風えらび1
《漫画家Kさん、出版社ビルから飛び降り》
報道から三日後。事件現場となった自社の屋上で、俺は先輩のグチに付き合っていた。
「ったく。俺が契約解除を告げたからって当てつけかよ」
普段は徹夜明けでも整っている先輩の髪が、今日は乱れている。
自殺したK氏はいわゆる天才肌だった。独創的なネームでヒットを連発。口癖は「いい風が来てる」。熟練サーファーが波を読むように、流行の風を選んでいたのだろう。だが、一度歯車が狂いだすと打ち切りの嵐。博打好きなのも災いして家庭崩壊、そして――。
「あの野郎、この煙草みたいに煙に化けちまいやがって」
悪態をつくが、K氏の訃報で人目も憚らず号泣したのは先輩だ。先輩は彼が新人の頃からの担当で、戦友だった。
「当日も守衛に例の口癖を言ってKは……」
顔を歪めた先輩が新しい煙草を抜く。俺は無言でジッポの火を近づけた。
その時――。
一陣の風が、煙草を掠った。
真新しい煙草が、ビルの下に消えていく。
「けっ、もう消費されるのはこりごりか」
先輩が苦笑した。煙草の箱がグシャリと手で潰される。
「……バカ野郎が」
絞り出すような声だった。
屋上からは、すでに紫煙も匂いもかき消えていた。
風えらび2
それはずっと昔、幼い頃に読んだ物語。主人公は当時の私と同じぐらいの年格好で、風子という名をもっていた。風つかいの力をもつ風子は、ある寂れた村へやってきて新風を通わせて淀んだ村を救い、また風に乗って旅立つ、そんな話だった。
彼女の名前には「ふうこ」とルビが振ってあったが、私はその音と文字とが颯爽とした彼女に似つかわしくない気がして、勝手に「かぜ」と呼んでいた。「かぜ」はそれこそ風の吹くまま気の向くままに、あちらの町へこちらの町へと旅を繰り返す。だったら私の住むこの町にやってきてもいいんじゃないの? 来てよ。妄想力逞しい子どもだった私は、長い岬の突端に座り込み、潮の匂いのする強い風にまかれながら、「かぜ」が目の前に立つ姿を想像して日々を過ごした。妄想のなかで私は「かぜ」と親友だった。「かぜ」は私の考えることすべてに同意し、この淀んだ町を私の思いどおりに変えてくれた。
すでに私は夢見る時期を過ぎ、風子が現実に存在しないことを知っている。時折、過ぎる風のなかに風子を探すが、風が去ったあとに風子はいない。私は自分の足で向かい風に逆らって道を蹴り、ひとり歩き続けている。
風えらび3
「もうそんな季節なのね」「早いねえ」
などと呑気な言葉を交わす嫗たちに、しかし笑顔はない。村の一年が、これからの期間で決まってしまうからだ。
はじめに吹く風、疾風――とかぜ、と読む――はすでに、村のはずれにある小屋に封じられている。数日後の朝、経験豊かな男たちが小屋を訪れることになっている。彼らは疾風を分類する。聞くところでは、風の種類には亥風、露風、羽風、弐風、穂風、経風、稚風、狸風、奴風、遠風、環風、禍風、輿風、陀風などがあるという。
導かれた風の種類を踏まえて、村人たちはその後の一年に備える。この作業に失敗してしまうと、村の一年は悲惨になる。作物が育たぬ、病が流行る、人心が乱れる、すべての出口が塞がっていく。
そういうわけで、この時期の村はある種の緊張をたたえているが、その理由は村の行く末ばかりにあるのではない。
択ぶ男たちを除いて、小屋の中で何が行われているのか知る者はいない。ただ、その夜じゅう甲高い音が響き続け、眠ることすらできないのだという。村人にその音について訊いても、口を噤むばかりだ。ひどく後ろめたい表情をしていると、私は感じる。
風えらび4
いつもアトゥイからのレラが、マタとカパチリどもを招く。レラは自ら流れず、マタはシリエトクをレタルにし、アトゥイをコンルで埋め尽くす。マタの間、カパチリどもは俺たちの邪魔をする。アイヌの連中は、カパチリどもを「カムイ」と呼ぶが、奴らはカムイチカプと同列ではない。
カパチリどもが姿を見せはじめたから、まもなくマタになる。奴らはマタを超えるためだけにオホタからやってくるけれど、シリエトクは俺たちポンチカプのチセだ。そう思うも束の間、ヌマンのアンチカラはウパシだった。
レラがチュッポクから吹いたので、俺はフプを飛び立つ。カパチリより高く、カパチリより速く、カパチリより遠く。
見えた。レタルの中のクンネ。チロンヌプだ!
