やっぱり説明するのは難しいので
このサイトでは「超短篇」という言葉を普通に使っていますけれども、どういうものが超短篇なのかというのが一般には広まってはいないのが実情です。特に超短篇の事を話すと「それってショート・ショートとどう違うの?」といった反応を示す人が多かったりもします。まあ「ショート・ショート」の訳語として「超短篇」という言葉が遣われていたりもしますから、そうした反応も仕方ないといえば仕方ないのでしょうけれども。
とはいうものの、「じゃどんなのが超短篇なの?」と訊かれても、困ってしまう事もしばしばで、やっぱり一言で説明するのは難しい。
じゃ、どうしようかと考えたのですが、やっぱり実際に作品に触れてもらった方が早い。だったらメルマガ誌上で超短篇の紹介のコーナを定期的に始めようと、何とはなしに考えています。
稲垣足穂や、村上春樹、ユアグローなど手に入りやすいものからスタートして、皆で超短篇とは何かを考えていければ良いと思うんですよね。
それと一緒に「こんなのも超短篇に入るんじゃないか」とか「こんなのを見付けた」という情報交換の場に、500文字の心臓をしていきたいとも考えています。もし何か短くて面白い作品を見付けましたら、是非ぜひ自由題掲示板や超短編メーリングリストで紹介して下さい。
皆さんが書かれた超短篇同様、皆さんが見付けた超短篇もお待ちしております。
というわけで自由題競作は、たなか”あり得ない”なつみ嬢が選者の第7回へ続きます。
銀の鈴 : スケヴェ・キング
> 下の子どもが小学生になったとき、姉と同じ銀の鈴を与えた。二人は通学かばんにつ
幾つかの物語の類型を鏤めながら書かれた、どことなく懐かしい雰囲気の作品。「反射する無数の鈴のため、銀色の巨大な魚のようになった男」のイメージが面白い。
最後のパラグラフ、結婚を申し込むかわうその夢がそれまでの物語を受け、独特の読後感を出しています。
ただ「あやねさんと結婚させてください」という部分、鉤括弧で括るか読点で分けた方が良いのでは。
時代の変遷 : 佐藤あんじゅ
> 私は背中にできたこの大きなこぶをどうやって隠そうかと考え今まで生きてきた。そ
いつの時代でも年長者は若者に嫉妬し、自分が出来なかった事をしている若者には「だらしない」などと嫌悪感をあらわにします。「最近の若いものは」と言われない時代がない事から、やはりその時代の若者がどうというよりも、言っている側の意識の問題が大きいのでしょう。
この作品はそうした劣等感を「こぶ」に託して掬い取っており、残る読後感を与えています。
処で「献身」は「渾身」の誤りでしょうか。推敲は大切ですよ。
予感 : よもぎ
> その音を聞くと、こめかみに甘い痛みが走る。眉間にしわを寄せ目を細める。音が胸
自分の姿を客観的に見ている夢の様なイメージが、「その音」を切っ掛けにしてこめかみに走った痛みから次々と遡行されてゆく感覚がよく描かれており、作者の方がどれだけ意識していたのかは判りませんけれども、精神分析的な雰囲気すら感じさせます。
情事 : 春都
> 目を覚ますと、横で寝ていた女の背中にナイフが深々と刺さっている。部屋にはもう
夢を見ているような話で、ナンセンスなのが狙いの作品と見ました。タイトルと合わせ個々のアイテムがそれぞれにエロティックなものと結びついている様で、実は深く結びついている訳ではなく、思わせぶりで不条理なイメージに身を委ねるべきなのでしょう。
気持ちのいい午後に
小咄風の作品。何か去年の「世界で一番おもしろいジョーク」に選ばれた、木から落ちた仲間の処置をハンターが携帯電話で救急隊の指事を仰ぐ話を思い出しました。ユーモアは感じられますけれども、なるほどと納得させる以上の魅力は感じられず。納得させるのが悪いというのではないのですが、納得という形で作品を収束させる為に書かれているという印象を強く受け、そこからの広がりを抑えてしまっているのが勿体ないかと。
優越カフェ
風刺なのでしょうか、ショート・ショート風の作品。
作者の方の書き癖なのかも知れませんけれども、単なる改行を一行空きにしている事がさしたる効果を持っておらず、読み難いというより作品をたどたどしく見せてしまっています。
また「100円で食べられる高級料理を醜く争いながら食べる人々」などの設定もステレオ・タイプ過ぎるのでは。
あと、ランチというのがそもそも安くで提供しているセット・メニュを指している訳で、所詮はランチ、という感じは拭えず。ランチという時点でこの作品でいう処の優越感と矛盾しているんじゃないかと。
それを抜きにしても、ランチで2800円というのはちょっと良い店ならさして珍しくもない訳で、特に優越感を得られるような値段でもないと思ったりもしました。値段を明記するなら、明記する必然性が欲しいですね。例えば星新一はそういう部分を考慮して(読まれる時代性に依らず作品に普遍性を持たせる為)、作品に値段を出さないようにしていました。
ねこのまじない
単に猫の鳴き声1つだけでは何とも評価のしようがありません。タイトルとの関係にも特別な装置がある訳でもなく、イメージが曖昧なまま投げ出されているといった印象です。曖昧である事と、広がりがある事は違います。広がりのある描写をするなら、広がりがある風に正確に書くべきだと峯岸は考えます。
ひと言だけで正確な言葉を選ぶというのは確かに難しいのですけれども、ばっちり決まった時には他には代え難い読後感が得られるものですから、これを追及してゆくのも面白いと思います。
紅桜
桜と死というイメージの重なりは、もうステレオ・タイプとなっているんじゃないでしょうか。こうした世に広く知れ渡っているもの使う場合、そのイメージをベースにして別の魅力を出さないと元のイメージに作品が負けてしまいます。この作品では、そうした別の魅力が感じられませんでした。
あと「最近」と、時代を限定させている事が作品の中で活きていません。そうした言葉で、作品のイメージは簡単にぶれてしまうで注意です。
知的探究心
これも『気持ちのいい午後に』と同じような小咄風の作品。なるほど、と思わせるもののそれ以上の広がりを感じませんでした。
脳内土星
悩みました。掲載にしようかとも考えましたが、いかんせん文章が粗いかと。うーん。
まず言葉の選び方が不正確な箇所が幾つかありました。例えば肘掛けに手を固定するという場面に使う動詞が「挟む」というのは、やはり無理があるんじゃないかと。
また語り手と思われる人がカートに縛られている場面ですけれども、ここに人称がなく誰が縛られているのか判らず、判らない事が機能しているとも言えません。
確かに不必要な言葉を削る事は大切ですけれども、それは必要な言葉がしっかり書かれている事が前提になります。音楽で喩えるならば、休符も音符です。書かれていないという事も書かれているのと同様に意味を持っている筈だと思うのです。
今回は掲載を見送りましたけれども、土星の輪にあるレールをカートで走るイメージは面白く、文章が推敲されれば(少なくとも峯岸は)掲載させたい作品ではあります。
思春期
不思議なイメージの一行作品。
タイトル、ちょっと狙いすぎましたね。こういう作品のタイトルは「つかず離れず」というのが理想なのでしょうけれども、ちょっと遠いかと。
生き方上手
タイトルもうまく嵌っているし面白いのですが、最後の一行で読者を納得させて終わり、という感じがします。
アフォリズムとしても良く出来ているとは思うのですけれども。