500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

短さは蝶だ。短さは未来だ。

 出てって 作者:テックスロー

 テレビの真横でもなく、カーテンの近くでもなく、かといってテーブルの脇というわけでもない、リビングなのに何か死んだ感じがする場所に鬼が立っていた。女の私より少し低く、目はかっと開いたまま。形相は恐ろしいがこちらに近寄るわけでもなく、開きっ放しの目がだんだん滑稽なものに思えてきたのでとりあえずテーブルに着くよう促した。
 椅子に座る鬼を背中に、はてさて何をと冷蔵庫を開け、少し迷って冷奴を出した。鬼は表情を変えずに豆腐を見、やがて一口で平らげた。食べるんかい、と驚いて、次の日は激辛麻婆豆腐を出したがそれも食べた。その後も味噌汁、豆乳スープ、大豆ハンバーグ、豆大福などを出したがすべて食べた。納豆を出した時には少し嫌そうな顔をした、気がした。しまった、さすがに露骨すぎたかと思ったが結局食べた。今日は熱々の湯豆腐。表情は全く変わらないのに熱そうなのが分かるのが不思議だ。明日は二月三日。もう遠慮はいらないぞ、と戸棚にしまってある、バケツ一杯はあろう炒り豆を思い浮かべて私は少し震えた。



 百年と八日目の蝉 作者:まつじ

 おれたちは、おまえらの尺度で生きているのでは無ぇというのに、どうしてもおまえらはそうやって比べねばならねえのだな。そうやってどこか哀れの眼で聞くのだな。それに、おれの仲間の死ぬのを見て、ああきっとどうせおれも死ぬのだろうと思っているのだな。ほんとうに可愛いことだな。おれだけでは無ぇというのに。
 おまえが死んだそのあとも、おれは鳴くだろう。
 そういうことも、あるってことさ。



 永遠凝視者 作者:たなかなつみ

 春になると土から眼玉が湧いてくる。縁起物なので拾い集め、瓶に詰めてテーブルの上に飾る。乾いてしまわないようにときどき水をやる。乾くと割れてしまうが、水さえ切らさなければ、その瞳がぐるぐると動くのを冬の時期まで楽しむことができる。
 わたしの恋人は異境からやってきたヒトで、瓶詰めの眼玉を怖がる。それがどんなに癒しを与えてくれ、幸いを運んできてくれるか、恋人は知らない。眼玉の前でキスをするのを嫌がる。ハグさえ拒む。何に脅えているのかわからない。
 季節が移り、異境の地と戦が始まった。恋人は故郷に徴兵されることになった。旅立つにあたり、まずはこの忌まわしい眼玉を潰していくと恋人が言ったので、わたしは躊躇なく恋人の額に銃弾を打ち込んだ。恋人の眼玉はだらりと眼窩から落ちてきたが、拾わなかった。それは仮の生命に宿っていただけのもの。永遠を見ることはない。
 凍った湖に小さく穴を空け、瓶から眼玉を流し込んだ。眼玉はわたしにその瞳を向けたまま漂い沈んでいく。春になるとまた幸いを運んでくる。その頃にはこの戦も終わり、眼玉もわたしたちのところへ戻ってくるのだ。



 投網観光開発 作者:瀬川潮♭

 妙に虫がいると思ったら網戸の目が粗かった。
「投網を使ってますから」
 旅館の受付に文句を言うとさも当然という感じ。
 むしゃくしゃするので温泉に漬かると、足下にごろりと違和感が。
「投網ですけけえ、許してやってつかぁさい」
 隣の小浴槽を酒風呂にしていた従業員がにこにこ言う。
心の引っ掛かりとともに出る。広間で誰かが卓球をしていた。
 ネットの目が粗い。聞かずとも分かる。投網だ。
 それからはどこに出掛けてもそんな感じ。バスを覆っていたり学校のフェンスだったり子どもの持ってる虫取り網だったりテニスのラケットだったり陸上自衛隊の車両だったり……。
「これは標準装備です」
 怒られてしまった。

「とにかくおかしな所だったよ」
 帰って友人相手に旅行話。なにが魅力で観光客数が伸びているのか分からない。
 友人は落ち着いて返してきた。
「少なくとも、君がもう絡め取られているのは分かったよ」
「え?」
「服の裾に『岩』がついてるし、ほら」
 私の上着にいつの間にかついていた錘を指さした後、背後を振り返る。
 歩いた雨上がりの公園には、友人の足跡。
 私の足跡は何かを引きずった跡で消されていた。



 かわき、ざわめき、まがまがし 作者:五十嵐彪太

 手押しポンプをいくら押しても、耳障りな金属の軋みが聞こえるだけだ。
「もう、その井戸は枯れているよ」と、兄が言う。もう三十回くらい言っている。
「わかってるよ」と、これも三十回くらい答えている。
 兄の口調は一回目も三十回目ものんびりしたものだったけれど、私は自分の声がだんだんと刺々しくなっていることに気が付いている。
 日が沈んでも、私は手押しポンプを押し続けていた。もちろん水は一滴も出ない。
 けれどポンプを押したときの軋んだ音は、少し、ほんの少しずつ変わってきている。確かに。痛みに耐えるような、大勢の人たちの声。
「もう、その井戸は枯れているよ」兄の声が、ほんの少し震え始める。
「わかっているよ」私は声が弾むのを抑えられない。



 P 作者:よもぎ

近頃、町のあちこちでPという看板を見かける。駐車場ではなく店の名前でもなく電話番号や地図があるわけでもなくただPと書いてある。
不思議に思って後輩に「Pってなんだ?」と尋ねたら「あれはイイっすよね!」と満面の笑みで返された。
娘に尋ねると「知らないの?マジで?」と真顔で見つめられた。
妻に尋ねると「イヤだ、あなたったら」と顔を赤らめられた。
テレビで女性タレントが「本当に癒されますよね」と目を細めていた。
近所の小学生が「マジすげー!かっけー!」と走っていった。
帰宅途中、私は街角のPに触れてみた。
おおぅ。なるほど。いや、これは。なるほど。