500文字の心臓

トップ > タイトル競作 > 作品一覧 > 第53回:連れてゆく


短さは蝶だ。短さは未来だ。

 小学校から帰宅途中の女の子を、背後から幼女趣味の一線を今まさに踏み越えようとしている変態が、植え込みの影から女の子の父の財産を狙った誘拐犯が、黒いワンボックスカーの中から女の子の祖父が守っている古代人の最終兵器を狙った黒服が、道路の対岸から父子家庭の弱みにつけこんで負の英雄願望を満たそうとしている迷える青少年が、電信柱と壁の隙間から女の子に恋してしまった中年サラリーマンが、遥か上空から女の子を地球人のサンプルにしようと狙っている異星人が、マンホールから地上勢力を侵略しようと企んでいる地底人が、異次元の狭間から不思議の国以上の不思議が渦巻いている世界に興味を持ったハートの女王が使わした懐中時計を持った白兎が、目的は違えど一様に、前後左右上下から連れて行こうと機をうかがっていたが、結局女の子の手を引いて連れて行ったのは、こんな危ない場所には大事な娘を置いておけないと嘆いた母であり、女の子はそんな母の手を取って嬉しそうに、母の居場所である天国へと歩いていった。



 走り始めて随分経った。
 砂塵まみれになりながら地平線目指して疾走した。原色の抽象画を雨で濡らしたような宵闇のマーケットを抜けた。2分置きに飛び立つ爆撃機の爆音を掻いくぐった。オーロラに照らされながら凍てついた針葉樹の森を縫った。
 でも、まだ足りない。
 おまえの形はもうそこにはなくて、そのおぼろげな記憶だけが幽かな重さを残してボンネットの鼻先に引っ掛かっている。それでも道連れを決め込んだ以上、ぼくはハンドルを切ってまた走り出す。椰子の実の弾丸降り注ぐ6車線の直線を飛ばす。スコールでぬかるんだ農道で地蜂の群れに覆われて立ち往生する。月の海に降り積む虹色の雪を撒き上げる。イソギンチャクのように波打つ無数の手の上を片輪で跳ねてゆく。近すぎる太陽に屋根の塗料を溶かされながら辛うじて飛び続ける。夢から醒めて足元が抜け落ちないように星々の間の見えない道をそっと通る。大歓声を上げる群衆の真ん中にダイブして裏側へ抜けると、蝶の群れが大移動している。車を停めて眺めてみる。でも、おまえは微笑んではいない。



ただし影はそこに置いていけ。



 遠くから、鐘の音が聞こえる。間もなく、年が明けるのだ。
 
 彼は誰にも知られずにやって来る。隠れているのではない。誰にも、見ることが出来ない。そうして夜の中をひっそりとやって来る。やがて、彼の後ろに列ができる。
 列は音もなく、ぼんやりとしたもので少しずつ体を長くしていく。
 人々はあたらしい年を待つ。
 暗い道を誰にも知られることなく、列は伸び、進んでいく。
 
 遠くから、鐘の音が聞こえる。忘れられていくものたちを後ろに、彼は夜の中を静かに去って行く。
 間もなく、年が明ける。



自力で思いつくか思いつかないか、ぎりぎりの境界を少しだけ越えたあたりの着想が、もっとも人を驚かせる。
それより遠い着想は、心を揺さぶることもなく過ぎ去ってしまい、惜しまれることもなく消える。もっと遠ければ、なにかに届いたことさえ当人に気づかせない。
引き起こされる感動を指標とする限り、一生に一度、とある一瞬だけ眼の端をよぎって去るようなかすかな着想を捕捉することはできない。思考は、ふだん自覚されない慣性にしたがって運ばれているから、追おうとすればその慣性に逆らって、急激に加速しなければならない。けれども心が掻き立てられなければ、興奮による集中力は動員されないし、着想を追尾する加速力も発揮されない。
ゆえに、「今まさに、驚くべきときである」という判断により、意図的に自分を感動させる必要がある。それは困難である。習熟によって、随意の度合いは多少上がるにせよ。
追尾が不能であるとき、遠ざかる着想にぼくは、名前を付ける。ただひびきだけを似合わせたあたらしい固有名詞を。そしてその名を書き留めておく。おりおりに、名前がなじむよう、心の中で反芻する。名前が定着すればその呼び名の対象は、果てしない闇の中で無意識が交わす、噂話の種になる。

ある日、やはり取り急ぎ名前を付けなければならないような影の薄い着想が、予告もなく訪ねてきて、くだんの名前を唱える。
「会いたいんでしょう?」
「会いたい」
ぼくはそのときしていたことはぜんぶ放り出して自分を身軽にする。
すでに流れ始めながら案内人は、振り返って言う。
「遠いから、心に鍵をかけてきたほうがいいわ」



 いつかきみを連れてゆくよと約束した僕が3億光年の彼方から赤い糸を引っぱって、ああ今たしかにきみが宙に浮かんだ感触。



 親友が死に逝こうとしている。
 僕は防波堤の上に立ち寄せては返す波を見ている。
 遠く沖合いには船出を待つ何隻もの船がある。

「なあ。俺は若くして死んでしまうことが悔しくて仕方がなかった。まだやりたいことも山ほどある。だがな、こう思うことにした。俺はおまえたちの不幸をみんな貰っていく。そうさせてくれないか。それなら俺は胸を張って向こうに行ける。怖くてもそれを乗り越えられる。だからおまえの不幸を俺にくれ」
 その言葉を僕に言った数時間後に親友は意識をなくした。

