500文字の心臓

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短さは蝶だ。短さは未来だ。

 共通点 作者:雪雪

アルシーシュルキュール洞窟群には、鳥魚野牛マンモスなどの壁画が百点以上ある。成立年代は三万年前。
絵は洞窟の奥の特定の場所に集中して描かれているが、最も深い絵画群は1?の深奥にあり、いくつもの難所を越えていかねばならない。
洞窟の奥に火を焚いて長時間とどまるのはリスクもあっただろう。足場の悪い危険な場所もあり、「ここで描く」と決めるにあたって、明るさ描きやすさより優先される重要な条件があったと推測されるが、定説はなかった。

90年代半ば、パリ大学の民族学者イゴール・レズニコフは歌いながら洞窟を踏査し、絵画群の位置は洞窟の中でも特段に反響の豊かな場所であることをつきとめた。
太古の絵描きたちはきっと、歌いながら描いたのだろう。響きによって開かれるものがあったに違いない。

レズニコフは探索を続け、洞窟の中で最も反響が美しい立ち位置を見出す。
「ここだ!」
そう思った彼がふと足許に目を落とすとそこに、
「ここだよ!」
というように、赤い顔料の点がひとつ、打たれていた。

耳の良いネアンデルタールとホモサピエンスは、同じ位置に立ち、同じ響きに耳を澄ませた。
シルエットは重ならなかったかもしれない。なんだか女の子だった気がするので。



 しぶといやつ 作者:水琴桜花

 追いつけないとわかっていながら、アキレスは亀を追いかけていた。
 彼らの間に、浮浪者のような格好の男が割り込んできた。アキレスは訊いた。
「お前は誰だ?」
「私は神だ」
「そうか。神か」
 アキレスは男を無視して、亀を追いかけようとした。しかし、見失ってしまった。
「飛んでいる矢は止まっている」
 神は、弓矢を射るポーズを取った。アキレスは立ち止まって相手を眇めた。ふいに意地悪な考えがよぎった。
「本当に神なら、自分が持ち上げられない石を生み出してみろ」
「お安い御用だ。ほれ」
「……石はどこだ?」
「そんなものはない」
 アキレスは苛々した顔で詰め寄った。神は半分遠ざかると、宥めるように言った。
「私は、何でも知っている」
「“何でも”は知らないだろう。知っていることだけで」
「知っていることが“何でも”になる」
 アキレスはその場で腕を組み、神の言葉について考えた。すると、後ろから亀が追いついた。
 亀は矢を咥えていた。アキレスは踵をつつかれた。
「こういうのって、有りなのか?」
「有りだ」神は言った。「故に、無しだ」
 亀は再び遠ざかっていった。アキレスは痛む踵に力を込めた。追いつけないとわかっていながら、それでも彼は、歩き続けた。



 おしゃべりな靴 作者:磯村咲

 今日は時間がかかっているな。朝ごはんを食べ終えた後、前日持ち帰った上履きとバケツを抱えて庭に出ていった娘が小一時間戻ってこない。小2になったばかりの彼女が言われもしないのに毎土曜日自分で上履きを洗う習慣を身につけたのには頭が下がる。が、そこは小2、何か違う遊びでも始めちゃったかな。掃除を終わらせて覗きに行く。
 キャンプ用の折畳みの小さなイスに小さな背中が丸っこい。頭越しにそっと様子を窺うと、左右の手にそれぞれ爪先を上にした上履きを持ってバケツの水に沈め、気泡が連続するように操っている。なるほど、こんなことをしとったんかい。左右の上履きから交互に泡があがるのは会話のようでもある。
 「お話しているみたいだね。」
 声を掛けると、娘は顔をぐいっと上げて頭上にある私の顔を見つけ、にこっと笑って、すぐにまた手元の上履きに注意を戻した。よっぽど面白いのだなとしばらく見ていると、上履きは徐々により深く押し沈められ、気泡もごぼっごぼっと苦し気なものになっていく。そしてひときわ大きな泡がごぼっと上がり、手を止めた娘が内緒話めかして言った。
「男子に投げられたりするから、上履き、もう学校行きたくないんだって。」



