ツナ缶1
3個388円のツナ缶を残して君は出ていっちゃった。
僕は缶を開ける。君が教えてくれたツナ入り玉子焼きをチョチョイと作った。なんだよ。君が作らなくても、うまいし。
次の朝。僕は缶を開ける。君が作ってくれてたツナトーストをチャチャッと作った。なんだよ。一人分じゃ、具がてんこ盛りすぎんだよ。
3日目の夜。
この缶を開ける音を聞きつけて君がまっしぐらに帰ってくるかも、って思っちゃったから、もうこの缶は開けられない。
ツナ缶2
『恋は渚のシーキチン、恋は渚のシーキチン、恋は渚のシーキチン……』
「ちょ、ちょっと待った。何だ? 今の歌詞は!?」
「赤白対決歌勝負に出演するAKU47の『恋は渚のシーキチン』ですが、それが何か?」
「まずいぞ、これは。事前にちゃんとチェックしたのか?」
「しましたとも。それで問題なしと判断しての起用です」
「いやいや、問題大アリだろうが!」
「問題? ははぁ、もしかして『シーキチン』のところですか? その部分を一般的な名称に差し替えろと?」
「いや、そこじゃない」
「でも問題はないのです。この部分、登録商標の『シー(ピー)』のようですが、よく聞くと『シーキチン』なんですよ」
「違う、そういうことを言ってるんじゃない」
「登録商標のように聞こえて実はそうじゃない。『テトラポット』の件と同様に問題なしと判断いたしました。えっ、そのことじゃない?」
「だから、さっきからそう言ってるじゃないか」
「とおっしゃいますと?」
「『恋』のところを『こーい』と伸ばしたらダメだろ? さらに十回も続く繰り返しはマズい」
「えっ、あっ……、ああっ、確かに。申し訳ありません、一般的な名称に差し替えるように要請します」
ツナ缶3
その日の夜中に鳴った非常ベルの音は全寮生を叩き起こし、みな裸足に寝間着か半裸という姿で寮から飛び出し、火事で燃え落ちていく建物を呆然と眺めることとなった。
寮のいちばん奥には留年を重ねてそろそろ大学除籍も近いのではないかという噂の寮の主が住んでいたのだが、その主の姿が見えない。これはやばい逃げ遅れたのだ今頃あの燃え盛る炎のなかで主は悶え苦しんでいるのだと、それこそ寮生全員が悶え苦しんでいる最中、主は焦げた褞袍を半裸の身体に羽織り裸足のままで現れ、腹が膨れると人間幸せになるものだと言い、ツナ缶をひとつ全寮生に向かって差し出した。もちろんたったひとつのツナ缶で全寮生の腹を満たせるわけもなく、その古いツナ缶を開けるための缶切りもなく、進行する消火活動のなか、不満げな顔をした主の顔をみな呆然と眺めることとなった。
その後、ツナ缶と呼ばれるようになった主は不審火を出した廉で逮捕され退学になり、新しい寮の新入寮生たちは、その昔この寮にはツナ缶がおり、という話を聞かされるのだが、新寮生にはツナ缶が人名だということすらわからず、結果として寮には昔伝説のツナ缶部屋があったという噂だけが残っている。
ツナ缶4
「ほとぎ なつ」
それがわたしの名前で、日本に20人ぐらいの親族しかいないレア名字。
小中学生は哀れで暇な存在だから、仇名虐めにあったりもしたけど、50過ぎたオッサンが元号変わった21世紀に同じよな反応したあの日から、日本民族は哀れで暇と決めつけた。滅んじゃえ☆
なんて願わなくても、もうすぐこの国もこの星も滅ぶ。
ゴールデン街や思い出横丁とか、闇市跡なところに長くいる人たちは、老いも若きもみんな脛に傷があるから楽だった。斜の構え方が素直というか、想像力と馬鹿が同居するカオス。だから優しい。界隈をグルグル周遊するといろんなモノが体に濃縮され、中毒なスリルで安らいだ。
今はもう亡い。動き続けられず、絶えたのだ。
あっ! やっと歌舞伎町のゴジラが崩れた。
ツナ缶5
「コンビーフとツナ、どっちにする?」
「ツナ。」
三年間一緒に暮らした部屋で最後の共有財産の分配。受け取った缶詰1個をそのままコートのポケットに突っ込んだ。
「じゃあね。」
「元気でね。」
対等だった。尊重されていた。楽しかった。けれど、つけ込みあうところも多少は無いと関係は深まらないのかもしれない。生活を一新したくなったと告げるとそれも尊重してくれた。
