500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第160回:タルタルソース


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 タルタルソース1

 むかしむかし、空の向こうからタルタル人がやってきた。彼らは人間と同じような姿かたちをしていたが、人間にはない、やわらかなからだを持っていた。からだのどの部分もどこまでも伸び、どこまでも曲がった。
 タルタル人たちは、友好の証として、自らのからだを切り裂いた。人間たちは驚いたが、タルタル人は痛がる様子もなく、流れ落ちてくるほんのり黄色みがかった白い液体を、見たことのない透明な器に入れた。タルタル人は言った。「わたしたちのからだはとてもおいしい。ぜひ食べてみてください」と。人間たちは気味悪がったが、ひとりのおなかをすかせた子どもがその液体を舐めた。子どもは叫んだ。「おいしい!」と。人間たちは顔を見合わせ、それからおそるおそるその液体を舐め始めた。液体は、今まで食べたどんなものとも似ても似つかない味わいで、彼らはあっという間にその液体を舐め尽くした。そして、その様子を黙って見ていたタルタル人たちに襲いかかった。

 かくして、タルタル人たちは消えてしまった。タルタル人を食べた人間たちも消えてしまった。タルタル人の味を再現して作ったというソースだけが残されている。



 タルタルソース2

 その日、僕と母さんは空港にいた。
 昼ご飯の時間には何とか間に合った。
 空港のレストランで、先に来ていた父さんとうどんを食べた。
 他愛もない話をした後、父さんは母さんにキスをして、それから僕の頭を撫で、エスカレーターを降りていった。
 僕と母さんはデッキへ向かった。
 他の皆の姿が見えた。
 来ている人も来ていない人もいた。
 油のにおいがした。
 父さんたちを乗せたエビフライが、滑走路でギラギラと輝いていた。
「よく揚がってる」
 と誰かが言った。
「よく揚がってるねぇ」
 と誰かが答えた。
 本当にそうだなぁ。
 と僕は思った。
 昼ご飯の時間を告げる鐘の音が辺りに鳴り響いた。
 直後に空から巨大な箸が降りてきて、エビフライはゆっくりと飛び立っていった。
 僕らは空を見上げた。
 エビフライは空をぐんぐん昇っていき、雲のふりをしたタルタルソースを突き抜け、太陽のふりをした神様の口へ飛び込んでいった。
 サクサクと小気味良い音が辺りに響いて、やがて小さな衣が酸っぱい匂いとともにこぼれ落ちてきた。
「今年の神様は行儀が悪い」
 と皆が泣きながら笑った。
 風に吹かれてずるずると次の場所へ運ばれていくタルタルソースを見送りながら、
 本当にそうだなぁ。
 と僕は思った。



 タルタルソース3

 これが人生で四度目の恋だった。いや、恋はもっと密かにたくさん行われてきたのだけれど、正式にお付き合いした回数が四回目。
「飽きない?」
 私はチキンを頬張る彼に、おそるおそる尋ねた。彼が美味しそうに何度も口にするチキンにも、私がナイフを入れている魚料理にも青々としたパセリが散りばめられたタルタルソースが、たっぷりとかかっていたのだ。
 ツンとしたアクセントになるパセリや鮮やかな玉ねぎの味がふと以前の恋を思い出させる。相手から唐突に告白され、そして一方的に別れを告げられた苦い記憶。
「出会った時は何て魅力的な女の子なのだと思ったけれど」
 続く言葉は皆、そこが辛くなってしまうのだと言う。
 私はタルタルソース系女子なのかもしれない。
 最初は独特なクセのある部分に魅かれるも結局くどくなっていく。
「飽きるどころか」
 彼は口元にソースが付いていることにも気づかずに小さな笑窪を見せながら笑った。
「ますます好きになっていくよ」



 タルタルソース4

 雪が嫌いで嫌いも嫌いで嫌いがすぎて嫌いなあまり、雪に解けない呪いをかけた。
 以来、南極アラスカシベリアヒマラヤストックホルムグリーンランド、寒い地域の至るところに、エビ型のUFOが飛来してくる。



