500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第150回:夢の樹


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 夢の樹1

アンドロイドが夢を見る。胎児より深い覚醒を目指して。十のセフィラは《ベルメール》。柩の少女。球体天使。腐敗を拒んだ血が水晶になる。九のセフィラは《ボルヘス》。銀色の砂。月光廃墟。言葉が生まれる前の香り。八のセフィラは《ロートレアモン》。水銀の蛆。解剖狂気。両性具有者はオパールの涙を流す。七のセフィラは《デルヴォー》。女神の骨。薔薇臓器。愛で熟れた皮膚を剥がす影。六のセフィラは《ランボー》。太陽の酒。永遠溟海。不死鳥の羽音が黄金を彩る。五のセフィラは《エルンスト》。鉄の脈動。天空連鎖。修道会に隠された高次元の幻覚。四のセフィラは《ノヴァーリス》。錫の王宮。現象庭園。一角獣がサファイアの花弁を破る。三のセフィラは《リラダン》。電気の夢。子宮機械。試験管の海で母が溺死を繰り返す。二のセフィラは《ブルトン》。魔術の灰。痙攣白痴。溶ける精神は死と希望の接続。一のセフィラは《エス》。他者の私。生誕願望。胸にダイヤモンドの剣を貫く。【私は貴方を殺した。】【「私は『私が愛した』貴方を殺し」た。】【「私は『私が愛した貴方を{憎んだ彼を}愛した』貴方を殺し」た。】夢の樹の下には優美な死骸が埋まっている。



 夢の樹2

「10、9、8、7……」
コトン、コトン、と音がする。
それが降りてゆく自分の足音だと気づいたころ、ひらけた場所に出る。
原っぱの真ん中に大きな切り株がひとつ。見覚えがある、ような気がする。きっとこれはとても不思議なもので、たとえば、覗き込むと鏡のようにわたしの未来を映す、のかもしれない。期待しながら切り株の縁に手をついて覗いてみれば、けれどそこにあるのはあたりまえの年輪。よく知った乾いた手触り。
ひさしぶりだね、と切り株の傍らに立つ男の子が言う。彼はいつもそう言うのだ。
…いつも? ここではすべてに見覚えがあって、でも。
「三つ数えると目が覚めます。1、2、3。はい。」
目を開けると、カウンセリングルームのベッドの上。ヒプノセラピストの、どんなものが思い浮かびましたかという質問を適当にごまかし、まあリラックスできたんで眠れるようにはなりそうですと答える。
夢の底にあったのが一本の樹だなんて、あまりにありふれていてなんだか気恥ずかしい。ひとには言えない。とりあえず、まもなく眠れるようになるだろう。切り株の脇にひこばえが芽吹いているのは確認したから。



 夢の樹3

 大国主神が各地の地主神を呼んで、日頃の労いをすることになった。
「皆の者、日々の平穏への尽力、ご苦労である。褒美として願い事を一人一つ叶えて使わす」
 ざわつく地主神たち。ここぞとばかり願い事を考え始めた。
「ただし、条件がある」
 場は一瞬で静寂に包まれる。
「三人の願いが一致した場合のみ、叶えることとしたい」
 流石の大国主神といえども、一人一人の願いを聞いてはいられない。
 すると老人、若者、女性の三人組が手を挙げた。
「わしら、名前の漢字の『木』を『樹』に変えて欲しいんじゃ」
「それはなぜだ?」
「だって『木』より『樹』の方がお洒落じゃん」
「例えば『夏木』よりも『夏樹』の方が味があるわ」
「『樹』に変えてもらうのが、昔からの夢だったんじゃ」
 大国主神は少し考えた後、首を大きく縦に振った。
「わかった。ではお前たちの名前を言ってみよ」
「俺、六本木」
「私は乃木坂よ」
「わしは木更津じゃ」



