500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 かわき、ざわめき、まがまがし 作者:五十嵐彪太

 手押しポンプをいくら押しても、耳障りな金属の軋みが聞こえるだけだ。
「もう、その井戸は枯れているよ」と、兄が言う。もう三十回くらい言っている。
「わかってるよ」と、これも三十回くらい答えている。
 兄の口調は一回目も三十回目ものんびりしたものだったけれど、私は自分の声がだんだんと刺々しくなっていることに気が付いている。
 日が沈んでも、私は手押しポンプを押し続けていた。もちろん水は一滴も出ない。
 けれどポンプを押したときの軋んだ音は、少し、ほんの少しずつ変わってきている。確かに。痛みに耐えるような、大勢の人たちの声。
「もう、その井戸は枯れているよ」兄の声が、ほんの少し震え始める。
「わかっているよ」私は声が弾むのを抑えられない。



 P 作者:よもぎ

近頃、町のあちこちでPという看板を見かける。駐車場ではなく店の名前でもなく電話番号や地図があるわけでもなくただPと書いてある。
不思議に思って後輩に「Pってなんだ?」と尋ねたら「あれはイイっすよね!」と満面の笑みで返された。
娘に尋ねると「知らないの?マジで?」と真顔で見つめられた。
妻に尋ねると「イヤだ、あなたったら」と顔を赤らめられた。
テレビで女性タレントが「本当に癒されますよね」と目を細めていた。
近所の小学生が「マジすげー!かっけー!」と走っていった。
帰宅途中、私は街角のPに触れてみた。
おおぅ。なるほど。いや、これは。なるほど。