電車が来るまで5分ほどあったので、ホームの陽当りのいいベンチに座った。ポケットのツナ缶を思い出して取り出し、取り落した。転がる缶詰は止まれという念を振り切って線路にダイブし、視界から消え去った。コンビーフを選ばなかったことを後悔した。
「見つかったら連絡を差し上げますので、連絡先をお願いします。」
駅員さんはホームから線路を確認して言った。入線に支障はないみたいだ。連絡は不要であり処分してもらうよう頼んで、入ってきた電車に乗った。
ツナ缶6
合理性をとことん追求すると、台所はオール電化という結果となった。20歳で結婚。40歳で息子18歳、娘16歳。55歳で早期退職。住処は都市郊外のニュータウン。息子も娘も結婚を終え、大きな事故も病気も怪我もなく・・・といった堅実なよすがだ。そんな僕にとって唯一波風を立てる存在、それが悪友のドラだ。
ドラはドラ猫のドラ、いや本当は猫じゃなく小学校の同級生なんだが腐れ縁で、初老の今でも交流がある。
「堅実う?オマエ、飼い犬のクロが死んだ時、3日も泣いてたらねーか」
「そ、その程度のことは誰だってある、ほんの小石の躓きじゃないか?とるにたりない」
「お、おれあオマエの他にも友達がいるが堅実を自慢してる奴なんて一人もいねえよ、つーことはオマエもれきとした変わり者なんらよ!」
ドラは前歯のない大口開けてファファッと笑った。呵々と笑ってるつもりだろうけど、歯抜けて笛が鳴るような笑い声だ。ドラは洗ってない手でうちの台所から缶詰を取ってくると、素早く開けて中身を平らげた。その後カニ缶は仙人掌の植木鉢になり、サバ缶は灰皿になり、ツナ缶は死んだ代々のペットの線香立てになった。
一人暮らしの我が家には、偶にドラが来る。
ツナ缶7
田舎らしい田舎という土地では、自動販売機に巡り合うのにもひとかたならぬ苦労が伴う。なにが楽しくて徒歩、と過去の自分を呪う。しかし待てよ、呪いは私から私に放たれており、つまりその呪いが今の私に対し的確に発揮されている現況を思うと、迂闊に自分を呪うものではないなと後悔したがもう遅い。なにしろ著しい渇きによってもたらされる独特の辛苦と精神的摩耗に追い打ちをかける嘘のような落胆と絶望。
感動的に現れた自動販売機に並んだ350ml缶の些かレトロなパッケージに、あろうことかTUNAと表記されているのだ。ツナ。まさかのツナ。
ツナってそもそも何の魚だと見当違いに腹を立てても背に腹、小銭出し啜らんとするが恥ずかしそうに点灯する釣り銭切れのランプに気付いた一瞬魂抜けるや物理的に有り得ぬのではないかという速度で血液が沸騰顕在化した凶暴の脊髄反射で自動販売機は鉄屑にはならないまでもささやかに壊れたのを確認し不毛な満足の視界の端で陳列するツナ缶が、ぶるんと震える。
ぶるん、ぶるん、とツナ缶どもが震える。
ツナ缶8
ギアナ高地をパカッとあけたらアマゾン川もマヨネーズだから密林のサラダあなたとならば。
ツナ缶9
ードアを閉めて溜息。
サバ缶が流行りだって。ふつーにスーパーとかで売ってるだけじゃ無くて高級食材店やデパートなんかでも色々凝ったヤツを売っているらしい(どう言うモノかはこれから検索)。そう言う事になっていると知ったのはついさっきだけど、そもそも何だって流行りなワケさ?何で缶詰なんて保存食(つか非常食…どうしても横でローソクが燈ってる状況しか思い浮かばない)をありがたがるのかさっぱりわからない。でもたとえそう思ったとしてもキミが欲しいと言ったら買わなきゃいけなくなるワケで。まあその辺はね…。
ードアの前で溜息。
流行りってことは売れるよね?そう売り切れなのよどこもかしこも。だからおんなじ魚の缶詰繋がりで許して。これだと4個パックで安売りしてたし…うーん困った、良い言い訳が思いつかない…うーん。
ードアを開ける。
キミが倒れてて床が…。
おわぁぁ…とっ…とりあえず買えなかった言い訳はしなくて良くな…いや、こ…困った。このまま見なかった…ってのはダメ…だよねぇ?
