500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第168回:ハンギングチェア


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 ハンギングチェア1

注文から半年で夫のお待ちかねが届いた。これを取り付けるために書斎の天井を抜き、剥き出しになった梁を補強して金具を取り付けた。結構な出費だったけれど、あれ以来塞ぎ込んでいるのが元気になるなら安いものだ思うことにした。
北欧デザインだけどイメージは南国リゾート。リフォームしたとはいえ、こんな街中の古家に合うのか?と思っていたけれどラタン製だからか意外にしっくりきそうだ。
「後は取り付けるだけねぇ、工事の人に頼めば良かったのに」
「あの時はまだ届いて無かったからね。それに自分でいい感じにしたいんだ」
うちに元々あったものでは高さが足りないと今度はネットで熱心に脚立を探している。
同じ考え込むにしてもベッドの上で膝を抱えながらより、卵型に包まれてゆらゆら揺れながらの方がずっと、ずっといい。そうすれば澱の様に溜まったものは拡散してしまうかもしれない。
今日もまだ捜し続けている。何故か冷めたものを感じる情熱ーと呼ぶべきかどうかーとともに。でも夢中になれるものがあるならそれでいいとその背中に思う。
ー気に入ったのが早く見つかるといいね。早く吊るそう、ね。



 ハンギングチェア2

「ヨハネの黙示録」じゃ、ラッパが吹かれた何気に陽気な滅び絵巻。けれどホントの終末は、ゆらゆらふわふわやってくる。
 今かかってるthee michelle gun elephantの「世界の終わり」じゃないけど、紅茶飲んでパンを焼くような穏やかな死。切迫感のひとつもないと、あの娘に告る純情も抱けない。
 あらかじめ「絶滅」を決められた、最初で最後の世代。
 祖父のミュージックライブラリのランダム再生が、↑THE HIGH-LOWS↓の「ロッキンチェアー」をかける。ハンモックで揺られる僕は、あの娘での童貞消失を夢見て眠る。つなげても途絶えるしかないDNA。それでも「したい」愚かさ。
 地獄のような毎日は来ないし、ヘトヘトにもならない。絶望にすら絶望した世界で、吊す紐が千切れるのを待っている。ゆらゆらふわふわ待ち焦がれている。



 ハンギングチェア3

うちの温室には藤でできた椅子が吊るされている。子供の頃から決して近づいてはいけないときつく言われていた。やがて私も大人になり妻を娶った。妻にも温室の籐椅子には近づかないようにと忠告した。けれども妻は好奇心に抗えなかった。月の満ちる夜、妻が温室へ行くのを私は物陰から見ていた。私も好奇心に抗えなかったのだ。あの椅子に座るとどうなるのだろう。丸く卵のように編まれた椅子に妻が腰を下ろす。妻はその瞬間すっぽりと椅子の中へ落ち込み姿が見えなくなった。慌てて近寄ると、椅子はもはや椅子ではなく、藤でできた繭になっていた。あれから毎晩、私は温室に通っている。妻がどんな姿で生まれ出てくるのか楽しみで仕方がない。反面、心配なこともある。これがもし繭ではなくてウツボカズラであったら。妻はもう。



 ハンギングチェア4

 とびきり白い卵を選ぶ。
 卵の森と呼ばれるその場所で、肺の奥まで冷やすかのような深い霧の中で、視覚を使うことを諦め、手探りで触れた殻の凹凸でその色を測る。
 差し込む金色の光によって、一瞬霧が晴れる瞬間がある。一抱えほどもある卵が木の枝から無数に吊り下がっている光景にもすっかり慣れてしまった。お目当ての卵が純白であることを改めて確認して、私は満足する。
 そうして手にしたハンマーを振りかぶり、卵に勢いよく穴を開ける。
 カシャッと繊細な音は霧に吸い込まれ、間隙からあふれ出した内容物は地に落ちて、てらてらと輝いた。
 人ひとり容易に入れてしまうような巨大な穴を開け終えると、私は手にした工具を放り投げ、慎重に卵の中に身体をすべり込ませる。卵を吊り下げた透明な糸は切れず、殻は無惨にも粉々にならなければ成功だ。私はほうと息を吐き、臀部を濡らすどろりとした液体がもたらす不快感に酔った。
 一つ分の生命を踏みつぶした安寧の中で私は眠る。時折、まるで私をあやすように、卵は風もないのにゆらゆらと揺れた。