 ふたりでよく釣りをした。
 海を眺めながら夢を語り合った。
 歳を取ったらふたりで毎日釣りをしようぜ、というのが親友の口癖だった。

 僕はポケットに手を入れる。
 そこには十数年飲みつづけている薬のケースがある。
 この病が消えることと親友が消えることを引き換えになどできるはずがない。

 水面がぐいと盛り上がった。
 大きな波がくるのだろう。
 僕の心の中にもやるせない思いが膨れあがる。
 奇蹟よ、今こそくるのだ。
 僕はこみ上げてくる熱いものを必死にこらえるために、唇を強く噛んだ。 



 白目のくっきり青い四つの目玉は、飽きることなく黒い点の連なりを眺めている。柔らかい爪を互いの汗ばんだ手に食い込ませ、悟られないよう息を詰めているのだが、じきにこらえ切れなくなって、空いている手を交互に伸ばすと、ぷちり、ぷちり、潰しにかかる。しかし、それしきのことで途切れる列ではない。次々に押し寄せる新手が、小さな黒い玉になった朋輩を迂回して新しい道をつけると、じき本流にまぎれてゆく。
 やがてじんじん足が痺れだして辛抱ができなくなったら、二人はつないだ手を地面に押し付けるようにして立ち上がるだろう。はじめは一つの点を追ってやろうと苦心するはずだが、指先の鼻を刺す蟻酸の臭いに気を取られている間に、見失ってしまうのがおちだ。どうせどれを追っても一緒だと気づけば、土ぼこりで白くなった小さな裸足は、列の先頭へ一目散に駆け出すに違いない。
 さてそこで待ちうけるのは夏虫の骸か、それとも真新しい巣の入り口か。なに、どちらだってかまいやしない。幼い子らは公園を引きずり回されるのに、ただもう夢中なだけなのだから。



 山はアイスクリーム、紫外線を浴びて。
 女の子は歩きます。
 右手にはミスタービーンが持っていたエセテディベアを引き摺って。
 靴下と裾が濡れますが、女の子は気にしません。
 後ろにはちっちゃな足跡と偽テディの筋が地平線まで続いています。

 女の子は雪の上に落ちているなにかを見つけました。
 きらきら光って、ブリリアント。
 でも、地平線で見つけた虹の欠片とはちょっと違うようでした。
 大陸間弾道ミサイルの残骸かもしれませんが、女の子は気にしません。
 それを引き抜くと、大事そうにポーチの中にしまいました。

 アイスクリームのど真ん中で、女の子と偽テディは立ち止まりました。
 そろそろお昼の時間です。
 ポーチに入っているボキャ天大座布団を雪に敷くと、背中からどかっと雪の中にダイブしました。
 せっかくのボキャ天大座布団の意味がありませんが、女の子は気にしません。

 今日のおかずは本格点心とミートボール。
 女の子はミートボールよりも鯖の味噌煮が好きなので、ちょっと残念。
 ポケットの中にある宇宙からチタン製のお箸を取り出して、いただきます。

 午後からも、女の子は歩きます。
 ちっちゃな足跡と偽テディの筋はどこまでも続いています。
 今日も夜まで歩いたら、イブプロフェンを服用して寝るつもりです。



 私の住む島は洪水で壊滅した。家族は皆死んだ。友人は半分に減り、女は綺麗どころばかりが死んでしまった気がした。海で遊ぶ者は減り、魚を食わない日が多くなった。木の実を食べた。死体を根元に埋めた木には他よりも多く実がなった。亡くなった者らを自分の中に入れるようにしてむさぼり食った。
 そうして何十年と過ぎた。
 ある日私の父親に似た男が島にやって来た。
「兄さんじゃないか、生きてたのか。どうしてそんなに若いままなんだい? この島も昔とまるっきり変わってないし・・・」
 そうだ。洪水で死んだのは私であり、島は死者たちがだらだらと過ごす一種の地獄だったのだ。
 という夢を見た。起き出して鏡の中を覗く私の顔は年相応に老けている。父親にはあまり似ていない。流された家の唯一の遺留品である家族写真の中では、弟は幼いままで笑っていた。今は島も復興し開発され、昔の島の面影はほとんど無くなってしまった。
 島を出て大陸で暮らしている娘夫婦から、私を呼ぶ便りが時折届く。私は亡き者たちと思い出に縛られて島を離れられないでいる。昔には戻れないのに。
 夢の中で私は家族の暮らす島へ帰る。しかし、幼いままの弟は年取った私を見分けてくれはしないのだ。



きみを見つけたから、
きみを連れて行かなくちゃ。
どこかとおいところへ、
この道のつづきへ、
となりへ、地平の向うへ。

きみみたいなひとは他にいないから、
きみと行かなくちゃ。
きみの見たいところへ、
ぼくの見たいところへ、
見ても見ても見果てぬ景色のその向うへ。

きみを連れて行かなくちゃ、
ぼくが力尽きて、これ以上行けなくても、
きみだけは連れて行かなくちゃ。
ぼくはそこで崩れ落ち腐り朽ち果て跡形も無くなるだろう、
でもきみだけはその向こうの、もっと向こうの、
まだ誰も見ない、とおくとおくへ、
途中でへし折れたぼくの生の涯の涯まで。



