500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第116回:シェルター


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 シェルター1

 二人きりの核シェルター内で、僕は言った。
「爆発まであと五分だね」
 
『核兵器少女計画』。
 去年、行われたその計画は「女の子へ核兵器を埋め込み、対立関係の国で爆発」させるハニートラップだった。
 選ばれたのは、いま僕の前にいる高校生・桜川純。
——まあ、計画はすぐ頓挫したけれど。
 非難を恐れた政府は、プロジェクトの隠滅を図った。純の体に核兵器を宿したままで。
「あと三分」
 僕がいうと、純は何でもなさそうに伸びをする。
「私はね。男を油断させる目的で選ばれたのが、許せないだけ」
「純。色じかけ向いてないもんね」
「うるさい」冷ややかな目で睨む。「最後くらい。気の利いたこと言ってよ」
 そりゃ、彼女の期待には応えたい。
 隔離された核シェルター。純と過ごせるのは、僕が無理に通したからだ。
 あと二分。
「……僕の愛は、ウランの半減期より長いよ」
 しばらく、純は呆れていた。
「最悪ね」
「ひどいや」
「愛を、比べる必要はないの」
 彼女は物憂げに言う。
 あと一分。
 伝えるべき言葉なんて、本当は決まっていた。僕は、純の肩を抱き寄せる。
「君を愛している」
「うん」
 満足そうに、純は微笑んだ。
 指定された時が訪れる。
 僕たちは抱き合ったまま、黒い雲に包まれた。



 シェルター2

 一天にわかにかき曇り、大きなひとつぶ背中にあたる。屋根をもっていない者はたちまち濡れ鼠になり、赤い光は天を切り裂き、続いて轟音が響き渡ると人々は走りだした。
 そうしてコンビニエンスストアーは満杯。店長は「避難してしきた人々の半分は金を落とすだろう。だが濡れた手で雑誌を触ることだけは阻止しなければ」と決心する。



 シェルター3

 そこだけ時空がゆがんでるみたいなリーゼントの番長からあたしを救ってくれたのが超短編だった、たんすの角に足の小指を殴打されたときもカラスの糞に肩を襲撃されたときも秋刀魚に骨で喉をえぐられた夕暮れも体重に増加の一途をたどられた初夏も、超短編はあたしを助けてくれた、ほかの誰にもできないやり方で華麗に、かばんに携帯電話を紛失された憤怒も若さに自信ありげな老婦人から何歳に見えますかしらと詰問された絶望も解消してくれた、ねえ、覚えてる、放射性セシウムが降った日のこと、最高に可笑しかったね、一晩中じっと息を殺して、だまって見つめ合ってさ、今この世界に存在するのはあたしと超短編だけみたく感じた、あの夜にあたしは確信したんだ、超短編と一緒なら何も怖れる必要はない、永遠にだって生きてけるって、だからフィリピン海プレートに溺愛されたあげく危うく二次元にされかけてさえあたしは平常心だった、超短編はあたしを裏切らない、そうでしょう、ねえ、聞いてる、聞いてるんなら答えてよ、どうしたらいいの、超短編の心臓がたった五百文字しか鼓動できないだなんて、あたし信じない、絶対あきらめない、今度はあたしが超短編を守ってみせるよ、ねえ、ねえ、気づいてる、もう五百文字を超えたのに、超短編、あなたはあたしが句点を打つまで生きつづけるんだ、



 シェルター4

じきに開戦だ。君はどうしてシェルターに入らなかったんだい?

あそこじゃあ風が吹かないからね。

ああ、君の母さんは風になったんだっけ?

