超短篇ブック・ガイド vol.2
今回も超短篇関連の書籍を、比較的手に入りやすい2冊ご紹介したいと思います。
■村上春樹『夜のくもざる 村上朝日堂超短篇小説』新潮社文庫
さて村上春樹です。作家としてだけはなく翻訳家としても有名で最近ではサリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』などの翻訳を手掛け話題になりました。実は彼こそ「超短編」という言葉の生みの親の一人で、R.シャパードとJ.トーマスが編んだ『Sudden Fiction』という本を翻訳した際に副題に使われたのが「超短編」という言葉の始まりでした。
- 夜のくもざる
夜中の二時に私が机に向かって書き物をしていると、窓をこじあけるようにしてくもざるが入ってきた。
「やや、君は誰だ?」と私は尋ねた。
「やや、君は誰だ?」とくもざるは言った。
「真似をするんじゃない」と私は言った。
「真似をするんじゃない」とくもざるは言った。
「マネヲスルンジャナイ」と私も真似をして言った。
「マネヲスルンジャナイ」とくもざるもカタカナで真似をして言った。
まったく面倒なことになったなと私は思った。物真似狂の夜のくもざるにつかまると、きりがなくなってしまうのだ。どこかでこいつを突き放さなくてはならない。私にはどうしても明日の朝までに仕上げなくてはならない仕事があるのだ。こんなことをいつまでも続けているわけにはいかない。
「へっぽくらくらしまんがとてむや、くりにかますときみはこる、ぱこぱこ」と私は早口で言った。
「へっぽくらくらしまんがとてむや、くりにかますときみはこる、ぱこぱこ」とくもざるは言った。
そう言われても、こっちも口からでまかせを言ったわけだから、くもざるが正確に真似できたのかどうか判断はできなかった。意味のない行為だ。
「よせよな」と私は言った。
「ヨセヨナ」とくもざるは言った。
「違うぞ、今のは平かなで言ったんだ」
「違うぞ、今のは比良かなで行ったんだ」
「字が違ってるじゃないか」
「時が違ってるじゃないか」
私はため息をついた。何を言ったところでくもざるには通用しないのだ。私はそれ以上何も言わずに黙って仕事をつづけることにした。でも私がワードプロセッサーのキイを押すと、くもざるは黙って複写キイを押した。ぽん。でも私がワードプロセッサーのキイを押すと、くもざるは黙って複写キイを押した。ぽん。よせよな。よせよな。
さすが「超短篇」という言葉の生みの親というだけあって村上春樹にはとても短い、超短篇的な作品も多く発表されています。新潮社から出版された『夜のくもざる 村上朝日堂超短篇小説』もその一つです。
という訳でその『夜のくもざる』からタイトル作を紹介しました。単に主人公が奇妙な体験をした、というだけにとどまらないナンセンスな魅力のある作品です。
■宮川俊彦『叩かれ地蔵』未知谷
国語作文教育研究所所長の宮川俊彦は物語作家としてよりも多くの子供たちの作文の書き方を教える指導者としてや、子供の書いた文章を手がかりに子供たちの心に迫っていくノンフィクション・ライタとしての方が有名かも知れません。
宮川俊彦は文章を読むことと書くことはイコールであり、また文章はどう読んでも良いのだという「多元読解」「自由読解」を提唱していて、その実践として古くから伝わる昔話、寓話などを許にした「現代の寓話シリーズ」というとても短い物語を集めた本を幾つか出版しました。
今回はその中の一冊『叩かれ地蔵』から『いたずらねずみ』をご紹介します。皆さんはこの作品をどう読まれるでしょうか? 読めば読むほど、色々な解釈が広がっていきます。こうした自由な軽やかさこそ短さならではの魅力ではないかと思うのです。
- いたずらねずみ
冷凍庫の中の水が口々に言った
「私は水色の三角形になりたい」
「私は赤い丸になりたい」
「私は黄色く輝く星形になりたい」
冷気は
「そうだ 君たちは自由だ
なりたいものになればいい
