性の起源 作者:伝助
天幕には星空の輝くニヤリ月夜。
まりも少年の脱柵というニュースが世間を騒がせている頃、当の本人は、月光通りでたんぽぽ少女が来るのを悄然と待っていた。第三次月光通り調査隊の唯一の爪跡とも言うべき剥離地帯に立つまりも少年の人形めいた姿を見て、たんぽぽ少女は、思わず胸をつかれた。
観賞用なんだ、その少年は。
月の光で地面にプリントされた人影を掻き分けて少女は、まりも少年に手を振る。少年は少女の姿を見て、驚く。たんぽぽ少女の手首には真新しい鎖が巻かれていた。少年は、乱れた感情を無理に抑え付ける。力技で押しつぶす。捏ねて、捻る。いつものハートを作り出せ。命令する。思い出した。
「それ、どうしたの?」
ほほえめ。ほほえむ。
たんぽぽ少女は、恥かしそうに手首にはまった鎖を背に隠す。その鎖は夜空に伸びて、月面に打ち込まれた楔に繋がっていた。
「お願い、聞いて。私は月鎖の呪縛を受け入れた。それで、不自由はあるけれど、私はいつかこの鎖を使って、月さえ動かしてみせる。だから、私を掴んで、せめて」
この夜が明けるまで・・・。
「うん。せめて、はじまるがおわるまでは」
ゆらゆら 作者:たなかなつみ
足もとがふらつくのは、初めてヒールの高い靴を履いたせい。景色が傾いで見えるのは、初めて眼鏡を外してコンタクトをつけたから、たぶん。
そんなふうにあたしの名前を呼ばないでよ。ビール飲みながら、そう呟いてみる。
呼ばれるたびにゆらゆら揺れる。あたし。あなたの妹になったり、お母さんになったり、愛人になったり。そしてときには、まったく見知らぬ他人のように。
あなたの瞳に映るあたし。あたしの知らないあたし。あなたの肌に触れたがるあたし。
友人が笑いながら渡してくれる写真。歪んだ映像の。これもあたし。
でもあたしに名前をつけてくれたのはあなた。
裸足で立って、視力の足りない目で、ぼやけた世界を感じることだって、しようと思えばできる。母が買ってくれた鏡台の。歪んだ鏡像の。これもあたし。そしてあたしには名前がない。もう誰も、あたしの名前を呼んでくれない。ゆらゆら揺れる必要すらない。
そうなの? 誰かあたしの名前を呼んでよ。なんでもいいのよ。呼ばれた名前で返事をするから。そういうものだから、恋なんて。
延長また延長 作者:たなかなつみ
ごめんね、と、きみが言う。
違う。ぼくは首を振る。
あなたが悪いのよ、と、きみが言う。
違う。ぼくは首を振る。
こうなる運命だったのよ、と、きみが言う。
違う。ぼくは首を振る。
わたしたちせいいっぱいやったよね、と、きみが言う。
違う。ぼくは首を振る。
首を振るたび、テーブルの向こうのきみの姿がリロードされる。ぼくは何度もきみにチャンスを与える。けれども何度繰り返してもきみの口から出てくるのは終わりの言葉。
違う。ぼくは首を振る。ぼくが聞きたい言葉はそれではなくて。何度も何度も首を振る。きみは何度も何度もアイスティーを飲み込みなおしては、違う言葉で同じ結果を繰り返す。終わりはまだこない。
踊る 作者:タキガワ
姉が家を出た。大騒動になった。姉の婚約者の家族も巻き込んで、騒ぎはなかなか静まらなかった。僕は、つるりつるりと魚を飲み下しながら、彼らの様子をただ観ていた。親のくせに、と苦々しくさえおもう。
親のくせに何年あの女に付き合ってんだ?姉がごたごたを引き起こすのは、いつものことじゃないか。
愚にもつかない話し合いを繰り返すその集団の中にいて、姉の元婚約者だけがただひとり、落ち着いているように見えた。すらりと首をもたげ、前を向いている。全く、姉はばかだ。ここらで一番の魚捕り名人の彼を掴まえておいて、いよいよという時にするりと逃げて。
男の本質なんて、皆おなじよ。自信たっぷりに笑って、姉は言った。出奔前夜のことだ。そして臆面もなく僕に話した。満ちたりた横顔をして。
姉と連れ立った、その男の求愛は、それはそれは素晴らしかったのだそうだ。
紅い夕日が、拡げた男の羽を隅々まで染めて、その真摯に舞う姿は風を生んでいるようにしか見えなかった、と。
その時が来たら、ああいう風に踊れる男になってね。そう残して、姉は発った。
サンダル 作者:金鳳花
どきどき心臓ははちきれんばかりで、うみへとつながる急な坂道を駆け降りてった。きいてしまったきいてしまったどうしよう? 振り返ったらサトルのぼうずあたまが見えた。あせかいて必死だ。あたしだって必死だ。 どうしようどうしよう?もう気が動転してしまってほんとにどこいったらいいのかわからなくなって、逃れたい一心でうみのほうへと駆けてった。おねがいおねがいもう追ってこないでぇ! 私の願いはこれっぽちもどこへもとどかずに、サトルもざばざばうみへ割ってはいる。うみぼうずが追っかけてくるみたいだ。必死で逃げて逃げて足がもうつかなくなってしまいそうになったとき、サトルが「すきだぁ〜」と叫んで、あたしのサンダルがかたっぽ、プカと浮かびあがった。
ことり 作者:庵
心臓が逃げ出す夢から目覚めると、胸のあばらが鳥カゴになっていた。白い小鳥が一匹、中でバタバタ慌ててやがる。俺は一声鳴いて舌なめずり。うまそうだ。だが食べるには自分のあばらが邪魔だった。