 タルタルソース5

 混浴だという。

「ごきげんよう」
 甘く下がる目尻にうなじの白さ。むうんと濃密な色香にとらわれすれ違う女性を目で追うと軽く挨拶された。
 足音もなく大浴場の暖簾をくぐる後姿は誘っているようにも見えた。

「あら。食べられたいの?」
 更衣室に入ると先の女性が白くくねる背中と豊かなヒップを隠すこともせず振り返り、笑み。浴室へ入る。
 まさか更衣室も男女一緒とは、と急いで脱ぐ。
 ロッカーには「衣はすべて外して。金属類は純銀製も不可」の張り紙。いや、普通そうだろう。
 とにかく女を追う。

「順番を守れば後は好みよ?」
 入ると女が舌で唇を妖しく湿らせていた。伸ばした白い腕に白い泡。細い肩にも、踊るように腕をくねらせ晒した腋の下にも、ばばんと突き出て丸みを主張する胸にも。
 いや、泡じゃない。
 角が立っている。明らかに細切れにした何か。白もややクリーミィ。
 女性は続ける。
「まず湯舟。塩に醤油に、飛魚出汁風呂なんかもあるから」
 そう言って手元に並ぶ何かに玉ねぎや玉子のみじん切りを混ぜほんのり上気し完成されたボディに塗りたくる。
「順番、間違えちゃダメよ?」
 じっとりとした視線に絡む甘み。
 のぼせたように湯に漬かる。



 タルタルソース6

開闢の宇宙に、夢を鏤め、回折する光の豊穣に、愛が絡む。美しい濃淡の輝きが、時の波紋になり、艶めかしい翻しを待つ。極まりの謀反を反故にし、伝う微笑みの意味を弄玩せず、舞う天の配分に麗しい素顔を傾けた。潤いに力を試し、留めぬ気配の優しさを贔屓した。

あいのゆめ
とどめぬあるじ
ふたたびの
みたびあまたの
たまゆらゆれて

主従の哀しみが、なお時を夢見る。微細な応答を喚起し、滑らかな現し身に杯を仰ぐ。閑雅に満ちるときめきは、重層な光の重さになった。振舞いに窮した懐古は意味を失くす。交合の溜息がなお時の往くままに、忘却の棚に置いた感覚が新しい名前を呼んでいた。夕餉の舞いに。



 タルタルソース7

名前だったからタルタルソースと呼んだ。言い訳をテンピュールの枕が吸い取って、重くなる。膨らみはまだないタルタルソースが詰まった腹の上に乗せた。ぼくになんか負けないで、元気に生まれてきて、衣ばかりのぼくらに絡みついてほしい。そのときは呼ばれたきみが名前になるのだろうね。ちいさなお腹に卵をたくさん孕んで、タルタルソースであることは、ぼくらがそうしたみたいにすっかり忘れてしまって。
でもいまはまだ、きみはタルタルソースだよ。



 タルタルソース8

文明の爛熟期においても、味をレコードすることはできなかった。サーモンは滅び、サーモンの味は復活していない。
不満足な昼食の後、研究室に戻ると机の上に調味料の瓶が立っていた。ラベルにマジックで「電報」と書いてある。かわいい字だ。
謎かけが好きな復活技師の娘から、次に誰をやるかの報せだろう。

前回ガロアをやった間宮はエルデシュを。宝井とカシュカナンは協力して、津々見が前回失敗したウィトゲンシュタインを。津々見はリベルタリアのキャプテン・ミッションをやると報告を受けていた。
瓶で報告してきた樽田は、前々回私を復活させた当人である。謎はすぐに解けた。彼か。私と噛み合わせようということか。
復活者には母語補正付きで日本語が刷り込まれる。彼と私の間には未決着の問題がいろいろあるけれど日本語で話せば、思わぬ筋道にしけこむこともできよう。