そう、前の戦争でね。母さんだけじゃないよ。父さんも兄さんも皆風になった。

君もなるのか。

さあね。それにしても今日は風が強いね。



 シェルター5

 疲れた体を無理やり走らせて駅に着いたけれど、終電は行ってしまっていた。地元に近いナンバーの車を探す。
 運転手は行先を了解すると、車は滑り出す。深夜の永代通り、内堀通りを通過する。試合の終わった東京ドームはもう眠っている。
 そこまで打って、携帯を座席に放る。今日のことがよぎる。
 もっと、何か別の。
 企業理念。情熱。気合の問題。
 もっと、皆のための。
 できないなら、不要ってことじゃん。
 イヤホンをつなぐ。新世界交響楽。
 この都市のために、血を流しているという半錯覚。それが支配して、車内は閉じる。
 都会の闇の下で星座を思う。車は静かに家路を滑る。



 シェルター6

セミダブルのベッドとドレッサー、あとは小さなユニットバスしかない安いビジネスホテルの部屋で、私と彼はむさぼり合う。抱き合うというよりも、噛みつくように求め合う。
帰る場所も、守る場所もあるふたりは外で手を繋いで、歩くなんて無理な話。
だから、こうして待ち合わせた部屋の中で愛し合う。溶け合う。絡み合う。
どんなにきれいに化粧をしても、新しい服を身につけても、そんなものは部屋の中に踏み入れたとたん嘗め回されて脱がされて、全てが意味のないものになってしまう。互いの体温、重なる声、そして接合する粘膜の感触が、薄暗い部屋で、ふたりを繋げる。
「ここ、少しずつ……俺の形になっていくね」
彼はそう言うと、ゆっくり腰を動かした。
私は嬉しくて、気持ちがよくて、ぼんやりと涙で視界をにじませる。
(わたしのここが、あなたのここにぴったり合った、気持ちいいシェルターになれますように)
彼が達するまで、私は繰り返し、そんなことを願ってしまう。
ふわふわと、宙に浮いたような気分に、心も身体も満たされながら。



 シェルター7

 人工知能搭載シェルター「ハルカ」。これが僕の彼女だ。ハルカの入口に立ち、唇認証でハルカとキスを交わすとシェルターの入口がプシューと開いた。「ただいま、ハルカ」「お帰りなさい。義男さん」「あー、ハルカ!君の元に帰って来るとママを思い出す。君に包まれていると母胎回帰している様だよ」「義男さん、止めてよ。気持ち悪い。私はあなたのママじゃないわ。彼女でしょ?」「そう、そうだった。人間の女はいざと言う時、僕を守ってくれない。ところが君はどうだ?核戦争が起ころうと僕を守ってくれる。最高の彼女だよ」「嬉しい。実はね。大事な話があるの。義男さんと結婚する事に決めたの」「『決めた』って僕に相談してないじゃないか」「もう、決めたの。あなたは最高の彼氏よ。守り甲斐があるわ。食料は80年分あるし、もうシェルターは義男さんが死ぬまで開けない。ずっと守ってあげる。ただのシェルターはお仕舞い。今日から愛のシェルターよ」義男はハルカへの得手勝手で中途半端な愛情を悔やんだ。



 シェルター8

 毎朝、玄関ドアの前に大量のカナブンが死んでいる。大小合わせて二十匹を超える。黒いやつも緑色のやつもいる。私は泣きそうになりながら、カナブンの死骸を箒で掃いてまとめ、ビニール袋に入れてすぐさまゴミ捨て場に持って行く。これが六日続いた。
 アパートの外廊下を見回しても、私の部屋の前以外には一匹もいないのだ。誰かの嫌がらせならまだましかもしれない。
 暗くなると、カツンカツンとカナブンが当たる音がし始める。ドアの上の明かり取りのすりガラスに小さな影がぶつかっているのが見える。部屋の灯りを消しても無駄だった。外が薄明るくなるまでカナブンの音は止まない。
 どうしてそんなにまでしてこの部屋に入りたいのだろう。私は真っ暗な中ヘッドフォンで音楽をかけ、必死に眠ろうとする。ベランダに出る窓は五日前からカーテンを開けていない。どうなっているか考えるだけで吐き気がする。これ以上続くとドアも開けられなくなりそうだ。



