500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第172回:しぶといやつ


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 しぶといやつ1

「母さんが大人になる頃きっと会いに来るよ」

春先、ニムラが王の右腕を奪い〈地平の扉〉が分析しランベント兄妹が作戦を立案した。
王の細胞は殺せない
ゆえに王を
ナノワイヤの多重格子で単独では再生できないサイズに細分
36機のドローンに分載
激しく攪拌しながら放射状に散開
微量ずつ散布した(吸血素は空気感染も接触感染もしない)。
王の断片は24時間以内に核となる20グラム以上の塊を検知しないと休眠する。
果たして24時間後、有史以来初めて王の不在が確定した。

右腕からは分からない、一個でも意志を失わない細胞が私を救った。
古い話になるが王たる私と眷属を狩る最強の組織を創始したのは私である。資金も潤沢に提供し危険な才能を見出すと確実にリクルートした(この上なく幸せにし、それをこの手で奪うことによって)。私の能力は高過ぎて、危機感がないと衰えてしまうのだ。
春から夏にかけて母は長旅をし、私の断片を集めてくれた。今はもう、ひとりでに集まってくる。遠くへと伝言するように覚醒しながら。

眷属を根絶するため組織は存続しているが、それももうすぐ終わる。
そんなある日、報せが届く。
田舎町の小さい産院で性経験のない少女から堕胎された三ヶ月の胎児が何か言い走って逃げた、という報せが。



 しぶといやつ2

「それでは、第46回漫画帝王賞の最終選考会を始めます」
机に伏せられた五束のコピー原稿を、十名の編集がガササッと表に向ける。
 向ける前から、裏写りする程にどす黒い原稿があった。誰もが気を留めずにはおれなかった。

 繊細な筆致。現代社会にフィットした言葉選び。起伏に富む展開。全員が十六歳の才媛の作品を入選に、と態度を決めたが、どうにも、真逆の禍禍しさに凝り固まった、例の真っ黒い画稿、八十九歳の男の初投稿作品に言及せざるを得なかった。
「この作品、竹ペンか何かで点描で描かれてますよね」
隣席の新卒の編集が、眼鏡をかけ直し顔を近づける。
「うお、本当だ。枠線や吹き出しも点描だ」
「定規も使ってませんね。一枚一枚から焦げ臭いほどの、怨念が漂ってくるようだわ」
 誰もが一位に推す作品そっちのけで、八十九歳の画稿、タイトル『横死』に各々が持つ漫画観をぶつけた。結果、八十九歳のぴょん太氏には特別枠で、臨時の賞を与えることに全会一致で決まり、結果通知が送られた。住所が東京郊外の墓地になってたことに、連絡役は一抹の不安を覚えた。

 が、当のぴょん太氏は霊園管理事務所で朗報を受け取り、呵呵大笑して線香で次作に取り掛かった。



 しぶといやつ3

「この期に及んで、まぁ」
 寝起きの声で、呆れたように彼女は言うのだけれど、僕にはいまいちピンとこないので、そのまま乳首を舐め続ける。
 今日、日本時間で18:16に世界一大きいダンプカーよりちょっとだけ大きな隕石がカナダのどこかに落ちて、地球上の生物がほぼ死に絶える。
 とわかっていても、目の前に綺麗な乳房と乳首があれば舐めたくなるのは仕方がないと思う。
「そういうところが本当・・・強いね」
 やっぱり、いまいちピンとこない。
 諦めるのは論理的で、舐めるのは衝動的だ。大きくなるのは不随意的。そこに強いも弱いもあるのだろうか?色?形?大きさ?いずれにせよ、概念としては乳首は乳首で、乳房は乳房。
「最期ぐらい、手をつないでいてくれる?」
「良いですよ」
 手をつなぐために、まさぐりはじめた指を抜き、すこしだけ体勢をずらして押し挿る。指と指を絡める。手のひらがついたり離れたりする。
 意思が3カ所に分散してしまったせいか、いろいろなんだかいまいちピンとこないけど、気持ちはいい。



 しぶといやつ4

お貴族様のお屋敷だったのさ。だから前の前の前……もう一個くらい前だっけ?身分制度が無くなった戦争って。いやまだ前?あ~とにかくそのくらい古い、つまり由緒がある訳よ。もう見た?なんか焦げたとことかさ。あれは戦後らしいよ。いつのか知らんけど。でもそう言うのもひっくるめて雰囲気あるからさぁ、絶対ウケる思って結構つぎ込んだ訳よ。こう言うカンジのホテル好きでしょ?みんな。そう、修繕だけじゃ無くってさ。何しろ 古いから色々 居る訳さ、虫だの動物だのいっぱい住み着いちゃってもう。虫の駆除なんか海外から業者呼んだのさ。徹底してやらせたよぉ。いたらいやでしょ?客来ないよ。まあ動物の方はモノによっては逆にイイけどねぇ。でそいつらは何とかなったんだよ。金かかってもさ。でもあいつらはどうにもならんのよ、おんなじ……いやそれ以上にかかったさ。ホント一番タチ悪いのは人間だよ。アレどうも元の持ち主とその一族らしいよ。そうお貴族様。何してもダメ。こっちだって海外からも呼んだんだけどさ。あ、別に何か害がある訳じゃ無いのさ。でもどうよ?出るってのはさ。…え?それを客寄せにする?アリなん?……アリ も?アリ !うん。



 しぶといやつ5

 ──負けた方は、勝った方のいうことを、一つだけきく。

 線香花火に火が点けられる。チリチリと音を立てながら、ジリジリと短くなっていく。
 そっと向こうの顔を見る。火花を熱心に見つめている。勝ったら、告白する。そう決めていた。
 先端の玉が大きくなる。火花が小さくなり、とおもったら一瞬広がる。落ちるなよ。頼む、持ちこたえろ──