 夢の樹4

 僕は長虫蛇取りに山に入った。気がつくと、帰り道がわからない。沢に下りると三等兵がいた。先の大戦の強化兵だ。身体の半分以上が機械だ。色の褪せた軍服を着ている。無数の紋黒蝶が、彼に群がっている。その蝶たちに敬礼をしている。直立不動。僕が近寄って行くと、獲物は逃げてしまった。「ぼうず、どうじで、ごんなどころに、ぎたんだ?」言葉に濁点がついている。道に迷ったという話をした。夢木村まで連れて帰ってくれるという。子どもたちは、いつも三等兵を馬鹿にしている。石を投げたこともある。悪いなと思った。途中で太郎桃の実をくれた。喉の渇きがおさまった。長雨で山崩れの場所に出た。「ごごは八目鰻人が、あぶない。ぎをつけろ」敵国が送り込んだ生物兵器だ。人血を吸う。斜面の土が動いた。土中から八つの眼がこっちを見ている。三等兵は桃を投げた。八目たちが摘まみ上げた。目を細めている。うまそうに食っている。「逃げろ」三等兵が叫んだ。手を引っ張られた。飛ぶように走った。「ごごからは、わがるだろ?」いつのまにか、村はずれの葛橋のたもとにいた。一番星が光った。三等兵がやさしく笑った。両手をばたばた動かした。



 夢の樹5

 一般的には、チェレンコフ光のように鮮やかな青い花で知られているが、その青さは、セシウム137の半減期が長いため、他の放射性同位体より吸収される割合が高いことに起因する。
 たとえば、温泉地ぐらいでしか目にできないラドン222に起因する赤茶の実から、椰子酒と同様の手法で作られる甘みの強い酒は、湯に浸かりながら呑むと善く眠れる。



 夢の樹6

愛は宇宙、あらゆる物事、全てである。喜び、悦び、慶び。愛は旅に出た。無限、或いは一なるものは、自分を知らない。自分を知りたい。この愛の唯一の欲求、が旅の目的である。そう、嫁いえ、夢こそ愛の旅である。そして私達は、いのちは愛の夢である。

あいうたう
たびのゆめにと
つむぎゆく
むつむよろこび
とわにいのりて

私達の錯覚、盲点は知らないと思うこと。探求こそいのちの目的である。旅は楽しい。新たなる、こそ愛の喜びであり、慰安でもある。メタファーなる樹は、愛の夢であり、私達なのだ。
対なる哀しみが風を呼ぶ。



 夢の樹7

野仏の足下にボタッと、蝉が落ちた。ぼくは一瞬心がまっしろになった。ジ、ワワワとまた蝉の声が耳朶を震わせて、ああここは山の中で自分は登山をしていたのだった、と我に返った。もう夏も終わりなのだ。蝉の死骸は、そのまま土にかえる。ぼくはその蝉と、いやかつて蝉だったものと同化した想像をする。そのまま地中に溶け、細かくなり水と一緒に根に吸われて堅いセルロースの管を上昇していって、葉に至って空と邂逅する。
 眼が生まれるまで、我々は世界をどうやって見ていたのだろう。皮膚が、皮膚の一部が光熱を感知していたとテレビ番組で言ってたが、ならば五感というのは何故生まれ、何をぼくらは覚知したがったのかと、またいやな好奇心が湧いてきた。
 野仏は風雨に削られて、どんな顔でぼくを見ているのか見当がつかない。雨が降りそうなので、先を急ぐ。



 夢の樹8

逆光を切り抜いて三本の樹の影絵が稜線に並んでいる。「丘を越えれば夢の樹の森です」
ゆっくりと登るあいだも風景は昼と夜に瞬く。時間感覚が三万倍速に加速されているから。
「こんな…まばらな。これで森とは」
「夢みる者は多様ですから。認知の媒体が重なっていなければ、あなたの知覚には接しない。私の種族は77の感官を持ちそれに応じた表出能も持っています。だからこそ夢の樹の森の管理ができるのですが」
「あの下生えや灌木たちも夢ですか」
一瞬の雨。たちまち濡れて乾く。
「言語以前の知的生命たちです。言語を獲得していなければ、記憶を系列化できませんから夢の広がりも限定されます」
眺め渡すうち、色とは知らなかった色の、かたちとは知らなかったかたちの、しかし同じ種類とはわかる樹々がみるみる成長してゆく。弾けているのは花か。
「うわ壮観ですね」
「言語と遭遇したのですな。どこかの種族が」
「いっせいにですか」
「あなた方だってそうだったでしょう。憶えていませんか」
「いえ」
「言語はみずからの意志で訪れるのです。今もすぐそばにいますよ。野生の言語がほら」
管理者は指ではないもので方角でないものを差し、私は、頭は前を向いたまま振り返った。
私のなかの私の母語が吼えた。
敵意かと思ったが挨拶だったかもしれない。



