500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第170回:さかもりあがり


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 さかもりあがり1

「……あれはなんだろうなあ、あんなものは見たことがない。わからん」
 そんなことを爺様が言うなんて。爺様は何でも知っている。家の中にあるお皿の数も、路上の虫がどうして苦しそうにしているのかも、人間が殺し合う理由も知っていた。
 爺様にわからないものが、村の外に出たこともない僕にわかるはずもない。だから、『それ』について説明する言葉を持たない。思わず、爺様に訊いた。
「村の外には、ああいうものがあるのでしょうか」
「わからんと言うとるだろう」
 繰り返される言葉を聞いて、意味のない問いだったことに気付く。こういうところだ。恥ずかしくなる。
 気詰まりな沈黙に耐えられなくなり、僕は『そこ』に近付いた。つま先が、地面、というか、地面の延長線上に触れる。例えば、建物があるとか、何かが置かれているのではない。地面が地面のまま、自然に傾きを持ち、上空へと伸びている。昨日まではただの道だったのに。
 見上げても、果ては見えない。昨日までは、この道を三日も行けば隣の村に行き着いたはずだ。だが、今はそうではないだろう。爺様に背を向けて、このまま歩を進めれば、多くのことを知ることができる場所に辿り着けるのだろうか。



 さかもりあがり2

 酒盛りがあり、加賀森ありさ盛り上がり、差か、リカーも下がり、有賀もサカり「ガリもさ、アリか」理も裏か、朝が。さ、狩りもアガリ。



 さかもりあがり3

出るんじゃなかったああ。
断れなかったのはあの事のせいだ。何年前だっけ?昼休みに突然招待状を持って女がやって来た(誰??)。甘ったるい声で「クリスマスイヴなんですぅよろしくぅ」と言われて即座に断ったら半ベソをかいて走り去った。「先輩ひどぉい」いつのまにか後輩が横にいた。さっきのは彼女の同期で「その日は都合が悪い」と次々に結婚式の出席を断られていて「カワイソォだから紹介したのにぃ」だと。
「あなた出るの?」
「彼と予定がありまぁす。先輩は?」
ない。それを見越してだろうけど面識が全く無いのに出る筋合は無い。が、断ったのはマナー違反だとあちこちで散々責めたてられた。後輩その他は打診の段階で断ったからOK、でも招待状の時点では大大NG、人として許されないのだと(その前に打診は…)。
以来あの紙が来たらもう逃げられ無いと思う様になってしまった。
まあ今回はどちらも昔からの友人だし…いやだから余計キツい。他のみんなもビミョーな面持ちだ。司会者だけが淡々と式を進行させている。真正面の二人の座ってるあの席って何て言うんだろう?この場合。
ああ出るんじゃ無かった、離婚式なんて。



 さかもりあがり4

 坂森東。読み、さかもりあがり。都内在住。勤務地、麹町、保険会社の総務部に派遣社員として勤務。二十五歳。出身地、鹿児島県。大学入学とともに上京。二十六歳までに人を殺すことが決まっている。現在のところ前科なし。配偶者なし。必ず定時に帰る。異常なほど坂道の凹凸を恐れる。職場の飲み会には参加しない。最近の悩み、壁のシミが囁く声を頻繁に聞くこと、東京タワーのてっぺんに立って投げ捨てた凶器がまるでクライマックスみたいに落ちるのを夢で見ること。



 さかもりあがり5

 深夜、だんろの炎がゆれる。
 床には小さなテーブルの影、ひとつだけ。ぐうんと伸びてパチパチゆらぐ。テーブルの上にはどっしりしたブランデーボトルに氷入れとトング。チーズに堅果に、くるみ割り人形。
「こっそりつまみ食い、おいしいね」
「お酒もよく回っておいしいわ」
 ちゅうちゅうストローで吸う音。くすくすと盛り上がる中、とびらがばたん。
「だれ? ママ? 知らないお姉ちゃん?」
 子どもがむにゃむにゃしつつテーブルを確認。だれも座ってないのでまたベッドへ戻る。
「ないしょで飲むとおいしいね」
「パパ、こんないいお酒飲んでたのね」
 ドキドキするのも盛り上がるしと天井から。コウモリ憑きたちの静かな宴は、つづく。

 なお、最近では日本でも知らないお姉ちゃんでさかもりあがっているため、各機関から辛党に対し「飲んだらさかるな!」と注意喚起されている。



 さかもりあがり6

公園の水たまりに釣り糸を垂れている人がいる。
釣れますか?
「さかもりあがりの日はお手上げですよ」
隣に座っても?
「どうぞ。一人さかもりあがりは眩しすぎますから」
エサは何を?
「昨日のさかもりあがりです」
あ、引いてますよ。
「おっと、これは。さかもりあがりだ」
さかもりあがりですね。
「しょうがないなあ」
しょうがないですね。



 さかもりあがり7

『盛って盛り上がった彼のそれは……』

「何だ? この文は?」
 編集長はしかめっ面で原稿を机に置いた。面倒臭そうに担当編集者は答える。
「漢字の重複のところですよね?」
「そうだ。これでは『炎天下の下』みたいじゃないか」
「私もその違和感を伝えたのですが、作家先生は全く聞く耳を持ってくれなくて。意味が違うって言うんです」
「意味が違う?」
「そうです。『盛って』は行為を、『盛り上がって』は状態を示すとか」
「同じじゃないか」
「でも、「修正なんてしない」の一点張りで。原稿を引き上げるとまで言われました」
「全くしょうがないな、あの先生は」
「ですよね……」
 すると編集長が「そうだ」と手を打つ。何か思いついたようだ。
「フリガナを振るというのはどうだ?」
「と言いますと?」
「最初の『盛って』のところに『さかって』とフリガナを振るんだよ。間違ったフリして」
「ちょ、ちょっと待って下さい。そしたら意味が全然変わって……」
「そっちの方が面白いじゃないか。私が許可する」

