500文字の心臓

トップ > 自由題競作 > 作品一覧 > 第11回:たなかなつみ選


短さは蝶だ。短さは未来だ。

マンホールの蓋 作者:赤井都

 道を歩いていたら、後ろに引っ張られる心地がして引き戻された。踵が重い。下を向くと、マンホールの蓋に影がくっついていた。
 歩くと、影をマンホールに留められているものだから、同じ所を回ってしまう。引っ張ると破れてちぎれてしまいそうだ。ガムを踏んだよりしまつが悪い。
 道の真中に立ち止まっている私を、花の水やりに出てきた女性がけげんそうに見た。私は靴の先でマンホールをこすり、口笛を吹いてなんでもないふりをした。マンホールの蓋には、魚と松の細かいレリーフが入っている。これまでに見た事がない模様だった。
 平気なふりをしようとしたが、このままでは待ち合わせに遅れてしまう。思いついて、声をかけた。あの、と言ったとたんに女性は背を向けたが、あの、と私は声を大きくしてその背に言った、私の影にも水をかけてもらえます?
 ああ、と女性はわかったようなわからないような返事をし、目を合わせないようにうつむいて、それでも私の影に水を注いでくれた。細かいシャワーの中で影が浮き上がり、マンホールの蓋からようやく離れた。お礼を言って、歩き出した。影の胴のあたりが濡れてでこぼこ波打っているが、歩いているうちに乾くだろう。



メンデルの法則 作者:鳥頭

生ける屍(表現型Z)の遺伝子型は、ZZ (優性ホモ)、ZD(ヘテロ)の2種類である。いっぽう死せる屍(表現型D)はDDの劣勢ホモであるとする。

<問い>
両親がヘテロの生ける屍同士であるとき、生まれる子の表現型の分離比をもとめよ。

<答え>
生ける屍:死せる屍=3:1



午後の林 作者:赤井都

 午後の光の中で、妹がいなくなった。
 二人で林に入って、乾いた枯葉を踏んでいた。山ぶどうの茂みの陰を回って、広い道に出たのはわたしだけだった。
 ふりかえると木の葉がゆれる。
 先回りして帰ったのかと一人で家に戻った。まだ帰っていなかった。
 けんかしたわけじゃない。探しておいでと母さんに叱られて、わたしはまた林に入った。さっきよりも少しうすぐらい。
 林はからっぽ。
 ひとめぐり歩いて、また道に出た。ふりかえると木の葉がゆれる。
 妹はきれいな子だから、だれかに深く愛されてしまったんだ。わたしをほしがるものはいない。一人で家へ走った。
 やっぱり妹は戻っていなかった。
 母さんが替わって探しに出かけた。
 あずけられたしゃもじで、鍋の中の煮物をかきまぜながら、妹は戻ってこないと感じていた。きっと、力あるなにかに捕えられたんだ。妹はもう、悲しみにきれいな顔をゆがめることも、心配事の中で老いることもないだろう。季節の煮物を食べることもなく、飢えることもないだろう。白い湯気が空中に消えていく。
 窓の外で木の葉がゆれる。



猿 作者:峯岸

 吉備団子をくれた桃太郎についてあらん限りの悪事を働いた罰として何百年も石に閉じ込められて腹が減り蟹を騙してまんまと喰い物をせしめたものの馬鹿だから壺の中の豆を精いっぱい握り締めるので手が壺から抜けなくなり途方にくれていたところ西方に向けありがたいお経を貰いに行く僧に助けられたのが切っ掛けで道中を共にしている内に心を入れ替えたのけれども騙した蟹とその仲間達の意趣打ちに合い水母は骨抜きにされ亀はしこたま殴られ甲羅をヒビだらけにされてしまいほうほうの体で逃げ出したとはいえ手だけがミイラとなって残りその手は持ち主の願いを何でも三つ叶えるという。