「そして、これが我が一族の始まりの火であるというわけだ」
「でもさ、それじゃあご先祖さまは、けっきょく告白しなかったってこと?」
「そう。だから二人は交際も、ましてや結婚もしなかった。それでも我々は現にこうして存在している」
「いかにも神話だね」
「だが事実だ。見ろ」
 祭壇に置かれたビーカーの中、二つの火の玉は消えることなく今なおチリチリと鳴りつづけている。



 しぶといやつ6

すべてが可能性だった。
波に揉まれるちっぽけな兆しが目に留まり、神は「しぶとくあれ」と祝福した。
すると生命が生まれ、そして試行錯誤が生まれた。

僕は黒い鳥に生まれた。町で試行錯誤を重ねて食べる物を得ている。環境の変化は速い。個体にとっては1度の失敗が命取りにもなる。それでも僕は挑戦をする。生き残りをかけて。

そうやって続いてきた。また誰かから続いていく。そう。それだからクロウが報われるってもんだ。



 しぶといやつ7

 なかなかどうして、しぶといやつである。奥に押しこめて力を加えてもだめ。するどく切りこんでもだめ。ならば、すりつぶしてやろうと、適度な場所に転がし、定期的に圧迫するが、効果があったようには思えない。
 くちをもごもごさせながら向かいの妻を見る。病気のため痩せおとろえ、すっかりこけてしまった頬は、しかし私よりも力強く咀嚼をくりかえし、うまそうにもつ鍋をほうばった。
「おまえは、このホルモンのようだ」
 感心して言うと、妻は「なんですか、いきなり」と少女のように笑った。



 しぶといやつ8

 追いつけないとわかっていながら、アキレスは亀を追いかけていた。
 彼らの間に、浮浪者のような格好の男が割り込んできた。アキレスは訊いた。
「お前は誰だ?」
「私は神だ」
「そうか。神か」
 アキレスは男を無視して、亀を追いかけようとした。しかし、見失ってしまった。
「飛んでいる矢は止まっている」
 神は、弓矢を射るポーズを取った。アキレスは立ち止まって相手を眇めた。ふいに意地悪な考えがよぎった。
「本当に神なら、自分が持ち上げられない石を生み出してみろ」
「お安い御用だ。ほれ」
「……石はどこだ?」
「そんなものはない」
 アキレスは苛々した顔で詰め寄った。神は半分遠ざかると、宥めるように言った。
「私は、何でも知っている」
「“何でも”は知らないだろう。知っていることだけで」
「知っていることが“何でも”になる」
 アキレスはその場で腕を組み、神の言葉について考えた。すると、後ろから亀が追いついた。
 亀は矢を咥えていた。アキレスは踵をつつかれた。
「こういうのって、有りなのか?」
「有りだ」神は言った。「故に、無しだ」
 亀は再び遠ざかっていった。アキレスは痛む踵に力を込めた。追いつけないとわかっていながら、それでも彼は、歩き続けた。



 しぶといやつ9

「出たっ! 早く、早く! ジェットスプレー持ってきて!」
「ダメ、それ、あんまり効かない」
「だったらお湯でいいよ。早く! 逃げちゃう!」
「ちょっと待ってて。今沸かすから」
「ええっ、今から?」
「大丈夫、すぐ沸くし」
「こうなったら最終手段。新聞紙的な物理攻撃よ!」
「キャー、それだけはやめて! って、新聞なんてとってないけど」
「うりゃ、うりゃ、うりゃ!!」
「ちょっと待って。何を使って叩いてんの?」
「全然ダメだ。びくともしない」
「ダメって、それ、スリッパじゃない」
「もしかしてこいつ、G型盗撮ロボなんじゃ?」
「ええっ!? でも……市販のは、こんなに強くないよ?」
「だったら軍事用か。噂には聞いていたけど、かなり頑丈だぞ」
「それほどまで興味があるのね、あの国は。私たちの生活に」
「あっ、ああ……。逃げられた……」
「もう、ほっときましょ。たっぷり見せてあげましょうよ、同性婚の素晴らしさを」



 しぶといやつ10

 行き違いの理由はいつもどおり些細なことだった。でも、これだけ同じことが続くとさすがに腹にすえかねた。怒鳴り合いの口論は物を投げつけ合う喧嘩に発展し、それでも絶対に非を認めないやつに完全に愛想が尽き、とっておきの大金槌を取り出し、全力でやつの脳天に叩きつけた。一度ではとてもおさまらず、何度も何度も殴りつけた。大金槌の打撃を繰り返し受け、やつは床の上で平たく平たく薄く薄くなった。ぺらぺらになったやつは、それでもなお自分の正当性を訴えてうるさい。手のひらでやつをごろごろと丸め、力の限り窓から遠投した。もう顔も見たくないし声も聞きたくない。二度と帰って来んな。
 翌日、鼻歌をうたいながら部屋の掃除をしていると、やつの詰る声が床から聞こえてくる。モップを外して床を見ると、昨日やつを殴りつけた際にうつったらしいやつの影が、こちらを睨みつけて呪詛を吐く。モップで擦りに擦ったが、まったく消える気配がない。
 そんなわけで、部屋のなかは未だにやつの罵詈雑言で満ちている。さっさと引っ越したいが、不動産屋に事の次第を問われると答えられない。結局、お茶を飲みながらやつの鬱陶しい言葉を聞き続ける日々を送っている。