500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第114回:鈴をつける


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 鈴をつける1

 涼風がすがすがしい、早朝。
 御影石の鳥居の向こうに、一台の軽自動車が停止した。
 境内を清めていた神主は箒を持つ手を止め、運転席から降りてきた初老の男性に微笑む。
「古賀さん、おはようございます。お早いですね」
「おはようございます、神主さん。ご依頼の品をお届けに上がりましたよ」
 二人は本殿を迂回し、境内の一角へ向かった。
 そこには小さな、大人がひと抱えで運べる程度の大きさの社が祀られていた。
「お稲荷さんも驚かれたでしょうなぁ」
 初老の男が社に鈴をさげる。チリリンと愛らしい音をたたえた鈴には、真新しい紅白の鈴緒が垂れていた。
「もうずいぶんとくたびれていましたから、そろそろ替えの時期ではあったんですよ。……あるいは、お稲荷様のお知らせだったのかもしれません」
 乳離れも済んでいない赤子が、なにを思ったのか、母に抱きかかえられたまま手を伸ばした。気付かぬ母は歩き出し、稲荷社の鈴を千切らせてしまったのだ。
 神主は、これも何かの縁と、古い鈴を赤子に託した。
 稲荷は豊穣の神、豊穣は子孫繁栄にも繋がる。鈴はきっと、あの子の御守りになるだろう。



 鈴をつける2

妙に耳に残る鈴の音だった。いつも通る駅の構内。誰かのカバンにでも付いているのか、りりんりりんとそれほど遠くないところで聞こえる。あたりを見回してもそれらしい人が見当たらない。鈴の主を見つけてやろうと思ったのはほんのイタズラ心。りりんりりんと音が去っていく。追いかけなくちゃ。音だけをたよりに歩いていく。りりん、り。急に音が止まった。僕ははっとして柱の陰に隠れた。なんで隠れるんだ。鈴の音が振り向いたような気がした、なんてありえない。りりんりりん。また歩きだした。それにしてもどうして持ち主らしき人が見当たらないんだろう。音だけが僕の前を歩いていく。僕は柱の陰から踏み出して鈴の音を追った。りりりり。急に音が走り出した。気づかれた。僕も走った。階段を駆けおりて、角を曲がる。暗い通路だった。りぃん。鈴の音が遠くでうすく笑った。りりぃん。りりぃん。ゆっくりと誘うように前を歩いていく。僕はもうなにがなんだかふらりふらりついていく。



 鈴をつける3

 鈴の子が迷い込んで来た。
 愛らしい音で午睡から目を覚ますと、畳の上を転がっていたのだ。私は面白半分に、鈴の子に、鈴をつけてみた。引き出しから、わざと同じくらいの大きさの鈴を選んだ。まるで双子のようになった。音は少し違う。鈴の子が動いて鳴り、当然つけた鈴も鳴り、二つの音色はむしろ騒がしく、そのささやかな騒々しさを私は楽しんだ。
 鈴の子はよくふらふらと遊びに行った。結わえているから戻って来るのであるが。鈴に、朝も夜もあるわけはなく、夜中、私が寝入った頃にりんりんと音を立てて戻って来ることもあった。
 鈴の子は大きくなった。それに従って私はつける鈴を大きくしていったが、ある時、思い立ち、ごく小さな鈴を選んだ。その時から、鈴の子は成長を止めたようだった。たまたまかもしれないが、不思議なことだと思った。
 五センチ程の大きさにまでなっていた鈴を、放してやることにしたのは、なぜだったのか。夕方頃、解いてやると、ころころ辺りを転がっていたが、翌朝、いなくなっていた。
 それから一年ほど経った今、またも昼寝の最中に、右のポケットに鈴の子が入り込んでいるのを見つけた。鈴によっぽど好かれているなと笑ったのだが、その小さな鈴の子がころんと鳴った時、音色の懐かしさに私は涙してしまったのだった。