レラが俺を導く。カパチリどもじゃなく、俺をチロンヌプへ導く。シリエトクのカムイよ。ここはポンチカプのチセだ。
風えらび5
きょうはだめじゃ。きょうもだめじゃ。
ススキの綿毛が飛んでいく。耳に入るからだめじゃ。
きょうはだめじゃ。きょうもだめじゃ。
蜘蛛の子が飛んでいく。糸が絡みつくからだめじゃ。
きた。きた。きた。たま風がきた。迎えがきた。
おうおう、死んだ爺さまが吹かせてくれたわいな。
わしが死んで三月も経つが誰も気づいてくれんので。
ひとり寂しく干からびておったので。
やっと吹かれていけるわなぁ。
落ち葉と。風花と。
風えらび6
ーーなる様にしかならない。
ずっとそう思ってた。
まあ実際そうだったし、ずっと風まかせ。
ーーそろそろ自分で選んでみるかな。
なんてことを考えはじめた。
そろそろ終わりが見えて来たから。
多分あの辺りがそう。
始まりはもうどっちの方だったかもわからないけど。
どれにしよう。
ーーああ、あの色がいい。
風えらび7
あーあ、俺の人生は本当に風任せだな。
俺の両親は良い風を器用に選び、名誉も金も手に入れ幸せな人生だったと言い亡くなった。その後、俺は暫く引き籠りになった。お手伝いさんが常駐していたため困る事もなかったが、ある日、役所から書類が届いた。
引き籠り5年目になりました。風を選ぶ選択をしますか?というものだった。そろそろこの生活にも飽きてきたし、俺は「はい」に丸を付け送り返した。
暫く経って、日時が記された通知が届いた。その日に役所に行くと、若い男性がにこやかに挨拶してきた。俺はその人に付いて10分程歩いた。目の前にはAとBの扉があった。ゴーゴーと音がする。
「それでは、どちらかを選び、飛び込んで下さい。新しい世界が待っていますよ」
俺は考えに考えて走り始め、Aの扉へダイブした。
「次回は7年後です。それまでその世界で頑張って下さいね」と、声が遠くに聞こえた。
風えらび8
同居人がカップ焼きそばを買って帰ってきたので、私はアマゾンで買った本を急いで出してきました。
「その本は?」
「ほら、以前『もし文豪たちが カップ焼きそばの作り方を書いたら』本が出たでしょ?それの、超短編作家版だよ」
「なんだって?」
同居人はお湯をカップに入れながら、「読んで〜」とせがんできました。
「空虹桜風でいく〜?」
「いやいや、空虹風はエモすぎだから別ので」
「脳内亭風は?」
「テクニカルすぎる」
「雪雪風は?」
「造詣が深すぎる」
「なぎさひふみ風は?」
「詩情が豊かすぎる」
「森野照葉風は?」
「毒舌すぎる」
「海音寺ジョー風は?」
「誤字が多すぎる」
「千百十一風は?」
「選択肢が多すぎるよ!」
すでにそばは伸びきっています。
風えらび9
『本日、千葉方面20%OFF』
我が社のホームページを表示したスマホを、同僚が俺に向けた。
「今日も千葉方面かよ。なめろうはもう飽きた」
「しょうがないだろ。西高東低の気圧配置が続いてるんだから」
同僚になだめられながら、俺はトラックのハンドルを握る。これから房総半島へ向かうのだ。
「ちわー、格安宅配です。ドローンの回収に来ました」
訪問した配達先の反応は様々だ。
「大手のドローンは自分で帰るぞ」(すいません、貧乏会社なもので)
「あれ? もう回収して行ったよ」(ここにあるの、GPSで分かるんですが)
「君達が配達した方が効率的だよね」(自分達もそう思います)
「あー、全く俺達って毎日毎日何やってんだろ?」
お客に文句を言われ続ける毎日。本当に嫌になってくる。
「まあ、腐るなって。もう少ししたら春一番が吹くぜ。あの日は50%OFFだからな」
「春一番か。宇都宮餃子が食えるな」
「だろ? 俺はおっきりこみが好きだけど」
ご当地グルメを楽しみに、今日も俺達は雲を追いかけている。
風えらび10
風間くんが手をあげるのを見て、わたしの胸はたいへんざわめいた。
風間くんはその腕も、指もすらりと長い。バスケの時、パスカットやブロックショットを次々に決めていたのをおぼえている。もしも風間くんをモデルに仏像を彫ったなら、さぞやすばらしい千手観音像ができあがるにちがいない。
「先生、ドン・キホーテはどうでしょう」と風間くんが言う。
風間くんには、風車の役こそがふさわしい。絶対に主役でなければ、だなんて愚かなこと、わたしは考えない。大事なのは適材適所。風間くんが腕をぶん回せばドン・キホーテなど、近づくことすらかなわない。
ピート・タウンゼンドさながらに腕をぐるぐる回す風間くんを想像しながら、考える。この胸のざわめきに気づいたのは、いつからだったろうか。
