500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第169回:忘れられた言葉


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 忘れられた言葉1

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 忘れられた言葉2

 管理しきれない墓石が、どんどん運ばれてくる。墓石が隙間なく積まれているので、これら墓石のための墓場の地盤が、重みでカチカチに踏み締められて高密度だ。そのために重力の歪みが出来る程に。
 鳩のサイズのドローンが、識別のため墓石のブロック上を矩形を描いて飛ぶ。
「くっ、擦り切れて戒名が読めねえ」
ドローンがくさす。それは仕方がない。墓石管理センター所長の僕は、心の中で応じる。
 ゴゴゴ、と新しめの『ごみ』が運ばれてきた。ドローンがくるくると小躍りし、喜んでいる。この年からの墓石にはICチップが埋め込まれてる。十桁の番号を一瞬で読み取るドローンが
「楽だ楽だ」
と陽気に叫んでいる。僕はドローンに労働をねぎらうための御馴染みの声かけをしようと思ったが、その言葉が出て来なかった。ドローンの眼が、じっとこっちを見ている。



 忘れられた言葉3

「みんないなくなったらさ」
「いなくなったら?」
「『好き』って、無くなっちゃうよね」
「『like』とかは残るんじゃない?」
「そうじゃなくて、外国も含めて、地球全部の『みんな』」
「主語が大きい」
「だって」
「哀しいね」
「誰も覚えててくれない」
「誰も覚えてなくても、俺は君が好きだよ」
「ありがと。ねぇ。そしたらさ、『好き』は今と全然違うのかな?」
「違う?」
「今だって、君とわたしの『好き』が100%一致するわけじゃない」
「そだね。俺の方が君のこと好きだもんね」
「照れるなぁ」
「『好き』は『好き』だよ。たぶん。どこかの彼か彼女にとって」
「そうだといいな」
「きっとそうだよ」
「好きだよ」
「俺は愛してる」
「ずるい」



 忘れられた言葉4

「あれ? こんな時に掛けるのは何て言葉だったっけ?」
「何だったっけ?」
 もうすぐお客さんが到着するというのに。
 バスを降りるお客さんに掛ける、今どきの日本語を思い出せないでいた。
「まあ、いっか。いつものあれで」
「あれでいいんじゃない?」
 仕方が無いので、感謝の気持ちを込めたいつもの言葉を使うことに。

「かたじけない」
「かたじけない」

 ツアーでホノルルのホテルに到着。
 日系人スタッフに掛けてもらったのは、現代の日本人が使うのを忘れてしまった言葉だった。



 忘れられた言葉5

彼を訪ねたのが出発直前になってしまったのはやはり後ろめたい気持ちがあったのだろう。より優れた能力者を差し置いて遠征隊に選ばれたのはただ、この掌に眼が開いたと言うことだけなのだ。
「こればっかりはしょうがない。ここで続けていくよ。今まで通りね。それよりどうか気をつけて」
そう言ってくれたことは救いになったりならなかったりして始まったばかりの旅で不安定な心をあおった。
「因果な仕事だよねぇ、見つければそうじゃ無くなるんだから」
隣の同僚がふと洩らしたのは高度が60万ティーフス達した頃だった。もうここには純度の高い意識しか届かなくなる。集積グローブの中で眼が探索を始めるのを感じた。



 忘れられた言葉6

 おそらく人の想像力は有限であり、しかしながらその適応力には限界がない、ということだと思うのだ。
 今日授業を担当するクラスは無頭体の生徒のみが集められていた。
 無頭体とはその名の通り、出生時より頭部が存在しない人間のことだ。首より上には何もない。それなのに視覚や聴覚は問題なく機能するという摩訶不思議な生き物は最早新生児の九割を超え、まるで珍しくなくなっている。
 一方で有頭体の親と無頭体の子によるコミュニケーションギャップは社会問題にもなっていた。表情も発声器官もない彼らは無頭体どうしでしか疎通できない思念によってやり取りするのだから、さもありなん。
「今日は無頭体のみんなには馴染みのない言葉を紹介しよう。口は災いの元、死人に口なし……」
 話し始めた直後、小さなホワイトボードがさっと挙手のようにあげられた。「先生は目も口もあるのにどうしてそんなに退屈なの?」記された言葉の暴力は音声を伴わなくても強烈だ。おそらく彼らの思念にはさざ波のごとく嘲笑が広がっているだろう。
 感情を殺す。飲み込み、胃の腑におさめ、「それ」をなかったことにする。
「次に……」
 乾いた音だけが静寂の教室に放たれる。



 忘れられた言葉7

 寝返りをうつ喜び。
 負け惜しみではない。淘汰圧が高まりすぎて適応するにはがんじがらめにならざるを得なかった。おかげで満遍無く凝っている。
 夢見る文明に培われた方法で揉みほぐされよう。すぐに滅びたけれどあそこは面白かった。

 同胞と気まぐれな構文を築いてみたり、剥がれてみたりして過ごす。少し物足りない。
 文明に会いたい。欲を言えば次元を跨いだ展開をしたい。ボーイ・ミーツ・ガールとか言ったっけ。そんな感じの。