 小さな腕に抱かれたぬいぐるみ達は姉妹達の影を見る。
 どの影も歩調が合っていないので、みんなお家に着くまでもっと時間がかかりそうだね、と囁き合う。



連行されたのは15の春。通報されたのはその一時間前。暴走したのはその二時間後。留置されたのは翌朝、逃走したのはその一ヵ月後で、舗装された道路を迷走したのはその後、そしてすぐに転倒し、打ち所が悪くて重症。その後遺症で死にそうになるも根性で回復。その悲壮にかられた姿がテレビで放送される、なんてことを妄想しながら行こうとするも捕まってやっぱり連行される。
 その後はそれ相当の何もない平凡な生活を過ごす。
 最終的には病院の一角でその短い一生を閉じ、そして静かに埋葬される。
 そう、今でもその墓は月見草の咲く場所にある。



汚いじいさんがタクトを降ると、ざわざわとしていた蟻が一斉に動きを止める。
次のひと振りで見事な行進がはじまった。
愉快そうにタクトを振る汚いじいさんが言う。
「さて、どこに連れてゆこうか」
おやおや。蟻に混じって大人も行進しているよ。



 地平線に夕陽が沈んでゆく。
 ずっと前に立っている男が手を伸ばす。
 男の影がわたしの足に届いたとき。
 わたしは男と一緒に海を渡っていた。



 幼稚園入学式の時のこと。飼い始めたばかりのポメラニアンのポポを、私は一緒に連れて行くと言って聞かなかったそうだ。両親は一計を案じ、ポポを放して私についていけば連れてってよし、家の中に帰れば駄目ということになった。放されたポポは一目散に家へ駆け上がり、私は泣きながら母に手を引かれて幼稚園に行った。
 急いでドッグフードを家の中にばら撒いたんだよ、と父に真相を明かされたのはそれから3年後。ポポとはとっくに和解していたが、その日のポポの晩飯からドッグフードを一つまみ奪い、食べてみた。食べられない味ではなかった。
 さらにそれから10年が経ち、ポポは逝った。次第に冷たくなっていくポポの背をいつまでも撫でていると、「それじゃ成仏出来ないよ」と母に諭された。私のせいでポポの魂を惑わせてはいけないと思い、窓を開け放ち、外へ向かってドッグフードを撒いた。遠くの方で犬の鳴き声が聞こえた。
 以来毎年節分の日にうちでは豆の代わりにドッグフードを撒く。七夕には竹に向かってドッグフードを投げつける。雪が降るとドッグフード合戦を始める。遠くの方で犬が鳴くと我に返って掃除を始める。たまに食べる。美味しい時もある。



 うちの家もこの辺りの再開発で区画整理が進むに連れてゆくゆくは動く羽目になるんでしょうなあ。



おまじないに紅い裾長をえらんで
水をあびた肌にそれだけを
うらがえしに着て寝る
わたしはただあなたの夢を横切りたかった
あなたはなぜだかにこにこしていた
 (だれかと約束があったのかもしれない)
あなたは黒い大きな鞄をかかえて急ぎ足で
わたしのほうをちらとみた
気がついたのかつかないのか
一瞬表情が変わったようにも思ったけれど

わたしはただ
あなたの夢を横切るだけのつもりだった



 最後の記憶は握り締めた手の感触と体温、金属の擦れる音、鉄の匂い、闇。



 母が最後になんて言ったのか私には聞き取れなかった。もうほとんど声になっていなかったのだ。しかし父にはわかったらしく、父は黙ったまま大きくうなずき返し、母の手をそっと握り締めた。私はふたりから目をそらし、医者の履いているスリッパを見つめていた。
 母の葬儀を終えた翌日、残り物ばかりを並べた朝食の箸をとめ、父が祭壇の骨壷を振り返った。固まったそばをほぐすのをあきらめ、私は父に声をかける。
「お母さん、最後なんて言ったの?」
 気になっていたけれど、今まで聞く機会がなかったのだ。父は骨壷を見つめたまま答えた。
「ひとりは寂しいって」
「そう」
 両親は昔から仲がよく、母は小学生の私をひとり残して父の出張についていくなんてこともよくあった。最後まで……と、せつないようなあきれたようなほっとしたような不思議な気持ちになった。
「そうだ寂しいなって言ったら、母さん、父さんも一緒に連れて行ってくれるって言ったんだ」
「そう。……いつ?」
「さあ、いつだろうな。聞こうとしたら、母さんはもうひとりで行ってしまった後だったよ」
 いつだろうなあ……。そう繰り返す父の湯のみに、私はお茶をついだ。
「早いといいね」



 東京と違って田舎だから、1時間に1本あるかないかの1両編成で、ディーゼルで、おまけにたいして人も乗ってなくて。でもね、エリー。高校の頃、僕は毎日これに乗って学校へ通ってたんだ。朝だけびっくりするほど混むんだよ。

 あのね、エリー。そこは菜の花畑で田んぼの向こうが玉ねぎ畑。春になると一面真っ黄色で綺麗なんだ。今度見せてあげるね。

 僕の家へ帰る前に祖父の家に寄りたいんだけど、エリー、いい? 祖父はもう僕を僕だってわからないんだけど、僕が子どもの頃からずっと、僕の奥さんになってくれる人の顔を見たがってて。だからせめて、遅くなっちゃったけど一番最初に、ね。