 さかもりあがり 作者:たなかなつみ

 目が覚めると暗闇のなかで、風が樹々の葉を揺らす音と腐葉土の匂いで、森のなかにいることに気づく。部屋のなかに敷いたはずの布団から出ると、素足の下には湿った土の感触がする。見上げると丸い月が煌々と照っており、またこの時期が来たのだと合点した。
 月の光を頼りに広場に足を踏み入れる。当然のごとく大徳利と大瓶が置いてあるのを確認し、水がはってある大鍋の下の藁木に火打ち石で火をつける。大瓶の中味を大徳利へ移して燗をつけると、樹々の合間からひょこひょこと馴染みの面々の顔が現れる。合図を送ると大きな風が起こり、広場はあっという間にあやかしでいっぱいになった。銘々の杯へ温燗を注いでやると、ひょひょいと飲み干し満面の笑みを浮かべて天空へと舞い上がる。あちらでもこちらでも赤ら顔のあやかしがすぽんすぽんと飛び上がっては戻ってくる。次から次へと燗をつけ、次から次へと酒を注ぎ、夜通しあやかし風船を打ち上げ続ける。
 満ちていたあやかしはやがて朝の光に溶けていく。大徳利も酒瓶も森も消え、足もとには小さな箱がひとつ。振ると小さな飴が転がり落ちてくるので口にした。さかもりあがりの甘い飴はこの先一年の御守りとなるのだ。



 忘れられた言葉 作者:深夜真世

 朝、遅刻して出社したら全員死んでいた。
 課長も経理も常務も社長も。男性だろうが女性だろうが関係なく。
 そして全員、倒れた床などの上に「思い出せない」の一言を遺していた。ボールペンやホワイトボードマーカーやケータイのメモ機能で。
 はて、一体何があったのか。
 みな外傷はなく、それでいて誰もが呼びかけにこたえず脈もなく。遅刻したときには例外なく怒鳴られるのにそれもないのでくたばっているのだけは間違いない。
「こんちは。今日は出荷、ないすか?」
 そこに宅配業者の兄ィちゃんがやってきた。
「ああ。たまに会社単位で死んでるトコ、あるっすね。何か思い出せないらしいんすよ」
 事情を説明するとレアケースながら普通にあることらしい。だから兄ィちゃんは警察と消防に電話して、その後はごく普通に事態が推移。警察からの聴取は「遅刻して出社したらこのありさま」の一言で解放された。
「貴方はきっと、何かを忘れてないから助かったんだと思いますよ」
 気に病んでると消防職員からそう励まされた。
 最後の目礼が「だから死なないように」に聞こえた気がする。
 しかし。
 俺はいったい、何を忘れてないのだろうか?



 ハンギングチェア 作者:磯村咲

 この座り心地のよさでこの価格、買っちゃおうかなと滑らかな曲面に体を預けて揺ら揺らしていて、視界の端っこに常に浮かんでいる糸くずのようなものに気付く。選択してズームすると「重力は別売りです。」の文字列である。まあ、地球で使う分には問題ないか。



 ツナ缶 作者:miyuu2

「母さん、スーパーで福袋を買ってきたよ」
「そういえば、今日は初売りの日だったわね。今年もレアな缶詰、入っているかしら」
僕は、テーブルの上に福袋を置き開けた。
「お、干支にちなんで猪肉、鯨肉、アザラシ肉、最後に餅1キロ入り。あ、まだ入っていた。え、ツナ缶、軽いな」
僕は耳元で振ってみたが、音がしない。何も入っていないみたいだ。
 夕方になり、ツナ缶を開けてみた。
「母さん、これ見て。大当りって書いてあるよ」
「何、これ。面白いわね。何が大当りなのかしら」
僕は笑いながら、部屋に置きに行った。
 次の日の朝、僕は布団の中で初夢を思い出していた。
マグロが目の前に泳いできて、1つだけ願い事を叶えてやろうと、横柄に言ってきた。僕は異世界で冒険者となり、スキルを積んで将来は美味しい料理を出すレストランを開き、傷ついた冒険者達を癒したいと答えた。マグロは、請けたまわったと言って優雅に泳いで消えた。
 起きて昨日のツナ缶を手の平に置いてみると、蓋がパカッと開き小さなマグロが浮かんでいた。そのマグロがツナ缶の使い方を話し、僕は今、異世界に立っている。