500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第157回:百年と八日目の蝉


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 百年と八日目の蝉1

百年なんて、馬鹿おっしゃい
八日だって、あり得ないわ
あなたは何を言ってるの?
私はあなたのお母さん

百年待つのも、いいだろう
八日もあれば、十分だ
お前も早く大人になれ
私はお前の父親だ

百年生きて、どうするの?
八日になったら、死んじゃうよ
一緒に仲良く飛び回ろうよ
僕たち君の親友さ

百年八日、経ちました
私はきっと蝉じゃない
私は絶対蝉じゃない



 百年と八日目の蝉2

 パッと咲いてパッと散る、はずだった、花火のように。あるいは台風のように、深い爪痕だけをのこして一瞬で過ぎ去ってしまうはずだった。なぜならパンクとは、意図的に引き起こされた「事件」であったからだ。
 パンクは1970年代の後半に突如誕生した新種などではない。身も蓋もなくいえば、1960年代には既に存在していたガレージ・バンドの焼き直しに過ぎない。しかしセックス・ピストルズに象徴される尖った思想やその外見がファッション戦略とも結びつけられ、一躍脚光を浴びたのである。暗い地中から日光ふりそそぐ地上に現れて爆発的に鳴いたパンクは、《ノー・フューチャー》の宣言どおり、その役目を終えた後あっさりと死ぬ運命にあるはずだった。

 2077年現在、死ぬどころか「ジャンル」として確立されてしまったパンクは、いまだロックの一潮流として根強い支持を得ている。
 奇しくもセックス・ピストルズが『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を発表してから百年と八日目の本日、新たなバンドがデビューする。イモータル・シケイダス。ナノファイバーでできた彼らは、現在のパンクをまさに体現する。この四匹の《不死身の蝉》を、見逃してはならない。



 百年と八日目の蝉3

紅い花が咲いた。9日前の雪の日、街外れの古木に。
この辺りが新興住宅地と呼ばれていた頃から住んでいるが花をつけるのを一度も見たことが無かった。
白に紅。絵になる筈なのにどこか禍々しくて撮った写真をネットに上げる時は「閲覧注意」と書いてしまった。
花は翌日散ったと言うより落ちた、ぼとりと丸ごと。そして地面で花弁を撒き散らした。周りを埋め尽くした紅の下からは夥しい数の蝉が這い出て来た。既に成虫の姿で低く啼きながらぞろぞろと連なって樹へ取り付いて行った。まるで亡者が怨み言を呟きながら群をなしているかの様に。もちろん動画を撮ったがこれを公開していいものかと思案した挙句、同じ注釈付きで上げた。
それからずっと蝉は啼いている。桜も未だだというのに耳だけならまるで盛夏の様だ。ネットではこれは百年蝉ではないかと一部でささやかに盛り上がっていた。百年土の中にいるとか、必ず拠り所の樹があるとか、殆どは雄とか、その寿命が尽きる時には…とか。
だからなのか今日は野次馬…いやお仲間が多い。場所を特定したらしい見知らぬ顔もちらほら見える。
突然蝉時雨が止んだ。



 百年と八日目の蝉4

 陽炎が揺らめく中、蝉のじいじい鳴く声が聞こえる。僕は雑木林の中へと進んでいく。一本の樹の幹に止まっている蝉を僕は素手で捕まえる。もう、何度も繰り返したことだ。今度こそは。そう願いながら蝉の腹をぶちゅっと押し潰す。その瞬間に世界は暗転して、気がつけば僕はおぎゃあおぎゃあと声を上げて泣いている。
 また、誤った。きっとあの蝉はまだ七日目だったのだ。
 次は絶対に間違えない。そう誓いながら、僕は知らない顔に向かって泣きわめき続ける。



 百年と八日目の蝉5

 気付くとこの地で倒れていた。住民たちに優しく介抱され、住む小屋を与えられ、食べ物は分け合うしきたりのようだったから混ぜてもらった。皆、とても穏やかで幸せそうな人ばかりで、ここに来るまでのことを一切覚えていなかったけれど、それでも安らかな気持ちで暮らすことができていた。
 与えられた小屋の横には桃の木が生えていた。夏が来ると立派な実がいくつもなった。木に登り、実を収穫した。産毛の生えた表面は何か、赤子の肌を連想させた。飛んで来る鳥のために二、三の実を残して、あとはしきたりどおりに皆で分けた。甘くみずみずしい桃だった。夏の間に別の木の桃も分けてもらえ、都合四度ほど甘い桃にありつけた。
 三十年くらいまでは何年目か数えていたが、それもやめてずいぶん経つ。この地に来たころから姿形は全く変わっていないし、むしろ若返ったかのように力みなぎっている。相変わらずこの地に来る前のことは全く思い出せないままである。けれどそれは、気にしても仕方のないことだ。だからもう、思い出さない。
「幸せですね」
 桃を食べながらしみじみと言った。
「幸せだったのさ」
 隣で桃をむさぼる爺さんに言われる。表情は、見えない。