 夢の樹9

 やけに大きく見えたのは、私が小さいせいだろうか。
 言葉を茶化してもしょうのないことと思うけれど、弄んでしまうのは知を得たつもりの者の傲りかもしんない。すなわち人心的客引きに腐心なんである。なんとも、なんとも甘いこと。
 やけに大きく見えた彼はなぜか私自身かもしれんと思えるが、それは真であっても全てではないようだ。
 すっかり枯れたふうな彼は、揺する葉すら少ない枝ぶり。
 実らぬ夢がこの体を豊かにするのだと彼がいう言葉の端は、寂しいようでもある。
 満ち足りたつもりの世界は、安らかで虚しい。なにもかもを求めるのは過ぎた願いと、人々は丸く丸くなることを選択したのだ。
 ただ、私はそれを選べない。言葉を弄って、誰かの慰めになったり傷となったりしたい気持ちが捨てられん。そう自覚するほど、おや、彼の枝先の芽が膨らむように見えて。



 夢の樹10

 さっきからガタガタと妙に揺れやがる。小さなお堂だからな。目張りの隙間から入ってくる山風から陽の匂いが消えて久しいってのに、俺はまだ寝付けないでいた。外は見えない。だからこそ余計に外の印象が強く迫り来る。そりゃ不安にもなるさ。だって小さな頃はお盆にはお山に入っちゃいけないって言われてたんだぜ……こんな守り番とかい決まり事だってさっき初めて聞いたしさ。どうりで帰省するかしつこく確認してたわけだ。
 
 ガクンと体が落ちる感覚と共に私は目覚めた……目覚めた? 寝てしまっていた?
 不意に、視界の端が光で切り裂かれ、外された板の向こうから叔父が笑顔で顔を出した。
「よう。枝にぶら下がったか?」
 そう言われてようやく、さっきまで自分が見ていたシーンを思い出す。
「あ、ぶら下がってた」
「枝の根元に瘤があったろ」
「うん……なんか、親父の顔に似ていた気がする」
「お、良かったな。お前の兄貴は三年かかったんだぜ」
 そういえば隣の枝にあった瘤は兄貴に似ていたような気がする……その時は懐かしさの方が大きくて気付けなかったんだ。あの樹が、何を教えてくれるものなのかってことには。



 夢の樹11

 そのよくわからない一本の樹には、もみじや朝顔やタンポポ、松みたいな葉っぱがごっちゃに茂る。春夏秋冬問わず。それで、花をつける。桜やひまわりやチューリップ、すずらんみたいな花を入り乱れさせ朝昼晩問わず咲かす。そうして、りんごや枇杷や桃、マンゴーに見える実をつける。りんごだと思っていたらだんだん縞模様が現れてスイカになったりする。だいたい熟すとカラスにパチンとやられて割れて消えてしまうけれど、タイミング良くもいで食べると、何が何やら、抹茶味だったりナポリタン味だったりお味噌汁の香りだったり、かき氷の冷たさだったりする。その年の天候に因らず、どれもわりあいおいしいけれど、果実の種はどれを植えても、なぜだかかならずスイートピーが育つ。