『盛って盛り上がった彼のそれは、古墳の中でも一際そそり立っていて……』



 さかもりあがり8

 目が覚めると暗闇のなかで、風が樹々の葉を揺らす音と腐葉土の匂いで、森のなかにいることに気づく。部屋のなかに敷いたはずの布団から出ると、素足の下には湿った土の感触がする。見上げると丸い月が煌々と照っており、またこの時期が来たのだと合点した。
 月の光を頼りに広場に足を踏み入れる。当然のごとく大徳利と大瓶が置いてあるのを確認し、水がはってある大鍋の下の藁木に火打ち石で火をつける。大瓶の中味を大徳利へ移して燗をつけると、樹々の合間からひょこひょこと馴染みの面々の顔が現れる。合図を送ると大きな風が起こり、広場はあっという間にあやかしでいっぱいになった。銘々の杯へ温燗を注いでやると、ひょひょいと飲み干し満面の笑みを浮かべて天空へと舞い上がる。あちらでもこちらでも赤ら顔のあやかしがすぽんすぽんと飛び上がっては戻ってくる。次から次へと燗をつけ、次から次へと酒を注ぎ、夜通しあやかし風船を打ち上げ続ける。
 満ちていたあやかしはやがて朝の光に溶けていく。大徳利も酒瓶も森も消え、足もとには小さな箱がひとつ。振ると小さな飴が転がり落ちてくるので口にした。さかもりあがりの甘い飴はこの先一年の御守りとなるのだ。



 さかもりあがり9

「最後の晩餐」の話をしていたら、いつの間にかエクストリーム酒盛りの算段となり、夜明け前から森を抜け、坂を登り、頂上でご来光浴びつつ麗しき酒呑みたちと乾杯した。
 雨傘パラソル下にシートを広げ、見慣れたラベルやエイジドボトルが並び、ビア樽をタップにつなぎ、テイスティンググラスにちろりまで! アテも豪勢。割物にウコンやチェイサー、酔い覚ましのモカとアガリの緑茶。
「朝陽にスーパードライとは乙だね」
「鴨パテと赤、カナッペと泡、どっちが今時ガーリー?」
「メルシャン舐めんな!」
「ガリのゴマ和えで、純米吟醸だなぁ」 
「マリアージュ! マリアージュ! マリアージュ!」
「こんな日にまで働くなんて、ご褒美だぁぁぁ」
 と、働き蟻にラム酒与える始末だけど、決して他人を不快にはしない。老若男女で酩酊しつつ夕方にはすこしずつ片付けをはじめた。
「だって、汚いままは厭じゃないですか」
 そう言って彼女は、空っぽにしたマッカランの1989年をビニル袋に押し込み、続けて残り僅かな沢の鶴の45年古酒を呑み干す。
 我ら愛しき酔っ払いたち。本当に、この人たちと友達でいられて良かった。



 さかもりあがり10

 「ええ。食べます食べます。朝からもりそば。」「子供の頃からありましたね、学校に行く前にもりそば。今は会社に行く前にもりそば。」「かけそばとかではないですね。」「え、でも東京の人も朝からおそば食べるでしょ。普通なんじゃないですか。」「はあ。朝から家族でもりそばを食べるのが珍しいと。」

 テレビの「ケンミンショー」でこの県を取り上げている。時々朝ごはんがもりそばなの、うちだけの習慣だと思っていた。地域のものだったのか。
 うちでは「さかもりあがり」と呼んでいる。父の「朝からもりそばおあがり」という発声で食べ出すからだと思う。婆ちゃんが亡くなるまで、それは婆ちゃんの役目だった。
 朝からもりそばの由来について番組内では、この地方では蕎麦の栽培が盛んで、簡単に食べられる蕎麦掻が朝食の定番だったのが、多くの家の離農に伴い蕎麦粉より手に入り易い乾麺に移行して定着したと説明しているけれど、本当にそうなのかな。
 「さかもりあがり」の朝は、庭の角にある塚の盛土が新しくなっている。以前母に何の気なしに理由をきいたところ、何れ時期が来た時に父が伝えるという旨の何やら重たげな回答をいただいたのだけれど。



 さかもりあがり11

 ストレスなのだろうか?飼い猫の背の、毛玉が増えてきた。ぽこん、またぽこん、と取っても取ってもすぐ浮かんでくる。最初はごみ箱に捨ててたのだが、ふと思い立って溜めることにした。巨大なボールになったら、インスタグラムに載せてみよう。バズるかもしれない。
 最初は野球のボール。すぐハンドボール。バレーボール。バスケットボールぐらいの量になった。まさか、ここまで私の目論み通りになるとは。根気よく毛玉写真を、日々インスタグラムにアップした。しかし思ったほど盛り上がらなかった。世界はファーウェイ問題、イギリスのEU離脱問題、移民問題など十分話題には事欠かない。猫はすっかり夏毛に入れ替わって、私の興奮や落胆など何処吹く風と、散歩に出かけた。