地球上に林檎の虫喰い穴のように残った、かすかな、しかし最大の文明圏である日本に、歴史上の叡智が集められている。集められた側の私が言うのは不遜だが。
ノックの音がした。
樽田は天才だ。仕事が早い。
ノックの音色だけで懐かしい彼の来訪を確信したが声を聞いて確信するのとほぼ同時だった。
「いるのか。ヴォルテール」



 タルタルソース9

いきなり言われてもピクルスなんてない。



 タルタルソース10

『君も仲間にならないか?』
『レッドの言う通りだ。望むなら受け入れるぜ』
『俺たち皆、個性的だしな』
『ロボの中は快適だよ。カレーも食べ放題』
『美味しいスイーツもあるわよ〜』

「うわぁ」
「ど、どうしたカキ怪人。夢でうなされてたぞ」
「最近、戦隊の奴らが俺のことを懐柔してくるんだよ」
「何? そんな戦法を使うようになったのか。それにしてもお前、心動かされてないか?」
「そ、そんなことないよ。ロボには乗ってみたいけど」
「それより、おたふくライダーとの闘いはどうなったんだ?」
「え? あいつ? 奴もキャラが濃いけど一本調子なんだよね。闘ってて飽きるというか……」
「それで戦隊に魅了されちまったと」
「何が魅力かというと、あのロボだ。こんな俺でも優しく包み込んでくれるような気がする。そして俺に負けないくらい個性的なメンバー。きっと仲良くなれるんじゃないかな」
「そうだな、最近こっちの仲間も減ってきたことだし」
「おっ、乗り気になった? アジ怪人も一緒に行くか?」
「うーん、それもいいかも。じゃあ今度の闘いの時に言っといてよ、俺も行くって」
 そして後日。
「ごめん、アジ怪人。俺たち生じゃダメだってよ……」



 タルタルソース11

「味音痴って楽よ、結婚するならそういうのとがいいわ」
父の三回忌で久しぶりに帰った実家は一階がカフェになっていた。喪服の上にエプロンをつけた母はカウンターの中で珈琲を淹れながらそう言った。
この味音痴とは父のことらしいがちょっと違うと思った。彼は単に一つの味と言うかソースが大好きだっただけだ。
「こいつは何にでも合うんだ」と言いながら父は何にでもタルタルソースをかけた。それが白身魚のフライならまあ王道とも言えなくもないが、白身魚の刺身にも同様にたっぷりと。
母の子供の頃の夢は「食べ物屋さん」で実際料理の腕は良く、誰もが「いいお嫁さん」では無く「いい料理人」になれると言う程だった。夫が愛したソースを極めようと高級食材でマヨネーズから作ったり、スパイスに拘って本格的なものを作ろうとしていた様だが、結局父は市販のマヨネーズにゆで卵を混ぜたものしか受付なかった。玉子が美しく均等にダイスにカットされていたのはせめてもの抵抗だったのかもしれない。
「ホントに楽」
そう呟いて母がカウンターに食後の珈琲を置いた。揺らめく湯気を見てふと思った。
ーー父が死んだのは何でだっけ?



 タルタルソース12

 叔母は料理が上手だった。正確に言うと、幼かった自分に、叔母の料理の良し悪しがわかったわけではない。祖母に言わせると、叔母の料理は名前のわからない味の強いものが多く、とても自分の口には合わないという話だったが、その魔法のような料理の名前と味は、幼い自分に世界と未来を感じさせてくれるものだったのだ。叔母の隣から背伸びをして無理やりカウンターを覗き込み、見慣れない食材の名前をひとつひとつ聞いては、拙い字でノートをとったことを覚えている。
 年を重ねた叔母は、少しずつ自身の記憶を手放し、ぼや騒ぎを起こしたあと、キッチンで火を扱うことを禁じられ、急速に老いた。見舞いに行っても、知らない人を見るような目で見てくるが、ときどきスイッチが入るようで、私の名前を呼ぶ。そして呪文のように、あなたの作った料理がまた食べたいわ、と言う。
 帰ってきてから、幼い頃のノートをとりだして、叔母に習った料理をあれこれと思い出す。しみの付いたノートには曲がった字で、タルタルソースの作り方が書いてある。もう今では使わなくなってしまった古いレシピの山は、古紙回収の日になるたびに悩むが、結局今でもまだ捨てられないでいる。



