おしゃべりな靴1
上流からまた草履が流れてきた。弟がベイトリールを巧みに操ってスピナーで引っ掛けて回収する。上流に遊泳場があって、子供が油断して流してしまうのだ。色とりどりのビニール靴。ミュール。浮き輪。弟はきりがないなーという顔になってきた。魚籠の中は空。足元にはカラフルな漂着物。高価そうな靴もあった。
「エスパドリューだな」
「兄ちゃんは物知りだな」
スニーカーも流れてきた。
「靴屋が開けそうだな」
ぼくが軽口をたたくと、弟が面白がってそのスニーカーもルアーで引っ掛けて岸に戻した。
「でも全部片方しかねえよ」
「そうな。でも水木しげるの妖怪図鑑に出てきた、一本足の妖怪には売れるかもよ」
「はは、あの妖怪、何てったっけな?」
「何か良い名前が付いてたけど、ぱっと思い出せないな」
妖怪の名を無心に検証してると、まだ竿にぶら下がってるスニーカーが「カカカカッ」と高笑いした。二人びっくりしてると、スニーカーの中からビョッと見事な大きさの鮎が跳ねた。
おしゃべりな靴2
「切り札は靴音認証です」
「靴音認証?」
怪訝な顔をする社長に俺は必死に説明を始めた。面接を突破し、予算を獲得するために。
「正面玄関の床にマイクを設置し、靴音のパターンで個人を特定するのです。社員の健康把握やストレスチェックにも使えます。不審人物の検出も可能でしょう」
「ほお、それはいい」
社長も興味を持ってくれた。あと一歩だ。
「ところで、それが懸案の問題解決になるのかね?」
「大丈夫です。予算があれば必ず解決できます」
「わかった。件の対策費は君に預ける」
「ありがとうございます。早速、靴音認証導入のポスターを社内に掲示します」
こうして俺は予算を獲得した。
三ヶ月後。俺は社長に呼び出される。
「すごいぞ。システム導入の告知をしてから靴の選択についての苦情が消えたよ。苦痛という声も無くなった」
それもそのはず、声の大きな社員は全員、底の柔らかい靴に履き替えたのだから。
「管理したがる人間は管理されたがらない、というのは本当だったな」
満足そうな顔の社長。俺の目論見は成功した。
「ところで、社員のストレスチェックはどうなってるのかね?」
「それが社長、残念ながら靴音がしなくなって認証が不可能に……」
おしゃべりな靴3
リゾートホテルに泊まるのはこの旅では初めてだ。
相部屋の宿ばかりだったので旅の終わりの贅沢と言う事もあったし崖の上と言うロケーションも良かった。全ての部屋はオーシャンビューで夕刻から夜へと変わる海の景色を堪能しながら感傷に浸れた、相棒と歩いた日々を思って。
ーー今日で終わる、そう終わらせないと。
バスタブに勢いよく湯をはりながらテレビをつけた。多少大きな音でも気にせずにいいのが安宿とは違う。見たい番組が無いのは一緒だけど。
足を伸ばして湯に浸かるのも久々だった、シャワーしか無い所も多かったし、大浴場は苦手だ。
高く昇った月が見える。聞こえるのはさざ波ばかりだ。長旅を共にした相棒をバルコニーの手摺に乗せて磨り減った靴底に触れた。
ーーありがとう、本当に楽しかった…さよなら。
海に消える迄見届けた後、部屋に戻ってベッドサイドの灯だけつけた。いい話し相手だった、何でも話せた、何でも聞いてくれた、色々、色々…本当に。明日…いや今日からは日常に戻らないといけない。そう、もう眠らなくては。
瞼を閉じてふと思った。
ーー自分の紐で絞め殺されるってどんな気分だろう。
おしゃべりな靴4
「どうした? 急に黙り込んで」
国道40号線。
狂おしいほど広い空は暗く沈んでいて、電池残量はもう僅か。給油も充電も地平線の向こうで遠く、減速充電じゃ稚内に届かない。
『電気の無駄』
「今さら黙っても遅」
『電波消失。位置情報不明』
慌てて液晶を確認すると、現在地の表示が消えている。
『まもなく自動運転を終了します。操舵が切り替わりますので、ご注意ください』
機械音声が警告を繰り返し、ゆっくりと路肩に止まる。
「ここまで……か」
『お疲れ様でした。降りますか?』
降りてどうする? 左奥に広がるサロベツ原野を眺める。物語の終わりにはちょうどいいけれど、気障すぎやしないか。
「お前はどうする?」
『動けません』
「知ってる」
『足があるじゃないですか』
言われて自分の足を見、触れる。
たしかに。
ある。
『所詮わたしは物です。履き替えて、歩いてください』
おしゃべりな靴5
今晩は、お嬢さん。こんなところでお会いできるなんて光栄です。ええ、判っていますとも。初めましてではないことくらい。あなた、昨夜も私の舞台を見にきてくれていました。一昨日も、その前の夜も。あなたの存在にわたしは気づいていました。ぜひあなたとお話してみたかった。でも、お恥ずかしい限りですが、実はわたし、極度に口下手なのです。人との会話がとても苦手。タップなら誰にも負けないのに。この足のように、すらすらと饒舌に話すことができれば、どんなにかいいだろう。だからほら、今夜は特別な靴を履いてきたのです。ごらんの通り、魔法の靴です。どうです、この靴を履いてタップを踏めば、タップから読み取ったわたしの気持ちを、靴が代わりにしゃべってくれるのです。すばらしい。そして、こうして面と向かってお話できる機会が訪れるのを、わたしは心待ちにしていました。本当に光栄です。さあ、わたしと踊ってくださいませんか。あなたの為なら、わたしはどんな華麗なタップでも踏んでみせましょう……えっ? 違う? わたしを見にきていたのではないと……あの端役を? なぜあんな凡庸な、才能のない……恋人?