 夢の樹12

 一本の大樹がある。大樹と呼ぶに相応しいその樹は、ある言霊から生まれた。
 一人の男が遺したその言霊は、幾千にも響くこだまとなった。木霊。木霊は寄り集まって一本の苗木を生んだ。苗木の植わった地は身の竦むような荒野であったが、苗木は負けずに根を張った。厳しい寒波にも、容赦のない旱魃にも堪え、言霊の樹は枝を伸ばした。言の葉を茂らせ、言の花を咲かせ、言の実をつけた。黒い実も白い実も黄色い実もある。茶色い実もある。割れば中はみな同じで、一様に青い味がする。それは大いなる恵みとなった。
 だがその恵みを望まない者もある。樹を燃やそうと企む者もある。寄生し、養分を奪おうと目論む者もある。全く異なる樹を拵えて脅かそうとする者もある。勿論、護ろうとする者もある。
 私もまた護る者の一人である。護り、その種を蒔く。そして、ささやかなりとも私は私の言の葉を茂らせる。言の花を咲かせ、言の実をつける。
 私は信じる。樹が決して枯れないことを。いつの日かこの地がその実りで満たされることを。私は夢みる。
 言霊を遺したその主の名が、大樹の根に今も記されている。
 主の名はキング。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア。



 夢の樹13

「あれってどうしてそう言うんだっけ?」
「何が?」
パパは応えるけど眼を合わせない。いつものことだ。
「前に教えてくれたよ?」
「…それママじゃないかな?」
ママはいない。ずっと前から。でもこれは言っちゃいけないことなんだ。
「明日先生に訊いてみる。」
「それがいい。」

「少し長くなるから放課後、カウンセリングルームで説明します。21で。」
真っ直ぐに眼を見て先生は言った。マニュアル通りだ。

西廊下の端にC21はある。行ってみると他にもいた。

「処置は完了ゥでェス。」
執行者の奇妙な抑揚にはもう慣れた。
「お疲れ様でした。」
「今回はク戦しマしタ。」
「大変でしたね。」
「仕事でェスかラ。」
「その…2度目だからでしょうか?」
「はイ、そレにアの生徒は母ァ親が。」
「3度でしたね。」
「えエ、だかラ次ィはもウ…。」
「そうならない様に努力します。」
「たァい変ですネ。」
「仕事ですから。」

執行者が去った後、ブラインドを開けた。窓の外は赤灰色の空が低く続く下に枯れ果てた大地が横たわっている…筈だ。なのにあってはならない色、青々した葉を豪華に纏った巨木が優雅に梢を揺らしている。
あの樹が視えてはいけない…いや、視える事が知られては…。



 夢の樹14

 小さな幸せを大事にする、ということは、溶けかけの飴玉を舌の上で転がし続けることなのです。昔母に教えられたまま、そうやって生きてきたのに、いま圧倒的な量と質の幸せを目の前にして、私の足はすくんでしまっています。あなたが次から次へと繰り出す幸せを、昔の歌にあった昆虫のようにしがみついて刷毛の舌で嘗め回す私です。あなたは私がしたかったことを、すべてかなえてくれます。私はあなたの子供を来月産みます。あとは家がほしいのですが、あなたには死んでいただいて、そこから得るお金で家を建てさせていただきます。ありがとうございます。きっと立派な家になりますし、家壁にはあなたの骨も混ぜるつもりです。あなたを思いながらその壁にもたれて頬を冷やすことも、ときには舌を這わせる夜も、きっとあると思います。



 夢の樹15

 憧れを形にできるのはごく一部の限られた人だけの特別な技能で、その他大勢はただぼんやりと憧れを思い浮かべ、けれどそれを成すために人生にどんな剪定鋏を入れればいいのか全く分からないまま生きる。そして成すことができないまま死ぬ。
 技能保持者はその他大勢から妬まれないため、憧れを形にできることを秘匿している。その他大勢の中にはそれを幸いと、この技能を騙る者があり、彼らは「夢」という言葉を掲げて憧れもどきを金銭と引き換えに与える。夢を求める人は多く、与えられた夢を自分のものと思い込み、邁進し、けれどそれはあくまで「もどき」なのでその人は憧れを形にできないまま死ぬ。
 その他大勢は生きて、死ぬ。けれど技能保持者も生きて、死ぬ。その点では等しい。



 夢の樹16

 あなたがその樹に夢見られているとき、枝という枝の先すべてにあなたが灯る。すべての時の突端に立ち、世界に対して露わになる。
 時は、目に見えない速さで膨らむ。樹は世界をまるごと飲み込みながら、しずかに育っていく。すべてのあなたが、一つの眠りを眠る。