鳥籠 作者:松本楽志
その部屋には,毎朝,少年が配達されてくる.
入り口は天鵞絨の豪華な扉.鍵はかけられていないけれど,とても小さいので,体の大きいその男は部屋からは出ることができない.扉の向かいには大きな窓がある.窓から身を乗り出すと,地上が遙か下のほうに見える.上にも下にも同じような窓が連なっている.空はオゾンの色にずっと塗りつぶされていて,雨の一滴も,鳥の一匹も窓からは飛び込んでこない.
毎日,違う少年が配達されてくる.目の色も肌の色も髪の色もおそらく異なっている.ただ,少女が配達されたことはない.今日配達されたのは,くたびれた白い半袖シャツ,サスペンダーで茶色の半ズボンを釣っているそばかすだらけの少年.
その朝,男はふと少年のシャツを脱がせてみた.
少年だと思っていたそれは,鳥籠であった.
あばら骨の間にバタバタと鳥が羽ばたいている.
男は鳥籠をそっと開け,中から鳥をつかみ出す.
暴れていた鳥は急におとなしくなる.
男は鳥の足をしっかりと握りしめ,窓の前に立つ.
鳥がふたたび騒ぎ始める.男は窓わくを蹴って,青色の中に飛び立つ.
そして,あとには鳥籠だけが残される.
庭の山 作者:華丸縛り
朝起きてみたら、家の庭に小さな山ができていた。
「ママ、これなあに?」
「ああ。それ、父さんよ」
おっちゃん 作者:嶋戸悠祐
誰も気がついてないのかもしれないけど、ぼくんちの前のくさぼうぼうの空き地のすみっこで、毎日、毎日、スコップ片手に穴を掘っているおっちゃんがいる。がっこうの帰りなんかに遠くの方からおっちゃんの姿をぼーっと眺めたりしていると、おっちゃんはぼくに気づき、まっしろい手ぬぐいで額の汗をふきふき、まっくろい顔をこっちに向けて愛想よく手をふってくれる。でも、近所のおばさんなんかにおっちゃんの方を指さして、あれー、っていってもなんかバツの悪そうな顔してすぐに通り過ぎちゃう。本当にぼくだけにしか見えてないのかしら。
でもここ最近、おっちゃんのすがたが見えない。夜なんか、へやのまどからずっと空き地をみてるんだけど、おっちゃんはあらわれない。どっかへいっちゃったんだなあ、と思いあきらめて、おかあさんの言うとおりひさびさに早寝をしたきのうのこと。
夜中に大きな音がして目がさめた。部屋の押し入れの襖が開かれていてそこに大きな穴が開いていた。茶の間の方へ急いで行ってみるとおとうさんとおかあさんがたおれていてそのかたわらで、まっしろい手ぬぐいで額の汗をふきふき、部屋中のものをぶっしょくしているおっちゃんがいた。ぼくはだまっておっちゃんのすがたをぼーっと眺めていると、おっちゃんは僕に気づき、より黒くなった顔をこっちに向けて愛想よく手をふり、そのまま玄関から出て行った。
煙のあと 作者:春都
くさばのかげをのぞいてみた。
もう、お兄ちゃんがいた。
声援 作者:歩知
コーヒーだけ残して放心していたら古びた防寒コートの男がやって来て対面の椅子に腰を下ろした。頑張ってますね、と言う。
骨折した。交通事故で。
太った。ケーキが好きだから。
ピアスをあけたばかり。おしゃれしたい。
機械油のような頭の中を錆びた言葉たちが泳いでいる。
マラソンは苛酷ですよね。体脂肪も絞るんでしょ、骨は脆くなるし生理も止まっちまう。男はからっぽな台詞を喋り続けている。
あの日、走るのに飽きていて、うわの空で。
ハッと気づいて、転んだ。轢かれたわけじゃない。
神様の眼を盗んで、見限られただけ。
心の底には重たい言葉たちが沈んでいる。
あたしはテレビを観てるだけの駄目人間です。だけど、だからこそ簡単に頑張れって言えるんです。ほんの少し、意識さえ集中できたら、頑張れるはずだって思うんです。だからせめて生涯に一度は、
男は不意に言葉を切り、あとずさりして店を出ていく。頑張ってくださいね。そのまま、道路を晒す陽光の中へ。応援しています。音もなくトラックが現れ、男を跳ね飛ばす。
がんばれ。がんばれ。がんばれ。血と鼻水と涙にまみれ、視線を宙にさまよわせながら、男は私に声援を送り続けている。