる。地下鉄を乗り継いで遊園地に行くのである。切符を買おうとお金を落としてしまう。硬貨が行き交う大人たちの足をすり抜けるから、腰を落としその森へ分け入る。奥へ奥へ掻き分けてゆけば草むらの向こうに古い家が見える。
 迎えてくれたのはきつねである。顔を触られ、片目が潰れる。まだ足りないと手を握られ、手首から先がなくなる。これで大丈夫だそうだ。お前は魔法が使えるんだよ。
 玄関を出ると遊園地だ。人っこひとりいない。たぬきはいつもこうなんだ。憎くて堪らなくなる。たぬきが苦しむ姿を思う。いきなり金属音が耳をえぐる。振り向くと軸が外れた観覧車。轟音と共に辺りを踏み均し、ついに倒れると勢いメリーゴーランドを擦り潰す。火の手が上がる。黒い煙に紛れてたぬきが馬の下敷きになっている。何とかしようと念じるも何も。やがて炎でたぬきは見えなくなる。目と手首が治っている。
 家に帰る。いつも通り過ごし布団に潜る。どうして遊園地へ行かねばならなかったんだろう。
 夢を見る。たぬきだ。片方の前脚が欠け、片目は顎まで垂れている。何か話しているが何を言っているか聞こえない。うどんをこねる棒みたいな手をこちらに向ける。巨大な炎が部屋中に漲る。夢を見ている。この夢は醒めるだろうか。



 東京ヒズミランド16

『ぜんたーィ、とまれ!』
「イッチにッ、イッチにッ、ぜんたーィ、とまれー! ぜんいん、とまりました、隊長! そのこころは!」「そのこころは!」「こころはー」
『われわれのッ、もくてきは、なんだッ!』
「われわれのもくてきはッ、この国のー」「この国のッ、しゅとをこうりゃくしー」「こうりゃくしてッ、しゅとのみをわれわれの国としー」
『なぜッ、ここをえらんだのか、おもいだせー!』
「なぜならばッ、この国のー」「しゅとのッ、じづらがー」「さゆうたいしょうであるからッ」
『われわれはッ、なにをするために、あるのか!』
「せかいをッ、もっと」「せかいをッ、もっとッ!」
『ひずみ!』
「ひずませー!」
『ひずませ!』
「ひずむー!」
『とかくこのよは、いきにくい!』
「きついッ」「くるしいッ」「くだらないッ」
『われら、ひずみものッ!』
「ひずみものー!」
『ひずんだままのけんりを、このてにッ! すすめば、すなわち、われらのしょうりだッ! きざめよッ、われらの、ひずまりだましい!』
「けんりをッ」「このてにッ」「ひずまりッ」「だましいッ」
『すべて! のきなみッ!』
「ひずませろー!」「ひずませッ」「ろー!」
『ぜんたーィ、すすめ!』「わー!」『ぜんたーィ、すすめ!』「わー!」「わー!」『ぜんたーィ、』「わー!」「わーッ」「わー」「わー」「わー!」「わーッ」「わあー!」



 東京ヒズミランド17

 鏡は監視カメラです。一日にニ回、とびきりの顔で笑いかけます。
 ここは広くてあたたかい、緑と花で満たされたガラスのドームです。真ん中には小さな遊園地があり、大きな観覧車が静かにゆっくりと回り続けています。
 緑に埋もれた家は潰れたケーキに似ています。三角で三段で白い。四歳からここにいます。
 住人は子供ばかり。ニ割は自分を特別だと信じていて、三割は頑なになにかを信じ、一割は絶望しています。なにも信じていない残りの四割が、空白の住人と、本物の天才と、私たちです。
 テレビもラジオも電話もないけれど、食べ物や着る物には困りません。管理人は見えないけれど、たぶんそこらにいるのでしょう。
 誰かが歌い、踊り、叫び、ピアノを弾いています。小さなブロックを積み上げ、透明な境界を掻き続けています。
 森は迷路に似ています。眠るのは好きではありません。
 観覧車のてっぺんからは外が見えます。あおぞら。あかいつち。暗くなれば遠くに、こぼれ落ちた星のようなあかりが見えて、だからあそこには人がいます。



 東京ヒズミランド18

「ヒズミランド、ヒズミランド」
 と、二歳になったばかりの息子が何度もそう口にする。ならば誰が何といおうとここは東京ヒズミランドだ。
「チューチュ、チューチュ」
 うん、チューチュがテーテをふってるね。ワンワンもガーガもいるよ。
「ジージ、ジージ」
 そうだね、チューチュの背中がジージってひらいたね。
「ウーカンカン、ウーカンカン」
 ほんとだ、中からウーカンカンが出てきた。手にグシグシ持ってるよ。グシグシでみんなをコッコローンしてるよ。
「クデンシャ、クデンシャ」
 うんうん、ガーガがクデンシャ吐き出したね。ワンワンもあんな楽しそうにみんなをポリンポリンして、とってもにぎやかだね。何、アッコするの? はい、これでよく見えるよ。あっちもこっちも、みんなもうすっかりババーパだらけだよ。
「バッコチャン、バッコチャン!」
 わあすごい、ほんとにバッコチャンだ。おっきなクーチーだねえ。あ! ほらほら、バッコチャンこっち見てワラってるよ!
「コッチクル、コッチクル!」
 コッチクル、コッチクル!