 タルタルソース13

キュウリにパプリカ、玉ねぎ、ニンジン、じゃが芋、大根、パセリを少々、ゆで卵は忘れずに、リンゴもコッソリ入れちゃって、仕上げにたっぷりのマヨネーズ(今日はケチャップにはご遠慮頂いたようだ)。そして彼らは故郷に戻ってきたような郷愁感と、大空に飛び上がるような幸福感を胸に抱き、ソースの海へとダイブする。



 タルタルソース14

 この感覚は、どこかで経験したな。と、しばし考えて、初めてニューヨークを訪れた時を思い出した。坩堝とかサラダボウルとか、喩えが二つ名になっている国の中心は、適切な形容だから社会の教科書さえ採用するのだとわからせた。
 そして同時に、初めての渋谷スクランブル交差点で、テレビの向こうのはずな現実と、白人も黒人もモンゴロイドも、本当に交差点の真ん中で記念撮影をしている光景に受けた衝撃を、ニューヨークで思い出したことを思い出した。
 どちらの街も、ソリッドな社会とリキッドな社会が、この街のように混ざって、ゾル状の緩やかな輪郭に抱かれている。転移熱に似たエネルギーを内包して。
 ロシアとアラブとモンゴルと、一瞬ドイツに支配されながらも、退くことなく東ヨーロッパと中央アジアの交易拠点、かつ、軍事基地であり続けたこの街で、「第三次セヴァストポリの戦い」の端緒となった軌道エレベータを見上げる。バイコヌールでもボストチヌイでもない英雄都市に建造した人間たちの決意を思い浮かべ、過去からこの街に滾る生命力を想起する。
 不意におなかが鳴って、空腹に気づく。



 タルタルソース15

 少しだけおしゃれ。新しいニット。流行りのグレンチェックパンツは、今日着たら通学用にしようと思う。どのイヤリングを合わせようかとか、コートはこれでいいかなとか、お化粧も派手すぎないくらいに。まるでデートみたい。
 一人で来るのが夢だった洋食店。ちょっと背伸び。
「お待たせ致しました」
 目の前にお皿が置かれ、思わずスマートフォンを手に取ろうとして我に返る。そういうことをしに来たんじゃない。そういうことは似つかわしくない。
 ナイフを入れるとサクッと心地良い音がして、きつね色の厚すぎない衣の中にエビ。
 これは全部わたしのもの。この時間もわたしだけのもの。たらふく味わっていいんだ。このミックスフライセットも、これを食べる時間も。
 ナイフでタルタルソースを掬う。ゆで卵が入っていなくてラッキョウが入っているのが特徴らしい。たっぷりと擦り付ける。ほおばる。ほら、素晴らしくおいしい。さっくりした衣とぷりぷりのエビがもちろんおいしい。けれどソースがそれを引き立てる。
 一人の時間はみじん切りの自由。きっと人生はエビフライを楽しむようなこと。大人の女性になりたくて。おいしいことたくさん、夢だらけの大人に。



 タルタルソース16

 タルタル島のタルタル人は世界中から愛されている。それは相槌を打つのが無双に上手だからだ。
「そうっすねー」
「そうっすかっ?」
「そうっすよねー!」
 実に的確に絶妙のタイミングで実感込めて打ってくれる。ほんとにほんとに、自分の話を聴いてくれるのは嬉しいものだ。
 相槌を打つ時の、たるっとした笑顔も魅力。