うまいからといってたべすぎるとはらをこわす
これは超短編の父・本間祐も書いていたと思うのですが、必ずしも技巧的に巧い作品がすぐれた超短編にになるかというとそうでもなさそうです。超短編においては文法やテンポが多少おかしいことが必ずしも欠点にならず、ときにはそれがアクセントになり優れた作品になる、ということがあります。今回いただいた作品のなかにもそういう作品はいくつかありました。
じゃあ、単に崩れていればいいのか、というとそうでもない。たとえば自らの作品を顧みてもどうも言葉を選びすぎてしまうと単調でつまらないものになってしまうことが多々ありますが、それをあえて崩してみたところで、一端、整えてしまったものはなかなか巧い崩れ方をしてくれません。お話をより引き立てる破綻の仕方、そんなものが本当にあるのかどうか悩んで、結局もとの単調な作品で妥協せざるを得ないと言うこともあります。このあたり、ぼくなんかよりも書き慣れている投稿者ほど難しいところかも知れません。
もともと選者によって評価軸というのは当然異なるわけですが、ことそういった評価をつけた作品においてはとくに選者によって感じ方が様々なのではないでしょうか。これは他の選者にはうけなさそうだなあ、とか、逆にこれは他の人ならなら載っけるかもしれない、とか思いながら選びました。なので、良い作品を落としてしまっていないか心配です。しかも、僕のなかでも評価軸の言語化がまだうまく定まっておらず、選評を書くのがなかなか難しい作品ばかりでした。もちろんそういう選者の選評を困らせる作品はたいへん嬉しいものなのですけれど(これは、選評が遅れた言い訳ではありませんよ!決して!はははは!すいませんすいません)
お次の選者はおまんじゅう連邦からの難民、たなかなつみさんです。
楠秋哭(くすのき・しゅうこく) : 不狼児
> およそ文藝の唯一の美徳は短き事であると僕は考へてゐる。
こういった趣向は短編くらいの長さになればよく見られると思いますが、超短編でも有効だったことに驚きました。この短い作品の中にさらに短い作品が包容されて、それぞれが一行作品のような煌めきを持っています。ここはもちろんそうでなければならないのです。短いことそれに言及し、断片を取り上げたのだから、その断片がたいしたことがなければ、全体がのっぺりとしたまがい物になってしまいます。いささか技巧的に走りすぎているような第一印象をうけますが、極めて自己言及色の強い作品であるので仕方のないところでしょう。
春 : はやみかつとし
> いとしい人と手をつないで世界の果ての岬まで駆けていき、砂浜におりてその
超短編ではわりと似たような手ざわりの作品が多い気もしますが、長々と描かずあっさりと処理しているラストが功を奏しています。ゆっくりと流れていく時間、なま暖かい空間、最後にタイトルに立ち返るとこれが良く合っているなあと思わされます。
葬る人 : 春都
> 娘を抱いて山道を登る。切り株が目につく。
奇妙なねじれを描いた作品ですね。葬るというどちらかといえば感情的な行為を、刻印という肉体的な痛みにすり替えてすっぱりと切り捨ててしまう最後のワンセンテンスが効いています。
到着 : 雪雪
> 思春期の列車が、壮年の線路の上を運行してゆく。次の駅に向かっているのだが、
まず一読して、とてもあざとい作品だなあと思ったのですが、よくよく読むと分からなくなってきます。「脱線したまま駆動」とか「硬度の高い規則」とか、わりと字面や音優先のオートマチックに導き出されたとおぼしき言葉があるのです。しかし、この作品に置いてはそれが傷には見えず、列車が追い越し追い越されていくような言葉のつなぎに思えてきます。
川まで散歩 : KOU
> この日は朝からよく晴れていた。空気はすこし冷たかったが、それぐらいのほう
これはあまり言葉のテンポが良くない作品なのですが、そのせいで人を食った感じが出ていて、面白いと思います。内田百けんをぬるま湯につけて、おどろおどろしさを完全に抜いてしまったらこんな感じになりそうです。
夏を売り飛ばせ!~神様旅情編~
ちょっとした小話ですね。テンポ良く書かれています。ただ、落とし方がすっきりしません。下品というとただの欲望やあるいはその延長にある惰性、あるいは欲望の持つ滑稽さのみを強調するような行為や思想について形容しているというイメージですが、ときには本人の意志に逆らって、ときには時代に押し潰されて行われてきた行為(もちろん、中にはたんなる娯楽やそれを享受するための金銭を稼ぐため、と言う側面もあったことでしょう)である「春を売る」にはさほど下品な響きを感じなかったのです。
今日の料理
ただ単に普通の行為の一部をすり替えただけで成立する作品がきわめて面白くなる場合は大いにあり得ますが、この作品にはどうも既知感が強く感じられました。それだけでは作品として弱いかなと思います。
漂白
たゆたう感じが良く出ています。が、それがあだになっています。どこを握ってももったりと染み出てくる海水ばかりといった印象で、多少の変化が欲しいところでした。
Jean Bonnetteと私
諧謔的な面白さを狙った作品です。これも「今日の料理」と同じく既知感がありますね(とんでもないものがくそまじめに語り始める、というのはいろんなところで書かれています)。目をつけたアイテムは面白いと思うので、もう少し奇抜さかなにか違う方向での尖りが欲しいかなと思います。
捨てられた象
これは選者であるぼくの書いた「象を捨てる」の本歌取りというような作品でしょうか。しかし、本歌取りというのは本歌がちゃんと読者に共有化されており、かつ本歌自体が優秀な作品でなければあまり効果がないと思います。ぼくの作品が「参照されるに相応しい作品」だったかどうかは疑わしく、従ってこの作品も本来の本歌取りの効果を失っているのではないかと思います。
さよならデート
幻想と現実の境目を描いているようで、面白くなりそうなのですが、いまの状態では境目を書いているという寄りかは単に情報不足であるように思えてしまいました。ちなみに、もし幻想的な面が作品に必要なのだとしたら、このタイトルは諸刃の剣ですね。
星砕夜
言葉の選び方も、描写の展開もたいへん美しい作品です。「生かす」の使い方がすこし特徴的なのですが、この流れで出してくるのには違和感を感じてしまいそれがどうも気になってしまいました。