ああそれにゴメンね、つい思い出しちゃった。ほら、ミラノで一緒に食べたパスタ。トマトが良く合ってたねぇ、ツ…。
ツナ缶10
「母さん、スーパーで福袋を買ってきたよ」
「そういえば、今日は初売りの日だったわね。今年もレアな缶詰、入っているかしら」
僕は、テーブルの上に福袋を置き開けた。
「お、干支にちなんで猪肉、鯨肉、アザラシ肉、最後に餅1キロ入り。あ、まだ入っていた。え、ツナ缶、軽いな」
僕は耳元で振ってみたが、音がしない。何も入っていないみたいだ。
夕方になり、ツナ缶を開けてみた。
「母さん、これ見て。大当りって書いてあるよ」
「何、これ。面白いわね。何が大当りなのかしら」
僕は笑いながら、部屋に置きに行った。
次の日の朝、僕は布団の中で初夢を思い出していた。
マグロが目の前に泳いできて、1つだけ願い事を叶えてやろうと、横柄に言ってきた。僕は異世界で冒険者となり、スキルを積んで将来は美味しい料理を出すレストランを開き、傷ついた冒険者達を癒したいと答えた。マグロは、請けたまわったと言って優雅に泳いで消えた。
起きて昨日のツナ缶を手の平に置いてみると、蓋がパカッと開き小さなマグロが浮かんでいた。そのマグロがツナ缶の使い方を話し、僕は今、異世界に立っている。
ツナ缶11
缶詰を開けると小さな、缶詰の中に丸まってすやすや午睡できるサイズの女の子が出てきた。
「わたし、ツナだけど」
唖然としている俺に女の子が口を尖らせた。さらに唖然とする俺。
「何よ。わたしがミンチにでもなってりゃ良かったの?」
失礼しちゃうわね、という言葉と一瞬の煌めきを残して消えた。まるで妖精のようだった。缶の中には何も残っていない。
「私、tuna」
仕方ないと買い直したツナ缶を開けると、これだ。今度の娘は目尻が甘く垂れている。
「ごめんなさい。私、ここにいちゃいけないみたいですね」
消えた。
「都菜で御座います」
金払ってるのになぁ、と3回目の購入もこの有様。本当に人気商品なのか?
が、今度の慎ましやかな娘は空気を読んだ。
「お困りのようですね。……ツナカレー? 分かりました」
妖精はエプロンを着けるとキッチンへ。やがていい匂いが。
「どうぞ召し上がれ」
うまい。
が、ツナがない!
「ちゃんと出汁は出ているはずですよ」
ほこほこと湯上がりのような長髪を手で撫でながら妖精は言う。
それはそれとして、どうして前の娘たちは気を利かせてくれなかったのか?
「最近は海外のコが増えてますから」
くす、とシャワーを浴びる仕草をする。
ツナ缶12
スマートフォン越しの声がワントーン高くなり、彼女が軽い苛立ちをおぼえていることを察する。けれど、こちらがなんと取り繕うか迷ってるうちに通話は一方的に切られた。
とにかく完熟のやつじゃないとダメだから。
尖った声が耳の奥に突き刺さったまま、僕は缶詰園の前で立ち尽くす。
缶詰の見分け方なんて皆目見当も付かない。
潔く人に教えを請うことにし、白いエプロンをした缶詰園の従業員に声をかけた。
「ツナ缶の木ってどの辺ですか? 彼女がツナ缶じゃないとダメってきかなくて……」
余計なことを言ったなと思ったが、エプロンの女は気にした様子もなかった。しばらくぼんやりと考え込むと、無言で歩き出す。何やら白痴のようだが、今頼れるものは彼女の白色しかない。
しばらくして彼女は一本の木の下で歩みを止めた。
見上げれば鈴なりのツナ缶。女はしばらく視線をさまよわせたかと思うと、やがて迷うことなく一つの缶詰をもぎ取った。
ゆっくりとした動作で僕の手にもぎたてのツナ缶を握らせる女はにこりともせず、ようやく役目を終えたと言わんばかりにさっさと踵を返した。
掌の上のツナ缶は生温かく、それが果たして完熟かどうか、結局僕にはわからなかった。