 百年と八日目の蝉6

いっそ自殺してしまおうか。
そんなことを真剣に考え始めた頃合いに、蝉は一人の少年に採集された。
逃げるのは造作もないことだったが、蝉はそうはしなかった。少年の目が比類なき好奇心に満ちていたからだ。蝉はここで生涯を終えることを決めた。
少年は名をオサムと言った。彼は蝉を美しい標本に仕上げると共に、蝉の精密なスケッチを幾枚も描いた。これらの作品は今後百年、二百年と、後世に遺すものとなる。



 百年と八日目の蝉7

 おれたちは、おまえらの尺度で生きているのでは無ぇというのに、どうしてもおまえらはそうやって比べねばならねえのだな。そうやってどこか哀れの眼で聞くのだな。それに、おれの仲間の死ぬのを見て、ああきっとどうせおれも死ぬのだろうと思っているのだな。ほんとうに可愛いことだな。おれだけでは無ぇというのに。
 おまえが死んだそのあとも、おれは鳴くだろう。
 そういうことも、あるってことさ。



 百年と八日目の蝉8

すでぐに私は百二十年前に死に別れた妻に一目惚れした。

そもそも楽器を造ろうとしたのではない。
可能だったから成虫としての寿命を伸ばしてみただけだ。
さがなくばそもある試みの中、もっとも成功した七番目の群れはおよそ十年区切りで、蝉声を一変させた。
人が未知なる刺激に触れたとき、ふさわせるクオリアが用意されていることは神秘である。第七群が昨日まで世界に存在しなかった音色を奏で始めるとき、人は昨日まで存在しなかった感情を抱いた。存在しなかった接続詞や副詞が生まれ知性の形式を変更した。

寿命として予測されていた百年と八日目の今日。強靱な回復力を失った楽蝉は摩耗し、音も無く、そしかしてひたすがら震動していた。
それは高圧の静寂。死んでゆく個体に感応するのか死亡ペースが加速し静寂の圧が低下し、それを埋めようとするように
記憶が
噴出する。
記憶と記憶にない記憶が蝉に追いすがるように死に向かって疾走する。これが走馬燈というやつか。
聴かせたかった。三番目の妻に。彼女はヴァイオリニストで、知る限りもっとも耳がよかった。彼女ならどんな顔をしただろう。あすらう私の脳裏で彼女の表情が生前みたこともなかったおどろきに引き歪み



 百年と八日目の蝉9

 りゆ婆が食べなくなった。おしっこも出なくなった。もうそろそろらしい。KPを呼ぶように、と院長指示があった。キーパーソン。りゆ婆の。りゆの居室に行ってみた。りゆがオレを見とめて片手を差し出した。両手で包むように握ると目をつぶって嬉しそうに握り返してきた。飯もいらないのに肌の温かみは必要なのか。いちばんさいごに欲しいものっていったい何だ?オレはまだ、それが何なのかわからないな。

 その日から百年後、オレはりゆ婆が寝ていたのとまったく同じ部屋でベッドに横たわり、窓から蝉が羽化するのを見た。三人の孫がベッド脇に座って、その光景を一緒に見た。
 蝉の成虫が殻を破る時に、あの日りゆ婆の口元にニヤッと浮かんだ皺を思いだした。
 もういつくたばっても思い残しはないが、いやないはずだったが、今、羽を固めている蝉が、今日からどんな八日間をおくるのかが急に気になってきた。



 百年と八日目の蝉10

永遠と玉響の、揺らぐ時間の虚ろに、いのちの夢が揺蕩う。淡いの故に、競合と和合の擦れが、騒めく。当然に、その時を計り、恣意的な閾値を悉く、淘汰する。とまれ、生は、虚実の交歓を呼ぶ。嫋やかな音の飛線が交錯する。

てんとちと
あわくゆたかに
かなでして
ときといのりに
いのちのこだま

いのちの輪郭が祈りになった。移ろいに刹那を踊らせ、未来と過去の溶融を促す。還るのは、何処か。答えは目の前にあるにも関わらず、なおも夢見る。追うことの、逃げることの、事象の普遍に、微笑みを携える。夏の木漏れ日に、数えの夢を抱きしめて。



 百年と八日目の蝉11

 呪いが解けた姫は、夕暮れの地表へ出て木の幹を登り、殻から抜け出すと折りたたまれた羽を伸ばし始めた。明け方になり羽が乾くと初めての飛翔をした。
 連日飛び回るも王子のものと思われる鳴声を聞くことなく、とうとう力尽きた姫は落下した。通りかかった小学生が地面でもがく姫に気付き拾い上げた。姫は指の中で更にもがいた。
「お父さん、見たことない茶色いセミが落ちてた。」
「お、それアブラゼミなんじゃない?昔一回だけ捕まえたことがあるよ。今よりはまだいたからな。おじいちゃんが子供の頃は素手でガシガシ掴める位低い木にも群がっていたらしいよ。」
「超レアってこと?写真とって自由研究完了ー。ラッキー。」
「待て待て、折角だから標本作ってみようよ。あと、どうして減ったのか調べたりさ。」
「えーっっっ」
眠りアブラゼミ姫と後にセミ王子と呼ばれる少年との邂逅だった。