 鈴をつける4

「きゃっ!? 何やってんのよ、冷たいじゃない!」
「も、申し訳ありません」
「んぅ、もぅ、気をつけてよね、そこの花屋さん」
「ただ今、拭きますので……」
 俺は謝りながら、店先で水を掛けてしまった女性の髪を丁寧に拭く。水は服にも掛かったようだ。
「ちょっと、どこ触ってんのよ。もういいわ、私急いでるから」
「すいません……」
 先を急ぐ女性が角を曲がり、姿が見えなくなると、俺は無線に向かって呼びかける。
「ターゲットと接触。特殊塗料の付着に成功しました」
『よくやった。今、衛星画像でチェックするから、お前は次のポイントへ向かえ』
「了解」
 俺は国立情報機関の諜報員。尾行対象の女性、戸坂鈴に、透明な特殊塗料を付ける役目を負っている。
『おい、聞こえるか?』
 しばらくすると無線が鳴った。
「はい」
『駄目だ、塗料の付着が不十分だ。やり直し!』
「でも、私の面は割れてますが」
『そこをなんとかするのがプロだろうが!』
「わかりました。で、次はどんな方法で?」
『蕎麦屋の出前だ。次のポイントに自転車と塗料入り蕎麦を用意させている。今度は失敗するなよ』
 仕方ねえなと独り毒づくと、俺は手ぬぐいを取り出し、顔を隠すように深く頭に巻いた。



 鈴をつける5

 目を醒ますと君は気づいた。最初は小さく、起き進むにつれ、明確になる違和感に。
「にゃんだごりや」
 発声した君は、自分の体に起こった事象を「稼働域の拡張」と理解した。だから、発音が正確にできないと。
 ベッドを降りる頃には、君は稼働域だけでなく、体のあらゆるところに関節が増えていると気づいた。滑らかに曲がると知った。
 虫になったわけではないから、君はいつもの朝支度をはじめた。そして、不意に君は悟った。岡村靖幸が唄っていたとおり、心臓がヘビメタを熱演していると。
 増えた関節たちが熱演にあわせて、悶え、蠢く。可動域を拡張し続ける関節は、君の記憶を刺激し、思い出させた。アフリカ研究の文化人類学者が、ダンスの本能性を説いていたことを。
 関節の本能に流され踊ることの正当性を、君は信じた。
 でも、足りない。
 直感的に君は気づいた。ビートだけでは、このダンスを満たすことができないと。増殖し拡張した関節の歓喜を表現しきれないと。
 手っ取り早く、君はベッドサイドの鍵束を掴む。
 シャンシャン
 キィホルダに付随した小さな金属塊が震え、心臓と関節が呼応した。
 君は欲求に従う。もっとこの音を!



 鈴をつける6

交差点での信号待ち。さっきから小雨がぱらついている。ふと前を見れば、別れたばかりの元カレ。いかにも頭軽そうな茶髪の女と花柄の小さな傘で、相合傘。アホかっ!私は、追い抜きざまに、足元を這っていたダンゴ虫を、元カレの上着のポケットにねじ込む。ダンゴ虫の繁殖期は湿った梅雨時。アンタたちには、お似合いよ。でもあの二人、たぶん、交尾はまだだ。だって、あいつの大事なトコロには、私が取って置きの細工をしてあるのだから。バイオエシックス的には多少問題だが、将来のノーベル賞候補にも名前の挙がる天才生命工学者の私を混乱させた罰だ。遺伝子学的に見て全く意味不明な別れを切り出された夜、クロロホルムで眠らせて、脱力系の去勢手術を施した。その結果、あいつの生殖器は勃起時に、空洞の睾丸に内蔵してある超小型スピーカーから、間抜けな音を立てる。マリオの、キノコでの細胞肥大化音だ。そして発射の後は……、♪チャチャチャチャチャチャチャ〜(GAMEOVER)