身体をいろいろ曲げてみたり転がったりしてみるが、さほどすき間は変わらない。出し入れ自在の俺の爪だが、それがついてる前肢は内に曲がるようにはできておらず、脇腹を掻くような動作をどれほどくり返しても中の小鳥には届かない。
とりあえず諦めた。
俺には日々の暮らしがある。
最近は夜、俺がミャアと鳴いてそっぽを向くと、ピイと返し、安心して目をつぶるようになった。で、その寝顔がなかなか可愛いのである。美味しそう、とはなるべく考えないようにしている。だがヒゲの先がどうもチリチリしてしょうがない。俺はつぶやく、いつかこいつを。
眠りに落ちるとまた心臓が逃げ出す夢だ。
てめえ独りでどうにかなんのか。ちっちっ、勝手にしやがれ。
ロケット男爵 作者:タキガワ
コンビニからの帰り道、ロケット男爵に出会った。
そんなつもりはなかったのだが、つやつやと光る腕が、ものすごく私好みな形だったので、ついつい連れて帰って来てしまった。
私は親元で暮らしている。男爵を両親に紹介しようかと考えたが、父はあまり機械の類を快くおもっていない。結局、見つからないように、男爵をシャツの中に抱いて部屋に入った。ぴとりとした感触と冷たさに、全身の皮膚が粟立つ。予想以上に持ち重りのするカラダだった。
一応お客なのだから、とお茶を出してやる。お構いなく、と男爵は言った。いい茶碗だ、しかし本当に粗茶ですね。
弁えたひとだと感心し、あけすけなヤツだと考え直す。ロケットとは大抵失礼なものなのか、それとも爵位がそうさせるのか。
流れるように抱き合い、その後で男爵は黙って立ち上がった。そしてさっさと帰り仕度を始めてしまう。引き留めたくて、私は男爵の肩を甘噛みする。チリチリと音がした。
次会う時には、新茶買っときますよ。
私の言葉に、男爵はひっそりと笑った。
観察する少女 作者:タカスギシンタロ
アリの行列が、赤ちゃんのおへそから出入りしています。アリは弟のおへその中に、なにかを運び入れているようです。でもいったいなにを?
わたしはいつでも泣けるので、涙を五円玉の穴に落としてレンズをつくり、観察します。アリは赤いものを運んでいました。それは小さなルビーのカケラのようにも見えました。
アリをつつくと指に赤い色がつきました。ルビーではなく、赤い液体だったのです。驚いて手を引っ込めると、涙のレンズが弟のおなかに落ちました。弟は火がついたように泣き出します。
わたしは五円玉を投げ捨て、アリの行列を追って走り出します。お母さんは生きている。アリの行列のもう一方の端に、お母さんがいるのだと気づいたのです。
微亜熱帯 作者:伝助
その、あまりのゆるい暑さに、僕は目を覚まし、軽く寝返りを打ちましたのです。
母を、近くに居るはずの母を呼ぼうと思ったのですが、のどが掠れていて、甘えた獣のようなうめき声しか出せませんでしたのです。
すると、僕は、ただの一匹の獣である。といえなくもないはずです。
言ってみましょう。
(リピィト アフタ ミィ)
しかし、僕はこの場所で、原因不明瞭かつ名称不明瞭の熱病にもだえ苦しむ優しい少年でしかなっかたのですから。そして、その僕の気分は、まるで深海に沈む枯れ落ち葉のよう。イエス、マリー、君は決して赤いスカートを見つめてはいけない、ゾ。
暑くて、眩しい、のです。
ここは、天然天蓋ベッド。
聞こえてくる音といえば、遠くの車の走行音と、くぐもったTVの音声と、枕元に潜む見知らぬ昆虫の羽音、のみ。
障子いちまい隔てた隣室から、母がお昼ご飯を用意する音が聞こえてきました。
お母さん、今日の昼食は何ですか?
お母さん、いつも、何を食べているのですか?
駄神 作者:大鴨居ひよこ
ソコハカトナシノミコトを奥歯でグッと噛んだら薄荷の香りが拡がった。ナンダカコナッポイネノミコトは口の中に入って上顎ににちゃにちゃ踊っている。ハニクッツイテトレナイノミコトとイロガドギツイケドダイジョウブカナノミコトは本日売切れ。メロンアジノクセニスコシアブラッコイノミコトは壺に納まって昵としたまま、赤い祠がいんねりと開くのを待っている。そこに「よう兄貴」と二階に声を掛けながらやってきたのはヨッチャンノスヅケノミコトであった。あたりいちめんに卑近な匂いが拡がり、赤い祠の奥でグビリと液体の鳴る音がする。昨日、その奥に吸い込まれていったのはタダノイロツキサトウミズノミコトだったが、いまだ参道がうっすら赤く染まっているのは駄神の駄神らしいところでチクロノアマミ岳の噴火の時は多くの神々が泣きながら「ソレデハナイソレデハナイ」とかすれた声を発していたが、シロップデクチガベタベタニナルノミコトは「邑」と叫んでその噴火口に身を投げ、三日三夜ののちヤタイノリンゴアメテラスオオミカミとなってカタヌキハウマクイカヌノミコトへ剣を与えた。それを祝ってアンガイツマミニモナルワネノミコトが宴を張ったのが懐かしい。
虹の翼 作者:高杉晋太郎
晴れた日、ジャングルジムの上に立ち
太陽にむけて霧状のおしっこを発射する
この方法でしか僕は飛べない