 東京ヒズミランド19

 明け透けにいえば、S男はヒズミ—ランドが好きなM子が好きだった。他愛ない機械仕掛けに、無邪気にはしゃぐ姿が彼の恋に着火する。長い行列もS男にとっては、M子を笑わせる極上のアトラクションだった。知られたくはないが、M子はヒズミーランドが好きな女が好きな男が好きだった。自分の魅力を魔法のように実感させてくれるS男から、自尊と安心が生れる。男が投げる打算ないまなざしに、女の愛が乱舞する。ネンデレラ城の肩に、昼の薄い月が見えた。並んで歩くS男はM子の手首に触れる。こういう時、手を握るのが効果的だろう。M子はそれとなく応じる。こういう時、ゆっくり握りかえすのがかわいいと思う。だから二人は、今日も笑顔だ。



 東京ヒズミランド20

 降り止むきざしのない雨を抱きとめるように地面が波打っている。
 地面は雨を吸い込まない。遊園地に人の気配はない。降った雨はどこへいったかと気にかける者もいない。

 みやこは遠い。

 直立不動のまま雨を浴び続ける。体表に生じるかすかなひずみによってのみ、雨を知ることができる。



 東京ヒズミランド21

「ここは楽園?」
 オレンジ色に染まったシーツの上に寝そべりながらマコトの腕の中で、わたしは訊ねた。
 たぶん、昨日も一昨日も。わたしたちは、ずっとこうして、寝て食べてキスをして抱き合って、そしてまた寝るを繰り返していた。
「ここは地獄だよ」
 マコトは、笑いながら答えた。地下にあるマコトのこの部屋は、太陽の光が差し込んでくることは無い。だから、朝と夜の区別が無い。時計も置いていないから、時間の感覚も麻痺していた。
 マコトのアパートは、東京のど真ん中にある。わたしは暇を見つけてはやって来た。マコトは、ここでの生活をネズミやモグラのようだと言うけれど、たまあにとても羨ましくなる。地上は、わたしには眩しすぎるのだ。この部屋は、オレンジ色した豆電球だけがわたしたちを照らし出す。
「ねぇ。はずして」
 わたしは、マコトが掛けているサングラスをそっとはずそうとした。
「退化しちゃっているんだ。だから、ダメだよ」
 マコトは目を指しながらそう答えた。深海魚のように退化してしまったというのだ。
「見てほしいの」
 嫌がるマコトから、わたしは無理矢理にサングラスを奪った。マコトの瞳は、ガラス玉のように澄んでいて、とても優しい目をしていた。
 地上で生活をしていたら、こんな温かい眼差しでは、きっといられない。
「ウソつき」



 東京ヒズミランド22

 感覚刺激は見えるけれど読めない。聞こえるけれど意味がわからない。未知の外国語だ。確かに何かを感じているのに大部分が意識まで届かない。霊視や予知、夢のお告げや妄言は、単に存在しないのではなく翻訳の問題だろう。当人がそこにあると信じたものは一度は感覚がとらえたものだ。一概に誤訳と決めつけるのはいかがなものか。
 用地買収した限りを高い壁で囲ったその向こう側にぼんやりと浮かぶ幻を、あれが東京だと言い張る人も少なくない。
 立入禁止の廃墟。雑然とした、マニアックなゲテモノ趣味の、巨大な都市の街路を見せる蜃気楼。住んでいる人がいるのかどうか、眺望といえば頑丈なコンクリートの壁だけのこちら側からはわからない。



 東京ヒズミランド23

 電車はすいている。
 路線に詳しくない俺には今何処を走っているのかも解らない。
 地下鉄ではない様で、駅と駅の間隔は割と長い。窓の外には住宅地が延々と続いていてその向こうには山が見える。ずっと同じ景色ばかりが続くものだから俺は段々眠くなってきた。
 
 起きると辺り一面畑である。どこまでも、どこまでも畑。何を作っているのかは解らないが茶色い土地に背の低い作物、あぜ道に放置されたトラクター、これはまぎれもなく畑だ。いつの間に加速したのだろうか、列車はものすごいスピードで走っている。電車ではない、列車だ。
 行けども行けども畑。ここはもう東京ではない、東京の外には畑しかないのだ、そして畑で作った作物を東京に送っているのだ。
 東京に生まれ東京に育った俺は今の今までそれを知らなかった。
 畑では住民が農作業をしている様だ。なにぶん景色が速く映るもんだからはっきりとは見えないが。

 黙々と働く住民、延々長々と続く畑。列車はひた走る。東京を後ろに残してひた走る。



 東京ヒズミランド24

 東京は美しい街です。日々ビルが建てられ、取り壊され、また建てられ、スカイラインはレベルインジケータのように色鮮やかに波打ちます。
 東京は美しい街です。多様式音楽の10^nの喧噪がなすモワレが一つの歌として認識されることはありませんが、一つの響きとして街行く人すべての記憶に焼き付けられます。
 東京は美しい街です。人々は最先端の着ぐるみを着て歩きます。彼らは、着ぐるみを脱いだ素顔もまた爽やかであろうとして怠るところがありません。よい着ぐるみであるにはそれが欠かせないことを熟知しているのです。
 東京は美しい街です。着ぐるみたちがすし詰めになっているのを見たことがありますか。ひたすら整然たることを旨とし、身じろぎもせず押し黙っています。彼らにとっては美だけが殉ずべき唯一の規範なのです。その前には正も邪も、善も悪も、あたかも元からなかったかのように注意深く摘み取られ、なめらかな秩序だけが残ります。
 東京は美しい街です。至る所で前触れもなく花火が爆ぜます。それはそれは見事に美しく眩い花火なのです。