 そう、あの大きいのが駅。過疎と高齢化だけが取り柄の町には大きすぎるよね。きっと、誰かに見栄を張りたいだけなんだ・・・でも、うん。君とこの町にこれて良かった。ありがとね。エリー。愛してる。



 考古学者ベラミン博士が旅先でとことん寝つきが悪いのは、教え子の話によれば、羊たちの旅費をケチっているからだと言う。



 僕たちはいっせいに笛を吹く。
 上手いやつもいる、下手くそもいる。なめらかなのもある、調子外れもある。てんでばらばらをてんで気にせずに足だって踏み鳴らす。いちばん前の、三角帽子にマントの彼が、笛の音に合わせて手足のもつれそうなダンスで前へ進む。僕たちはくすくす笑う。
 パパたちもママたちも、屋根裏や床下の住人たちも、村の真ん中の時計台の影さえも寝静まった夜に、僕たちは村を抜けた。いちばん前の、三角帽子にマントの彼は、ハムスターみたいにからから踊り踊らされて、すっかりお疲れで目もぼんやり、けど、ひきずるステップで僕たちを導く。くすくす笑いのおさまらない僕たちは、なお音色を響かせる。目指すのはまさしく彼方。そう、行き先は彼と笛の音だけが知ってる。
 だけど、たどり着くそこでは、夢のような楽しみが待ってるって、僕たちは知ってる。彼が本当は彼女だって事を。
 真夜中に、夜のまっくらに、村を離れて消えゆくパレード。泣き声なんて聞こえないよ。ぴいひゃれりらり、ざっざっざっ。
 ぴいひゃれりらり、ざっざっざっ。



 回転寿司だと思って入ったら、U字カウンターの真ん中で、職人が寿司を一つずつ握っていた。値段表がないので、かっぱ巻きとガリとをしょりしょり食べた。そのときU字の向こう側でしなびた婆さんが豪気な注文をする。職人せっせと手を動かし、できた寿司桶十一、「食べたい人!」婆さんが叫ぶ。
 「はい!」「はい!」両隣も、あっちもこっちも、居合わせた客十人全員が手を挙げている。
 「あの人は、ああしていつも振る舞うんだ」職人がぽそりと言う。
 「はい」私も思わず手を挙げた。カウンターを越えて飛んでくる寿司桶。アボガドにあぶりサーモン、かいわれマヨネーズがとろり、海苔がぱらり。いやこんなおいしいの食べたことないよ! 一つ食べて絶句しているところで婆さんが言う「この寿司食べたら、連れてゆくからね。それでもいいなら食べな」
 一つ食べたところだよ! これ一つで後、断念するなんてできないよ! 手が止まらない口が止まらない。客全員、寿司桶を空にした。むろん私も。寿司婆は財布から万札をぎっしり出して立ち上がる、「えびトロうに、アボガドサーモン、そっちもあんたも、皆行くよ」
 十一人ぞろぞろ。路地からも集団が出てくる。これまでに集められた人たちらしい。その一人が教えてくれる。寿司婆はきっと遠い危険な所へ行くんだ。一人が言う。毎日毎晩、寿司婆は寿司屋にいりびたりだから、いつか日本人全員、寿司婆についてどこかへ行くんだ。



「わたしはちゃんとあなたのなかに、わたしをのこしておいたのに」
気付いたら、左足首に12番目に捨てた女が絡みついていた。
一緒に死のうと勝手に言って、一人で死んだ女だった。さめざめと泣いていた。
何を言うんだ、やめてくれ。白く細い腕を振りほどく。振りほどいたところから、女は透明な飛沫になって皺のよったシーツに染み込んでいく。
今更、お前の涙で出来た世界に、僕を攫おうというのか。
「うそつき」
嘘つき?誰が。やめてくれ。
うそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきがくるいそうだ。あれはお前が勝手に言っていただけ。そんなまさか。
あの、とろりとした真摯な眼差しが浮かび上がる。
それともあの時、本当は約束していたのだろうか。僕は。
思い出せない。思い出せない、けれど。
血を流した夜、海辺を歩いた日、肉を喰らった朝、あの情事の後。
思考は巡り、視界は沈む。ひたひたと水は心に迫る。



 おれは鰯だ。ちっこくて群れで泳ぐ鰯だ。
 今日は岸壁沿いを回遊だ。
 おっ旨そうな餌があるじゃないか、ぱくっ。
 うわぁしまった。これ疑似餌だ。針が口に引っ掛かっちまった。
 おおいみんな、ここに旨い餌があるぞぉ。