はじめはそよ風のようだった。それはやがてつむじ風のようになり、しまいにはハリケーンとなった。わたしの胸を襲うこの激しい風の病を、いったい如何にすればよいものか。答えはただ風の中に舞っている。
「では、他に意見のある人。はい、風祭くん」
なにしろ、風祭くんのその立ちあがる背中を見ても、わたしの胸はたいへんざわめいてしまうのだ。
風えらび11
大陸の端にある村には強い風が吹く。
村で唯一の農作物はたわわに実る小麦。農家には必ず風車が一基、備えられている。
風車がよく回るかは、その家の娘の器量による。
一際強い西風の神の息子たちは面食いなのだ。軽薄な笑い声を伴って村中を吹き荒れ、特に気に入った娘のいる家の風車を戯れによく回す。彼らが好むのは棒きれのような肢体に細く長い金色の髪、まん丸な緑色の目。
だから、アンヌの家の風車はそれほど回らない。
どうしてもっと器量よしに生んでくれなかったの、と両親を問い詰めてもなんの意味もないことはもうわかっている。
来る日も来る日も足りない風を補うためにアンヌは風車を回す。掌の皮膚は厚くなり、肩はがっちりと肉付き、より一層神に好まれる娘からは遠ざかる。しかし、それでもいいのだ。神の風が回しても、アンヌの腕が回しても、麦は挽けて、粉になり、パンになる。
やがて大きな雷が落ちて、人と神は仲違いした。
神の息子たちはとんと村を訪れなくなり、風はやんだ。村人は嘆き、悲しみ、大量の収穫を前に途方に暮れた。
アンヌの家の風車だけが今日も変わらず回っている。
風えらび12
あなたを犯罪者にするわけにはいかないから風葬は諦めて、生身のままでアサギマダラに弟子入りします。島へ帰るの。国防の要所となって、渡る術が失われた島へ。師匠がふわり上空で待っている岬の天辺。タイミングを計って踏み出す。
風えらび13
真は空なり、風は色、たとえ死があろうとも、生は万になる。移り、映るは、愛なり。風が往く。哀しさと悲しさが響き、歓びと喜びに舞う。宇宙の記憶に、時を重ねて、その螺旋になった夢を追う。わたしがあった。わたしを忘れて私になったのだ。始めも終わりも無く、永遠の祈りに、ただ泣いた。
うつくしく
かなしきゆめの
あとさきに
あわいあいのね
かぜにむかいて
あなた、私夢を見たの。おはよう。何故か、悲しくも嬉しかった。俺は夢にいたか。あー、そうね。でも私を呼んでいたわ。俺も夢を見たよ。風の中にお前が、色々な夢を描いていたよ。俺は風になって、お前を追いかけていたよ。遠く近くにお前がいて、ただ呼んでいたよ。そうか、ありがとう。コーヒーでも飲もうか。
風えらび14
夕暮れの陽の中、色とりどりの綿飴が並んでいる。黄、緑、紫……それこそ、無数に。僕はしばしあっけに取られた。お祭りってすごいなあ。感心しながら、僕は青色の綿飴を手に取った。でもお母さんが「青はやめなさい」と言う。どうして? 「青の綿飴は冷たい風で出来てるの。食べると体を悪くしてしまうわ」じゃあ赤色は? 「赤の綿飴は血の混じった風で出来てるの。食べると誰かに暴力を振るってしまうわ」そうやってお母さんは次々に綿飴を否定していった。店のおじさんは何も言わないでただぼうっと空を見つめている。じゃあ白色は? 「白の綿飴は澄み切った風で出来てるの。食べると同じ風になってしまうわ」やがて夕焼けが闇に消えてゆく。
風えらび15
「ここだ」
十五になったのだからと父に連れられた場所は、表札が山となった谷底だった。
一つを手に取ると、躍るような文字で「風」と一文字。足元の板にも「風」。か細い書体だった。
「ウチの表札?」
「そうだ。村に来る風の表札でもある。ウチで見た表札を探せ」
父は山に登りながら探し始めた。
「そういえば泥跳ねして汚れてた!」
「そういう印は一切残らない。表札は風の精の冬服になって消えて、ここに脱ぎ捨て夏服に衣替えするらしい」
探すしかないのかとげっそりすると同時に、年の半分は旅に出ている父の仕事が分かって嬉しかった。
「間違えるなよ」
いくつかえらんだ手を止める。
「村に例年と違う風が来ると大変なことになることがある。よそ様の村にも迷惑をかけてしまう」
手にした表札を捨てた。数年前の台風禍が脳裏によみがえり、怯んだ。
「ここは風の巣。強風もそよ風も、湿った風も乾燥した風もここから旅に出て、ここに帰る」
「幸せの風もあるかな?」
背中越しに語っていた父が振り向いた。僅かに驚いたようだが、またいつもの寂しそうな表情に戻った。
「あるかもな。……だが、ウチの村の風を探すんだ」
黙って頷いた。
「そうだ。それが仕事だ」
えらばず、探す。