 鈴をつける7

 菜の花が、果てまで広がっているのだ。
 ほんの一瞬眼を閉じたら、案内してくれていた者ごと、もといた景色が消えてしまったようである。地平線から上半分が、空のようであり、そうでないようでもある曖昧な印象なのは、不安のせいであったのだろう。音もない。
 どうやって見つければいいというのか、菜の花色が果てまで広がっている、思っていたよりも静かで、穏やかで、鮮やかな、初夏であった。
 そこに私がひとり立っている。
 右手に軽く力を入れ、中の感触を確かめる。
 息を、吸って、止め、耳をすませる。
 何も聞こえない。
 まだ聞こえない。
 息は止めたまま。

 息は止めたまま。



 ああ。

 少し、背が伸びる。
 ゆっくり体の向きを変えると広がるのはやはり曖昧な空と濁った黄色の風景で、彼らを踏み折らないよう、分け入るように進む。一つ一つを、よけるように、確かめながら進む。失礼します、失礼します、と言い君を探す。
 それは当然、菜の花であった。
 面影のある、菜の花であった。
 右手が緩む。
 音を立てぬよう身を屈める。
 抱きしめるには細い体に、なるたけ丁寧に糸で結ぶ。そのときを感じたら、風に揺れるふりをして呼んでほしい。そうしたら私は、君と並んで菜の花になりたい。



 鈴をつける8

 旅先で見つけた小さな鈴の透かし細工が、何のモチーフなのか、ちょっと風変わりで綺麗だった。しかも意外なお手軽価格。だからその程度の気軽さで、友人らへのお土産にしたのだ。
 君はその鈴と細い鎖でピアスを作った。気に入ったのか、ずっとつけている。
 うるさくはないかと聞いたら、そんなには鳴らない、と首を傾げた拍子にちりんと揺れる。白い首筋に金色の鈴。どことなく猫っぽい印象の君にはよく似合う。
 ふと、その首のあたりを撫でてみたくなり手を伸ばしかけ、いやおかしいか、と思いとどまる。
 しかし気安く触ろうとする輩も多いようだ。君がそれを嫌って首を振れば、ちりちりと鈴が鳴る。その音に振り返ると、たいてい目が合う。今日もまた。
 少しの間見つめあって、ちり、と目を伏せる君が、拗ねているように見えるのはたぶん気のせいだ。
 揺れる鈴にそっと手を伸ばす。気づいているだろうに君は動かない。鈴に、耳朶に。そっと触れると、微かな微かな鈴の音がその震えを伝えてくる。そのくせ満足した猫のように目を細めるから、なにかもう、なにかに負けてしまいそうで困る。



 鈴をつける9

 囚人の朝は早い。
 今日も労役に従事する。鎖で繋がれた足を引きずり、槌を振り上げ、振り下ろし。鎖には、鉄の球もついている。引きずるたびに鎖はじりじり、鉄球はごろごろと低く唸る。節をつけ、労働の唄をくちずさむ。

 働くよ 働くよ
 いったい何を誤った
 この鎖 鉄の球
 いったい誰の罪だった
 打ちつけろ 響かせろ
 この血 この汗 この涙
 注ぎこめ 渇くまで
 渇いてしまうその日まで

 昼飯の後の、わずかな休息。横になって目をつむる。
 ふと、空想してみる。
 天使だか悪魔だか、死神だか判らない何者かが現れ、言う。鎖を解いて我々と来るか。それとも一生、繋がれたままか。どちらかを選べと迫る。いわゆる魂の取引だ。
 すこし迷って、こう答える。せめて鉄の鈴にしてくれ。

 却って耳障りだ止めろ、と怒る奴も、いるだろうが。

 囚人の一日は長い。足を引きずり、また労役に従事する。槌を振り上げ、振り下ろし。踊りにみたない踊りを踊り。耳の後ろで、鈴の音が、りんと響く、りんりんと、魂の唄をくちずさむ。