 私達の少し前を、親子が散歩していた。私は彼らを幸せな気持ちで眺めていたが、子どもが抱き上げられたのを見た時、ふいに悪い思いに囚われた。鈍く暗い感情が次第に輪郭を持ち始める。
 私も昔、ああやって抱き上げられ、そして連れてゆかれた。母親と引き離されて。
 立ち止まってしまった私を隣のマサヒコさんが優しく引っ張った。
「どうした?」
 マサヒコさんの顔をつと見上げる。
 ううん、昔のことは忘れてしまっても良いことだ。今の私は幸せではないか。でも──。
 私の子どもも、同じように連れてゆかれてしまう。恐らくは。
「なんだお前、マタニティーブルーか。はははっ」
 マサヒコさんが何か言っている。私には何を言っているのかは分からないが、口調でまたしょうもないことを言っているのだと分かった。こういう時いつも、ご主人様もチカちゃんも冷ややかな言葉を返すのだ。
 しかしこの時、私はなぜかしら温かな思いに包まれた。そうだ、私はもう母親だった。私みたいに幸せになるのよ、自分の足で歩くのよ、お腹の子らに囁いた。
「おっ、どうしたんだポチコ。急に元気になったな」
 再び歩き出した私の耳に、マサヒコさんの気楽な声が後ろから届いた。



 函館で宣教師をしていたヒュイット夫妻には子供ができなかった。
 折りも良く開拓民である鈴木氏が新しく迎えた妻の三歳になる娘の里親を探していたので、貰い受ける事となった。
 娘の名は「きみ」。鈴木氏も「きみ」を邪険にしたわけではなく、厳しい開拓地での生活に耐えられないのを見越してやむなく里子に出したわけである。
 きみが六歳になった頃、異国の教会での任期を終えたヒュイット夫妻は合衆国へ帰国。当然「きみ」も一緒に海を渡るはずだった。
 しかし当時ではまだまだ不治の病であった結核に冒されていた「きみ」は渡米を許されずに、三年後東京の教会の孤児院で夭折してしまう。

 事実を知った僕は、ある意味「しゃぼん玉」以上の悲話であるこの歌を胸を痛めて口ずさんだ。

『赤い靴はいていた女の子 偉人さんに連れられて行っちゃった』

 病気の娘を残して船に乗ったヒュイット夫妻は三年間育てたのきみの笑顔を記憶だけを連れて行った。



 天使が好き、と彼女がしばしば言うので天使になりたいと思った。いろいろ調べるうち「天使突抜」という地名があることを知った。ここへ行けば突き抜けてゆく天使と出逢えるに違いない。僕はさっそく荷物をまとめて家を出た。
 四丁目まである天使突抜を南北に走る天使突抜通りを僕は何度も行ったり来たりした。天使を見たことがありますか、と誰かに聞いてみたかったけれど、そんなことをしたら天使が現れなくなりそうな気がして、できなかった。どこかで天使が見ているかもしれない。そう思うとこの通りを歩いている人たちがみんな天使に見えてくる。他の人からは僕も天使に見えるのだろうか。
 修行のように歩き続け、いったい何往復しただろう、人けのない夜だった。突然、まるで長い長い日蝕が終わったみたいに天から光が降り注ぎ、真昼のように明るくなった。天使になりたいのか。どこからともなく声がした。僕は誰にともなく頷いた。ではおまえに仕事をやろう、天使としての最初の仕事だ。まもなく彼女に寿命が訪れる、彼女を天国へ連れてくるのだ。僕は呆然と頷き、ジュミョウジュミョウと呟きながら駆け出す。ねえ君、待っていて。今から天使が迎えにゆくよ。



 お願いです、僕をその船に乗せてください。どうか悲しみの彼方に連れていってください。何の犠牲もなく、何の呵責もなく、ひとり肥えてゆくのはもう嫌なのです。新しい靴も用意しました。新しい杖も用意しました。これまで幾度となく、冷たい波に酔わされて、腹のあたりが破裂してゆく夢を見ました。僕は身ごもった傲慢な虫のように、その裂け目から悪意をどんどん吐き出すのです。それはおびただしい火種となって空を焼こうと舞いあがります。ぐらぐらと寄り集まった真っ赤な円は、朝陽でもなく斜陽でもなく、愚かしい溶鉱炉なのです。すさまじい放射熱があらゆる目を焼き、鼻を焼き——ああ、どうか、こぼれ出る恐れをその手で掬ってください。母なるものよ、僕は故郷を愛しています。愛するゆえに、ひたすら己を憎んでいます。破れた腹がもたらす罪を憎んでいます。どうかその、氷結の船に乗せてください。悲しみの彼方に連れていってください。あなたの鉄槌は、そう、一度ならず二度までも……みじめに砕け散った結晶は、あなたを彩る首飾りになりましょう。恥辱の味は、知恵の実に似ていると聞きました。母なるものよ、真実ですか。その船は知恵の森に向かうのですか。



 微睡みの中、歩いていることだけを自覚していたあなたの耳に、唸るような低い音が響いた。
 少しずつあなたの意識は覚醒し、たとえば、住んでいる街のどこかを歩いているとか、空が白み始めているとか、なにか光点が少しずつ大きくなってきていることなどに気づいた。
 ギュッと左手を握られて、あなたはそちらに目を落とす。
 あなたの左手を包む透けた誰かの手。足下には不揃いな小石と時々現れる木の切れはし。そして、鉄の……レール。あなたの頭の中で低い音と光点が結びつき像となった。
 さらに強く左手を握られたせいか、不思議とあなたは恐怖を感じない。光点がだいぶ大きくなったので、ようやくあなたは前を歩く誰かを見た。光は輪郭と凹凸を浮きだたせ、あなたは左手が誰かの右手に握られているとわかった。
「大丈夫。一緒に行こう」
 誰かはあなたの方を向いてそう言ったようだが、迫りくる低い音にかき消され、最後まで聞き取れなかった。
 TVの怪獣のように光点が大きく鳴いたので、あなたは左手を強く握り返す。あなたには前を歩く誰かの顔があなたにそっくりに見えた。
 まだ頭のどこかは微睡んでいるが、あなたは安心して線路の上を。