それが君らしい」と言った
水たちはそれぞれなりたいものになっていた
いたずらねずみは冷凍庫の裏で暖をとっていた
たまたまこの会話を聞いていた
「ふっ」と笑って
電気のコードを齧った
冷気は途端に口を閉ざし
冷凍庫の中の形ある水たちは
悲鳴を上げながら溶けて同じになった
しばらくして寒くなったいたずらねずみは
また電気のコードをつないだ
冷凍庫の中はまたにぎやかになった
この「現代の寓話シリーズ」は他に『八百目太郎』『青い馬』『恋愛寓話』などがあります。どの作品も特定の読みを強要するようなものではなく、読み手によっていかようにでも読めるような懐の深い作品ばかり。
また自由な読解を限りなく広げていくエセーに『北風と太陽』『ウサギとカメ』、昔話の「桃太郎」をテクストに小学生の子供たちと一緒に自由に読み解いてゆく『桃太郎はいじめられっこ?』などがあります。どれもが読む事はもちろん、書く上でのヒントにもなると思います。
もし、峯岸がここで紹介した本を「読んでみた」とか「読んだ事がある」という方は是非とも自由題掲示板へ感想を書いてくださいませ。
自由題は松本楽志選の第18回へと続くのですが、ここでまたまたビッグ・サプライズ!
何とホラー短篇のアンソロジ、井上雅彦選「異形コレクション」に松本楽志作品が掲載されることとなりました! という事は、松本楽志の作家デヴュが決定!!
スケヴェ・キングさんの日本ホラー大賞受賞といい、今年は超短篇メンバの作家デヴュが続く事とあいなりました。さあ、次は誰だ!?
台風一過 : はやみかつとし
> 舗道に打ち捨てられた骨だけの傘がガサッと蠢くと
とりとめのないイメージの移り変わりが力強い台風が過ぎ去った後のさわやかな雰囲気と気持ちよく絡み合っている。鶴彬の「暴風と海との恋を見ましたか」という川柳と通底した魅力を感じました。
パケット・ガール : sleepdog
> 最近自宅のインターネット接続の調子が悪い。
今回のブック・ガイドで『夜のくもざる』を取り上げた事もあり、たまにはこうしたライトな作品も。文章的には少しこなれていない処もありますけれども、シュールなおかしさがあります。
種 : Wizard
> 私は、図書館で働いていて、
いささか描写が曖昧だったり文章としてこなれていない部分もあり、実は掲載にしようかは凄く悩みました。しかし語り手のとりとめのない独白が個性になっており、読後感に残るものがありました。タイトルもうまく決まっています。
青になる
歌の詞みたいな作品で書くパラグラフの最後に「ブルーブルー」という言葉が付いているのが特徴なのですが、いささか描写が曖昧です。曖昧な事と、物語に広がりがある事は別だと思います。
安達が原
よくある怪談という体の話で、既読感を強く感じました。また描写も些か冗長。
前人未踏
まず前半の会話部分が冗長。こういう会話の中に作品背景を説明させるという手法は戯曲などで使われますが、超短篇の様にそうした背景から自由になろうとしている作品にとっては言葉の密度を下げてしまいかねません。また最後のパラグラフが作品を小さく収縮させてしまっています。
木星病
最後のパラグラフにあとちょっと肉付けしてやるだけで良いのではないかと思いました。前半部分が冗長で、その理由の多くは木星に関するペダントが単なるペダントとして以外に機能していないのが原因。作品と乖離している様に見えました。
前世の記憶
金魚であった頃の前世について語られている作品ですが、これが前世であること(ないし前世を語っている事)が活かされているとは言い難い。その部分だけ浮いている印象があります。作品の構造と内容の関係は、作品自体の魅力に影響が強くある程度のフィット感は必要になると思います。
低き月
情景描写だけで作品として読ませるには何らかのアイデアがなければ難しいかもしれません。それと最後の一文の「定着する」という漢語的な動詞がそれまでの和語的な動詞の流れを壊している印象。文章にもリズムは大切です。