 鈴をつける10

 猫に鈴をつけようとするネズミは現れず、屋根裏は気まづい沈黙に支配されていた。
「鈴をつけても、どうせすぐに壊れるさ」ネズ男が苦りきって言う。
「負け惜しみは良くない」ネズ太は声を張る。「みんなでスポーツクラブに通って、足腰を鍛えよう。努力して逃げ足を速くするんだ」
「才能のある奴の台詞だな。お前が活躍したいだけだろ」ネズ助が下唇を曲げる。
「そ、そうよ。これ以上は速くなれないネズミはどうすればいいの?」ネズ子は誰にも視線を合わせない。
「鍛え方が足りないだけなんだ。やる気の問題だよ」腕組みをするネズ太の隣で、ぱちんと前肢を打ち合わせるのがネズ美だ。
「ネズソンがね。あっ、ネズソンていうのはあたしがカリフォルニアのパーティーで知り合った凄腕のハンターなんだけど」
「えっ、ネズ美はいつの間にカリフォルニアに行ったの」ネズ介は狼狽する。「俺は知らされてない」
「裏表の激しいネズミって、厭ね」ネズ代が冷たい一瞥をネズ美に向ける。
 ネズ美は鼻を鳴らして「あらこのチーズおいし。みなさんいかが?お好きでしょ」腰をくねらせチーズを配ってまわる。
 静かな台所で猫は耳をそばだていた。三日月の唇が裂けて、満月にまで広がっていった。



 鈴をつける11

 この世界には飼い猫と野良猫しか存在しない。

 Aは死にかけていた。餓死。それは野良猫であるならば常に覚悟しておかなければならないことだった。地面に倒れ伏していると、唐突に、目の前に魚の切り身が差し出された。顔を上げると猫がいた。鈴をつけていた。
 Fと名乗った彼とAはすぐに仲良くなった。Fは魅力的な猫だった。他の猫を見下すような所がまるでなかった。まさか飼い猫にそのような奴がいるなどとAは想像したことすらなかった。
 それからしばらく後。Fが思いつめたようにAに語った。俺、飼い猫を辞めたい。それは衝撃的な告白だった。この世界において、それはあり得ない選択だった。それでも、とFは言った。A、おまえを見ていると、自由というものの大切さを嫌というほど思い知らされるのだ。そしてFは自らの手で鈴を外した。
 その瞬間、世界が瞬いた。
 Fは死んでいた。物言わぬ物体となって地面に横たわっていた。傍らに鈴が落ちていた。所有者のいない鈴。それは全野良猫が喉から手が出るほど欲しているものだった。
 Aは迷わなかった。

 この世界には飼い猫と野良猫しか存在しない。
 では、飼い主は?



 鈴をつける12

 おじさんは、たぶん私の父だ。幼い私にも何となくわかっていた。
 おじさんが来る夜は、夏の前ぶれのようだ。母が洗いたてのパジャマやシーツにアイロンをかけ居間には花が飾られた。台所からは鼻歌と煮物の香りや魚のパチパチ焼ける音がいそがしい。母は水中を優雅にゆらりと泳ぐ魚のような人だけど、その日ばかりは水面で勢いよくジャンプしキラキラと飛沫をあげる。そんな母を愛するおじさんは、母より四半世紀も早く生まれたことを嘆いていた。
 ある日、おじさんの背広のポケットにカエルの形の鈴を忍ばせたことがある。
「毎日、ウチに帰ってきてほしいの。鈴の音が聴こえたら玄関に走っていくわ」
 おじさんは、私を抱きしめた。背中は震えている。私の居場所は、家でも学校でも母でもなく、この背中なのではないかと思う時がある。そして、そこに「おとうさん」と心の中で幾度となく呼び続けるのだ。大地のような背中に小雨のような私の言葉がじんわり浸透し、いつか届くことを願っていた。
 そして、その日を境におじさんは来なくなった。母は相変わらず美しいままだというのに。
「おじさんは、私のことが嫌いになってしまったの?」
 母は私の頭を優しく撫で、箪笥の奥から黒いハンカチを出し丁寧に広げた。そこには、カエルの鈴があった。
「あの人は、私たちとずっと一緒よ」
 鈴の音のように澄んだ母の笑い声はやがて少女の叫びのようになっていく。