 ハンギングチェア5

 先月の山岳OB会に参加した俺は、若い頃に皆で何度も登った山の不思議な噂話を耳にした。無性にその噂話が気になり、山へ入る事にした。
 俺は1週間分の食糧を持って歩き出し、山の頂上手前にある神社に予定通り10時に着いた。若い頃は何でもなかったが、今は運動不足のため息切れがした。休憩を取った後、鳥居の真ん中で交差するように8の字に2周し、次に神社を左回りに1周した。あんなに晴れていた空が瞬く間に曇り、霧も出て、辺りが霞み始めた。3回目に、神社の裏にそこだけ霧が避けているような透明なトンネル状の道が見え始めた。俺はこれだと思い、そこに足を踏み入れた。とにかく、その平坦な道を歩いた。徐々に霧が晴れ、噂話になっていた場所を探して歩いているうちに、体が軽くなり魂だけになったような感覚におちいった。それでも歩き、やっと見つけた場所には巨木しか見当たらなかった。なんだよと気落ちし、根元で眠ってしまった。
 太陽の光で目を覚ました俺は、太い枝に何かがぶら下がっているのが見えた。近寄ると、それは朝露に濡れキラキラと光っている、蜘蛛の糸で出来たハンギングチェアだった。枝の上には、赤い目をギラギラさせた大きな蜘蛛がいた。



 ハンギングチェア6

 リラクサと名付けられた椅子が、彼女の部屋の天井からぶら下がっている。
『あれ? ケンジさん、緊張してます?』
 いつものように腰掛けると、ステレオスピーカーからリラクサが小声で話しかけてきた。
「よくわかるな」
『揺れがぎこちないですから』
「そうなんだ。今日は指輪を渡そうと思ってな」
『ご健闘を祈ります』
 二時間後。
 彼女と一戦交えた俺は、ぐったりとリラクサに腰掛けた。
『上手くいったんですね。揺れが穏やかです』
「サンキュ」
『そしてかなり運動しましたね。体重が一キロも減ってます』
「余計なお世話だ」
 こうして俺たちは婚約者となった。が、そういう時に限って仕事が忙しくなる。
 二ヶ月ぶりに彼女に会えた時は、激務のため俺は十キロも痩せてしまった。
「どうしたの? ケンジ!」
「やっと会いに来れたよ。ちょっと休ませてくれ」
「ダメよ、そんな痩せた体じゃ。今は散らかってるし」
「いいだろ? 婚約者なんだし」
 強引に部屋に入った俺は、リラクサに腰掛ける。
 あー、この感じ。激務の中ずっと待ちわびてた極上の心地良さ。
 久しぶりの愛の巣を満喫する俺に、リラクサが無邪気に囁いた。
『あれ? アキラさん、ちょっと太りました?』



 ハンギングチェア7

 この座り心地のよさでこの価格、買っちゃおうかなと滑らかな曲面に体を預けて揺ら揺らしていて、視界の端っこに常に浮かんでいる糸くずのようなものに気付く。選択してズームすると「重力は別売りです。」の文字列である。まあ、地球で使う分には問題ないか。



 ハンギングチェア8

「重い?」
「重い」
「ゴメンねー」
「だったら降りろ」
「わたしのせいじゃないもん」
「まあな。でもムカつく」
「なんでこんなものに転生しちゃったわけ?」
「こっちが聞きたい」
「聞ーかーせーてーほーしーい、わーたーしーにーも」
「うるさい」
「がんばれー」
「くつろいでる奴に言われたくないよ」
「Hang in there!」
「余計ムカつくわ!」



 ハンギングチェア9

樫の木の吊り椅子に腰かけて、両足をぷらんぷらんしている。その先は奈落。



 ハンギングチェア10

 ここに一基のタイムマシンがある。
 形状は半密閉式の卵型の形状で吊られていないハンギングチェアといった具合でありなぜそうしているかというと搭乗者の過去のわだかまりというか心のひっかかりをよりどころにして宙に浮き揺れることで催眠状態にするからであるつまりタイムマシンとは言葉の綾で実際は洗脳マシンだったわけで発明者及び開発者は詐欺だの開発費泥棒だの糾弾されいずれも不幸な末路をたどることになった。それでも歴史は常に未来により上塗りされる運命で重力を無視して浮遊する機能がエアカーに応用されることになり技術革新の礎となったが同時に運転免許取得には自損事故つまり浮遊状態からの制御不能落下を防ぐためより明確で強烈な心のひっかかりを持つ必要があることから初恋は一度限りの殺しのライセンスとして認められ一種の儀式となってしまう。
 つまり、浮かれた社会が多くの浮かばれない人により成り立っているのはいまも昔も変わらない。