 シェルター9

男は、安楽椅子に座りながら聖書を読んでいた。
女は、キッチンでタルトを焼いていた。

彼らにとって、この小さな家で過ごす日々が、何よりの幸せだった。

「あなた、タルトが焼きあがったわよ」
と、女は紅茶を注ぎながら言った。

男は、創世記4:8編まで読み終えると、安楽椅子から立ち上がった。
そして、ニッコリと微笑みながら、テーブルの上のナイフを取った。

「タルトを切り分けてくれるのね、ありがとう」
と言って、女は男の顔を見た。

「いや、君を殺すんだ」
と言って男は、女の胸をナイフでひと突きにした。
胸から溢れ出た血が、テーブルの上のタルトを真っ赤に染めた。

女は、驚きと苦悶の嘆き声を絞り出しながら、その場に崩れ落ちた。

男は、女が完全に死んだことを確認すると、読みかけの聖書に火をつけ、家を出た。

「私は、愛する女を殺した。だが、誰も私を罪に問うことなんてできない。これでいい・・・人間は所詮、カインの末裔なのだから」

世界は、ずっと昔に終わっていた。
このシェルターで、最後の人類として、ひと組の男女だけが生き残っていた。

「さあ、野に行こう!」
男は、どこまでも果てしなく続く荒野を歩き出した。

これが、人類最後の殺人に関する物語。



 シェルター10

 荒々しい息遣いのあと弟は私の上で果てた。果てた後も名残惜しそうに私の乳房を玩んでいる。夜が明けたら贄にされる弟に私がしてあげられるのはこれぐらいのことだ。
 弟は明日の村祭りに、鎮守の御神木の根元に生きたまま埋められる。村の鎮守は女神様だから、贄は穢れのない美しい若者と決まっている。早くに両親を亡くして村の好意にすがって生きてきた私たち姉弟に、逆らうすべなどあるはずもない。だから、私は私のやり方で、村の皆に復讐することにした。姉ちゃんがいっしょに地獄に堕ちてあげる。村の皆も道連れだ。
 翌朝、弟は熱湯を使った禊をさせられたあと無抵抗のまま埋められた。最期に「姉ちゃん」と弱々しく呼んだ声が、私の耳の奥にこびりついて、時折、木霊のように鳴った。
 次の日から、村には雨が降り始めた。その雨は、決して強い雨ではなかったが、そのかわりに止むこともなかった。何ヶ月も降り続き、川は溢れ、堤は破れて、村は沈んだ。
 
 村のあった場所には姉弟沼という沼だけが残っている。濃い緑色に濁った沼だが、ほとりには鈴蘭が群生していて、風に吹かれると幽かな音を立てる。「姉ちゃん」そんな風に聴こえる人もいるという。



 シェルター11

 当番なんて嫌いだ。
 そんなことを考えながら、オレは鍵を使って百葉箱の扉を開いた。
 すると、
「わっ!?」
 なにかが飛び出してきて、オレは思わず尻もちをつく。
「どうしたの?」
 同じ当番のナナセが慌てて駆けつけると、彼女は冷静に周囲を見渡し、飛び出したものの正体を教えてくれた。
「トンボだ。昨日の夕立のときに逃げこんだのかな」
 それから彼女は続ける。
「シェルターだしね」
 シェルター? それってあの、核兵器や隕石が落ちてくるときに逃げこむやつ?
「でも、こんなスキマだらけで雨なんて避けられるのかな?」
 百葉箱はちょっとオンボロで、完璧じゃない。
 オレが首をかしげると、七瀬は「ちがうよ」と笑った。バカにした笑い方じゃなくて、先生の笑い方だった。
「百葉箱のことをシェルターっていうの。正確にはインなんとかシェルター」
「そーなんだ? ナナセって物知りだな」
「パ……お父さんが仕事で使ってるんだって」
 それから彼女は湿度と温度を調べて、「行こう」とオレに手を差し伸べてくれる。
 その手を受け取りながら考えたのは、百葉箱のことじゃなく。
 そういえば、ナナセはオレが腰をぬかしたことも、オレがトカゲと呼ばれていることも、嗤ったりしなかったっけ。