 鈴をつける13

 なぜどうにかしようとする? 恐怖に耐えられないからか。癒されたい? バカを言うな。人間は一匹残らず頭のおかしな生き物なんだから、治療しようとして何になる? 根本的な治療は人類の絶滅以外ないのは明らかだ。人に迷惑がかかる? 特定の個人が社会にとって迷惑なように、個人にとって社会はほとんど常に迷惑なだけだ。おあいこだよ。本人が苦しいからか? 苦しみを逃れようと? なら対処療法は三つしかない。医者と警察と坊主だ。慰めと安心を得ようとして地獄を激化させるだけのいずれ劣らぬろくでもない対処療法だが、お好きなものをどうぞ。宗教のまやかしは二流の薬物中毒にすぎないし、医者の薬物療法は二流の警察国家でしかない。警察国家全体主義が二流の宗教でしかないのと同じことだ。すべての鈴をつけるシステムは人類の地獄を保存するだけの簡易パッケージでしかない。入れておいてもいずれは腐る。絶対的な無為に耐えるしか、対処療法を逃れるすべはないだろう。だが無理な話だ。人類は殺戮と無為の間で右往左往するちっぽけなねずみの群れなのだから。そう言って、彼は首につけたお洒落な鈴を鳴らすのだった。チリチリン!



 鈴をつける14

 人は鈴。ノーミソ入ってないフリで、ころころころころ笑うだけ。何を考えどう思うのか、見えることはありません。
「地球って中身からっぽかも」
「そんなことはない、地球の中はマントル、コアと云々かんぬん」
「一般的な定説だけど、実際に見た人は誰もいない」
「議論じゃなくて楽しい話しようよぉ」
「えー、だってそんなの常識でしょ?」
「そんなことよりビールおかわりするけど、みんなは?」
 振ったらころころ鈴の音。合わせてころころ鈴の束。酔っ払った頭のまんま、神社にお参り行きましょう。お願い事は口にしない。口に出したら叶わない。だから思いに触れられない。何を望むか、何が欲しいか、わからないまま共にいる。せめて寂しくないように、頭の中をからっぽにころころ笑って過ごします。
 ホントはいろいろ考えるけど思いつめたらかけられる「くらい」に「うざい」に「きもちわるい」。悪態いっぱいもう聞き飽きた。だからせめてもその場の空気、醒めないように笑います。頭に鈴をつけるのです。きっと地球もからっぽで、誰もが少し寂しいの。近くの星の誰かさん、こんな思いを知ってるかしら。広い宇宙にきらめく星は、夜空でちりり光ります。



 鈴をつける15

歩いていると鈴を付けた猫が横切った。今日で三匹目。三匹とも同じ鈴、同じ首輪である。
 今日に限った話ではない、少し歩くとこの鈴を付けた猫に出会う。一体何処の誰が鈴を付けているのだろうか?

 真相を探るべく、私は一匹の猫の後をつける事にした。猫は用心深い生き物だ、近づき過ぎるとすぐにばれてしまうだろう。
 五メートルの間隔を常に維持しながら慎重に歩む。弊に上られた時は流石に無理かと思ったが、なんとかばれないように反対側に回り込むことが出来た。私もこの町には詳しいのだ。

 Y字路を左に進み電信柱を三つ過ぎると、垣根から鈴の音が聞こえてきた。どうやら他にも鈴を付けた猫が来ているらしい。
 つけていた猫と伴に鈴の音の方へ出るとそこには大きな庭がある。驚く私を振り返り一瞥すると猫は駆けていった。どうやらバレていたようだ。
 
 鈴の音の真ん中には老婆が座っている。その周りには魚やらキャットフードやらが散乱していて……、成程そういうことか。
 この老婆が犯人だな。
 犯人はゆっくりとこちらに目をやり私に言う。
「あら、お客さん? 嬉しいわ。」
 動物、とりわけ猫に優しそうな目をしている。私は恐る恐る近づくと、キャットフードを食べ始めた。