 それでは幸運な王様。わたくしの話がすべてつくり話であったら、どうなさるおつもりでしょう?
 千一夜が終わって婚礼の宴も済んだ夜明け、シャハラザードが言った。

 そんなことはあるはずがない。王は答えた。おまえはアッラーに賭けて真実を語ると誓ったではないか。

 それではわたくしの誓ったアッラーがただの名前に過ぎず、コーランはムハンマドの寝言、聖堂に響く朗唱は衛兵の立小便の反響に過ぎず、すべての文字が蟻のつけた道の跡でしかないとしたら、魔神も精霊もいまだ存在せず、あなたがわが子と信じる子らもバグダッドも、あなたが殺した女たちも存在しないと言ったらどうでしょう?

 王は眠そうな半眼を喝と開いた。
 気でも違ったか。アッラーの他に神はなくアッラーの他に真理はない。

 王様。わたくしの顔に見覚えはございませんか?

 まさか! 余を裏切った最初の妃、いや余が生まれる前に亡くなったわが母だ。

 ならば王様はいまだ生まれてはおられませぬ。いつかシャフリヤールとして生を受け、妻に背かれ、そのせいで千人の女を殺害するでしょう。
 御覧なさい。万物は存在すらしておらず神の第一声が聞こえるのはまだ先のこと。世界は虚ろです。
 一匹の蛆虫の前に蝿がいたとはお考えにならぬよう。蝿は蛆虫が夢見た結果に過ぎませぬ。ただ蛆虫は蝿より他のものを思い描けなかっただけなのです。



 ほんの酒の勢い、冗談のつもりが、まいったね。
 どんどん増えている。
「私ね、すごく面白い所知っているんですよ、楽しくて、気持ち良くて、愉快な、いーい所」
 とたまたまいた屋台で話した相手が誰だったのか、全く知らない。ただ、やたら陰気に隣りで酒を飲んでいた男をからかいたくなった、のがいけなかった。
「そりゃあ本当ですか、本当の本当に本当ですか、ねえ、本当なんでしょう」
 必死な顔をするのでつい
「え、あー、まあ、ぼちぼち」
 と曖昧な返事、となるとたちまち、じゃあそこにワタシ案内して下さいという事になり、そこへ陰気な顔で店の主人が、
「本当なんですか」
 屋台を放ってまで行くと言うので、それは止した方がいいんじゃないかと諭すと、屋台ごと行く気だ。
 どこかで煙に巻こうと思っていたのだが、知らぬ間に陰気な男や女が連なり真剣な顔をして私の後を追って来る。さすがに謝ろうかと考えたが、しかし今さら。殴られるんじゃなかろうか。などと目先の心配をしているうちにますます謝りにくくなる。
 試しに欽ちゃん走りをしてみたら、大のおとな皆が皆真面目な顔をして欽ちゃん走りをするものだからワッハッハ、笑ってしまった。
 いやホント。
 泣きそうです。



 きみだけが去った公園のベンチでうなだれたままのぼくから零れ落ちていく幾つもの涙の粒がばらばらに地面に絵を描く。最初の粒は出会った頃のきみの姿を浮かび上がらせ、ふたつ目の粒はフィレンツェの街並み、みっつ目の粒は昨日の夢の中、よっつ目の粒はほしの王子様とバオパブの樹……時系列すら揃っていない涙の絵はぼくの混乱を現しているよう。その絵に惹かれてか一人の少女がぼくの前に座り込む。次々と涙は零れて絵が現れ、食い入るように少女が見つめる。
 いつのまにかぼくは自分の悲しみのためでなく、少女のために涙を零している。絵を描いては、乾いて消え、次の涙が絵を描く。やがて少女が思い出したように拍手をして、最後の涙がぼくと少女が手をつないでベンチから立ち去る様子を描いたから、ぼくらは手をつないで歩き出す。



 転がり落ちるような人生で、僕は何も手にすることが出来なかった。カウントダウン、残りはあとどれくらいなのだろう?月曜は2〜10歳の思い出を。火曜は11〜15歳の思い出を。水曜は16〜22歳の思い出を。木曜は23〜31歳の思い出を。金曜はまた2〜10歳の思い出を。嫌いだったこの真っ白な病院の壁は思い出を映し出すには丁度良く、僕は存分に思い出す。それは今、終着地へと物凄い勢いで引っ張られている、僕の、最後の足掻き。何も掴めなかった僕は、不安なのだ。一人だから、連れて行きたいのだ。だから足掻いて手を伸ばして。かすむ景色に惑わされずに一番遠く綺麗な思い出から根こそぎ腕に抱きかかえられるように。幼い頃からの思い出全てと心中だ。