 忘れられた言葉8

 一人の(あるいは一頭の)手負いとなったネアンデルタール人が、途方にくれて泣いている。
 否、鳴いている。
 否、歌っているのだ。
 群れからはぐれて久しかった。単体で生きることは容易ではなく、それでも必死に生き延びたが、もはや限界がきていた。
 仲間を求め、無心に歌う。藁をもつかむ思いで喉をふりしぼる。言語を持たないネアンデルタール人は、歌うことで意思の疎通をはかるのだ。
 誰か。聞こえるか。誰か。ここにいるぞ。誰か。返事してくれ。誰か。誰か。誰か。
 だが、ついに仲間は現れなかった。当然である。仲間はとうにどこにもいない。いまや地上に残ったただ一人の(あるいは一頭の)ネアンデルタール人であったのだ。歌を歌い終えると、そのまま静かに事切れた。

 ネアンデルタール人の絶滅から、10万年が経つという。かつての生存競争に勝利した現生人類もすでになれの果て、風前の灯だが、その火の奥の奥の方から、なつかしい誰かの声がする。本当にひどくなつかしい気がする。いったい何と言っているのか、DNAもニューロンも散々たぐってみたけれど、どうしても、どうしても思い出せない。



 忘れられた言葉9

 それが地図だと認識できる者はいない。なので、それが忘れられた大陸につながるものであると気づく者もいない。そもそも、忘れられた大陸が過去に在ったことを知る者がいない。それ以前に、忘れられた大陸の存在そのものが忘れ去られていた。
 地図に記されているそれが文字だと認識できる者はいない。なので、その文字が忘れられた大陸につながるものであると気づく者もいない。そもそも、文字というものが過去に在ったことを知る者がいない。それ以前に、文字の存在そのものが忘れ去られていた。
 我々はつながっている。そして、我々を理解している。あるがままに認識している。我々を形骸化してしまう言葉というものはすでにその役割を終え消滅した。
 忘れられた大陸は忘れられた大陸として我々と共に在る。それを認識するために我々は言葉を必要としない。忘れられた大陸は忘れ去られたものとして在る。
 稀に他者が現れ、我々に言葉を要求する。そして、他者が去ると同時に言葉は役割を終え消滅する。我々は忘れ去られたものとして在り、その役割を終え消滅した。
 稀に他者が我々を捜索する。言葉として。



 忘れられた言葉10

 朝、遅刻して出社したら全員死んでいた。
 課長も経理も常務も社長も。男性だろうが女性だろうが関係なく。
 そして全員、倒れた床などの上に「思い出せない」の一言を遺していた。ボールペンやホワイトボードマーカーやケータイのメモ機能で。
 はて、一体何があったのか。
 みな外傷はなく、それでいて誰もが呼びかけにこたえず脈もなく。遅刻したときには例外なく怒鳴られるのにそれもないのでくたばっているのだけは間違いない。
「こんちは。今日は出荷、ないすか?」
 そこに宅配業者の兄ィちゃんがやってきた。
「ああ。たまに会社単位で死んでるトコ、あるっすね。何か思い出せないらしいんすよ」
 事情を説明するとレアケースながら普通にあることらしい。だから兄ィちゃんは警察と消防に電話して、その後はごく普通に事態が推移。警察からの聴取は「遅刻して出社したらこのありさま」の一言で解放された。
「貴方はきっと、何かを忘れてないから助かったんだと思いますよ」
 気に病んでると消防職員からそう励まされた。
 最後の目礼が「だから死なないように」に聞こえた気がする。
 しかし。
 俺はいったい、何を忘れてないのだろうか?



 忘れられた言葉11

 言葉は身体に貫かれている。身体の無い言葉は記録されない限り消滅する運命にあり、同時に、身体の変容に伴って言葉は変容するため、毎秒、言葉は変容し続けている。長い年月をかけて酸化していく鉄のように、言葉は長い年月をかけて風化していく。やがて忘れ去られるまでの間、時の流れの中で身体と記録媒体だけを頼りに、今日まで言葉は生き延びてきた。それは言葉そのものが、生きたいと願ったからであろうか。答えは否である。言葉そのものに生命は宿らない。言葉を語る者が言葉に生命を宿す。故に、今日、多くの言葉が忘れ去られることなく生き延びることが出来たのは、言葉を語る身体が存在していたからである。
 この文章が聴衆に開陳される時、既にこの世界には新しい言葉が誕生している。決して忘れられることのない言葉だ。その一方で、多くの人々に忘れられた言葉がある。それは、※

※筆者の文章はここで途切れています。偉大なる言語学者にして、人類学、そして哲学の権威でもあった教授は、この文章を書かれた後、姿を消しました。教授の身体は、もうこの世界には存在していないのでしょうか。私達に忘れられた言葉とは、一体どのようなものだったのでしょうか。



 忘れられた言葉12

 書庫の棚の裏に破れたページが落ちていた。なにかのレポートらしい。
「たとえば今世紀使われなくなった言葉として『春』や『夏 (汚れのため一部判読不能) 動のため、循環する気温変化がみられなくなった。言葉に対応するものが失われてから三世代が経過すると、その言葉の使用はほぼなくなるようだ。まもなく忘れ去られることだろう。
 同じように失われた言葉に『戦争』と『平 (以下破損)」



 忘れられた言葉13

牛乳買ってきてって言ったのに、脱いだ服は片づけてって言ったのに、夕飯いらないなら連絡してって言ったのに、燃えないゴミを出しておいてって言ったのに、どうして全部、あ、忘れた、ですませるの、もういいです、あなたが私の言うことを全部忘れるなら、私はあなたを忘れることにします、と、書かれた紙が仏壇の引き出しから出てきて、ああ、だから、妻に認知症の症状が現れた時、最初に私の名前を忘れたのか、と妙に納得して、そういえば妻へのプロポーズはなんだったかなと思い出そうとしたけど妻の顔も思い出せない。