 鈴をつける16

 彼女の行く先々で閃光がはじける。彼女が握手する手を差し出すとき、思いついたように顔を上げるとき、静かに秘密を打ち明けようとするとき、視界を白く焼き切るほどの光がほとばしり、耳を聾する三和音が鳴り響く。それは彼女が《末の娘》だからだ、と彼女は教えられているが、どこの誰の末の娘なのか分からない。何か高貴な役目を負っているのだろう、くらいに思っている。光がはじけるのだって多分そのせい。だから彼女は堂々と、踊るように歩き、振舞う。新しい恋を見つけたとき、怒りに声を荒らげるとき、憂さを忘れようと盃を上げるとき、喜ぶとき、哀しむとき、彼女は打点のはっきりした大きな動きで舞い、そのたびに真白い光が一瞬、辺りを塗りつぶす。そして彼女はますます楽しく、誇らしくなる。どう、私はここで生きている、生きている瞬間を祝福している、見えるでしょう? 実際、彼女がどこへ行き何をしても世界中のあらゆる場所でそれを感じ取ることはできたし、少なからぬ人々がそれに気付いてもいた。
 やがて彼女は幸せに身籠り一女を得る。その子もやはり《末の娘》と呼ばれるが、彼女は喜びこそすれその意味を問うことはない。



 鈴をつける17

書類棚から、補給艦利用の書類を一式取り出す。
所属、氏・階級、ロットナンバー、使用する個数を記入し、カーボン紙を外す。
1枚目は補給係へ。
2枚目は控え。
3枚目は、物品箱へ貼り付けるため。

補給係は、書類に不備がないか確認し終えると、うなずいてサインし、倉庫の中へ消えた。
少し間があって、倉庫の暗がりにぼんやりとハロゲンランプの明かりが燈る。
誰かが、後ろに並ぶ。
2、3人。
振り返らずに、後ろの会話を聞く。

「補給係は、衛生係と不倫しているらしい」
「あんな年増とか?」
「こんな真っ暗な倉庫にばかりいて、よく出会いがあったもんだ」
「ヤツは、緊張するとしゃっくりが止まらなくなるだろう? その治療をしているうちに、いい仲になったらしいんだ」
「あのしゃっくりの音は、倉庫中に響いて不気味だからな」

倉庫の奥から物品箱を持って、補給係が戻ってくる。
個数を数え、受領書にサインをする。

「鈴をつける際は、二人以上で実施し、針金の先端に気を付けるように」
補給係が、束になった針金を指差す。
「了解」
物品箱を持って出口へ向かう。

「敬礼!」
「これより補給管理検査を始める」
倉庫内にしゃっくりの音が響く。

ああ、後ろにいたのは検査官たちか。



 鈴をつける18

 私の手首に紐を結びつけると彼女は言った。
「ねえ、鳴らしてみて」
 腕を耳元で振ってみる。
 ジリンジリン。
 耳障りな音が頭へ突き抜けて響き渡った。思わず身震いをする。猫はいつもこんな思いをしているのだろうか。
「うるさいよ」
 仕返しとばかりに彼女の耳元で同じように腕を振った。
「わっ、意外とキーンって響くね」
 彼女は身をすくめながらも、笑っていた。
 笑い事じゃないのだよ。私は人間よりも数倍耳が良いのだ。拷問だ。
 私はさらに大きな音を立ててやろうと、彼女の耳元でがむしゃらに腕を振った。彼女はますます大きな声で笑う。
 それを何度も繰り返したのち、彼女はふと真顔になってうつむいた。
「大きくなったらあなたのことが見えなくなっちゃうんだって」
 私は頷く。今まで出会ってきた者達もそうだった。
「これだったら、姿が見えなくても近くにいればわかるでしょ?」
 彼女の考えは一理ある。
 しかし、私は人間達のいう付喪神に近い存在である。物と長年一緒にいるといつかは同化してしまう。彼女はそれを知らない。
 私は再び彼女の耳元で腕を振った。先ほどとは違い、なるべく優しく。
 チリリン。
「綺麗な音色だね」
 うん、私はここにいるよ。