 灰色の空の下、救急車がなきながら走っていく。赤い光をして。
 母という人を思わせる。



哀しいほどに晴れ渡った空の下に、一点真っ赤な彼岸花が群生していた。
まだ青々とした野辺の草の中、飛び跳ねた赤が目に染みる。

さみしい。さみしい。
ひとりはいやだ。

風はそよりとも吹かず、九月という響きに似合わない陽射しが、あたりを支配する。
道は白。乾いた土が、誰を待つともなくしらしらと。

さみしい。さみしい。
ひとりはいやだ。



爺さんが死んで、ふた七日。婆さんは、土間の敷居で冷たくなっていた。



「わたし、あなたの未来をあなたといっしょに見たい」
「連れてゆくよ」
「ほんとに?」
「必ず」

三日後、白髪まじりのあなたを連れて、あなたが訪ねてくる。自分とはやはり気が合うものなのか、指示語だらけの意味不明な会話をして笑い合っている。未来のあなたはふわっとした風のようなおじさん。部屋に導き入れるとき、ふと息がにおう。今とほとんど変わらないにおい。節制しているのだ。
わたしとあなたは、未来のあなたと差し向かいになって、夕食を食べる。未来のあなたはわたしの手料理を頬張っているあいだずっと、新聞でも読むような顔をしている。「いつまでたっても料理がヘタだと思っていたが、ずいぶんと上達していたんだね、逆算すると」わたしは複雑な気分になって、言葉がでてこない。未来のあなたはわたしの眼をのぞきこむようにして、追い討ちで「昔はこんなにいい女だったんだなあ」と言う。わたしの顔は上半分と下半分がばらばらの表情になる。
短い静寂のあと、あなたと未来のあなたは、テーブルごしに肩をばんばん叩き合って「冗談」「冗談だよ」と言ってげらげら笑う。
冗談では、ないな。



「迎えに来たよ」
 お風呂に入っていたら、突然そう言われてあたしはものすごく驚いた。声の出所を探してあたりを見渡すと、シャワーカーテンの隙間から顔をのぞかせているものを見つけた。
 ぱっと見たところ、それはペンギンだった。何ペンギンなのか知らないけど、白と黒だけのシンプルな色合いのつるんとしたペンギンだ。そのペンギンは少年のような高い声で、もう一度言った。
「迎えに来たよ」
「え?」
「さぁ行こう」
 ペンギンはバスタブに身を乗り出して、あたしの腕をひっぱる。ひんやりとしたペンギンの手が思ったよりも気持ちいい。
「ほら、早く早く。急がないと乗り遅れるよ」
「え? 何に?」
 あたしがそう聞くと、ペンギンはシャワーカーテンを全部開ける。ほらと彼の振り返る先を見ると、バスタブの向こうは白い砂浜とコバルトブルーの海で、少し先に船があった。その船はテレビで見たことがある豪華客船みたいに大きい。
「あれに乗るの?」
「そう。だから急がなきゃ」
 ペンギンはぺしぺしとあたしの腕を叩き、髪をくちばしでひっぱって急かす。あたしは慌ててタオルに手を伸ばし、
「ね、酔い止め持ってない? あたし乗り物酔いするんだけど」



 失踪?
 あ、そう。

 愛用の自転車から前輪だけがひとりでに外れて、どこまでまどこまでも転がってゆく。



 その昔、播磨の国に茂助という若者がいた。
 生来の怠け者で、元服したにも関わらず遊んでばかりで、親の名で借財を重ねては飲む打つ買うの三拍子。
 だが我慢強い親も限界に来た様で、その年は台風も多く凶作だったことも災いしてとうとう勘当されてしまったのだった。
 
 博打仲間の家を転々として半年は飢えずに済んだが、いつまでもこんな不安定な生活もしていられない。
 茂助は一計を案じて吉備の国へと渡った。
 
「桃から生まれた日本一のツワモノ桃太郎なり!」
 そんな台詞を大音声で触れ回っていると、犬が寄ってきて足におしっこをひっかけられた。頭に来た茂助は腰の竹光でぶん殴り家来にした。
 すると今度は猿が忍び寄ってきて「日本一」の旗印を背中から抜取った。必死に追いかけてとっ捕まえると、これまた竹光で半死になるまでいたぶって家来に。
 二匹も家来ができたと喜んでいたら、次は空から糞が降ってきて剃りたての月代にベチャリと落ちてきた。怒ってないフリをして餌で釣ってとっ捕まえると、飛べないように羽根を抜いて雉も無理やり仲間入り。
 そして「鬼退治」と称して、懇意となった無知な民から餞別を集めて、いざ鬼ケ島へ!

 鬼ケ島へと着いた茂助は、連れて行った三匹の動物を貢物に鬼たちと仲良く悪事三昧で幸せに暮らしたそうな…



 夕方、這いつくばった影の中から影ガールが現れたので、じゃあお茶でも一杯、って言って、誘った。一緒に歩くのは恥ずかしいからとまた影へと戻ったのが、ちょっと可愛い。
 日影に入ると消えてしまうので気をつけて歩く。後ろから話しかけてくるが振り向かないでと言う。はははン、わざと電灯の下をスっと過ぎてみる。パっと前へと回ってしまったものだから、あッと慌ててスカートを抑えたけれど、もう遅い。見えたよって言うと、意地悪、ってそれは赤くなってるのかい、って顔をする。笑ってしまう。可愛いじゃないか。なのでつい、また意地悪で言ってしまう。へぇ黒なんだ、意外だなぁ。
 夜。這いつくばってキスをする。
 いる?



