[優秀作品]秘密 作者:はるな
かわいた花びらが、夜のアスファルトを転がる。それは僕の足首にくるりと絡まり、離れて、道路のすみに吹き溜まる。
たくさんの花びらが、吹き溜まりの中でころころと戯れていた。かと思うと、それは真っ白なウサギとなり、暗闇の中へ跳ねて消えた。
春の夜 作者:タキガワ
一晩じゅう、しのしのと躯をしめらすぬるい雨が降った。
春は、夜でも花の匂いがする。アタシは花が嫌いだ。綺麗なだけで腹の足しにならないし、落下した花びらが纏いつくのには閉口する。けれど、その濃密な空気はアタシの背骨の髄まで染みて、じんと痺れるような心持ちにさせる。
今夜は、闇に乗じてあなたが来る。
強かに濡れたその姿が、街灯に浮かぶ。アタシの顎先からも雫が垂れる。その速度であなたがないて、声は夜道に限りなく続きそうなほどながく、あまく伸びていった。
アタシの空洞を埋めてゆく美しいあなたの声。不安になった。ずっと願っていた事が、ふと叶ってしまったかのように心細くなった。
アタシは不意に、いつもアタシを抱きにくるニンゲンをおもった。あつくベタついた手。すぐに興奮して高くなる声。
アタシがいなくなったら、あのこは傷付くのかしら。
獲物の蛙を弄ぶよりそっと、あなたはアタシに躯を寄せる。高飛車に振舞ってみても、アタシは沸きたつ予感を抑えられない。
夜明けがひらひら、アタシ達を染めてゆく。
希望 作者:庵之雲
無人島に流れ着いた男。飲み水もなく渇き死ぬところを、毎日一本ずつ流れてくる瓶づめの真水のおかげで長らえている。瓶に手紙を入れて返すが返事はなく日々水が流れ着くだけ。会いたい。瓶の中に入り男は旅に出る。北極をまわり赤道を過ぎ、凍てついた男の身体は融けて無色の液体になる。島に戻ってくる。それを拾いあげた男が水の代わりに手紙を入れる。茫々たる水平線へ遠ざかってゆく手紙。
だってへびが出るんだもん 作者:峯岸
「だってへびが出るんだもん」
「出るよ」
「かいだん」
「かいだんにいるの」
「いっぱい」
「へびってどくあるんだよ」
「かむんだよ」
「かむとどくがはいっちゃうの」
「あしかまれちゃうんだよ」
「どくでね、しんじゃうの」
「へびねえ、あたま大きいんだよ」
「あしが生えててねえ、こおんななの」
「しっぽはみどり」
「ひゃっぴきくらい」
「うじゃうじゃいるの」
「なんでも食べちゃうの」
「ねえ、いっしょに帰ってよう」
形見分け 作者:春都
父はなにも遺さなかった。母は葬儀のあと、裸で横たわる父の足元に座りこみ、ため息をついていた。
足の指を裂くのにはコツがある。力の入れ具合が難しいそうだ。母方の親族では例がないため、聞きかじりの知識だけで父を分けなければいけない。
「じゃあ……いちばん外側は」
わたしに言う母の声は消え入りそうだ。
指の股に爪で切り口をいれてから、小指をつまんで裂いていく。膝から腰、ワキを通って腕に到達したころには切り口にささくれが立ち、歪んでいた。
わたしは黙って父のいちばん外側を受け取り、母が反対側を裂いていくのを見守った。母の額に汗が光っていた。
すべて分け終えたあと、わたしと母だけ居残った。母は父をじっと見ていた。
わたしが手に抱えた、くるくると丸めた父のいちばん外側に目をやり、微笑む。その笑顔がうらやましくて、わたしは聞いた。
「お母さんは? お母さんはなにもいらないの」
「もう充分もらったから」
母は頭を頂点にほぼ三角形になった父を照れくさそうに見つめて答えた。
コンポジション 作者:たなかなつみ
プラス、と言う。彼女はプラスの方向へ1だけ動く。マイナス、と言う。彼女はもとへ戻る。私は少し考える。今度は? 彼女は私が望むのを待っている。
なんて綺麗な目なのだろう。深遠をうがつような瞳の輝きは、底が見えない。けれども、私は、それにとりこまれてはいけない。あくまでも冷静に。
彼女の口が動いたように思えた。プラス、と言う。彼女はプラスの方向へ動く。それは私の声だった。私は動揺した。
いや、あくまでも冷静に。彼女を導いているのは私だ。彼女ではない。
プラス、と言う。すでに私の思考はその声に追いつかない。彼女が動く。プラスプラスプラスプラス。彼女が指示どおりに動いているのはわかる。ただ私がその流れについていっていないだけだ。
プラス。彼女が言う。私は彼女とともに、プラスの方向へ1動く。プラス。私が動く。プラス。