 百年と八日目の蝉12

漠々たる世界で、一度の絶叫より孤独を鳴き続ける。



 百年と八日目の蝉13

 それは長いあいだ名前を知らずに蹲っていた。なぜそこに閉じ込められたのかも知らず、誰に閉じ込められたのかも知らず、いつか抜け出せるのかどうかも知らず、ただ、膝を抱えて蹲っていた。
 地上では混乱が起こっていた。人が死に、病が蔓延し、田畑が荒れた。それでも誰も困ることはなかった。元もと地上とはそういうところだったので。
 神が現れた。この混乱した地上を清めると。そうして、神の言葉は現実化した。地上は清められ、均され、ただそれだけのものとなった。
 地中深くに蹲っていたそれは、地の隆起とともに地上へと現れた。それは、閉じ込められてから百年と八日目のこと。現れ出でた地上はすでにすっかりと清められ、新しい年を迎えていた。それは飢えていた。食に飢え、性に飢え、貪ることを欲していた。清められた地に、それは繁殖した。何ものにも遮られることなく、欲のままに、殖えて満ちた。
 かれらにはまだ名前がないが、当面の間はそのままでよい。やがて、かれらが死に絶えるとき、名前が与えられる。分類のために。



 百年と八日目の蝉14

 百八蝉については諸説あるが、その多くは【Cicada Of 108】というJazzの楽曲に由来すると言われている。この曲について、日本のJazz界の巨匠坂元輝はインタビューの中で次のように述べている。
『今のピアノは白黒合わせて88鍵あるが、最初に作られたピアノは54鍵までしか無かった。この楽曲はその54鍵しかないピアノを二台使って演奏する。』
 坂元氏は夫人と共に今年の8月上旬に百八蝉の鳴き声に合わせてこの曲を演奏する。その日は楽曲の誕生から百年と八日目に当たる。この楽曲の特徴を表すと、ピアノの音と百八蝉の鳴き声が混ざり合う瞬間だと坂本氏は語った。
 今日の我々の平均寿命からすれば、百八蝉の一生はとても短い。我々が約千年生きるのに対し、百年という期間を土の中で幼虫として過ごし、僅か八日ばかりを成虫として過ごす百八蝉は、何を思いながら八日間鳴き続けるのだろうか。
坂元氏は最後にこう語る。
「私の妻は今年で百歳になる。妻は私と違って百年ほどしか生きられない体だ。かつての人間と同じだな。私は千年ほど生きる。だがね、妻が亡くなってからの九百年間、どう生きたらいいのか私は分からない。きっと抜け殻のようになるさ」
 百八蝉の鳴き声は人間と同じである。



 百年と八日目の蝉15

「博士、すごい発見をしました!」
「おお、何の発見じゃ?」
「最近、蝉の成虫の寿命がのびているんです。この十年間で、確実に二時間半ほどのびました!」
「おお、すごいぞ。ということは、百年経てば寿命が一日以上のびるということじゃな」
「そうなんです、博士。『蝉の寿命は一週間』という定説が崩れるんです」

 九十年後。
「博士、ついに蝉の成虫の寿命は百年前よりも二十五時間のびました!」
「おお、地道な研究が実を結んだの。これで定説が崩れた、すぐに論文発表じゃ!」
「はい。でも、人間の寿命ののびに比べたら微々たるものですが・・・」



 百年と八日目の蝉16

 お祖父さんの最期、ねえ…。あなたも知っての通り、お祖父さんはとても穏やかな人だったわ。特にお祖母さんが亡くなってからは、つらいだろうに、そんなそぶりは一つも見せないで、いつもにこにこ笑っていたわ。百歳の誕生日ね。老衰でいよいよ、と聞いて、もしもに備えてずっと布団の横にいた。お祖父さんは苦しそうな顔は全然しないで、息も乱れてなかった。ただ、股間がとても盛り上がっていたの。最初は大きいのかと思って、替えの下着を持って着替えさせたんだけど、違ったの勃起だったの。慌ててパンツを履かせようとするんだけど、もう履かせられないのね。それだけしっかり勃起していて。え? まさか。見てるだけよ。特に苦しそうでもないしね。今思えばお医者様に連絡するべきだったのだろうけど、あまりに穏やかなものだから、それもできず、一週間経ったかしら。月夜ね。カサカサする音で目が覚めると、お祖父さんの先っぽで蝉が羽化しているの。月の光で蝉が羽根を乾かしているの見て、寝ぼけながらも、ああ、お祖父さん、死んじゃうんだなって、わかったわ。朝になって蝉がおしっこしながら飛んでいくのを見て、なんか、似つかわしいな。って、思ったわ。