ソフトでもハードでも
自由題は自分の好きに書いてよい反面、しばりがないためにかえって書きにくいという方もいらっしゃるかも知れません。そんなときおすすめなのが“自縛”です。そう、自分で自分をしばるのです。ときにソフトに、ときにがんじがらめに。
たとえば「三題ばなし」。このしばりは三つの言葉を作品に折り込むのがルールです。例をあげると、第2回トーナメントの『水色の町』のしばりが“「赤い月」「ラベル」「おもちゃ」の三つの言葉を使わなければいけない。”というものでした。
あるいは「主題」でしばる。第3回トーナメントの『まひるの神様』では“死を描くこと”という課題が与えられていました。
また「読み替え」というのもあります。たとえば松尾芭蕉の「古池や~」を超短編的に読み替えていくのです。この場合、でき上がった超短編がだれのどんな作品を元にしているかは、読者に分かる必要はありません。タカスギシンタロ作を例にとってみましょう。「古池やかはづ飛びこむ水の音」の読み替えです。
- 「我慢くらべ」
なにかくるぞ
ああ、くるな
さきにとんだほうが、まけだぞ
まけだな
ぐ。ぐぐぐぐぐ。ぬ。ぬ。ぬ。
水音ひとつ。輪はふたつ。
といった具合です。
さあ、みなさんも自縛で超短編の世界をぐぐぐと広げてみてください。
さて、第20回自由題です。今回、応募数は比較的少なかったのですが、なかなかレベルの高い投稿作品が多くて、いつものことながら選考に迷いました。そこで気づいたのですが、どうやら選に残る作品というのは、再読に堪える必要があるようです。意外な落ち“だけ”にたよった超短編では、タカスギを一瞬うならせたり笑わせたりはしても、入選は難しいかも知れません。そう、良い超短編は何度読んでも飽きないのです。
次回、第21回自由題の選者は腹にぎっしりラーメンの詰まったみねぎし氏……ではあるのですが、じつは自由題は一回お休みです。なぜかというと、あのすばらしい宮田真司氏のイラスト超短編の企画が始まるからなのです。宮田真司賞の受賞者には原画プレゼントがあるんだって! 詳細はこちらをどうぞ。
[優秀作品]あるこどものおはなし : まつじ
> こどもたちは迷っていた。
世界は一瞬一瞬があたらしくいつだって生まれたてだ。まるでこどものように、このおはなしのように。
ちゃぷちゃぷ : 根多加良
> 「今日も冷たい」
フローズンカクテルみたいに甘く冷たい水中の恋がうつくしい。でも最終行の「河川かもしれないけど」はすこし味気ないかな。
ロング・ウェイ・ホーム : はやみかつとし
> 種がはずんで転がって歌いながら先を急ぐのでついて行くと
ちょっと変なものがまじるとなんでもない話がたちまち魅力的になる、超短編のフシギです。
時を司るもの : きき
> 朝を呼ぶもの、夜を招くもの。
光と闇のダンスの中でぼくたちも踊っているのならば、この世界もまんざらではないかな、という気になりました。
敗北者
坦々とした筆致といい、あっけない結末といいタカスギ好みの作品です。タイトルが別のものなら掲載だったかも。
ダンディ・ボール
ファニーなイメージが目に浮かぶ作品。人形アニメにして動かしてみたいと思いました。
思い出という何か
捨てようとしても捨てられない、思い出の本質をうまくつかんだ作品です。
自画像
画家最後の作品よりも、それ以前の作品の方がぼくには傑作に思えました。