「馬鹿にしやがってこのアマァ」
おしゃべりな靴6
右靴「うーさーぎー美味しいー♪ かーのーやーまー♪」
左靴「君、歌詞が違うよ。“美味しい”じゃなくて、“追いし”だよ」
右靴「捕まえた兎の喉をナイフで切り裂いてしっかりと血抜きをしてから胸と腹を両手でつかみ雑巾みたいに絞りつつ背骨の後ろあたりを膝で押し込んで肛門から内臓を飛び出させてワタ抜きしたら今度はナイフで後脚の足首に切り込みを入れて頭の方に向かって皮をひっぱって剥がしていって首のところまで全身の皮を丁寧に剥ぎ終えたあとは前脚の先から首の付根あたりと後脚の先を包丁で切り落として最後に肉を適当な大きさに切り分けてから鍋に入れて赤ワインと水と塩を加えて肉が柔らかくなるまでじっくりことこと弱火で煮込めばブルゴーニュ風兎肉のでーきーあーがーりー♪」
左靴「あ。美味しいで合ってたんだ」
靴を履いてる人「お前ら、まずは兎を追えよ」
おしゃべりな靴7
たったか、たった、たかたかたか。
果たしてそれが靴音なのか、一対の靴たちのおしゃべりなのか、私にはもうわからない。
何しろ二つで一つの一揃い。おしゃべりにも花が咲き、夢中になるのも致し方ない。
たったか、たった、たかたかたか。
やまないおしゃべり、やまない靴音。私の足は意図しない方向へ。
たったか、たった、たかたかたか。
やめたくてもやめられない。靴たちは勝手に歩いてく。おしゃべりもどこまでも続いてく。
たったか、たった、たかたかたか。
やがて、どこかの崖っぷちへ来て、ようやく私は歩くことをやめられた。
靴たちのおしゃべりはまだ続く。波間に漂い、揺らめいて。私は一人沈んでく。冷たい海の底、肺の中の空気は尽きて、声なんてもう出やしない。
おしゃべりな靴8
今日は時間がかかっているな。朝ごはんを食べ終えた後、前日持ち帰った上履きとバケツを抱えて庭に出ていった娘が小一時間戻ってこない。小2になったばかりの彼女が言われもしないのに毎土曜日自分で上履きを洗う習慣を身につけたのには頭が下がる。が、そこは小2、何か違う遊びでも始めちゃったかな。掃除を終わらせて覗きに行く。
キャンプ用の折畳みの小さなイスに小さな背中が丸っこい。頭越しにそっと様子を窺うと、左右の手にそれぞれ爪先を上にした上履きを持ってバケツの水に沈め、気泡が連続するように操っている。なるほど、こんなことをしとったんかい。左右の上履きから交互に泡があがるのは会話のようでもある。
「お話しているみたいだね。」
声を掛けると、娘は顔をぐいっと上げて頭上にある私の顔を見つけ、にこっと笑って、すぐにまた手元の上履きに注意を戻した。よっぽど面白いのだなとしばらく見ていると、上履きは徐々により深く押し沈められ、気泡もごぼっごぼっと苦し気なものになっていく。そしてひときわ大きな泡がごぼっと上がり、手を止めた娘が内緒話めかして言った。
「男子に投げられたりするから、上履き、もう学校行きたくないんだって。」
おしゃべりな靴9
まぁあれだ。直に地球に触れてるオレらからすると、地球滅亡まであと92日だってわかるんだよな。……コレ、絶対ほかのヤツにしゃべんなよ?
あ?
なんでわかるかって?
簡単なこった。地球のヤツ、「俺、もうだめかもしんねぇ」って弱気になってんだよ。生中もジョッキ三杯程度に減ってよ、ハシゴもしねえって。
あ?
そんくらいなんてこたねえって?
おお、オレもそう言ってやったよ。でもな、将来へのソコハカトナイ不安があんだってよ。将来って……ソコはハカじゃねえって言ってんのに、じゃあ墓のない将来はどうなんだってよ。底が墓ならオレらなんか常に墓だよっていってやったらまあ、笑って同情してくれたがな。
だからよう、おめぇも靴職人なら地球の靴、創ってやれ。あと三カ月で。ほら、生中もう一杯いくか? 奢ってやるから飲め。頑張ってみろ。
あ?
手洗い行く? 飲み過ぎて気分悪い?
おい、はくなよ!
オレも飲み過ぎてタプタプなんだ。絶対いまはくなよ!