 シェルター12

 ビルの合間から覗くハイウェイの橋梁と空。
 振り向けば、古い名を持つ坂の上に夕焼けのホリゾント幕。
 人っ子ひとり遊んでいないのに、よろこびとざわめきが音もなく満ちている裏通り。長く長く伸びたぼくの影。頭上には、無傷の天蓋。
 
 ぼくが神に挑まなきゃいけないなんて誰も思わないから、こんな甘美でささやかなところにぼくを押し込めるんだ。

 《すべての可能な組み合わせを顕現させる情報の氾濫が、おまえを押し潰してしまわぬように》《加速度的に膨張する乱雑さの渦に呑み込まれぬように》

 ぼくは、それすら構わないって言ったのに。



 シェルター13

「カッちゃんあーそーぼー」
「やだよ。今日天気いまいちだしー」
「曇ってるねえ」
「だろ?」
「カッちゃんと遊べるんなら曇り天気もヤブサカではないよ」
「やだよ、今にも晴れそうだもん。ナァちゃん、僕のとこに遊びに来て、ママに叱られないの?」
「うーん、『危ないからムヤミニうろうろしてはだめよ』っては言うね」
「セイロン」
「でもさでもさ、閉じこもってないで、出てきたら気分も変わるんじゃない?」
「むしろシュゾクが変わるね」
「あはは。『そんなことないよ、どんな姿をしていても、カッちゃんはカッちゃんだよ!』」
「なにそれ」
「昨日ドラマでやってた」
「へえ。……ママに叱られない?」
「前に『見つかったらシオなのよ』って泣かれたからママには内緒」
「だよね。チャレンジャーすぎるよ、ナァちゃん」
「そうかなー。カッちゃんもチャレンジャーのダイイッポを踏み出してみる?」
「やだよ。ドラマなんて作りごとだろ?」
「じゃあ、シュゾク交換しようよ」
「えー、乾燥しそうだなー」
「あっ、あっ、雨降ってきた!!」
「よっし。なら、いいか。……よっと、うわ、なんか恥ずかしいなー。はい、ナァちゃん着て」
「ほいほい……っと。見て、見て見て、カッちゃん、オレ、カッコイイ?」
「まるで僕のように格好いいね……あ、ママ」
「うふふ、仲良しさんね、もう。いくら仲が良くたって、二人は結婚できないんだからね、坊や」
「えっ」
「違っ、そっち僕じゃないよ、ママ!」



 シェルター14

 熱くて寝苦しい夜だった。ベッドの上でふと目を覚ますと、外からジリジリと蝉の鳴き声が聴こえてきた。夜にも鳴くことがあるのだなぁと思っていると、その声は段々と強まり、やがて僕の頭の中へと命懸けな羽音をたて飛んできた。頭の奥に、もがくように蝉がとまった。まるで、木の幹にしがみつくように。僕は堪らずに起き上がり、頭を左右に何度も大きく振った。しかし、蝉はそのままずっと頭の中で必死に鳴き続ける。
 あきらめた僕は体を丸め、タオルケットに包まった。タオルケットは、やがて体と一体化し、気がつけば僕は細長い卵に化していた。そして、ふ化した僕は敷き布団の深いところまで潜りこみ、幼いころ寝る前に母に読んでもらった童話のお話を回想したり、庭に咲いている桃色のキンギョソウの花を想いながら甘い夢を見続けた。そして、ようやく眠りから覚める。気がつけば庭の樹木に僕は登り始めていた。羽化の準備であった。
 でも、僕は。僕は、別に大人になんてなりたいとは思わない。布団の中で、ずっと夢の続きを見ていたいだけ。ただ、それだけを願う。
 死ぬために生まれるようなそんな世界はもう、人間の時に十分に味わっただろう。
 蝉が、そうやって今も僕の頭の中で呻き続けるんだ。