「フライング・トースター……」
 呟き終わらないうちに、現れる銀色の空飛ぶトースター。小さな二枚の羽をぱたぱた上下させて、焼けたトーストを跳ね上げながら、月も星もない漆黒の夜空を一群のトースターが近づいてくる。
 私は塔のてっぺんから身を乗り出す。こんがりこげた固い表面が、この手に掴めそう。おなかがぐーっと鳴る。
「今夜こそ、一枚だけでもっ」
 近くに来たと思うとふっと離れてゆくいい匂い。私をこの塔に閉じ込めた魔女の、朝食バスケットからくすねておいたバター。なけなしのはちみつとジャムも。窓から順繰りにばらまいて誘った。トーストたちは虚空でバターを受け止め、はちみつの下へスライドし、ジャムの飛沫を飛ばしては、トースターに連れられてゆく。
「あっ……」
 窓から私は転落する。手に持ったスプーンもさかさまになる。私の上に降りかかるはちみつ。下の野原で、大きな真っ赤な口をあけたものが何匹も待ち構えている。はちみつ付の女の子。おいしそう……。回転して見上げた夜空、小さくなるトーストたち。お願い私も連れていってよ……。
 誰のおなかがぐーっと鳴っているの?



僕は昔からぼうっとすることの多い人間だった。心がどこかにいってしまうというか。現実から離れてどこか都合のいい世界に逃避するのだ。物事がどうでもよくなって、楽しいことばかり求める。空が好きだったせいか。案内役はいつも鳥だった。
しかし、中学になってはじめて恋愛をしたことによって僕の内実は少し変わった。
嗚呼、今日もうわの空から鳥が舞い降りる。鳥よ、お願いだから今日も僕を彼女のところに連れていっておくれ!



。貴女は十枚になり、無数の銀の雫となって弾ける。雫がどんどん減るうち三つ子が揃い失った雫を取り戻すが、きっと明日も貴女を



 桃太郎は鬼退治の旅に出ました。
 桃太郎は進んでゆきます。
「桃太郎さん、きび団子をくれたらお供しますよ」
 犬を連れてゆくことにしました。
 桃太郎と犬は進んでゆきます。
「桃太郎さん、きび団子をくれたらお供しますよ」
 猿を連れてゆくことにしました。
 桃太郎と犬と猿は進んでゆきます。
「桃太郎さん、きび団子をくれたらお供しますよ」
 キジを連れてゆくことにしました。
 桃太郎と犬と猿とキジは進んでゆきます。
「桃太郎さん、きび団子をくれたらお供しますよ」
 鬼を連れてゆくことに・・・・・・えっ鬼?



「君に連れられて」

そこでニヤニヤ笑っている死神
希望がある貧しい子供じゃなくて
希望がない先進国の大人を連れて行って

そこでケタケタ笑っている死神
それでも神なんだから
ゆっくりとじゃなくて一気に連れて行って

そこでふよふよ漂ってる死神
君に連れられて本当は
誰も悲しまないように記憶ごと

そこの死神
笑ってないでよそ見しないで
連れて行って



 空には、穏やかな青をバックに、いわし雲が浮かんでいた。
 秋風が、さらさらと頬を触れてゆく。庭の片隅で、どこかさみしそうな色のコスモスが、やわらかくゆれる。タマゴロウはひなたに陣取り、気持ち良さそうに寝ている。
 入道雲、蝉しぐれ、朝顔にひまわり、濃い影を落とす日差し、やる気をなくさせるような暑さ。夏の女王様がみんな連れていってしまい、今はもう、秋の女王様が配下を引き連れていらっしゃっている。
 秋風が、さらさらと頬を触れてゆく。
 オレも連れてゆけよなぁ。
 風鈴はひとり軒下で、ちりん、と鳴いた。



 僕の思い出の場所は母の横顔の隣だ。僕が幼い頃、田んぼの畦道に咲く彼岸花が案内してくれた。そこは綺麗な場所だった。
 その場所を知ってから十数年後。僕は行き先を決めなければならなかった。白紙の進路希望と赤い彼岸花が僕の目に染みた。都会は彼岸花が連れて行ってくれた場所よりも綺麗なんだろうか。彼岸花が体を揺らして急かすので、僕は都会に行くことにした。
 都会には未知の場所が広がっていた。仕事場のデスク。都会でできた友人と笑った居酒屋。上司に説教された時に立たされた窓際。だけど彼岸花が連れて行ってくれた所より綺麗な場所はどこにもなかった。
 そして僕はまた故郷に帰って来た。青空と赤い彼岸花が僕の目に染みる。あの時僕を都会に連れて行った彼岸花を恨んだ。あの頃と違って白紙の紙は持っていないけれど、僕は行き先を決めなければならない。でも彼岸花はただ揺れるだけで、どこにも連れて行ってくれなかった。
「誰か僕を連れて行って」
 呟きをかき消す様に突風が吹いた。揺れる彼岸花の炎は空と一緒に僕の心を焦がした。空は夕焼けになり、僕は歩き出した。今度は僕が、僕を連れて行くために。



手を差し伸べたのは僕じゃなかった。
多分、きっと。



 潮風が少女の長い黒髪を愛しく撫でる。
 つり目で上目遣いの女の子は小さな顎をツンとそらしたまま、髪を洗われるにまかす。
 夕日は未練がましく水平線で暮れなずみ、ぐぅーんと横に歪んでは暮れなずむ。
 曲がったことが大嫌いな少女は、きっ、と目を細くして思わず一歩を踏み出す。