 鈴をつける19

かつり、かつり、かつかつ、かつり
がらくたの山の頂上でしゃれこうべがひとつ、声も出せないのに唄っていた。口が開閉するたびにかつりかつりと乾いた音が起こる。
その調子はずれの歌がひどく気になって、足を止めてしまった。
しゃれこうべは顎を鳴らしていたが、やがて左右に揺れはじめると、顎骨の鳴るのとは異なる、からんからん、という音が加わった。
よく見ると、しゃれこうべの右眼窩に胡桃が嵌っている。しゃれこうべが揺れるたびに胡桃が転がり、眼窩で音を立てるのだ。
かつり、かつり、からんからん、かつりかつり、からから、からん
胡桃は眼窩で回転しつつもこぼれ落ちることなく、唄は続く。
すっかり愉快になった私は、木戸銭代わりに幾枚かの硬貨を左の眼窩に入れてやる。
それを喜ぶかのように、しゃれこうべが大きく揺れた。
しゃらん、しゃらん
また新たな音が、左の眼窩で鳴った。
すっかりこの唄を気に入った私は、しゃれこうべを紐で縛って腰に括り付け、再び歩き出した。
一歩進むごとにしゃれこうべが揺れ、唄が聞こえる。
かつりかつり、しゃらんしゃらん、かつり、からんからん、しゃらんしゃらんしゃらん
腰から聞こえる唄とともに、私は歩き続けた



 鈴をつける20

 「わたしの語尾は別に変ぢゃないリンよ?」などと言いつつこの男はまるでLP盤に針を乗せるかのようにスカートのフリルをひらめかせるチリンよ。誰にも渡さないチリン。絶対にボクだけのものチリン。



 鈴をつける21

「鈴は可愛い生き物がつけるものと相場が決まっている。もっとも、それは地上を移動する対象に限られ、魚や鳥は対象外だ。ペンギンはどうなのか? それが私の実験動機だ」
 黙々と歩く彼らから、雪片が体の動きに合わせて零れ落ちる。しゃらしゃらと。
「黄色い識別リングの代わりに、ちろちろと」
 生死をかけた行軍には、およそその軽やかな音色は似合わない。
「ヨチヨチ歩くたびに、楽しげな音が聞こえてくる」
 身体をすり合わせ、互いの体温でわずかな暖を取る。零下60度の吹雪の中では呼吸すら困難だ。立ち止まるな。さもなくば死。個の死、子孫の死、種族の死。意識が遠のくたびに、高く鋭利な音色が、倒れずに歩けと鼓舞する。
「やがて、音が海に飛び込む。ちろりん、ちろちろ。餌を求めて、矢のように泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ」
 嵐が止み、太陽の昇らない空から星くずが零れ落ちる。しゃらしゃら。沈黙の中で響くのは、
「南極海は、何千、何万もの天上の音色に満たされた。時速十キロの高速が作り出す奇跡」
 清かな鈴の音。



 鈴をつける22

 「でさあ、鈴狂女って呼ばれているお婆ちゃんの事、知ってる?」山本は電話口で話頭を転じ話し始めた。「近所に出現するお婆ちゃんで、鈴狂女なんてひどいあだ名で呼ばれてるけれどそれにはそれなりの訳があるんだよ・・・」何でも山本が言うには鈴狂女は路地商人で2時間程の開店でそそくさと店を畳んでしまうらしい。本職は別にあるようで、2時間程、路地で鈴を売る。その鈴の値段が10万円で、うわさでは鈴狂女が商売を始めて30年間、購入者ゼロらしい。私はこの不思議な商売人の事を詳しく知りたくなって、翌日、鈴狂女に会いに行った。鈴狂女に会いに行くと私は自分の目を疑う様な出来事に遭遇した。鈴は吊って売られていたのだが、鈴が風に吹かれる度にこの世の物とは思われぬ音色と共に鈴の口から七色のオーロラの様な光がゆらゆらと眩く輝くのだ。鈴を調べてみると特にからくりは無い。「この光はいったい何なのですか?」「やっとこの光が見える者が現れたか。フフッ。この光の探求にお前さんの人生を掛ける価値はないかね?」よもやとは思っていたものの私は財布から10万円を抜き出すと迷わず老婆に渡した。