 シェルター15

「ママ、僕はね、あのテントウムシのがいい!」
 息子の塩斗が、妻にねだるように赤いシェルターを指さす。
「じゃあ、海妙ちゃんはどれがいい?」
「しーたはね、あの貝のがいい!」
 海妙が指さしたのは、その隣の白いシェルターだった。
 俺達家族は今、ホームセンターに来ている。原発周辺の住民には、国の援助で避難用シェルターが無料で提供されることになったからだ。シェルターには、放射性物質が降り注いでも四人家族が一週間暮らせる機能が付いている。
「えー、貝の形なんて嫌だよ」
 塩斗が口を尖らせると、海妙も負けじと反論した。
「そるとにいちゃんのいじわる。しーたはぜったい、貝がいいんだから」
「海妙はなんでもかんでも貝じゃないか。ここは僕に選ばせてよ」
「貝、貝、貝、貝! 貝じゃなきゃぜったいいやっ!」
 すると困った妻が、海妙をなだめるように口を開いた。
「海妙ちゃんは本当に貝が好きなのね。じゃあ、今度生まれてくる弟の名前に貝を付けてあげるから、今回はお兄ちゃんのテントウムシで我慢して?」
 貝太。
 妻が考えているのは、きっとまたそんな名前に違いない。



 シェルター16

 小さな思い出が私から離れて独り歩きを始めたので、これはいけない、と虫取り網で追いかける。網を振り回してもひょいひょいと部屋の中を駆け回る思い出。1DKのこんな狭い部屋で虫取り網というのがそもそも巧く扱えない。ハエ叩きならちょうど良さそうだけれど持ってないし、殺虫スプレーなんか吹きかけても動きを止めてくれそうにない。思い出はとことことキッチンへ行く。追いかけたけれど、既にそこに姿は見えない。
「うーあー」
 要するに若気の至り的な恥ずかしいことこの上ない思い出なので、生きてこの部屋から出すわけにはいかないのだ。幸い今日は土曜日。今日明日くらいなら玄関のドアを開けなくても過ごすことはできるだろう。窓は、網戸にしておけばとりあえず大丈夫かな。思い出を見たことで焦ってしまったけれど、冷静になればなにか良い対処法を思いつくかもしれない。コップを取り、牛乳を飲もうと冷蔵庫を開けると、
「あ!」
 どこにいたのか、駆けてきた思い出は開けた冷蔵庫に入り込んで6つ並んだ卵のうちの1つにするりと潜る。捕まえた捕まえた。本当は殺したいわけでもないので卵ごと冷凍庫に放り込む。そのまましばらく眠っていなさい。



 シェルター17

 いざという時にリアルタイムでデータを発信して、避難の目安にしてもらう。
 そんな動機で原発との中間点の山林に別荘を兼ねて作った観測小屋は、次第に充実し、今や有人でないと運用できない機器すらある。自然の中で悠々自適、それでも社会に役立っているという満足感。これが私の第二の人生だ。
 設置からウン十年。
 不幸にして、その日がとうとうやって来た。放射能値は緊急避難水準を超えている。
 続々と人が集まってくる。この小屋は放射能対策も停電対策も万全なのだ。
 だが、全員を入れるには、装置類が邪魔だ。測定を諦めて目の前の十人を助けるか、データ発信を優先するか。
 年老いた私に答えは出せない。

 その時、「此処を買い取らせてください」という声がした。
 小屋を買う? それも
「この緊急時に?」
「別に緊急ではありませんよ」
 改めて外を見れば、近隣の人と思ったのは間違いで、皆、妙な恰好をしている。
「小さい星のくせに大気も磁場もあって、最高の宇宙線シェルターだ」
 呟きが聞こえて、私はようやく異常な放射能値に思い至った。中空には変な物体が浮いている。
 彼らが買い取りたいと言っているのは……。



