物語られるものと物語るものとのあいだ
自身としてははじめての選になる。悩みに悩んだ。言葉を重ねることで、作品を邪魔するように感じられさえもしたが、書き手として、やはり反応はあればあるほど嬉しいと思い、少し長すぎるかとも思うコメントをつらねてみた。楽志さんの反省の弁もふまえたうえでのことだ。
掲示板でも少し話題にあがっていたが、お題と作品との距離のとり方は、わたし自身もいつもたいへん悩むところだ。タイトル競作にかぎらない。自由題でもその課題はつきまとう。むりやり言葉にするとすれば、それは、「物語られるもの」と「物語るもの」とのあいだだ。つかず離れずのその2つのつなぎ目、「物語り方」に、超短編の檜舞台はあると思う。
読み手としてのわたしは、やはり、自身では物語ることができないだろうものを、自身では物語れないような書き方で、けれども、どこかしら、わたしの奥底を、くすぐってくれるような作品を求める。それは狭き門なのかもしれないし、豊饒とした世界がそこには広がっているのかもしれない。微妙な距離感をはかりながら、耕し、耕され、眼前に広がってくるさらなる物語世界を、わたしはこれからも待つだろう。
次回の選者はタカスギシンタロさん。飄々とした独特の短い物語世界を紡ぐかれの読み手としての目は、どこに向かって開かれているのだろうか。次回はわたしも書き手としてタカスギさんの目を探りにいく。
鳥籠 : 松本楽志
> その部屋には,毎朝,少年が配達されてくる.
登場人物は、「少年」と「男」だ。配達されてくる少年。体が大きいので部屋から出ることができない男。接点をもっているのかもっていないのかわからないそれぞれの物語のフレームが、どんどんと展開されていく。ラストでとり残されるフレームは、もう物語る役目を終えたのだろうか。それとも実は物語られていたのは、フレームそのものなのだろうか。読了するというフレームのなかに取り残されるのは、実は読み手のほうなのかもしれない。
庭の山 : 華丸縛り
> 朝起きてみたら、家の庭に小さな山ができていた。
お父さんはいったいどうしたんでしょう。ママはいったい何を知っているんでしょう。頭のなかが謎でいっぱいになってしまいました。タイトルにもっと意味をもたせてもよかったかもしれないが、シンプルな文章をたった3つ重ねることで、謎を含ませたまままとめたのは成功していると思う。
おっちゃん : 嶋戸悠祐
> 誰も気がついてないのかもしれないけど、ぼくんちの前のくさぼうぼうの空き地のすみっこで、
あやしいおっちゃんの姿を見つめるぼくの淡々としたまなざしがおもしろい。おっちゃんの真実も意表をついていた。ほのぼのとした文体と、ブラックな結末との違和感が、おもしろい。
煙のあと : 春都
> くさばのかげをのぞいてみた。
この「もう」がさすもの、「くさばのかげ」がさすもの、「いた」がさすもの、「煙のあと」がさすもの、は何なのだろう。隠された意味があるのかもしれないし、表現されたままの意味なのかもしれない。物語にふくらみをもたせるか否かは、読み手の読み方にゆだねられる。
声援 : 歩知
> コーヒーだけ残して放心していたら古びた防寒コートの男がやって来て
おそろしくからっぽな言葉たちとおそろしくからっぽな心たちとおそろしく無情な情景を映しだして、心惹かれる。読み返しても読み返しても空虚さがむなしく繰り返すばかりだ。怖いぐらいに。
希望の瓦礫
倒壊したビルの瓦礫の下、下敷きになった被害者たちと、その周囲の人たち、黙々と冷蔵庫を運び込んでくる男。死と生との、奇妙な一体感と揺れとが、不思議な筆致で描き出される。「希望の」というタイトルが、最後の死体と照らし合い、複雑な読後感を導き出す。たどたどしい文章も味のひとつかとも思うが、せっかくだからもっと文章で読ませてほしい気がしたので、悩んだすえに選外。
テレビ
めずらしく早く帰ってきた「親父」と、いつものようにテレビを見ていた「ぼく」との一情景。2人のあいだに交わされる会話は「この人がんばるね」と「テレビを消しなさい」の2つだけだ。けれども、その短いシーンに、「親父」と「ぼく」の人となりの、表現されていない部分が物語られているのが感じられる。最後の一文の重さをどう感じとるかで、この作品の印象は大きく異なるだろう。一行アキの多用は、癖なのか、単に改行の印なのか、判断に迷う。前者だとしたら、一考の余地があると思う。
電話
自然と戯れるのが好きな「君」へ、携帯電話をかける「僕」の罪悪感を描いた作品。ある種つくりものめいた「君」の魅力を判断しかねて、掲載にはおせなかったのだけれども、罪悪感をもちつつも、携帯電話で「君」の世界とつながりたい欲望を抱えた「僕」の矛盾した状態は、おもしろい。
ticket to ride
「チケットを下さい」と言うことをただ繰り返す作品。うまくいけばおもしろい作品に仕上がると思うが、本作では幾分冗長に思う。一連目の意味のずれたやりとりはおもしろいので、そのテンションが最後まで持続すれば、楽しい作品に仕上がるのではないだろうか。とくに最後の段落は、少々やりすぎのように、わたしには思われた。
ふたり
増殖=分裂して二人になるひとりぼっちの「私」。生きたくない「私」の描き方としてはおもしろいと思う。「ふたり」と「ひとりぼっち」の自分を行ったり来たりする感覚がいい。文章、言葉は、改行の仕方も含めて、もっと練られるのでは。
しっぽ
彗星=ほうきというワンアイディアもの。読みやすく、ほのぼのとしていて楽しい。「彗星」であるというネタをもう少しふくらませると、楽しみどころのもう少し多い作品になったように思う。
撮影大会
空を描いた情景描写。魚に見立てたのはおもしろい。もう少し動きがあれば。
箱
箱からティッシュを1枚ずつ抜き取るのは、なんであんなにわくわくするんだろう。そのおもしろさが、行為、音、手触りなどを経て、ついには行為と行為者との溶解にまで達する。読んでいてもその意味のない行為にうっとりしてしまう。さて、そうなると、最後の2行がまとめに入ってしまっているのが、逆に唐突だったか。
魂送り
カボチャのわたを、要らなくなった神仏を引き受ける回収車にひきとってもらう話。単なる日常の情景としてそっけなく、けれどもリズムよく軽快に描出されるのが、楽しい。とはいえ、最後の2行が多少そっけなさすぎて、リズムに乗り切れていない気がするがどうだろう。
アップル・パイ
お母さんになるということを、いろいろ考えさせられる話。掲載に踏み切れなかったのは、わたしが「アップル・パイ」というタイトルの意味を、受け取りきれなかったから。タイトルのつけ方は難しい。読みとるということもまた難しいようだ。今回もっとも悩まされた作品。