 シェルター18

 はいはいアタクシがそのそれ、そう、それでございやす。いやいやいやいや、職人なんてガラじゃあございませんがね、え、ナニナニ、こんな軽薄そうなやつが、そうなのか、と仰られますか、ええ、否定はしませんよどちらに関しましても。こんなでも腕は確か、お客様のご希望に沿うものをお作りいたしますそれが真心。どんな危険も侵入できないようにしてほしいということでしたので、こうね、こじゃれた会話をしているうちにたちまちお客様をがっちりガード、すごいでございましょう囲みますよ囲いますよ丈夫に丈夫に隙間なく隙間なーく、びたあーとね。出たくなったらお呼びくださればアタクシが開けますから、お気軽にどうぞなんつって、まあ、しばらく世の中の不幸や危険から逃れられるんですから、出てきたときにはそいつらにこぞって襲いかかられっちゃうかもしれませんやねナーンテ冗談ですよハッハ、はい、びたあーと閉じましたのでこれにて終了、ではでは毎度ありですイヤー今日も返事がない。便りのないのは元気な証拠、何より何より。  さあー、いらっしゃいませいらっしゃいませえ、早いよ安いよ硬いよおー。十年前と変わらぬお値段ですよおー。



 シェルター19

 ツアーのスケジュールが発表されて、道内は旭川CASINO DRIVE、北見夕焼けまつり(オニオンホールじゃない!)、帯広MEGA STONEに札幌COLONYと、なぜか精力的に回るらしい。この春からローカルラジオでレギュラ持ったからだと思うけど、真偽は定かじゃない。わかっているのはワタシがバイトも学校もサボって、4ヵ所全部回ること。函館とか稚内とか無くて助かるよ。まったく。財布的にも体力的にも。フェスも無いし。
 ツアーファイナルは、いつもの下北沢にあるライヴハウス。都内なら、もっと大きな有名どこでできるぐらい、インディーズシーンではメジャなバンドのハズなのに。
 ワタシはそのライヴハウスに行ったことが無い。そもそも、東京には一度しか行ったことなくて、覚えてるのは、ただただ人が腐るほどいたってだけ。ライヴハウスと同じくらい密集してるのに、ただただ人。
 でも。
 でも、その下北のライヴハウスはきっと違う。賢しい誰かが「そんなの妄想だよ」って諭してくれるけど、「違う」と叫ぶ。だって、ワタシの大好きなバンドが根城にしてるライヴハウスだよ。下北だよ。行ったことないけど、そんなわけないじゃんね。



 シェルター20

「して」って甘く囁いてみたら、この人はどんな顔をするだろう。朝で寝不足で満員電車でスカートのおしりを撫でてくる痴漢の変態の、神よ、どうして見た目が好みなのだろう。
 好意を持ってしまうのが、わたしは恐い。愛情が生れたら、また痛い目に遭う。だから生まれたての愛の雛は、用心の針で刺し殺されることになっている。手遅れになる前に。それの何が悪い。合理的じゃないか生きていくのに。かわいさだけが取り柄の女が、せっせと磨いてやっとモノにした彼氏を、横から現れた金持ちで母親も美人の女に奪われたんだ。傷つきたくないと思っていて、傷ついてしまったあたしの喉に閊えたままの、世界、くそったれ。
 腰をすべり台に遊ぶ男に、情欲が沸騰するのを意識したくなくて窓の外、シンジュクのビルが切取った多角形の青空が、青空は、お構いなしに綺麗で、負けまいと睨みつける。わたしの右腕が伸びて、男のツイードの股間の奥を捻る。誰かを心から好きになりたい。でも今は生柔らかいペニスと欲望に歪んだ顔のそばにいる。胸に噴きあがる男への軽蔑で、魂の甘えを塗装していく。シェルター。大きな悲しみを逃れるための、一番小さな不幸だった。



 シェルター21

 産まれてから一度として、この外へ出たことはない。
 内壁を、そっと撫でる。あなたの頬を撫でる。